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創価学会員は自分が創価だという事を言いにくいのか?
- 創価学会の会員は一般の人に対して慎重になっていると思われます。
- 学会員以外の日本人でも創価の良さを評価する機関は多くあると思います。
- 創価学会の良いところを具体的に教えてください。
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宗教は「ここが良い」「ここが悪い」という性質のものではないはずです。 もちろん、人により馴染みやすい、難いとか、師の話が面白い(興味深い)、聞いていてもどうも面白みがない、などはあるでしょう。 学会員の方がよく、「学会員は皆、良い人だ」「仲間に助けられた」「孤独から救われた」などと、コミュニティとして教団を評価するようですが、そのことと宗教(信仰)が混同されているようなのです。 宗教団体がコミュニティとして、二次的な役割ともなることは、もちろん否定はしません。 しかし、創価学会の場合はそこが中心となってしまっているようで、信者の多くは信仰以外の面ばかりで「学会は素晴らしい」と評価しているようです。 または、信仰に依存し、何でも「信じたおかげ」と言うような狂信者もいます。私も何人かの学会員に「どこがいいのか?」を聞いたことがありますが、彼らなりの理屈では「この信仰が正しい」という答えが出るのですが、あくまでも日蓮という人を信奉した人にしか通用しない理屈なのです。「日蓮がこう言った」「日蓮がこう説き明かした」などです。 それをまるで真実かのように理解し、誰にでも通用する話だと思ってしまのです。 ですから、あくまでも「信じていることなんだ」「信じている人にしか通用しないことなんだ」ということを理解してもらう必要があります。 私は、信じることを否定するつもりはありません。 しかし、宗教団体が「この信仰が正しい」と価値観を信者に植え付けてしまうというのは、明らかに間違いです。それは創価学会に限りません。 宗教ごとに違う価値観があるわけはありません。宗教ごと(教団ごと)に違う目標、違う幸せ、または違う神があったとしたら、どれもが偽者ということになります。その神は絶対者でもなければ、求めるものは真理ではないということです。 信仰は人間の心を学んだり、真理や法を知ることで楽に生きるためにあるのですから、宗教によってその目標や学ぶべきものが違うなどということはあり得ないのです。(方法には色々あるでしょうが) 生活習慣や文化などと、信仰の戒律が混同している宗教は沢山あります。しかし、「ここが違うんだ」「こっちが正しいんだ」と違いを見つけては争うのです。 極端な話、信仰に勧誘は必要ありません。しかし「正しい」「素晴らしい」「誰もを幸せにする」などと先に強く信じてしまうから、勧誘が必要となってしまうのです。信じることが信仰(学び)のきっかけとなるのはよいですが、信じることが信仰の中心となってしまえば狂信です。 勧誘し組織を大きくすることと、信仰により心を学ぶことはイコールではありません。 師から心や精神を学ぶことと、勧誘は関係ないのです。
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- hyakkinman
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「池田大作ファンクラブ」ですから… 彼を褒めたたえる言葉を発すれば、会合では「スター」になれます。 彼を信じ、大好きになれば、あのつまらない小説でさえ「ベストセラー」になります。 一度ハマり、完璧に洗脳されれば、どんな出来事もプラス思考にもっていけますよ。 北朝鮮に似ています。
偏見を持たれてますから、 自分からは言いにくいものです。 聞かれれば言いますよ。 でも、わざわざこっちから言う必要ないですよね。 ちなみにぼくは誰かに薦める気もないし。 あぁ、そうそう。 いい所でした。 単純に人がいいとこですかね。 親身になってくれる所。 うちの親が風邪引いたときに、 料理をもってきてくれたり。 会合でも笑顔が多い。 単純に人がいいです。 うん、これに尽きます。 ぼくは熱心じゃないので、 身近に感じることでしか、判断できません。 まわりはいい人です。 全体的にって言われても、さぁ?