• 締切済み

批判に対して「敏感」になってしまった日本人

ここ数年のあいだ,わたしは日本社会のなかで生活をしています。日本教育を受けたこともあって,わたしは日本社会には親しみを感じています。そして,日本社会のなかで生活をすることに,感謝の気持ちも持っています。 今回の質問は,ここ最近になって,日本人の多くの人々が,さまざまな「日本批判」に対して,「過剰な反応」を示すようになったことです。 それに関して,質問の内容ですが,「皆さんは日本批判にたいして,どのような“イメージ”をいだきますか?」,です 多くの日本人にとって,「日本批判」は,「受けいれがたいもの」とされます。たとえ,それが「的を得たもの」であっても,「腑に落ちない!」ものであり,あるいは,そのような「日本批判」を聞いただけで「感情的」になる日本人は多くいると,わたしは思います。 いかなるかたちの「日本批判」であっても,「論理的な反論」を一切せずに,そのようなことを主張した人々に対して,「反日主義者」であると決めつける日本人が多いと,わたしはそのように考えるときがあります。批判があるのであれば,正々堂々とそれにたいする批判をすればいいだけのことです。にもかかわらず,「レッテル」を貼る行為に手を染めることは,非常に「卑怯」なやり方であると,わたしは考えます。 「日本批判」は,日本への「愛着」のあらわれであると,わたしは考えるときがあります。日本が好きだから,日本社会に愛着を持っているから,いわゆる「愛のあらわれ」があって「日本批判」をする人々がいます。わたし自身は,「外国とのつながり」持つ日本人です。そのような立場から,たびたび「日本批判」をしますが,そのたびに日本人から「反発」を受けることがあります。日本が好きなので日本を批判したところ,ある日,わたしは周囲の日本人から,「反日主義者」扱いされたことがありました。

みんなの回答

回答No.8

>ここ最近になって,日本人の多くの人々が,さまざまな「日本批判」に対して,「過剰な反応」を示すようになったことです。 >わたしは周囲の日本人から,「反日主義者」扱いされたことがありました。 人生に余裕が無い人は批判されると怒ります。今の日本は余裕ありません。だからではないでしょうか? あと、「批判」より「批評」した方が良いです。それでも人生に余裕が無い人は批判されたと勘違いして怒りますが。 「野球」「政治」「宗教」の話題は、喧嘩の元です。 それは余裕が合ったかつての日本でも同じでした。

noname#181693
質問者

お礼

回答ありがとうござます。 「経済事情」と「イデオロギー」の<関係>について,あなたは言及されました。それは,非常に興味深い点であると同時に,積極的に「議論」が必要なものであると,わたしはそのように考えます。 これに関連して,昨今の日本社会においては,やたらと「国家」を「強調」する人々がいます。「国家」とは,「セキュリティー」にあらずです。「国家」とは,いわゆる「暴力の源」であり,「利用」するものであり,「監視」しなければならないものです。「国家」というものを,必要以上に「重要視」していることに,わたしは「違和感」を感じています。 非常に良い点を指摘されたのですから,さらにつっこんだ「議論」なり,「意見」についても言及してほしかったです。

回答No.7

日本語の練習はここですべきではありません。学校でやりましょう。 ただ、質問文に該当するのは日本人だけか? どこでも同じだろう。 質問者が何故反日と言われたのか、そのあたりも含めて論理的に考えればいい。 なんならここで公開すればいい。それについて回答も出てくるでしょう。 そういう具体性を伴わず持論を展開するのは、フジテレビなどのマスゴミが 使う手法と酷似しています。 ちなみに俺は生粋の日本人ですが、靖国神社の存在は馬鹿馬鹿しいと考えています。 何故ならば、国家が宗教を利用して主戦論を後押しして、反戦を謳うモノを弾圧した 歴史的事実があり、勝ち目のない戦争に奔走した精神的支柱だからです。 中韓の戯言とは何も関係が無い。日本の宗教観のレベルの低さが招いた珍現象です。 最後に一つ。論理的ではなく愛を口にする代表的人物に、鳩山元首相がいます。 それとよく似た印象を感じます。ルーピーとまでは言いませんが、違和感がありますね。

