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北海道大学の約30年前の偏差値

お世話になります。 北海道大学の30年程度前の偏差値を知りたいです。 入試タイプ別のものだと助かります。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • snaporaz
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回答No.7

30年前だと北大は文Iとか理IIIとか東大みたいな学類単位の募集がメインだったんじゃないかと思い調べてみると、82年モノでこんなのがありました。 http://www.geocities.jp/gakurekidata/yozemi1982.html 医歯系はやはり学部単位だったみたいです。偏差値を提供した研数学館ってのはすでに閉校しています。

noname#181732
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たしかに理Iとか理IIとか聞いた覚えがあります。 とても助かりました。 ありがとうございました。

その他の回答 (6)

noname#232424
noname#232424
回答No.6

補足。 >団塊世代は・・・逆説的に旧制の権威を認めた 要するに,彼らも権威主義なんですね。助教授まではなんだかんだと体制批判をしていたのに,主任教授の椅子(帝大時代から什器備品として代々引き継いできたもの)に座ったとたん「旧制の亡霊」笑。過去を封じて優良企業に就職すれば,「組合つぶし」。むしろ挫折して大人しく生きてきた人たちのほうに,好人物がおおい。 おれたち「しらけ世代」は,おまえらのケツの穴の大きさも,ちゃんと知ってるんだぜ。

noname#232424
noname#232424
回答No.5

No.2~4の方から,ちょっとおいしいネタがふられたので 笑。 「新人類」の前の世代(つまりぼくら)のカラーは,大学紛争で騒いだ「団塊世代」の反動ともいうべき,「しらけ世代」でしょうね。たぶん,日本の各世代のなかで,個人主義がもっとも強いと思います。 おおきな時代区分でいえば,最後の帝大卒がいま80歳代半ばくらいですから,1980年当時は50歳代のプロフェッサー。彼ら「旧制のエリート」と,ぼくら「新制の庶民」との差違のほうが大きかったでしょう。あからさまにいえば,ぼくらは「新制の馬鹿」 笑。 大学紛争の1つの側面はその世代対立なのですが,団塊世代は旧制に反抗することで,<逆説的に旧制の権威を認めた>といえるのです。ぼくら「しらけ世代」はそんな権威を認めなかった。大学創立「100周年」記念事業も認めなかった。ぼくがしばしば言うことですが,日本の大学が真に新制大学になったのは,ぼくら「新制の馬鹿」がプロフェッサーになった<いま>なのです。

  • takkochan
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回答No.4

もう一つ補足。  私が大学に入ってしばらくしたころ、当時の教官から、共通一次が始まって、国立大学のレベルが下がったという話をされた後、共通一次世代を「新人類というらしい」といわれたので、「それじゃあ、一期校、二期校時代の学生をなんと言うんですか」と聞いたところ、ちょっと間をおいて、「そりゃあ、旧人類だろう」といわれました。 二十歳かそれくらいの当時、「旧人類」と教官に言われ、ちょっとショックを覚えたのを覚えています。ということは、そのころ、新人類といわれた学生たちも、いまや50歳を越えたということですが。

noname#181732
質問者

お礼

直接の回答はいただけていませんが、おもしろいお話が聞けましたというお礼です。 新人類というのは初めて聞きました。 ありがとうございました。

  • takkochan
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回答No.3

No.2補足。ちなみに1期校、二期校は、1978年が最終年で1979年から共通一次が始まりましたので、30年以上前ということになります。

  • takkochan
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回答No.2

直接の回答ではありませんがNo.1さんの回答に関連して。  関西進学研究会は同じかどうかわかりませんが、当時の進研模試の主催者の名称と同じです。ただし、東京進学研究会という名前には記憶がありません。 また、当時は、予備校の模試が今ほど一般的ではなく(駿台模試は今以上に東大受験者向けというイメージが強かったですが9、進研模試は標準的な模試とされていました。    また、当時の一期校は合格しても入学手続きをしておいて、二期校が受験できるシステムでした。それで、東大を合格した後、二期校の医学部を受けるものもいました。私の1年上にも京大理をけって鹿児島大医に行った先輩がいました。

noname#232424
noname#232424
回答No.1

1977年入試について,週間朝日の記事(ページをスキャンしたもの)があります。 http://www.geocities.jp/gakurekidata/hensa1977.html これだと,学部によって偏差値51(水産類)~69(医学部)ですね。データの出所は,ぼくが聞いたこともない「東京進学研究会・関西進学研究会」とされており,有名予備校の模試にもとづくデータにくらべると「うさんくさい」(ぼくの記憶・認識とはずれる点が散見される)気がします。 なお,当時は「入試タイプ」(前期日程,後期日程,推薦,AOなど)といったものは存在しませんでした。北海道大学は「一期校」として筆記試験による入試を1回しか行っていません。いわば前期日程しか実施しないようなものです。そこに落ちた受験生は,二期校(いわば後期日程)を受験しました。

noname#181732
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 一応、後のほうではなく、直接の回答をいただけたこちらにお礼をつけておきます。 確かに私もちょっと納得のいかないものがあります(こちらは記憶ではないので、大学に対する愛着の所為かもしれません)が、参考にしたいと思います。 一期・二期も分かりやすい説明をありがとうございました。

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