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SNSを駆使する事と幸せとの関連性

いまさらではありますが、 例えば様々なSNS(ブログ、ツイッター、フェイスブック、LINE、ミクシィ、etc・・・)を駆使して、 頻繁にこと細かく自分の事をアップしたり更新する事は、どういう心理が働いていると思いますか? 寂しさや虚無感から、自分という存在を少しでも分かってほしい・認識してほしいという渇望の表れですか? そうやって繋がりや楽しさを追い求めていく事は、 一見、幸運をオープンに呼び込む前向きな姿勢と似ている感じがしますが、 真の幸せと言えると思いますか? ※これらの行為を否定するつもりは全くありません。 皆さんのご意見をお聞きしたいでけです。あしからず。

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  • kotaro-h
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回答No.4

ふたつとも良い回答が付いていますね。 反対意見の良いものも読んでみたいのですが、 匿名社会の長所短所とか、市民が都市に暮らす自由で、本来 干渉されなかった部分まで、今後は情報スルー化で監視されそうなことも 背景に入って来ているように、私も感じております。 自己愛の顕示化の話も、とてもイタいけれどある面、真理なのでしょうね。 幸せは相対的な感情で幸福感なのでしょうが、薄い幸福ですね。 個人情報も、一方では風景写真から人間が取り込まれることの抵抗や 自動車のナンバーを消すことに進みました。 その一方で、仮想社会で自分という実体と虚像との間で、願望が肥大します。 これも過去の時代には、特異であったことが、珍しくなくなって来ています。 現時点は評価されることが、充実に近い。そしてリア充という言葉が生まれる 社会視点の裏側は、とても脆い感情構成の上で、実際生活が成り立っている。 ネットができたことは、パンドラの匣だったのかなあ。 ある日突然中性子爆弾の爆発のように、ネットが全て無くなっていても、 次の日から人間たちはまた、次の関心や興味を求めて生き続けているような。 そんな蚕の葉っぱのように食べ尽くされるまでは進んで行く。 SNSとその時代の社会は、おそらくそのようなものではないかと思うことがあります。 失礼いたしました。

5486kdw
質問者

お礼

鋭いご回答ありがとうございます。 おっしゃる通りだと思います。 空虚な自分を埋める為に、必死で自己主張している人をネット社会以外でもよく見かけますが、 本人は楽しく心地よいのかもしれませんが、周りはそんなの別にどうでもよかったりするのですよね。 確かにいろんな人と知りあったり、ちょっとしたことでも話合える事は、人生にとって意味ある事だと 思います。しかし、本人の病んだ心にフタをしているわけですから、 渇望感は消える事無く、際限なく求めてしまう事もあると思います。 精神の健全な核ができていればいいのですが、そのような人達にはなかなか難しいでしょうね。

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  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.5

日本人は、大変な日記好きな民族なんだそうです。最古の小説(文学)は源氏物語なんだそうですが、最古の日記文学である「土佐日記」は源氏物語より古いらしいので、世界最古の文学は日本人の日記(架空の話が混じるので小説的だといえるでしょう)なのです。 さらに江戸時代ともなると商人が詳細な日記なんかを残していたりして、当時の話題の出来事や人々の心情や文化や習慣、さらには食べていたものなんかが分かる貴重な資料となっています。そもそも、一般庶民で200年前から読み書きができる人があれだけいた国ってすごく珍しいのですよ。 んで、ブログに関してはあれは私は現代人の日記なんだと思います。なんらかの活動(趣味とか音楽とか)をやっている人がその告知をブログを通じてやるというのは公的な意味があると思いますが、普通のサラリーマンのおじさんが日常を報告するブログなんて、「誰がこんなの読むんだろう?」って疑問ですもんね。 んで、ほとんど読者もいないのに何が面白いのか欠かさず更新する人もいますから、ああいうのはたぶん「日記」なのだと思います。日記ならわざわざ公開することもないだろうとは思いますが、やっぱり「読者」がいると思うとちょっとしたエッセイスト気分なんでしょうね。例え読者が月に数人しかいないのだとしてもね。 ちなみに私はフェイスブックだけはやっています。もちろん実名です。基本的に現実の交友関係がある人のみと友達になっていて、知らない人には友達申請もしません。あくまで「リアルの交友の延長アイテム」として使っていますね。そう思うと、とても便利だなと感じています。 友達同士の会話で、「こないだ出かけたときなんだけどさ」と何気ない雑談をしますよね。いってみれば近況報告と雑談ですね。プライバシーがどうこうという人もいますが、そもそもリアルの交友相手との付き合いなわけですから、最初からプライベートな繋がりなわけです。お子さんの写真をアップしている人も多いですが、別にそれをヨソで悪用する理由もありません。いってみりゃ友達に写真を送るようなものだからです。 以前、2ちゃんねるまとめサイトの記事を読んでいて、「ミクシもツィッターも分かるけど、わざわざ実名をさらすフェイスブックだけはやる意味が分からない」と書き込んでいる人がいて、それに対して「あれはリア充専用」と書き込まれていました。なんとなく納得ですね。なんだか「俺はリア充だ」と自慢しているみたいですけど。 フェイスブックと他のSNSはちょっと違う気がしますね。フェイスブックは実名のナントカさんそのものが活動している。ミクシやツィッター、LINEはネット上の別人格で活動しているという感じなのかな。 >寂しさや虚無感から、自分という存在を少しでも分かってほしい・認識してほしいという渇望の表れですか? フェイスブックに関してこれではないと思いますねぇ。ミクシやツィッターは分かりませんけれども。「普段なかなか会えない友達の近況を確認する」って感じですかね。フェイスブックはある意味とても閉鎖されている空間(記事の内容は友達にならない限り確認できないので)なので、割と安心してプライベートをオープンにするって感じですかね。 ネットの活動じゃないんですよ、フェイスブックは。あくまでリアルの交友関係のためのツールであると思います。

