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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:クリスチャンの彼氏をもっと知るために(長文))

クリスチャンの彼氏をもっと知るために

このQ&Aのポイント
  • 20代後半の女性が、10歳以上年上のクリスチャンの彼氏を知ったことに関して、自身の無宗教と無知な状況に対する申し訳なさと尊敬の気持ちを抱きつつ、彼の信仰について理解することの難しさと誤解を避ける方法を探している。
  • 彼の信仰心に対して尊敬の気持ちを抱きながらも、自身の無宗教と無知な状況による不安や疑問を抱えている20代後半の女性が、クリスチャンの彼氏との付き合い方を考えている。
  • 20代後半の女性が、10歳以上年上のクリスチャンの彼氏との付き合い方や将来のことについて悩んでおり、クリスチャンの彼を理解し尊重する方法や不安や疑問を解消するための情報やアドバイスを求めている。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

高校の時洗礼を受けてから40年たった「熱心」なカトリック信徒の男性で、毎週のように教会に通っていますが、一方では、仏教や神道などの他宗教や「宗教」全般、日本の伝統や文化にも深い親近感を抱いています。 あなたが抱いている不安や疑問を解消するために、順次お答えしていくことにしましょう。 1)先ず、あなたは、「無宗教者」である自分と、特定宗教の信者である彼との間に、なかなか越えられない深い谷間(見方を変えると「尊敬心」)があると感じておられるようですが、それはそんなに「深い谷間」なのかということです。 先ず、日本人が外国人から「あなたの宗教は何ですか?」と聞かれて答える、この「無宗教」と言う言葉の意味ですが、ほとんどの人は、「無神論者」という意味ではなく、「特定の宗教の信者ではない。」という意味で言っているのではないでしょうか? 実は、「宗教」には「創唱宗教」と「自然宗教」という2種類があり、 「創唱宗教」は、キリスト教・イスラム教・仏教のように、神あるいは霊的超越者から、何らかの啓示や神託を受けた創唱者(教祖)によって始まり、教団や教義の伴う宗教です。 一方、「自然宗教」とは、神道のように民間の習俗的な意識から自然発生的に生まれてきたもので、教祖や教団・教義などというものが希薄か、ない場合があります。又、先祖崇拝や村の鎮守に対する敬虔な心も、一種の「自然宗教」に対する宗教心と考えられます。 (以上に関する参考書:阿満利麿 『日本人はなぜ無宗教なのか』 ちくま新書 ほか →http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/ama.htm ) 多くの日本人と同様、あなたも先祖や自然などに対する崇拝心や敬虔な心をお持ちのようです。又、 伊勢神宮のような「神域」にお参りしたり、仏様の前で法事を行い、お経を唱える時、誰しも訳は分からなくても敬虔な気持ちになるのではないでしょうか? そうした「敬虔な気持ち」こそ「宗教心」に他ならないと思います。ですから、特定の宗教の信者でなくても、ちっとも卑下する必要はありません。「宗教心」があるという点では、あなたも彼も同じ土俵に立てるのではないでしょうか? むしろ残念なのは、今の日本では、こうした「宗教心」すらなく、「宗教」というと「カルト」や「麻薬」のように考えて軽蔑する風潮が蔓延していることです。こうした連中とは正直お友達になりたくありません。 2)さて、それでは、キリスト教自身は、こうした日本人の「宗教心」にどう対応してきたでしょうか? キリスト教は「一神教」であり、なかなか日本人には馴染みにくいし、信徒数も伸びないという状況があり、これに対して歴代の宣教師・神父・牧師たちも、神道・仏教や日本の伝統文化と共存を図りながら努力してきたのは事実です。 キリスト教には、伝統的なカトリックと宗教改革によって派生したプロテスタントがありますが、 少なくても、カトリックに関しては、丁度50年前に「第2バチカン公会議」が開かれ、他宗教に対して随分対話を心がけるようになりましたし、各国の伝統文化との共存を図るようになりました。 ミサもそれまでのラテン語から日本語で行うようになりましたし、ミサの中で、成人式や七五三や敬老の日なども祝うようになりました。 他宗教形式で行われる法事やイベントへの出席も問題にすることはありませんし、先祖の崇拝に関しても柔軟な考えが見受けられます。 詳しくは、「カトリック教会の諸宗教対話の手引き」http://www.cbcj.catholic.jp/publish/other/jissen/jissen.html をご覧下さい。 一方、プロテスタントは、聖書を唯一の拠り所とし、神以外のものや人間の作った「被造物」(場合によっては他宗教の神も含む?)を拝むことを「偶像崇拝」として厳しく斥ける所が感じられ、私は強い違和感を持っています。(彼らに聞くと必ずしもそうとばかりは言えないようですが、よくわかりません。) 確かに、カトリックであろうと、プロテスタントであろうと、自分たちの宗教が唯一だと熱心に信じるあまり、他の宗教や他の世界に非寛容になる原理主義的な人たちがいることは事実なようです。決して一枚岩ではなく、人それぞれに個々の宗教があるというのが、現代の宗教の実態ではないでしょうか? ですから、やはり一度、彼の宗派がカトリックなのかプロテスタント(の何派であるか)確認し、彼の考え方をじっくり聞いてみるのが一番だと思います。その結果、もし、彼の考えがあなたの意に沿わないのなら、思いを断ち切って別れを切り出すのもやむを得ないかもしれませんね。 以上長くなりましたが、michael-mさんと私の回答を読んで納得がいって、少し不安が消え、勇気が出てきたら、どちらかにベストアンサーを頂ければ、大変有難いです。よろしくお願いします。