noname#181693
質問者

補足

あなたの回答内容は,わたしが「予想」したとおり,非常に「感情的」な印象をもつものです。さらには,このような回答文は,「個人攻撃」をにおわすものでもあります。 まず,あなたは,わたしの「出自」について言及しましたが,わたし自身は日本国籍を持つ,外国につながりを持つ日本人です。 外国につながりを持つ日本人のひとりとして,わたしはたびたび,日本人が「出自」や「血」にこだわることを,批判してきました。なぜならば,「出自」や「血」の「違い」があれども,日本社会のなかで生を営み,日本社会のことや日本人のことを,肯定的なものとして受けとめているからです。 しかしながら,外国につながりを持つことを「理由」とした,個人の「イジメの経験」などを日本人の前で語るたびに,「そのようなことはない」,「それはウソだ」,「日本社会に差別はない」と言われることが多々ありました。 さらには,あなたは「国家」についても言及していますが,今回の質問にたいする回答に,「国家」について言及する「理由」がありますか?わたしは,あくまでの「日本社会における問題」,「日本人のキャラクターの問題」について言及しただけであり,日本という「国家」について,言及したことはありません。「国家」について言及しているということは,あなた自身が,国家を「セキュリティー」のようなものであると,そのように受けとめているからだと,わたしは考えます。そのような<国家観>があることを,わたしは理解していますし,それを「否定」することはありません。 また,あなたは「生粋の日本人」という言葉を使いましたが,そのような<言葉>を使っていることは,あなた自身は,おそらくは,「外国につながる日本人」にたいして,何らかの「コンプレックス」,「劣等感」,あるいは,「敵対心のようなもの」を抱いているものと,わたしは考えます。どのような「理由」があって,あなたは彼ら,彼女らを「敵視」するようになったのでしょうか?「外国につながる日本人」であることは,「特権」でも何でもありません。「プリバレッジ」でもありません。もしも,そのようなものを「特権」のようなものであるとお考えのようであれば,それは,あなたが彼ら彼女らにたいして,「偏見」あるいは「差別意識」をもっているのだと,わたしはそのように考えます。

  • mstk2
  • ベストアンサー率26% (157/588)
回答No.6

この質問自体が、すでにひとつの日本批判ですね。 「いついかなる形でも、論理的な反論を一切せずに、感情的になり、それを言った相手を反日主義者と決めつける日本人が多い」 とまで言ってんだから。 さて、この批判に対して集まってきた回答をよんだ感想は、どうですか。 感情的にギャアギャア怒ったり、非論理的にあなたを反日主義者と決めつけるような「卑怯な」回答はありましたか。 一般的には、日本人は我慢強くておとなしいと言われることが多い。対して、中国人や韓国人が非論理的にギャアギャア怒る絵は有名だ。まさか 「中国人や韓国人」 と書くべきところを 「日本人」 と書き間違えたみたいなオチではないと思いますが。 そもそも具体例が一切ないのでは判断のしようがない。あなた、一体どんな日本批判をしたんですか。 この国で反日主義者とまで言われるためには、よっぽどのことを言わねばならないはずです。

noname#181693
質問者

補足

あなたが「予想」したとおり,「感情的」になった回答や,「個人攻撃」と受けとめられる内容の回答を出した人々がいます。 わたし自身,冷静な立場で「議論」がしたかったのですが,そういった「人々」がいることは,非常に残念なことです。まるで,いわゆる「葬式鉄(罵声大会)」のような存在であると,わたしはそのように思うことがあります。 日本批判であれば,さまざまな日本批判が展開できるとおもいます。 たとえば,体罰の問題,ムラ社会の問題,理屈を受けいれず,「根性」主義に走るところ,いわゆる「寄らば大樹」的体質など,日本人の「キャラクター」には,さまざまな「批判材料」があります。 わたし自身は,日本にたいして「愛着」を持っていますので,そういった「悪習慣」は絶つべきだと,そのように考えています。

  • kanden
  • ベストアンサー率21% (176/802)
回答No.5

ネットと言うおもちゃを与えられてから日本に限らずどこの国も同じではないでしょうか。 隣の国などを見ればその現象は日本ばかりではありません。 いわゆる炎上したスレを見ると感情に任せて稚拙な文章を書くから誤字、脱字や意味不明の文体が多い。 ネットの負の現象だと思いますよ。

noname#181693
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 インターネットを「悪用」した,「新しい差別の構造」であると,わたしは考えます。このようなことが現実のものになると,差別の解決は,非常に困難なものになると,わたしは考えます。 そのような「不都合な現実」がありますが,日本人には誠意を持って,差別の問題に向きあってもらいたいと,わたしはそのように願っています。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.4