5486kdw
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、フェイスブックはそういう意味を持つのですね。 全てひとくくりにするのは乱暴でした。失礼しました。 日記だという観点と、リアル交友関係のツールであるという観点から思えば、納得いきそうです。

noname#183245
noname#183245
回答No.3

えぇ、おっしゃる通りです。 表現欲です。 自分を知ってほしいってことですね。 しあわせに結びつくかどうかは、あいてのリアクション次第でしょう。 前向きかどうかは、目的があるかどうか。 たとえば、ネットビジネスをするために人脈を広げるなら、 積極的理由があるといえます。 単なる寂しさでやっているなら、後ろ向きですね。 いいとか、悪いとか。 そういう問題じゃないですけどね。 ぼくは単に事実はこうではないかと言っただけです。

5486kdw
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね、状況次第ですね。同感です。 後ろ向きな場合、自己表現をして認識してもらわないと幸せにならないと思う事が一番問題なのではないかと思います。

回答No.2

私の勝手な意見ですが 政府の陰謀だと思って居ます。 両刃の剣です NET社会は匿名という魔法で誰もが自由に交流できる 国とか身分の垣根のない世界と思って居ました。 ところが SNSな一見便利ですが 自分の身分を晒し 更には 行動までガラス張りにしてしまいます。 一見便利ですが 引き換えに大きな自由を失っています。 従いまして わたくしは 実名登録の求められる参加は一切しません。 長く生きてゆくと 男女の別れ、転職、等々で 会いたくない人、関わりたくない過去とか出てきます。 嵌っている人は若い人が多いと思いますが 何年かすると非常にうっとおしくなって メアドから始まって全て初期化する人も多くなると思います。  それが面倒なので参加しません

5486kdw
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 繋がりたい、認められたいという思いがSNSに引き込ませているのでしょうね。 繋がればいい、楽しければいいという浅はかな考えによって、 自分の私生活を自分で細かく暴露するような人間にはならないように気をつけます。 そういう人は、煩わしかったり自分が少しでも好ましくないと思うものには目をつぶり、知らないところで色んな人を傷つけていたりするからです。

  • maika1968
  • ベストアンサー率21% (22/102)
回答No.1

一時期、海外に住んでいたころ、 退屈しのぎと淋しさからSNS全般にハマっていました。 帰国後も少しの間、商業目的で使っていたけれど、 一旦、自分の仕事や生活状況が落ち着くと、 本当に不必要なものだなとかんじるようになり、 それ以来、あまり使わないようになりました。 そんなあるとき、仕事上のことで私のことを探していた人物から、 フェイスブックを通してメールが送られてきました。 その後、本人確認をし信頼できる人物だとわかったので、 メアドの交換をし連絡を取り合うようになったのですが、 彼自身がフェイスブック経由でメールを送ってきていたので、 仕方なしに開かなくてはならず、そのたびに他の人書いている、 コメントとか見て感じたことは、皆、本当に自分のことを見て欲しい、 という欲求をSNSと言う場を借りてやっているんだな、と言うことに気がつきました。 たとえば、何かを頑張ってやっているけれど、 誰からも評価されない… そんな時に自分で作った料理の写真をアップしたり、 自慢げに『OOを購入しました』なんて書くと、 『いいね!!』ってコメントが返って来るから、 それだけでも満たされた気持ちになってしまうんでしょうね。 さて、そのい一例が私のところにFCを使って連絡をして来た人物です。 彼は、とある芸術家なのですが、なかなか、そちらの分野で芽が出ません。 で、彼と話をするたびに、毎回、彼が口にしていることと言えば、 『成功して有名になりたい』と言うことばかりです。 そして、最後、挙句の果てには『ぼくもなかなかイケている… ”ウィキペディア”に載っている!!』と呟いていましたが、 あるとき、呑んだときに忘れてしまったのか、ぺロリと自分で ウィキペディアの記事を書いたって事を喋ってしまいました。(苦笑) 多かれ少なかれ、目立とう精神が旺盛な人か、 人恋しい人しか、あんなものにははまりません。 最近なんてラインが流行っているくらいですから、 面識がない相手でも自分の知り合いが知リあい… と言うだけで繋がってしまうんだから、怖いモノがありますよね。 だって、自分の私生活がバレバレなんですから。 もちろん、商売をしている人にとっては良い宣伝のツールだと思います。 しかし、個人でハマりすぎるのは、一寸、度が越えているな~ と思う今日この頃です。

5486kdw
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、そうですよね。おもしろいお話ありがとうございます。 例えばブログですが、私生活を頻繁にUPしていて、数人から反応があって・・というのを繰り返すうち、 ブログを「書かなければならない」ような感じになってしまい、それが目的化してしまったりとかもあると思います。 若いうちはいいですが、死ぬまでブログを書き続けるのでしょうか。 反応してくれる相手も、それほど興味があって反応しているわけでもないと思います。付き合いとかもあるでしょう。 いつまでやり続けるのかというのもありますよね。 現代は誰のせいでもないですが、皆寂しがりやで病んだ世界ですから、こういうSNSは 時代の需要にマッチしているのでしょうね。 それが、真の幸せとは言えるとは思えませんが。

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