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1981年のハンセンvsアンドレの結末は台本通り?
田園コロシアムで行われたこのBIGマッチ、 結果はアンドレがレフェリーをラリアートでノックアウトしてしまい 反則負けになってしまいましたが、あれさえも予め決められたシナリオ通りだったのでしょうか?
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多分、ブックとシナリオの勘違いかもしれませんが、 現在その存在を認めているWWEでも、一挙手一投足まで指定したブックを決めることはありません。というよりあり得ません。 それこそ1発で勝負が決まる格闘技であれば、そこへの過程を決めることは可能です。ただプロレスでそれが難易度が高い理由は、プロレスは「受け」の格闘技だからです。 要するに相手の技をより多く受けた上で勝つレスラー=最強、という評価があるため、そこまでの打撃数・投げ数などを細かく決めることが出来ないと言えます。ましてかつて前田日明が食らった打撃で一番痛かったのはハンセンのウェスタン・ラリアート(当時新日なので新日流の書き方にしました。ウェスタン・ラリアットですね)と言っているくらいです。そんなものが絡むハンセン相手にいくら「世界8番目の不思議」とされたアンドレ・ザ・ジャイアントといえども、決め事通りに展開はできないと思います。 そしてあの対アンドレ戦での決まり事として確定的なのは以下の2つ。 「アンドレをハンセンがボディスラムで投げる。」※実況も確か「世界で5人目!」と連呼していたはず。 「ハンセンのラリアートを食らってふらつくアンドレ。」※倒れないことでアンドレの巨人性アピール&あのアンドレをふらつかせたラリアートの威力再認識。ここはおそらくアンドレがミスったのか、リング外に落ちてしまっていたので、ハンセンのパワーがより目立つ結果になりました。実は最後のレフェリーへのラリアートへの伏線に、このリング転落がつながってるという話もあります。 この2つ程度だったと思います。あとは、アンドレ暴走に拠るノーコンテスト(両者リングアウト)、でしょうか。あの試合の基本コンセプトは、あくまでもアンドレの巨体の凄さ、それに当時唯一対抗出来るとされたスタン・ハンセンのブルパワーの対決、だけだったと。このくらいの決まり事であの試合を展開できたのなら、ハンセン・アンドレともに当時最高のプロレスラーの名に恥じないものだったと思います。しかも(一応決まり事が合ったのか不明ですが)レフェリーのミスター高橋の裁定で再試合となった後、質問者の説明にあるレフェリー暴行でアンドレの反則負けとなるのですが、実際はそこから延々とリング外で続くハンセンとアンドレの乱闘も、ある程度決め事は合ったでしょうがあそこまで荒れる決め事はしてなかったのでは?と思います。 思えばハンセンは乱闘絡みの自分のブックはより過激化したりあえて破ったりするのが常套で、全日本移籍時の場外でのファンクスへのラリアット(アシスト:ブルーザー・ブロディ)も、その後のババチョップ食らっての脳天出血も、想定以上のものだったようで、結果としてそれが長い間ハンセンを一流の座に留めた一因かもしれません。 ※だからこそ逆に才能も体格もありながら融通があまり効かなかったブロディが、レスラーとしても人間としても短命に終わったのかもしれませんが。
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- st439
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ソースはムック本で読んだのだと思いますが、カードが決まった時にアンドレの発案でそのようになったらしいです。 劣勢になったアンドレがハンセンに対抗して右腕にサポーターをつける。 ↓ ミスター高橋がサポーターをチェックする。 ↓ これに逆上したアンドレがミスター高橋をロープに振ってラリアート→反則負け はシナリオだったと書いてありました。アンドレの腕に合うサポーターなんて、咄嗟に用意できないですよね。
お礼
回答ありがとうございました。
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