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日本刀
日本刀を腰に下げていた時代のことですが、実際に日本刀を抜いて人を切っていたのでしょうか? 本当の事だとすればそれは正当防衛のみになったのでしょうか?とすれば相当な血が飛んでいたのでしょうか?
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そもそも生きる上での感覚が今とは大きく違います。 昔は、今のような平等を基準とした生き方ではなく、 武士の子は武士、農民の子は農民というように生まれながらに格差がありましたし 同じ武士でも上下関係がはっきりしていました。 したがって、身分に応じた対応というものが必要不可欠で、 弱い立場の人は弱い立場の身として、自らの言動や行動を慎む事によって 不必要なトラブルを避け、問題なく生活出来ていたのだと思われます。 なので平等社会の今であれば、道で肩がぶつかっただけでも平等故に喧嘩に発展したりもしますが、 昔は農民や商人が武士とぶつかっても謝る方は決まっている時代なので、 相応の対処をしてきたと思いますし、後は立場の上の者の意思次第という事になったのだと思います。 なので、そういった秩序を無視した者が居れば、 簡単に切られて殺処分されてもおかしくなかったでしょうし、 そこで生きているという事は、その秩序を肝に銘じ守ってきたという事だと思います。 可能性としては多くの人が切られたのは十分予想されますが、 そうならぬように知恵を絞って生きていたという人も多かった、というのも予想できます。 あくまでも平等社会じゃなかった時代ですから、 正当防衛などという理由よりも、立場によって解釈された可能性が高いと思われます。
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- hekiyu
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戦争のときは、抜いて人を斬っていたでしょうよ。 やくざなら犯罪や出入りの為にも斬っていたでしょう。 山口組を日本一の暴力団に育てた田岡一雄氏は、 若いころ、日本刀で人を斬り、刑務所に入っています。 江戸時代辺りのことを想定しているのでしょうか。 ”本当の事だとすればそれは正当防衛のみになったのでしょうか” ↑ 刑の執行の場合とか、介錯などで首を斬ったことも あります。 仇討ちの場合もありました。 ケンカで斬る場合もありました。 忠臣蔵が有名ですね。事の真偽は不明ですが。 山田浅右衛門は、首斬りの専門家として有名です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B5%85%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80 最も問題になるのは「無礼討」でしょう。 これは正当防衛的な場合にのみ認められた、という ことになっていますが、この正当防衛というのは 現代の正当防衛とは異なります。 武士としての名誉を守るためにも認められました。 しかし、その正当性を決めるのは旗本なら老中です。 そして、実際に正当性を認められた事例は極少数です。 江戸時代では、市中で刀を抜けば、それだけで 切腹ものです。 ”相当な血が飛んでいたのでしょうか? ” ↑ 斬られた部位によるでしょう。 首など切断したら、動脈から血が飛び散ります。 記録では、天井裏まで飛ぶこともあったそうです。 新選組の沖田総司は、返り血を浴びることがなかった という伝説が残っています。
- take-on3
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えらく永いスタンスの質問ですね。 源平の頃から廃刀令以降まで含みますよ。 実際には江戸中期と廃刀令以降の明治位(廃刀令以降も武家や土豪のプライドとして刀を持ち歩く人が多かった)じゃないですかね。刃傷沙汰が非日常なのは。 それと太平の世でも身を守るよりもはなから相手を殺す目的のほうが遥かに多い筈ですよ。
- papabeatles
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武士同士であれば相手を切った以上は相手の家族から敵として追われることになります。 しかも一度刀を抜いた以上は切るか切られるかの果し合いになったそうです。 また、相手が武士以外の相手であれば無礼であるというだけで切ることができました。 ただし武士が刀を抜いたのに相手に逃げられた場合は武士の資格がないと切腹することもあったようです。 もちろん無礼うちも世間が納得しなければ、謹慎とかのぺナルティを受けることになったでしょうね。
- sagamit
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江戸時代においても理由なく人を切ることは禁止されていましたが、単に身を守るためではなく名誉を守るために切ることも許されていたようです。 とは言え、理由があったとしても人を切ったことにはペナルティがあったようですし、藩が自重を促す訓令を出していたりと、原則としてはそれほど頻繁に日本刀で人を切ることはなかったと思われます。 そんな状況ですから武士が刀を持つ必然性は低く、刀を売って見せ掛けだけの竹光を携える者が多数いたという話もあります。 江戸時代より更に前、つまりは戦国時代ということであれば戦争で人を切るのは当然でしょう。 ただ、合戦となると刀よりも槍が基本武装で、刀はそれほど使われなかったようです。
- trajaa
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年中抜き身をぶら下げて、寄ると触るとぶった切っている訳ではないが、必要な場合には使用した 我が身を守る正当防衛の他にも、当時は己又は主家の名誉を守るという理由も存在した そりゃ生身の人間を叩切れば、相応の出血は当然
お礼
平等社会ではなかったゆえのものだったんですね。 無礼打ちが許されていたと言えば許されていた、と言う事でしょうか?昔の事を言えばキリがありませんが、 分かりやすく適切な回答ありがとうございました。 勉強させていただきました。