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病気で負い目を感じながら生活してしまう自分が苦しい
- 病気と共に生活する苦しみと自身への負い目に悩んでいます。両親の健康を見ながら、自分が両親を楽にさせなければならないというプレッシャーも抱えています。
- 友人は結婚や仕事に力を注いでいる中、自分は病気の制限による負担や孤独を感じています。他の人と比べて苦しいと感じることが多く、生きていることに罪悪感を抱いています。
- 自分の病気による制限により、外食や交流の場を楽しむことができず、日々の生活についても負い目を感じています。質素に暮らしているものの、両親にもっと甘えていいと言われる一方で、自分自身を許すことができません。
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…うーん。 後半部分ね。 「生きることの罪悪感」と仰っているけど、そんなふうに解釈してしまうことのほうが、私はむしろ罪だと思う。 確かに負い目を感じてしまう気持ちは良くわかる。 年齢のこともわかるしね。 だけど「病気はなりたくてなるもんじゃない」んだから、そこは開き直るべきだ。 この世には「どうにもならん」ことが山ほどあるし、それに苦しんできた人、苦しんでる人も山のようにいる。 そこを君がどう捉えるか、だ。 敢えて東日本大震災のことを例えに出すけれど、大津波を防ぐ手立てなんかあったのかな?。 絶対に、誰もみんな助かることなんて、私は無理だったと思うんだ。 どんなに災害にたいして防御していたとしてもね。 私は現地に行ったけど、最初に思ったのは「無」だったよ。 これは無理だ…そう思った。 無力だと思ったし、これはどうにもならない、起きるべくして起きた事を止めることはできない…それが第一印象だった。 自分では災害前でもわかってはいたけれど…間近で「見せ付けられた」んだよね。 病気も同じだ。 自分が認識するもしないも無く、病気は勝手に襲い掛かってくる。 それを防ぐ手段は少ない。 特に「免疫系」の病気は難しい。 完全な予防措置など無い病気がほとんどだよ。 君のどこが悪いんだろうね?。 君は何を我慢する必要があるんだ?。 所詮は「不運」じゃないか?…それ以上の理由なんてあるんだろうか?。 開き直るべきだよ。 君は君で、君は少しも悪くないんだから。 開き直ることで、自分の「展望」を、近視眼ではなく「遠くを見る」ようになろう。 ご両親も確かに年をとるから。 だから、若いうちに助けていただけるところは助けていただこう。 身体の様子を見ながら、出来れば「勉強」をシッカリとしなおそう。 受験勉強を使命とする時代はもう過ぎた。 今度は「自分の未来のために」自分からする勉強をしていく。 それならばストレスにはならないものだ。 無理なくね。 無理したら元の木阿弥だ。 出来るものと、出来る範囲を、自分でコントロールしていくことが肝心。 「リハビリ」という感じかな?…少しだけ負荷はかけていきながら、無理するほどのことはしない。 それを自分でできるようになること。 …あとね。 これは私の体験談だけど「食べられないもの」って、本当に食べられないのか、一度挑戦してみなよ。 アレルギーなどの過剰反応が出る場合はダメだけど、胃腸障害なんかで「これはすすめられないですね」くらいのものの場合は、ちょっとだけ食べてみると良いと思うよ。 実際にあの「A首相」だって、身体に悪いもの食ってたじゃない?(笑)。 これはダメだ、まずいな、って結果思ったら、止めれば良いんだよ。 極端な話かもしれないけど…そのときはそのとき、っていう「気力」が何よりも大事なんだよ、闘病はね。 時々「はみ出る」事をしないと。 まだ33歳は身体に力が入るから、少しの無理は利くものさ。 それと「過去は過去」って思うこと。 昔は昔、今は今。 これも極端だと思うけど…貯金、100万円くらい使っちゃったらどうかな?。 自分でも考えられないくらいの贅沢をするんだ。 物を買うのも良いね!…欲しいと思ってたものを買ってしまうのは良いぞ?。 精神が満足する、って事も、闘病ではすごく大事なことだ。 …ちなみに私は「バイク」を買った!!…ツーリングに出かけたことで、私の精神は安定したんだ。 身体にゃ良くない選択かも知れなかったが…精神には効いたよ。 バイクは色々教えてくれた。 人間が教えられないことを、バイクに乗ることで私は知ったんだ。 それから車に乗り始め、車の仕事をして、それで今でも何とか生きてる。 そういうものなのさ。 生きるって事は、楽しむことであり、苦しむことではない。 君もそう生きろよ?。
