確率的には事故は起きるので、事故が絶対起きないという方法はありません。しかし事故が起きた時に責任を問われる度合いには、日頃の心がけによって大きな違いがあります。
ブレーキの故障で人を轢き殺した時、6ヶ月点検も日常点検も行いベーパーロック現象を理解した上での運転であったにもかかわらず突然ブレーキが効かなくなり人を死なせたなら、では自動車メーカーにどのような落ち度があったのだろうかという話にもなり責任はそれなりに分散されますが、法令で定められた日常点検も行わず自動車学校で習う知識も知らないというのでは責任は一身に負わされます。
雨の夕方に横断中の人を轢き殺した場合、早めにライトを点灯し視界が悪いことを考慮して減速して走行して、なお轢いてしまったと言うなら、この歩行者はなぜ横断歩道でない場所で車の直前に横断したのかという話にもなりますが、みんながライトを点けていなかったから私も点けなかった、みんなが60km/hで走っていたので私も60km/hでした、では事故を起こした本人は責任の逃れようがありません。運ではない。
車一台で道幅一杯になる狭い道路で家から走り出てきた子供が車にストライクして死んだ時、運転者は家から人が飛び出して来ることを予見してどのような対策を採っていたかが問われます。運転者が採れる限りと信じる対策をした上で子供が車に当たり倒れた際に強く頭を打って救急車の到着が遅れ子供が死んだ場合は、ではその親はどんな安全教育をしていたのかという話も始まります。前の車と同じ速度で走っていたのに俺の車に当たるとは運が悪い、では加害者の釈明にはなりません。
交通事故だけでなくあらゆる事故について、可能性はゼロにはできず、どこかで誰かが起こす運命ですが、それが起きてしまった時には、この危険を予知してどのような対策を採っていたかが問われます。みんなと同じにやっていました、では許されない加害者とは孤独な立場です。すべてのひとりひとりが、加害者になる以前に自分が加害者になった場合の責任を軽減できるよう振舞うことが必要であり、これが危険予知です。この一見保身的な態度が結果的に社会全体をより安全にする力になりますから、まず自分自身が危険予知を実践して、さらに自分の身近な人たちに広める努力をすることが必要です。
お礼
>見通しが良くても環境によっては見えない 消えてしまうこともあります。 はい。夜黒い服を着ていると背景色と同化して見えなくなることがあります。 >そんな社会に生きたいですか? 大変良いですね。事故がないのですから。