キーワードは「無煙化」です。当時、国鉄は全線に渡って無煙化を達成することが至上命令の一つでした。
現在復活している蒸気機関車は高質炭を使い重油併燃なども行って黒煙の発生を極力抑えられているのでわからないでしょうが、当時の使用炭は質が悪く黒煙や煤を盛大に噴き上げていましたから、線沿いの民家では屋外に洗濯物を干せない状態だったのです(黄害もありますが)。
当時、トンネルに入るときはすぐに窓を閉めない(冷房など無い時代だったので、窓は開けるのが普通)と鼻の穴が真っ黒になった物です。
こういうことがあり、国民的に無煙化は至上課題だったのです。
なお、国鉄が蒸気機関車を全廃した後も一部の専用線(室蘭の鉄原、現テツゲンなど)では蒸気機関車が残っていましたし、糸魚川の東洋活性白土の専用線では保存団体(羅須地人鉄道協会)がナローの蒸機を走らせていましたから、国内から完全に蒸機の煙が消えた時期は無いはずです。
また、蒸気機関車はディーゼル機関車やディーゼルカーに比べて熱効率が悪く運用コストが大きい、最高速度が抑えられているため高速化の足枷になるという問題もありました。
特に日本は狭軌ですから、火格子面積の大きい大型ボイラーを搭載して出力を挙げることが出来ないため、幹線や勾配区間では牽引定数を稼ぐために重連、三重連仕業が必要でした。この場合、機関車毎に機関士と助手が必要で、総括制御で一人で何両でもコントロールできるディーゼル機関車や電気機関車と勝負に鳴りません。
現在、蒸気機関車を日常的に運行している鉄道は世界的にも相当減っています。機械としてみたときに電機やディーゼルと経済的に勝負になりませんから、仕方のない成り行きでしょうね。鉄道輸送はノスタルジーのために存在しているのではありませんから。
お礼
ご回答ありがとうございました。私もウィキペディアで確認したところいろいろな短所があることが分かりました。蒸気機関車は100の労力で10の効果しか得られないのですね。