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- jjubilee
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こんにちは、#1#6です。 なかなか投稿しても割り切れない気持ちはやはり残るかもしれませんね。 お節介かもしれませんが、感受性のお強い方で、文章力もお見受けするとおありのようです。 読書もなさってこられたみたいで、ひとつ可能性として小説・詩などをお書きになって、プロを目指されたらいかがですか? こういう言い方は失礼かもしれませんが時間はたっぷり読書に当てられそうなので、プロとして書き物を文藝春秋その他、様々な章を目指して努力されるのもこれからの目標ができていいのではないかとふと思いました。 何十年かかっても、日の目をみることができるかどうか分からない職業だとは思いますが、やってみる価値は十分あるのではないかと思います。 おせっかいでした。これも精神が閉じられた空間から飛び出す一つの方法かもしれません。
お礼
本を読むのは好きですが、書き手となるとその道には…あまり興味がなかったりします。 あくまでも読み手のままで居たいと思います。 有り難うございました。
- sunameri_cat
- ベストアンサー率0% (0/1)
ちょっと悩みがあり負い目というキーでGoogle検索したところ luaowok さんの質問が引っかかりました。 非常に誠実な生き方をされているのに救いがないですね・・ あまりにも気の毒です。 やはり神なんていないのではと思ってしまいます。 しかしながら運命に翻弄されては駄目な気がします。 luaowok さんには輝いてほしいと願います。 趣味であったりなんらかの自己表現でluaowok さんにしかできない 世界観を作っていって下さい。 苦しめられるだけなら本当に生きる意味を失ってしまうと思います。 >この状況ですので、友人と飲み会・ランチ・ディナーなど楽しむことは出来ません。 >交流の場も狭まり寂しい日々でもあります。 職場に耳が聞こえず喋ることができない方がいますが非常に陽気な方で飲み会で それとなく楽しくすごされています。 交流は絶対にしたほうがいいと思います! >フェイスブックなど見るべきではないと解っていながらも、見てしまうとその姿と >自分を比べて胸が苦しくなります。 自分もまったく同じことを感じることがありました。 しかしながらFacebookは楽しい部分だけを誇張して見せるところもあるので 気にしないことが一番だと思います。 書こうと思えば、luaowok さんも人が羨むような投稿はできると思います。 非常に表面的な媒体でありFacebookで人の幸せは測れないと思っています。 自分の実体験でもあるのですが、やはりネガティブなことをばかりを考えている と(まさに負い目です)悪いことを次々に引き寄せてしまうような気がしてなりません。 圧倒的に運の強い人、悪いものを引かない人にはそれなりの理由があるのだと思います。 辛いなりにも、すこしずつ小さな幸せを見つけていってください。 >時々自分はこの世に存在していることすら許されないのではないかと思ってしまいます。 世の中に本当に必要とされる人なんてほんの一握りだと思います。 なんとなく生まれてなんとなく死んでいくのが大半の人だと思います。 むしろただ地球環境を脅かしているだけでしょう。 しかしながら生きるのは自由だと思います。 贅沢も上等だと思います。人間なんて動物みたいに純粋じゃないし欲の塊だと思います。 犯罪でも犯さない限りそれはそれでいいんじゃないでしょうか。 自分以外の誰かを笑わせてあげたり励ましてあげたりできれば、それはもう 立派な人間であり生きる価値あると思います。 ものすごく上から目線ですいません。。 私も32歳独身、同居、不眠症持ちという境遇です。笑
