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ちょっと愚痴を
頼むから、まともな答えをしてくれよ! 客観的な意見なら色々あるだろうけど、導きだされる答えに選択がない場合でも、あまりにも的はずれな答えが大すぎるんだよなあ、こんなに情報が発達した現代なのに、それぞれ間違った知識を持つのって、何でだろう?特に歴史なんかそうだよなあ、文献や発掘資料、実験などで証明されているのに「これこれはこうです」って言いきっちゃうもんなあ、この自信はどこから来るんだろう、まっ、”神様は絶対に居ます”ってやつに、違うって言ったって”絶対”信じないもんな、これといっしょかあ
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ですよねぇ~ そんな人にはホント辟易します ┐(´-`)┌. ヤレヤレ
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- kyo-mogu
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歴史にまともなというのは「一般的に認められた考え」の物です。 歴史はわずかな手がかりから推測することも多いです。その為に常に変化している学問です。 あくまでも推測、仮説段階です。文献も一方的な方向からの物です。権力者に都合の良いように改竄されている事も多々あります。 実験も、結果的に合っていただけで、確定ではない。ただ説明がしやすいということです。 学問は的外れにこそ面白さがあります。なぜそういった結論が導かれたのか。それを考える事も大切。 「本当にそうなのか?別の考えは無いのか?」これがあるから、学問は進歩するのです。 神は居るでしょう。確証はないが、そう考えないと現状理解出来ない部分があるからね。 未知の領域こそ神の領域かもしれないからね。
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ありがとうございました。
- dogday
- ベストアンサー率29% (2313/7949)
>特に歴史なんかそうだよなあ、文献や発掘資料、実験などで証明されているのに「これこれはこうです」って言いきっちゃうもんなあ、この自信はどこから来るんだろう、 歴史に正しい知識はありませんよ。誰も当時を現場で生きていないので。 文献や発掘資料、実験などで証明されているのは、現時点までの常識の多数派に過ぎず、 新たに発見された文献や発掘資料、実験によって常に更新されますし、過去の常識の全否定はいくらでも起きています。 過去から現在の常識の否定がないと、専門家の誰も調査しなくなって、研究が終了してしまいますから、現在の常識すら過去の文献として埋もれてしまい真実が失われます。 こんなに情報が発達した現代なのに、現在進行形の歴史である、福島第一原発事故の文献や発掘資料、実験は過去にないレベルで出版報道されているのに、正しい情報なんてなにもなく錯綜しているし、それぞれ間違った知識を持って生活していますよね? 後世の歴史学者に、今発行されている膨大な文献や発掘資料を基に、正しい知識を得られると思いますか? あと、愚痴はネットに書かないほうがいいですよ。 誰でも閲覧でき、どこにでも転載でき、あなたが自分で愚かな痴文である「愚痴」を発信し、文献や発掘資料として取り返しのつかない記録を残しているのですから。 歴史の記録なんて、このサイトの間違った回答の集大成みたいなものです。
お礼
ありがとうございました。
僕も微妙な回答をみたことがありますね。 精神病は中絶した水子のせいという だから、親に中絶した子が居ないかきくといいという回答なんですが・・・ 信じているからとはいえ、なんともいえません
お礼
ありがとうございました。
- hunaskin
- ベストアンサー率30% (1854/6060)
>こんなに情報が発達した現代なのに、それぞれ間違った知識を持つのって、何でだろう? 質問者様は情報が発達しているからこそ諸説あることを知ったわけですね。 で、ご自身の知っている知識に沿ったものが事実であり正解であるという信念もお持ちなんですね。 すごいです。 さすがです。 >あまりにも的はずれな答えが大すぎるんだよなあ、 大すぎる、ってなんですか? ひょっとして多すぎるのことですか? どうしてそんな変換したのか知りませんが、それ間違っていますよ。
お礼
よく気付きましたね、さすがです! ありがとうございました。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
その情報が正しいという確証がなんなのか。研究者というのは常にその繰り返し。 一番わかりやすいのが出雲大社。古代に10階建ての木造建築などあるわけもないし、技術もないという常識が一日で覆ってしまった。あるいは考古学ではそれまでの常識が、たった一人の捏造だった。 科学者は相対性理論だって誰も鵜呑みにしないし、進化論だって鵜呑みにしていない。 歴史に至っては記述者の意向が多分に含まれているから、客観的だなんて誰も考えている学者は居ない。 例えば戦記。先勝側の文献は残っても敗戦側のものは少ない。だから先勝側の文献が史実だなどというものは居ない。 伝承にあって文献にないから嘘などと考える学者も居ません。 過去の定理を鵜呑みにしてしまったら進歩も開発もありえない。それが科学社会の常識です。 まして 神に至っては客観的な証明どころか、その定義すら確立していません。 定義が確立しなければ肯定も否定も論証が始まらない。 一定の公的定義が確立しているものとは全く別もんですね。 それに信仰は信じ切らねば意味が無い。だから実証する意味が無い。 イチイチ存在を実証使用とする輩が居るけれど、それは逆に神を狭いものとしているに過ぎないのです。 一方、否定するためにはそれを実証しなければならない。だから双方相対しても議論にもならない。 神の定義がないのに否定するのは神の存在を鵜呑みにするのと、相反する全く同じ距離に立っているだけの話です。 まぁ、普通は仮説を常識としていてもそれで十分だといえば、別に生きる上に大した違いもないのですけど。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。