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Cicero's Political Journey
- When Cicero was elected consul in 63 BCE, he opposed the populares and tried to create an alliance of the rich against the poor.
- Cicero's old friend Pompey deserted him and made new alliances, causing Cicero to warn him about his old enemies.
- Cicero stayed loyal to Pompey and fought at his side in a civil war between Pompey and Caesar, but after Caesar's victory, he pardoned Cicero.
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(15) キケロが、紀元前63年に執政官に選ばれたとき、彼が執政職に就いたことが、病んでいる共和国の分岐点になると信じるほど、彼はうぬぼれていました。ローマの抱える問題は、すべて終わりをつげるのでしょうか? 彼は、終わると思いました。ひとたび選出されると、彼は、ポプラレスに反対しました、なぜならば、彼らが、グラックス兄弟の改革を支持したからでした。キケロは、元老院で貴族を代弁して、貧しい者に対して、金持ち ─ すなわち、貴族と実業家 ─ の同盟をつくろうとしました。 ポプラレスの政治家の一人、ルキウス・カティリニが、反乱を組織しました。キケロはその反乱を抑え込み、裁判をせずに反乱の首謀者を処刑しました。彼は、後に、その行動に対して大きな代償を払うことになりました。彼の敵は、じっと成り行きを見守っていました。結局、キケロの旧友のポンぺイウスは、彼を見捨てて、新しい同盟の一員になりました。キケロは、彼に言いました:「そなたは、我々に平和の強い希望を与えた。そなたのおかげで、我々には、この良き知らせがある。そして、余は、皆にそう伝えたり。しかし、そなたの宿敵が、今は、そなたの友人のふりをしていると、余はそなたに警告せずばなるまい。」 (16) ポンぺイウスは、キケロのことばに注意を払いませんでした。紀元前60年までには、彼はポプラレスの政治家ジュリアス・シーザーと大富豪クラッススと協力関係を築いていました。三人は、三頭政治を組織して、権力を彼ら自身で分けあいました。力を合わせて、彼らは、元老院、人民、... ローマそのものを支配しました。多くのローマ人が、キケロを含めて、それを知って衝撃を受けました。 しかし、相変わらず尊大であった、キケロは、この第一次三頭政治と協力することを拒みました。彼は、それを「三つの頭を持つ怪物」と呼びました。今や、キケロの長年の敵は、彼らの好機を見出しました、そして、彼らは、議会を促して、キケロをローマから追放させました。後に、ポンぺイウスが、彼のために仲介者となって、キケロは、紀元前57年に呼び戻されました。 (17) ポンぺイウスとシーザーの間で内戦が始まったとき、キケロは、ポンぺイウスに対する忠誠を変えず、彼の味方となって戦いました。 シーザーが、勝利を収めて、ローマで最も権力を持つ男になりました。ポンぺイウスの死後、シーザーは、キケロに特赦を与え、彼が、彼の愛するローマに戻るのを許しました。
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ありがとうございます。