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考え方による心理状態について人生相談?です
現在自分は大学生2年生です。今もですが、それまでは好きなことだけをし 好きなことについてだけ考え、のらくらと過ごしてきたのですが、 最近になり周りの環境の変化やそれによる意識の変化、大学の授業などがきっかけで、 もっと社会のことや環境のこと、世の中の仕組みなどについて 勉強したいという好奇心を持つようになりました。 以前よりニュースを見るようになったり、自分なりに出来る範囲で 政治や社会の動きについて勉強し注視するようにしているのですが 自分にとっての勉強の一歩目として、最近大学の授業がきっかけで 食糧生産の事情とそれによる飢餓の問題について学ぶことがありました。 そして現状の事実を知り、正直想像を超える衝撃を受けかなり傷心しました。 それらの問題については今回はともかく、 ここからが相談の本題です。 嫌なことに、ちょっと勉強しただけの自分が、今度は以前の 自分のような人間に対して嫌悪感を抱くようになってしまいました。 だからどういう態度をとるとかではないのですが、そういった人達の輪の中にいても 楽しいと思う気持ちが薄れてしまっているようなのです。 しかし自分も、楽しむことを忘れてまでこれから社会問題などに取り組む覚悟なんて とても出来るような人間ではないし、やは好きなことや好きな人達には これからも真っ向からありのままで接したいと思っています。 皆さんなら、こういった矛盾した気持ちを整理する場合 どういう考え方をお持ちなのでしょうか? 例えば、深刻な問題を自分の中で消化しつつも、日常は割り切って ありのままで過ごす方もいるだろうし 問題について積極的に周囲に定義することで、自分の生活環境を いっそ変えてしまう人だっているかもわかりません。 もし私と同じような気持ちを持ったことがある方がいらっしゃったら ぜひ意見を聞かせていただきたいです。
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- rainbow_lizard
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今までの好きなことをやっていたときの友人付き合いはそのままに、社会問題などの話ができる友人を新たに作ればいいと思います。 楽しいという気持ちに罪悪感を感じることはありません。 好きなことを好きなようにやって楽しめるように、まずは自分の感覚を素直に受け止めてあげてください。 質問文から察するに、質問者様の周囲への嫌悪感は、「深刻な問題に直面している人たちがいるのに、そんなことも考えずに自分たちだけ楽しむのは軽蔑すべきことだ」という考えからくるのではないでしょうか? それが自分の楽しいと思う気持ちにブレーキをかけているだけで、遊ぶこと・楽しむことは罪悪ではないと認識できれば解消すると思います。 それと社会問題を考えることは別物です。 楽しむのをやめることで社会問題は解決しません。 ちょっと社会問題について考えたくらいで、解決するものでもありません。 楽しむことと社会問題を考えることは矛盾するものではありません。 今感じられる違和感は、新しい知識を得て質問者様の世界が広がったことによるものです。 それは良いことでも悪いことでもありません。 社会問題について考える人>社会問題について考えない人、というような発想そのものが、質問者様の価値観を矮小にし、自身の価値を自分が軽蔑する対象と同じ程度に引き下げることになります。 回りくどく書きましたが、二兎を追えばいいだけです。 一匹しか捕まらないようなら、それが質問者様の器なのです。
- key00001
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典型的な同族嫌悪ですね。 「自分と似たタイプが嫌い」と言うやつで、誰にでも共通して、そう言う傾向はあるんですよ。 人間は誰もが自分の中に嫌いな部分を持っていて、そう言う部分は隠したくなります。 ところが、中にはそう言う部分が言動などに現れている人物も居て、たとえ他人の言動であっても、自分としては何とか隠したい様な気持ちになるのですが、そんなコトは出来ませんので、自分に出来るコト、即ち「嫌悪感」を抱き、その相手に排他的になったりするんです。 そう言う行動・反応は、無意識的にも現れるのですが、質問者さんの場合、自分の中に、新たな嫌いな部分を発見し、それと同時に、周囲に対しての感情にも変化が生じ、明確に自覚が出来たと言う例ですね。 逆に言えば、これまでの質問者さんも、無意識的にはやってたコトですから、余り気にしなくて良いと言うか、むしろ無意識じゃなく、明確な自覚があるワケですから、表面的にはこれまで通りを装うなども出来ますよ。 内心では生理的に受け付けない様な人でも、上手く付き合うなんてコトは、社会の中では良くある話しです。 それも概ねは思春期くらいでは、誰もが経験しています。 例えば、自分では選べない存在で、更に自分に対し影響力・強制力がある様な人物は、誰でも嫌なんです。 具体的に言えば、親とか教師で、社会に出れば、お客や上司などです。 特に親などは、思春期の反抗期などで、嫌いで嫌いで仕方が無いと言う精神状態を経験しますが、それでも何とか折り合いをつけて、日常生活を送ったりしますよね? 相手が教師とか上司などになれば、それがもっとロコツです。 内心では大嫌いなのに、ゴマをすったりおべんちゃらの一つも言ったりしますので。 そう言う「矛盾」は、誰しもが抱えているんですよ。 質問者さんが、「内心では嫌い/好き」は、全く問題無いと言うことです。 それを、どう表現するか?どう伝えるか?でしか、相手には判らないから。 内心とは相反する様な表現をすることは、直ちに「自分を騙す」などになるわけではなく、概ねは「大人の対応」とか「社交的」などに分類されます。 逆に言えば、自分の内心のまま、何でもストレートに表現するのは、「素直」などと言うより、「バカ」と言うべき場合が多いと思いますよ。 もっと言えば、自分と合わないから、ケンカや対立するなんてのは、奇人・変人とか、単なる嫌われ者になっちゃいますよ。 「自分の内心はこうだから、相手とはキッパリ付き合うのをやめよう!」などと、シロ・クロをハッキリさせる必要など全くありません。 イヤはイヤなまま表現せず、イヤでは無い部分は利用し、今まで通り一緒に楽しむなんてコトがあっても、何も問題はないですから。 その上で、どうしても嫌な状態が続くなら、徐々に距離を置いても良いし。 また、今後、新たな交遊関係はどういう人物と築くか?などと模索すれば良いだけですよ。 誰でも「真っ向からありのままで接したい」などと思っていますが、そんなコトが可能な相手は、人生でも限られますし、その相手も、成長と共に変化するものです。 親友や恋人とか、夫婦や家族でも当たり前なんですよ。 誰もが子供の頃は「お母さん大好き!」と言い、一緒に寝たりするものですが、思春期になれば「うぜぇ!」なんてコトになりますからね。 親の側からすれば、「あんな可愛かった坊やが・・」ですし。 恐らく質問者さんは、急激な自分の感情や感覚の変化に、戸惑っている部分が強いと思います。 でも、急激じゃなければ普通・日常的によくあることです。 基本的には、「周りがアホに見える・・」なんてのは、「自分が成長した証し」と思って、喜んでおけば良いですよ。 ただ、それをそのまま口にしちゃうと、逆に周囲から「自分がアホと思われる」です。(笑) それだけ注意なされば、もっと成長して下さい。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2726/12281)
あなたは方向転換したつもりですが、興味の対象が変わっただけで好きな事を好きなだけ考えている事には変わりありません。 その変化の中で嗜好の方向が違うようになった訳ですから、嫌悪感(はちょっとオーバーかと思いますが)や楽しみが薄れるのは普通の事です。 特に問題ないと思いますよ。