その他の回答 (6)

回答No.7

こんにちは。 >宗教をごちゃまぜにしている日本の悪い風習 そんな風に、卑下して考えなくてもよいと思います。 様々な宗教の慣習を取り入れているのは、日本人の柔軟性の表れです。 もはや日本の「文化」になっているのです。 >(3)つきあっていくうえで、これはしないほうが賢明という 「偶像礼拝」はしないほうが良いみたいですね。(リンク先参照) つまり、良かれと思ってキリストをかたどった物などをプレゼントしたのに、 実はマナー違反だった…とかあるかもしれません。

参考URL:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12101776917
  • KONIMIX
  • ベストアンサー率28% (136/476)
回答No.6

50代既婚男性です。 私(我が家)仏教徒で神社の氏子ですが、家内はクリスチャンです。 家内とはお見合いですが、「クリスチャンです」と告白された後は、教会の礼拝に参加するようにしました。 そこで思ったのは、「彼らも同じ人間なんだ」と言う事です。 間違いを犯すし、悩んでいます。 「純粋な信仰心」を持っていると言っても、私達(私は仏教徒ですが、貴女は無宗教ですね)と変わりません。 ここを勘違いしないでくださいね。 家内はお寺にも行ってくれますし、神社にも行きます。 子供の七五三やお宮参り、おひな様なども積極的にやってくれます。 家内曰く「子供の成長を願ってやる事だから信仰と関係ないわ」と言う事です。 こうも言ってます「私に取って信仰は大事な物だから、他の人が大切にしている物も大事にしてあげたい」と。 教会関係者で、私がクリスチャンで無い事を理由に結婚を反対した方がおられました。 でも家内は「改宗して」とは言いませんでした。 「結婚の為に改宗しても、それは本当の信仰じゃ無いから」と言われました。 その反対された方も、私が教会に足を運び、お話しさせて頂くに従って、反対されなく成りました。 私と言う人間を「宗教」抜きで認めてくれたのだと思います。 ですから私も子供達と一緒に教会の礼拝に参加します。 「何を信仰するかでは無く、どう信仰するかが大切」なんだと思います。 「教えられた事を無条件に信仰するのではなく、自分に取って何が大事かを考えて信仰する」と言う事です。 彼はどうなんでしょう? 前者なら貴女がクリスチャンに成らないと上手くいかないでしょう。 後者なら貴女に取って彼はすてきな人となるでしょうね。 (1)私は本なんて読みませんでしたし、HPなんかもみませんでした。 そんなメディアから得た情報なんて当てにならないと思ったからです。 だってね、本に書いてある事が本当なのかどうか判らないでしょう? HPだって同じですよ。 自分の目で見て、感じて、体験して初めて本当の事が判ると思います。 (2)「こうしたら上手く行く」なんて方法は有りません。 だって状況はみんな違うんですから。 自分たちの状況に即した対応は、自分たちでしか考えられないんですから。 私の場合は、両親に「彼女はクリスチャンだけど結婚したい」と伝えました。 それに対して両親は「自分たちのお葬式を仏式でやってくれるのなら良いよ」と言ってくれました。 父が亡くなったとき、家内は数珠を持って仏式で父を見送ってくれました。 (3)貴女と彼とがどれだけお互いを尊重出来るかが大切だと思います。 自分の事を優先して、相手に歩み寄れないなんて上手く行くはずが無いでしょ? これは宗教なんて関係ありません。 明確な回答でなく申し訳ないのですが、最後にこれだけは言っておきます。 不安なのは判りますが、情報に振り回されるのはやめてください。 自分で見て、感じて、体験して、自分で判断するのが一番良いと思います。 彼が信仰に対してどう考えているか判らないんですから、御自分で判断するしか無いんですよ。 例えば、他の宗教を否定するのか、又は他の宗教も認めているのかでも違いますよね。 それだけの強さを持たないと、この先おつき合いは難しいと思いますよ。 例え間違いを犯しても、お互いの事が大切ならフォローしあえるんですから。