お礼
思いがけずキーワード検索からお越し頂き驚く次第です。 フェイスブックと言うものは何だか不思議な空間ですね。 幸せだったり輝きだったり自らの人生のキラキラした部分を沢山の人に見せて反応してもらうための場なのでしょうか。 自分も羨む投稿しようと思えば出来ますよね。 けれど自分は見せかけだけの賞賛は要らないと思っています。 あの場で幸せを比較していた自分は浅はかでしたね。 ネガティブな感情はネガティブなものを引き寄せますか。 引き寄せの法則の本にも似たような話があった気がします。 言葉もそうですよね。 出来るだけ楽しいことを一杯考えていきたいです。 沢山のお話を有り難うございました。
- edelweiss702
- ベストアンサー率0% (0/2)
はじめまして。 私には13歳年上の嫂がおります。その嫂が8年前に大腸癌を患い、余命1年と診断されました。嫂の両親も私の両親も厳格な性格で、「親戚の中に癌など患った人間は一人もいないのに30代の若さで癌なんかになったのは生活態度に何か問題があったのだろう。子供もまだ小さいのに、どうするつもりなのか」というような言葉をぶつけて、毎日嫂を責め立てていました。 当時私は大学生でしたが、どんどん体調が悪くなっていく嫂が不憫でなりませんでした。それで、嫂のために何かできることはないかと色々情報を集めておりました。そんなある日、東城百合子さんという方のご著書「家庭で出来る自然療法」という本に出会いました。 東城さんのご著書を拝読して、私はこの自然療法で嫂の病苦を少しでも和らげてあげることができるのではないかと感じ、嫂にも本を読んでもらって「自然療法に取り組んでみては」と勧めてみました。 嫂は関心を示してくれましたが、嫂の両親も私の両親も「自然療法なんて、いかがわしい。病苦に悩む患者の弱みにつけこんだ悪質商法か宗教の類に違いない。病院で治せないものが、自然療法なんかで治るわけないだろう。そんなものを鵜呑みにして信じるなんて、愚の骨頂だ!」と言って、嫂が自然療法に取り組むことには大反対でした。 幸い、兄が理解を示してくれまして、「わずかでも可能性があるのならやってみる価値はあるだろう。自然療法はそんなにお金がかかるものじゃなさそうだし、やってみていかがわしいと思ったら止めればいいじゃないか」と言ってくれたので、兄と私が支援して、周りの大反対を押し切って嫂に自然療法に取り組んでもらいました。 1年半の取り組みで驚くほどの効果があり、嫂は病院で「癌は完治した」と診断されたそうです。訝しがる主治医に自然療法の話をしても、まともに取り合ってもらえることはなかったそうですが、「何か医療の限界を超える奇跡が起こったとしか考えられない。こんなことは初めてだ」と主治医に言われたそうです。嫂は今も健在で、現在は歯科助手としてフルタイムで働いています。 この自然療法は、健常者の健康増進のために取り組んでも、非常に効果があります。 嫂が自然療法で癌を克服して以来、我が家では家族全員で自然療法と玄米自然食を実践していますが、最近5年間は96歳の祖父から11歳の姪まで家族8人病気知らずで、一切病院にかかったことがありません。96歳の祖父が年に一度も健康保険証を使わないので、市から生存確認の通知が毎年来ているほどです(年金の不正受給がないかチェックするため)。 良い御縁となりましたら、質問者様のご両親の不老長寿の一助にもなり、親孝行されることも叶うかもしれませんよ。 質問者様のご病状をよく存じ上げない状況で自然療法を紹介させていただくのは、とてもためらわれましたが、重症の花粉症と原因不明の重度の蕁麻疹に悩まれていた私の同僚や、胃癌で入退院を繰り返していた母の友人、糖尿病に悩まれていた上司などに、この自然療法を紹介したところ、大変喜んでいただけておりまして、熱心に自然療法に取り組まれた方は皆、病を克服されて元気にお過ごしです。「自然療法に取り組んで、人生そのものが病を患う前よりも好転して楽しく有意義な日々を過ごしている」とまで言っていただいております。ですので、もしかしたら質問者様にも何らかの参考にしていただけるのではないかと思いまして、投稿させていただきました。失礼でしたら、どうかお許しください。 