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親との関係について
まず簡単に、私と親とのこれまでを書かせてください。 私が小学校中学年位の頃。 気付けば母はほぼ家にいませんでした。父と弟との3人での暮らしをしていました。食事はホットプレートで焼いた焼そばばかり食べていた記憶があります。 実は父がクビになり、母はスナックで稼いでいたのですが、私達兄弟には知る由もありませんでした。 ある時、両親は離婚しました。 私達は母に引き取られました。引越しもしました。新築の家に移動しました。 しかし、知らないお爺さんも一緒でした。新しい父でした。 母がその人を好きなら、と私は内心複雑でしたが受け止めました。(それから今まで、「お父さん」と呼ぶことはありませんでしたが・・・。) 母はいつの間にか、スナックを経営するママになっていました。新しい父(以降・父)と共に経営者として何店舗も店を開き、かなり稼いでいました。 凄いことだと子供ながらに思いましたが、スナックだなんて、と正直複雑でした。 私はそんな親が心配でなりませんでした。だって、母は朝方べろべろに酔っ払って帰ってきては従業員やお客の悪口を言いますし、しょっちゅう、体調が悪いと言います。職業柄でも酔っ払い相手なのも心配していました。更に、店は年中無休で両親は毎日忙しく働いていました。 休んで。やめて。と何度も話しました。しかし、店は拡大し有限会社となり、母は体に鞭を打つように働いて体の疲れと暴言が目立っていきました。 昼は寝て夜は仕事に出掛けるので、特に母と顔を合わせる機会は土日になりました。 更に、自宅から仕事場までが遠いからと新たにアパートを借りて、両親はそこに住んでしまいました。私達は小学校があるので広い一軒屋に寝泊り、料理ができなかったので食事はコンビに弁当(毎回買いに行くのが辛い)、これまた広い庭は荒れ放題にしてしまって、お隣から苦情を言われました。 私が中学、高校と成長する毎に、私は自分の将来が不安になってきました。 両親はことある毎に私を仕事場に連れて行きました。お客さんに顔見世させ、特別なイベントデーには現場で手伝いをさせました。お客さんは私を見て、将来のママさんだといいました。 私は気の弱い、人見知りで、大人しい性格です。学校でも友達は少ない人です。更に軽くいじめられていました。 ですから、私はただ、嫌でした。店を訪れるのも、お客さんと会話するのも、そこで働いている女性達が裏で何を考えているかを思うと恐ろしい。スナックは私には無理でした。親が私をお客さんや酒屋さんに紹介する毎に恐怖を感じました。将来が怖くなってきました。 でも、そんな大変な場所でずっと親は働いてきました。体を壊して働いてきました。そしてずっと頑張って働いていたお金は、生活と私の私立の高い学費にも充ててくれたのです。それで育ててくれたのです。 だから、私は嫌々ながらも、手伝いをしました。そもそも、嫌々だなんて、罪深い考えだと思いました。 大学に進学して、いよいよ私は週2日、スナックに出させられるようになりました。平日は学校へ行き、週末の店の忙しい時に勤務して朝まで手伝っていました。 スナックの仕事は、テーブルにお客さんと着いて、お酒を作ったりカラオケを一緒にしたりお話したりします。お客さんをヨイショヨイショして、できるだけおつまみを取らせて・・・。 私を指名して来てくれるお客さんもいました。私は若いし働く女の子の中では珍しく真面目なのでそっち方面のお客さんがついたのです。 触ってくる嫌なお客さんもいましたが、紳士的なお客さんもいました。私はそんなお客さんからおつまみを強請るのが辛くなってしまいました。私に本気になって来てくれる人は特にそうでした。ああやっぱり私はこの仕事には向いていないと思いました。 それから、大学生までになったのに、私はファーストキスもまだでした。私はいつお客さんに奪われてしまうのではないかと気がきではありませんでした。 私は大学中に車の免許を取りました。 親の会社の仕事に、お客さんと従業員の送迎もありました。男性ドライバーを雇っていました。 私が免許を取ったのは、その仕事をすることで、少しでもお客さんの席に座らないで済ませよう、と思ったからでした。 必然的に誰よりも最後まで働くことになりましたが、夜の運転は好きでした。 ただ、泥酔しているお客さんを乗せた時に、運転中にちょっかいをかけられて事故を起こしそうになったこともありました。 私は別のバイトも経験したかった。けど、親に反対されました。 何より私はスナックの仕事がしたくなかった。辛くて度々逃げました。親はそんな私を、この仕事への批判だと言いました。今まで育てた恩はないの、高いお金で進学させたのに、酒屋の娘さんは親の仕事を一生懸命して偉いねーー。私は、確かに、親不幸者かもしれません。 1番辛かったのは、親は私を分かってくれていないと感じたことでした。自分の部屋で気付かれないように嗚咽をあげました。おかしくなりそうでした。 ただ、将来は継がないことは言い切りました。経営にも口出ししない、寧ろ無関心でいました。 ある日、親は私がお金を借りてくれとお願いされました。日本中がリーマンショックで不況になった年のことです。 親の店は経営難に陥りました。 順調だった年に借り入れた多額のお金を返せなくなっていました。知りませんでした、知ろうともしませんでした。 親は何とか巻き返しを図っていましたが・・・、倒産しました。最終的に夜逃げみたいな形となりました。 こんな事になる数年前、私達は新築家に引越しました。私は小さな家が良かったのですが、親の望みで大きな敷地の大きな家でした。 