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諸葛亮 曰く
「目的を重荷にしてはならない」「欲に淡泊でなければ成功は遠い」と言われておりますが、その通りですか?
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質問者が選んだベストアンサー
>欲に淡泊でなければ成功は遠い そうは思わないねえ。「オリンピックの金メダルですか?とれればラッキーですけど、別にどっちでもいいです」なんて人がオリンピックで金メダルをとったなんて話はとんと聞かないですからねえ。私の今までの人生経験でも、態度に出すかどうかは別にして内心に「なにがなんでも成功してやる」という気概を持たない人が成功したのは見たことがないです。 まあ、孔明先生は軍師、為政者としては偉大だったかもしれないけど、人生訓を学ぶなら論語のほうがずっといいと思いますよ。
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- hideka0404
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回答No.3
後漢の時代はそうだったんでしょう。
noname#196134
回答No.2
私が調べた限りでは、孔明はそういう名言は残してないですが。
質問者
お礼
よく調べましょう。 まあ孔明の政治の仕方を見ればどう考えてもよく深い人間ではなかったと思います。
noname#184314
回答No.1
人それぞれです。 重圧のかかった方が、奮起する人もいます。欲を持たなければ成功しない場合もあります。 「最近の新入社員」という題で、新聞に掲載されていたことですが、仕事に対して、意欲 がないのではないかと言う意見です。仕事を達成するという目的意識と欲にかけると思わ れます。まったくないのも考えものです。
質問者
お礼
回答ありがとうございます。 欲を持たない人間はダメでしょうね。 なんでも適当でOKは論外でしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 まあ表現の違いという所でしょうかね。 「なにがなんでも成功してやる」というのは私は非常にリスクな考え方でもあると考えます。 勝ちにこだわると、同時にリスクが発生してくるわけです。 ハイリスクな賭けにでる事も想定されます。 例えば負けん気だけが先行して、練習のしすぎで、怪我をする等。 怪我をしてしまって人生を棒にふるくらいなら、いっその事淡泊な気持ちで休めばいいと思います。 オリンピックの選手の例をあげてらっしゃいますが、おそらく無理な練習をしてもついていけるような能力の持ちぬしか、ただ賭けにかった運が良い人間か。 実際高校野球等みてください。過酷な厳しい練習がいまだ伝統的に行われているでしょう。 しかしその選手達が(世の中には伏せられていると思いますが)無茶な練習で潰されていってる事実もあるわけです。連日の多投。まさに限界ギリギリでしょう。目先の甲子園優勝は手にいれれるかもしませんがね。 ある経営者も言っていました。「商売というのは絶対に負けないようにやるんだ、勝つためじゃない」とね。ハイリスクなギャンブルをさけたいわけです。 長々書きましたが、まあそこまで計算した「何が何でも成功」であればOKなので、表現の違いですかね。