  • matsuco36
  • ベストアンサー率40% (9/22)
回答No.4

他の方もおっしゃっていますが、まずは、彼の宗派を知ることから始め、そしてその宗派の本を手にしてはいかがでしょうか。 私の場合、父のみクリスチャンです。 その為なのか、私自身、幼稚園はカトリック、教会へも兄弟が既に通っていたこともあり小学生まで、サボりがちでしたが主にイベント目的(笑)で通っていました。 ここで学んだことは、例えパンが一つしかなくても、それをみんなで分け合おう、ということです。 でも、洗礼も受けていませんし、今は全くの無宗教です。 ご家族は洗礼をうけてない中、彼だけ…という、そのきっかけがチョット気になります。 (何か辛い経験などがあったとか) クリスチャンの父を持つ私としては、彼がアナタに強制してこないのなら、特に気にする必要はないのではないかな、と思います。 信仰心は、強制されて持つものではありませんからね。 彼は何でも聞いてとおっしゃっていますし、アナタが知識を得た上で伺って不安を解消してはいかがでしょうか。 そして、必要ならば、アナタには信仰心のないことを知らせてみては。 ちなみに幼稚園が一緒の地元の友人は、お母さんがやはりクリスチャンですが、友人も、その兄弟も現在無宗教です。 ですが別の友人でキリスト教末端宗派の旦那さんに信仰を強制され、離婚した人もいます…参考まで。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.3