その広い土地を得る為に、私は連帯保証人にならなければなりませんでした。 少し嫌でしたが、親の夢であり仕事も順調そうでしたので判を押しました。 それが、一家で共に破産となりました。 私はその頃には初めてお付き合いをした相手と数年交際をした後に入籍をしていました。 夫には、私がどんなに親が嫌いで憎んでいてこんな事があってあんな事を思って・・・・・・など前々から話していました。でも、親は破産をし、行き場を失ってしまった。しかも、仕事で体を壊しまくって疲れ果てている。高齢の父なんか、顔色からしてやばい。 私は夫に、親子共々、一緒に住んでくださいと頼みました。とても申し訳なかったです。 親は店を開いた町から離れた町に条件のいいマンションの物件を見つけてきました。私達は夫の名義と保証でその部屋を購入して一緒に住みました。 父の体はボロボロで歩くのもしんどい状態ですが、母はパートをしてくれました。お給料は自営をして得た額より遥かに遥かに低い額でしたが、私はそれでいい、体に酒を入れないように無理をさせないようにして欲しかった。ささやかな生活は何と幸せなことでしょう。 しかし、両親は、というより母は、それで満足しませんでした。 また、店を持ちたいと言い出しました。何と夫名義で店を借りたいと言い出しました。 さすがに私は全面的に嫌がりました。嫌がりました。夫までこれ以上影響させて欲しくありませんでした。私が、孤独だった私が、初めて打ち解けた人が夫でした。私はこれで親が完全に嫌になりました。 結局、親は経営者となりました。押し切られる形でした。・・・。書いていて、何してるんだろう、という気持ちになりました。やはりおかしいです・・・よね? あれから今で1年近く経ちますが、今のところうまくいっているようです。 ただ、店は家から遠い場所にありました。親は店の傍のマンションを借りて住み込み、もう殆ど帰ってきません。 もう私は親と一緒にいるだけでストレスになっていたので内心でほっとしました。特に高齢の父が心配ですが、もう、親を心配するのに疲れました。 それから私に娘ができました。 母は娘と暮らしたがりました。 そこで、店の近くに一緒に住まないか、という話をし始めました。 ここまで長くてごめんなさい。前提を知って頂きたかったのです。(後、誰かに私の辛みを聞いて欲しかったのです)。 質問はここからです。 夫には仲の良い親戚の高校3年生の男の子がいます。 その子は、地方から東京へ出たいと思っていて、夫は、1人だちできるまで数年一緒に住めないかと私に相談してきました。 私と夫と娘だけの話なら、それは構わないことなのですが・・・・・・。 マンションの部屋には親の部屋があります。親は店の近くにマンションを借りましたが、私達と住みたいという意識が高く、部屋の荷物もそのままです。 夫はできればそこに、男の子を住まわせたいと考えています。 親を簡単に説得できればいいのですが、母の強い性格からは、反発と非難する様子しか想像できません。私も、親を前に落ち着いた話ができる気がしません。私はいつも大切な話を親とする時、つい感情的になってしまいます。悪いことです。母と私はそういうところ、とても似ています。 私は親はもう店の近くのそこで暮らせばいいと思っています。 できれば平和的に解決したいものですが・・・。 それともいい加減、親を切るべきですか・・・。 正直、親と私の関係は、親子関係に見えない親子です。私は親に敬語で話し、母は「ママさん」、父を「先生(塾や大学の先生をしていました)」と呼びます。必要以上に会話が無い。私は半ば意識的に親に笑いあわない。 でもどこにいたって心配です。不思議です。 気持ちのいい話ではなくてすみません。 批判されてもいいです。 私は親に対してどうあるべきでしょうか。そして男の子の件はどう考えるべきでしょうか。
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- mama4615
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- zz400n
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お礼
早速のご回答、ありがとうございました・・・! そうですね。引きずっています。どうしようもなく捕われています。27年でそうなってしまいました。 ご指摘で気付きましたが、“無言の圧力に屈している”。言い得て妙でした。そうか。親と実際に何かを始める前からもうこの心持ちでいたのですね。 自分の心に平静を保ったまま、話し合えられればいいなと思います。 これも過去の話ですが、母の言葉はきつく、自分の考えこそが正しいと思っているんじゃないかという振る舞いをして(私が母が嫌いなので勘ぐっているだけかもしれません)、私は私で母を睨んで話し途中で怒ってしまう・・・・・・という流れが想像できてしまいます。想像ですが。 仕事再開の件は、心配毎が多くあるので今でもよしとしていません。 私は母の友人を見た事がありません。親類とも疎遠です。父と、私しか近くにいない状態です。主に父があらゆる面で母を支えてきましたが、父はもう77歳です。足と目が悪く、10分も歩くのが辛いと言っています。それでも仕事は続ける、というのが両親の主張です。恐らく父がいなくなったら店は続かないでしょう。お客さんの中には面倒な人もいて、その人をあしらう役も父がしていました。その役に人を雇うにしても、父の仕事まで勤まらないと思います。 事業は母の夢だと仕事再開前に言っていましたし、その仕事ぶりからして確かに天職です。でもその土台を支える柱は脆いようでなりません。