三つ挙げます。
<<儒教>>
近代の前段階として、儒教を国教とて二千年間“好奇心”を押さえつけていたという事実を理解しなければいけません。中国では日本と違い、人人の血と肉の中に儒教が入り、日常の生活にまでその考え方が入り込んでいたそうであります。現代文明が、“欲”の上に胡坐をかいていることは周知のとおりであり、そういった段階を経ずに急激な近代化をせざるを得なかったことに中国の辛さがあります。只、だからと言って、好奇心を無力化し人人を治める方法を編み出した古代中国人の優秀さは、減ることはありません。
一方、江戸期の日本でも、朱子学を基礎とした儒教的教養を重視していましたが、あくまでも社会秩序のエッセンスとして、利用されていたに過ぎません。鎖国によって国内に充満していた好奇心が、長崎の出島から微かに香る洗練された西洋の匂いを嗅ぎつけ化学反応を起こし、明治維新に触れ大爆発を起こしました。だからと言って、日本人だけが優秀とも言えません。
<<国が大きすぎる事>>
近代化を進める上では、中国は国規模が大きすぎたことが一つの妨げになりました。一つの考え方に、経済圏として、2000万人から4000万人ぐらいの人口が一番動きやすいという事があるそうです。西洋が200年掛けてやったことを、旧態捨てて一気に数年で追いつかなくてはいけなかった、アジア諸国の辛さがあります。そこに小さい日本とでかい中国との有利、不利がありました。現代でも大企業とベンチャー企業の時代の対応力を考えれば解りやすいと思います。とは言え、大企業が劣っていて、ベンチャー企業が優れているとはいえないの同じ事です。
<<先行しすぎること>>
古代エジプトでも既に蒸気の力は知られていました。それを利用した機械(おもちゃの様な物)も考え出されていたようです。ゴッホは生前、画商の弟を持ちながら、自身の絵を全く売る事ができませんでした。時代は、それを受け入れる諸条件がなければ、いくら正しくても、いくら優れていても、無意味として捨てられてしまうものを沢山持っています。いつの時代も、変わり者として知られる人がでますが、其の価値を後世が認めることは良くある事です。それらを掘り起こす事が、歴史家や郷土史家などの仕事であり、それを知る事が我我の仕事であると思います。
現在手にとって見て取れる事象は、其の歴史的背景により醸造された宝ですから、沢山のメガネで公正に、冷静に理解されるとよいと思います。