キリスト教徒全般をクリスチャンと呼んでいます。しかしクリスチャンにはカトリックを初めプロテスタント、ギリシア、ロシア正教さらにキリスト教系新宗教など様々あります。それぞれに解釈から思想まで異なりますので、対応も皆違ってきます。 そして同じカトリックでも修道会によって多少の違いがあったり、各自の認識も異なります。 たとえばカトリックではその土地の風習や信仰に敬意を表するという意味で他宗派の行事にも進んで参加しますし慣わしに従うとしています。だからカトリックの外国人が日本に来れば日本の風習として初詣も七五三なども行うことに差し障りはありません。これはバチカンで決めたことです。 しかし原理主義と言われる人々は聖書が絶対で進化論すら否定します。原理主義という言葉は元々キリスト教徒に使われる言葉なのです。原理主義者、或いは余り勉強していない人では日本の風習を拒絶する場合もあるということです。 ですから、まず彼の所属する教会が何であるのかを知る必要が有ります。そして彼自身がどんな信仰を持っているかを知る必要が有ります。 はっきり申し上げて、それがきついと思ったらおやめになったほうがいいです。幾ら愛していても我慢すればいずれ辛くなりますよ。 逆に自分がクリスチャンであることを負担に思うなら、さっさと捨てることです。自分の信仰を隠さねばならないようなら自分は罪を重ねているようなものです。 宗教をごちゃ混ぜにしている日本が悪い習慣・・・これは信仰や日本を知らない輩が吹聴しているデマ情報です。日本を知ればあるいは宗教を知ればそんな考えなど出てはきません。 仏教はヒンズー教など多くの宗教を取り込んできていますし、キリスト教だってクリスマスやハロウインなど様々な宗教を取り込んでいます。キリスト教で悪魔と去れているヤギの頭は欧州の神ですし、黒猫も神の使いです。ブウドゥの祈りにはキリストも出てきます。 およそ現前する宗教において全く純粋なものを探すほうが難しい。なのに日本だけが、ごちゃ混ぜがおかしいといっているのです。 さらに世界では日本人ほど信頼されない国はありません。なぜか・・外国では神に誓います。米国大統領も聖書に誓います。(建前上それぞれの信仰に合わせられるとしていますがキリスト教徒以外はまず大統領になれません)自分の言葉の正当性を示すのに神に誓えるのです。信仰を捨てた中国では国家主席、北朝鮮では将軍様がいます。ロシアでも国家に誓えます。 しかし日本はどうでしょう。天皇を軽んじ、日の丸を軽んじ、首相の価値もありません。国教もなく、誓うものがないのです。日本人は自分の正当性を担保するものがない。だから信頼されないんです。日本の信頼とは単に製品に対するもの結果に対する信頼であり約束では有りません。 つまり信仰というもの、宗教というもの自分達の文化というものをマトモに習っていない、学校で教えないから「ごちゃ混ぜは悪い」などというわけの判らない説がまかり通っているのです。試しに「日本の正史はなに?」と人に聞いてみてください。何人が答えられるでしょうか? 日本の国教である神道(日本は神道を放棄していません)はその成り立ちから受け入れる事を善しとしてきました。他の考えを受け入れるということは自分の思想がしっかりしているからできることなのです。だから日本は世界で最も歴史の長い国であり続けているのです。中国4千年などといわないで下さい。中国は65年の歴史しかありません。それ以前は捨て去ったのです。日本は神武天皇即位以来現在まで天皇制を存続させている世界最古の国なのです。 そして世界の宗教研究家が驚愕するのは、神道が教義もなく存続し続けている平和信仰だということです。 つまりクリスマスや七五三などを自国の文化として受け入れながらも自国の信仰を存続させる強さは脅威なのです。世界は憧れを持って見ていることはあっても悪習慣などとは思っていません。 私は家族は曹洞宗です。私一人カトリックで中学洗礼です。 聖書解釈の違いやさまざまなことがあり、今は教会から離れています。別に構わないのです信仰は私と神との契約であり、教会との契約では有りませんから。 私の死後は何処に埋葬しようと関係有りません。体は地に返しても魂はそこにあるからです。 父母の為に先祖の為に曹洞宗での法要を行うし、妻の実家に行けば浄土真宗の法要にも出ます。 形式の捉われること、それは偶像崇拝でしかないのです。だから形式に捉われない。であれば心配するほうがおかしいと思いませんか? まずは彼のことを知ってください。全てはそこから始まります。

回答No.2

クリスチャンは日本では珍しいですよね。 かくいう私も、実はクリスチャンです。 しかし、クリスチャンと言っても、 様々な宗派に分かれているので、彼が属している派について知る必要があります。 彼に聞いてみるのが一番良いのではないでしょうか? それから、彼がクリスチャンだからと言って、 あなたや子供も絶対にクリスチャンにならないといけないわけでもないと 私は思います。 イスラム教やヒンドゥー教などのように、これを食べてはいけない、 などのような決まりもありません。(宗派によってわずかな違いはあるかも知れません) それから、個人的なお願いですけど、 キリスト教=怪しい宗教 というような考えは決して持たないでください。 日本人にとっては珍しくてそのように思う人ばかりですが、 アメリカに行ったら、仏教がそう思われているのかもしれません。 たったそれだけの違いから生まれた間違った考えなんです…。

回答No.1

クリスチャンといってもどうせ統一教会でしょう まあそれはともかくとして、宗教だの神様だの本気で存在を信じてる奴は 所詮愚か者なんですよ。 それでもあなたが好きだっていうんなら嘘でもあなたが信者になるしかないですね。 他の信者や無信教者と共存していくことは不可能です。

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