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大人になってから注意欠陥障害(AD)だとわかった方
どんなことがキッカケで障害に気付きましたか? 幼少期はどんな感じでしたか? 多動もありますか? 家族は診断を信じてくれましたか?
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診断に至るにあたりいろいろあったので正式な診断が降りていませんが、医師から「まず間違いなくADHDかADDだろうね」と言われている者です。 障害に気づいたというか「自分そうかも」と思い始めたきっかけは、「片付けられない女」が流行った時ですね。 それから何年も経って娘が生まれ、娘も発達障害と分かって自覚した部分もあります。 鬱で心療内科にかかった時に、どうやらADHDによる社会不適合が二次的に鬱を引き起こしたのでは、という話が出てテストなどをし、ほぼ確定したようないきさつです。 幼少期は「この子は養護学級に入れないとダメだ」と担任の先生に言われたほど素行が悪かったです。ただ、当時はADHDなんて知られていなかったので、とにかくおかしいから、ということでした。口より先に手が出る、人のものを取り上げる、プリントの裏に落書き、貧乏揺すり、協調性皆無…etc。それなのに何故か成績は良かったです。高学年になってからは嫌いな授業を全く受け付けなくなり、中学では好きな科目は偏差値70以上あるのに嫌いな科目は30台と、ひどく極端になりました。 多動は、子供のころは貧乏揺すりもしていましたし思ったことをすぐ行動に移していたのであったと思います。大人になってから多動は減りましたが、思いつきをすぐ行動に移すところは治っていないかも知れません(笑) 診断については(数年前の話です)、まず家族が診断のために協力してくれないとならなかったのですが、親に「精神病なんて気の持ちようだ。そんな診断受ける必要ない」と言われ(精神病だと言ってる時点で理解がないのが分かると思います)協力してもらえず、未だに正式な診断は降りていません。病院にかかっていた当時、まだADHDは障害者として認められる訳でもなく「ほぼ間違いなくそうだとは思うんだけど、診断受けて何になるの?」と医師に言われたこともあり、その話はそれきりになってしまいました。 診断のために親から子供時代について話を聞くとか、学校の通知表を出したりしなきゃならなかったんですが、そこで協力してもらえなかったので診断が出来なかったのです。 今は通知表など手元にあるのですが、それを自分で見ても、明らかにおかしな子だったと分かります。 今後診断を確定するかどうかは、今検討中です。
お礼
詳しいお話をしていただきありがとうございました。とても参考になりました。お話を聞いていると私にもいくつか共通点がありました。 私は子供のころ落ち着きがないということはなかったので多動は伴っていませんが、片付けや整理整頓が苦手で数字に極端に拒絶反応がありました。あとはおねしょを5年生くらいまでしていました。 同じく、中学高校と好きな教科(英語)と苦手な教科(数学)の成績の差が極端で、数学はマンツーマンでどんなに熱心に教えてもらっても、まったく説明が頭に入らず最後まで分からず終いでした。それから活字も苦手で、本を読んだり、雑誌の記事を読んだりするのが苦痛で仕方ないです。 もちろん、取扱い説明書なんてきちんと読んだ試しがなく、いつも適当に操作してなんとなく機能を覚える感じです。 結婚してからは片付けができない。とくに食器洗いが苦手で、主人とよく揉めました。でも洗濯やアイロン掛けは好きです。ただ洗濯物を収納する段階で挫折してしまいます。掃除機もかけられますが、使い終わった後、掃除機を片付けることができないです。コンセントが刺さったままの掃除機やアイロンが部屋の真ん中に何日も放置された状態です(>_<) まだまだ色々ありますがここにはとても書き切れません。結論を言うと、今まではだらしない性格だと思っていたものが、うつ病を患うようになってから生活に支障を来す程に深刻化し、今では起きている時間の3分の1はあれがない、これがないと、なくし物を探している有り様です。 先日このような相談を初めて心療内科の担当医にしたところ、注意欠陥障害という可能性を示唆されました。