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洗礼
スポーツに、サッカーに疎いので教えてください。 日本対ヨルダンのサッカーの試合結果がニュースになっています。 アウェーの洗礼……とテロップで表現されています。 レーザー光線はフェアじゃない、と感じますが、洗礼と言う表現はひっかかります。 むかし昔、ドーハの悲劇と呼ばれた試合もありましたね。 ロスタイムと言え、相手チームに得点取られた事に悲劇とは!? 昨日の試合に対しコメンテーターとして出演されている元サッカー選手も「俺らの時にもドーハの悲劇があった」なんて発言をしています。 聞いてるこちらはなんだか神がかった表現に思え……何を悲劇的に語るのかわかりません。 わたしは洗礼や悲劇と言う表現に違和感あるのですが、皆さんはどうですか?教えてください。
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- kamobedanjoh
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『言葉が一人歩きする』 ほんの一例かと思います。 「洗礼」はキリスト教徒となるときに授かる,心身洗浄の儀式。仏教では出家の際に剃髪します。実質どれほどの洗浄効果があるかは問わないのが儀式です。 「悲劇」は演劇のストーリーが悲しい出来事で成り立っていること。 これらの言葉の原義を離れて,便利な表現として適用範囲が広がって行きます。 「単細胞頭脳」なども,生物学を離れて,他人の思考結果に対する悪評の用語となっています。 このように言葉が一人歩きすることは,言語文化の広がりとして一概に否定すべきものでもないでしょうが,適用の仕方には自ずと当否があると思います。 レーザー照射は「妨害行為」であって,「洗礼」とは相反する事態ですから,違和感どころか明らかに用語不適切と言うべきです。照射犯人への処罰の方が「洗礼」に相応しいでしょう。 「ドーハの悲劇」は,敗戦という結果に対してよりは,最後の一瞬で多くのファンや関係者を落胆させた事態を指していて,あながち的外れとも言えません。 それよりも,国会中継などで,大臣の的外れな失言や地位に相応しくない失態を,「喜劇」と伝えない新聞記事に異様さを感じます。
私も全く同じ事を昔から感じていました。 何でサッカーってあんなにアウェー、アウェー言ってるんですか?この言葉聞くだけでイラッとします。 ドーハの悲劇にしてもあれのどこが悲劇なんでしょうか…。正直くだらな過ぎです。 アウェーの洗礼にしてもドーハの悲劇にしても自分たちが弱かったっていう事を認めたくないとしか思えません。 以前に、ワールドカップの試合で「勝てる試合に勝てなかった」とある選手がコメントしてましたが、ワールドカップで勝てる試合なんてあるの?そんな試合ないですよね。アホか?と思ってしまいました。 だから、日本サッカーは好きになれないし、Jリーグなんて見る気しないです。 ザックさんが来てから少しは変わったかなとは思いますが。 高校野球の方が断然面白いですよ。見てて気持ち良いですもん。
お礼
なるほど…ちょっとわかる様な気がします。 コメントありがとうございました。
お礼
コメントありがとうございました。