結局のところ、メディア論ではないですかね? 中国のデモなんてのは官製デモだし、韓国の反日運動なんてのは、韓国の一部の右翼思想家・活動家による街宣行為です。 たとえば大半の韓国人は、反日デモなどを見ても、日本人が街宣右翼を見るのと同じ様な印象だと思いますよ。 それを、さも「日本人が中国に行ったら殴られる」「韓国に行けば罵られる」みたいに日本人に伝え、その結果、「反・反日」を煽っているのは、メディアですよ。 あるいは海外で50~100人でもが集まって、日章旗を燃やす姿はつぶさに拾い上げますが、国内の3千人規模の反中デモなど、全く報道しません。 メディアって、基本は反体制化・左傾化の姿勢とは思うのですが・・・日本のメディアは、こと領土問題などに関しては、いたずらに国民の反中,嫌韓感情を煽って、国論の右傾化に寄与している様なフシを感じます。 モチロン領土問題などは、主権国家である我が国が、一度でも領有権を主張した以上、引き下がれませんが、それは相手国も同様で、現在の衝突は、当たり前と言えば当たり前です。 国際法を無視した火器管制レーダーの使用や、日韓条約を無視した韓国側の姿勢は、日本政府やメディアも、声高らかに非難すればいいです。 ただ、事実を編集や加工してまで、反中,嫌韓感情を煽りつつ、日本政府の外交を非難したり、一方では粗悪でも安価な韓流コンテンツを垂れ流し、ブーム化しようとするメディアって・・・。 「一体、何なの?」と思います。 国際的な立場で、客観性・合理性のある日本批判は、躊躇しなくて良いと思います。 ただ、真っ先に批判すべき対象は、日本のメディアが挙げられるのではないか?とも思います。 そのメディアに煽られて、正当性のある日本批判を「反日」とレッテルを貼る連中も、無知で直情的ですから、非難されるべきですが・・・。 中国や韓国が非難されるべき点は、基本的には、事実を捻じ曲げてでも自国を正当化し、反省をしない点ではないか?と考えますが、日本や日本人は、彼らと同じ硬直的ではいけませんね。 国粋主義なら、それでも構いませんが、国益主義の立場からは、基本は「外国とは仲良く」です。 どちらの愛国心が国際社会で受け入れられる考え方か?と言うと・・・言うまでもないです。 とは言え現状は、中国や韓国側に「国際法上の非」が多く、敢えて今、日本批判をする必要性があるかな?とは思いますよ。 日本(人)が硬直的にならざるを得ない原因を作ったのは、メディアでは無く、あくまで中国,韓国,北朝鮮などであって、それを助長しているのがメディアやネトウヨと言う関係ですから。 たとえば、我が国の右傾化が懸念されるとしても、それが憲法改正までとなれば別ですが、防衛費の拡大くらいであれば、当然で健全な反作用であると思います。 日本批判する側も、そもそも我が国のナショナリズムの中心が、やや左にズレている点を修正して、批判を行うべき状況ではないでしょうか?

noname#181693
質問者

補足

あなたは「メディアの責任」について言及されましたが,それにたいする「対抗馬」こそ,教育の場において「批判的思考」を教えることです。日本社会のような,「オビディエンス」が重要視されるような社会においては,「批判的思考」は歓迎されない傾向にありますが,これからは,そういった過去の考えを「棄て」て,積極的に「批判的思考」を教えるべきだと,わたしは考えます。 また,あなたは海外事情についても言及されましたが,わたしが質問文のなかで意図したことは,何も海外からの影響だけではありません。むしろ,国内の「ムラ社会的体質」,「体育会系的体質」,にたいする「批判」についても,考えてほしかったのです。 海外事情について,あなたが言及されたので,わたしなりの考えを書きますと,わたしは東アジアのある国につながりを持つ日本人です。そのような立場から,あなたが指摘された国々の,対日政策には「あやまち」があると,わたしはそのように考えています。 しかしながら,重ねますが,わたしがこの質問文をとおして主張したかったことは,日本人が,これまでの日本社会における「The Way It Is」(それも,とくに,“悪しき”もの)を批判的に受けとめようとしない「傾向」があることと,「The Way It Is」を批判されると,論理的に反論せずに,感情的な反応をする「傾向」にあることです。

  • habataki6
  • ベストアンサー率12% (1182/9781)
回答No.3

地域には, 昔からの慣習, 伝統, 文化があり, 自国の仕方に合わせなければいけないと いう感情そのものが, 間違っているんですよ, 例えば日本独自の仕方が, 気に入らない という理由だけで, 難癖つけたりして, 理解しょうとしていない, こうあるべきだというのは 押し付けでしかない, 批判というのは小学生でもできることであり, 単なるいちゃもんに すぎない。 どこかの国の人が, 俺の物は俺のもの, あまえの物は俺のものというように いちゃもんでしかないんですよね。

noname#181693
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 あなたが指摘された点は,いわゆる「ムラ社会」に関することであると思います。 「ムラ社会」の負の面,その「閉鎖性」,「排他性」については,厳しく批判されるべき点であると,わたしはそのように考えます。 また,あなたは「郷に入っては郷に従え」という「理論」について間接的に言及されましたが,その「理論」が成立するためには,ホスト社会側が,ニューカマーを「包摂」する「姿勢」があることです。現在の日本社会における,いわゆる「多様性」の問題においては,ホスト社会側のマイノリティにたいする「姿勢」が問われているにもかかわらず,マイノリティ側に「落ち度」(批判すべき点)が多くあると主張されていることは,非常に遺憾なことです。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.2

現代日本人には3つの大きな特徴があります。 1.ガラスのハートで打たれ弱い。 2.論理的思考能力が無い。 3.頭を使うことを億劫がる そういう3つの特徴が質問者さんに対する反応に現れています。日本人は自分の弱い心を守ることが全てに優先するのです。とにかく傷つきやすい心をどうやって守るかといつも戦々恐々としているんです。そういう日本人にとっては批判は、自分を傷つけようとする悪意のある凶器攻撃としか受け止められません。論理的反論をしてほしいという要求は日本人にとっては無理難題です。論理的思考能力が無いからです。日本人のおバカ度を甘く見てはいけない。想像を絶する究極の馬鹿だと思って、付き合うしかないんです。それが日本人なのですから、泣いても叫んでも逆さに振ってもどうにもならないことです。また日本人は頭を使うことを億劫がるので論理的反論をしようともしません。とにかく頭を使いたくないんです。何も考えたくないんです。それが日本人なんです。だから日本人の対外的な態度は、他者は敵か味方かという二者択一のデジタル思考です。中間値が無いんです。日本人は馬鹿だから0と1しか区別できません。同じものが場合によっては0にもなり1にもなるといった事は日本人の理解能力を超えていることなんです。そういう日本人に対して日本批判は不毛です。いかなる意味においても建設的な成果につながらないんです。 以上のことは、教えて!gooの沢山の質疑に目を通せば見えてくる筈なのですが。

noname#181693
質問者

補足

あなたが提示された<日本人・日本論>は,一見すると筋の通ったことを主張されているものと,そのように受けとめてしまう人々は多くいると思います。 しかしながら,あなたの考えるところの<日本・日本人像>とは,ステレオタイプに染まって様なものであると,わたしはそのように考えました。 あなたが考えている以上に,日本人は<思考>しているのだと,わたしは考えます。 しかしながら,その一方で,いわゆる「行動する保守」など,<思考>を働かせないで,「排外主義」に手を染めている人々もいますので,そのようなアスペクトをとるのであれば,あなたの<考え>は,確かに的を得ているものだといえるでしょう。

回答No.1

日本に限らず、自国の文化や習慣、伝統を批判されていい気持ちがしないのはどの国の人々も共通しています。 賞賛するにしろ批難するにしろ、他とのコミュニケーションにおいて重要なのは「相手のことを考える」ことではないかと思います。 「自分はそういうつもりで言ったのではないのに、相手が違うように受け止めた。」 これはある意味、身勝手で傲慢。 言葉を発する以上、相手がどう受け止めるかをまず念頭において言葉を選ぶべき。 相手に意に反するような伝わり方をしたなら、こちらにも非があります。 それは世界共通ではないでしょうか? あなたの文章を読んだ感想として、あまりに狭い日本人像、というか、かなり偏りがあるような印象を持ちました。 誤解されるには、誤解されるだけの理由がある。 要は「自分はこう言った」ではなく、「相手にはこう伝わった」が大事なことではないでしょうか? 悪意の言葉には反発が返り、慈愛の言葉には感謝が返ります。 もちろん互いに理解しあい、尊重しあうのならば、批難的な内容であれ耳が痛くなるようなことであれ、自らの反省材料として受け入れるべきだと思います。日本人に限らず。

noname#181693
質問者

お礼

基本的,かつ,一般的な視点での回答,ありがとうございます。 わたし自身が考えていることは,あなたのような「回答」を出すのではなく,「感情的」になり,批判にたいする反論をするのではなく,「個人攻撃」をやる人々が,いまの日本社会には多いことです。 また,あなたはわたし自身の日本日本人観を批判されましたが,わたし自身は,ひとりの「外国につながる」立場がありますので,そういった立場での日本・日本人観を主張しました。今後は,さまざまなバックグラウンドを持った日本人が日本社会を支えていくものと,わたしは考えています。ですから,このような「意見」もあるということを,ご理解してくだされば幸いです。