ちなみに、「家庭で出来る自然療法」のご著者東城百合子さんは、大正14年生まれの栄養士さんで、昭和24年に重症の肺結核を患われ、その肺結核を玄米自然食と自然療法によって克服されたご自身のご経験を基に、玄米自然食を主とした健康運動をされている女性です。87歳になられた今も、お元気にご活躍されています。 東城さんのご著書が紹介されているサイトのアドレスを貼らせていただきますので、よろしかったらご参考になさってください。 http://www.binchoutan.com/toujou.html?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=Listing&gclid=CNLQv82R27QCFcZfpgodlzgAbA 長文、申し訳ございませんでした。一年で一番寒い季節を迎えておりますので、くれぐれもご自愛くださいませ。ご体調が少しでも好転されますよう、心からお祈り申しあげます。
お礼
有り難うございます
- jjubilee
- ベストアンサー率75% (367/485)
>私はきっとありのままの自分が受け入れきれなくて周りと比べているのだと思います。 比べてもいいのです。しかし自分自身は自分より大きなものの存在によって作られたものとして受け入れるべきです。わざわざその大きな存在が意地悪して他の者と差別を目的に作ってやろうとあなた様に生命を与えたのではありません。誰も彼もあるがままでいいんですよ。 >そして劣っている部分で苦しんでしまいます。 大きな存在の前では劣っているとか優れているなんていう面はないですよ。ただあるがままなんです。 >周りの人のような生き方が出来てない自分は人間として最低だと思ってしまうのです。 あなた様がどの世界で生きておられるかということです。小さな小宇宙という一個の人間、限られた境界を持つ一個の人間の内部に閉じこもって、ぐるぐると堂々巡りをしているのです。精神だけはその境界を打ち破り外に出て行くことができます。人間界だけでなく他の生物の世界、有機物・無機物すべての世界に目を向けて下さい。無数に存在する有機物・無機物の中の一個の存在でしかないあなたなんです。人間にできることは、自身の内部で堂々巡りしている状況から精神的に外へ抜け出ることなんです。健常者がうらやましいとおっしゃってますが、そのほとんどの健常者も自分の内部で堂々巡りしてあなた様以上に苦しみを味わっていると思いますよ。ご自分の精神の殻を打ち破って外に出られるように願っていますよ。足の速い人間もおれば、オリンピックで一位を取るような人間もいる。それはそれでいいのです。自分のあるがままのものを受け入れればいいのです。 >働かざるもの食うべからずという言葉があるように、私は何も食べてはならないのではないかと毎日毎日思ってしまいます。 あなた様が今苦しんでおられることがすなわち働いておられることなのですよ。あなたがそこにいらっしゃることが働いておられることなんです。もしもっと働きたいと思われるなら、現在の閉じこもった精神を外に出すことではないでしょうか?図書館には様々な本があります。近所の図書館の検索はパソコンでもできるようになったところも結構あります。いろいろな救いの手はいろいろな場所にあります。あなたの精神がそれを求めて行かなくてはなりません。 >生きていることすら罪なのかと思ってしまいます。 >幸せになることすら罪なのかと思ってしまいます。 罪などという言葉は人間界だけの言葉です。あの津波・大地震は神か仏の罪ですか?人間の罪ですか?被害に遭われた方々を冒涜するつもりはありませんが、あの時点ではあの災害はあるがままだったのです。あなた様の存在自身は罪でもなく何らかのご加護でもないのです。ただあるがままを受け入れればいいのです。 あなた様の精神のみ自由に求め、動き回ることができます。私などはあなた様と同程度にあるいはあなた様以上に苦しみ・悩みを常にもっています。生きることは誰しも苦しいのです。 あるがままを受け入れることからすべてが始まります。自力で何もかもやろうとしてはいけません。
お礼
あるがまま受け入れることから始めなくてはいけないですね。 確かに今の自分の精神は閉じこもってます。 殻の中でもがき苦しんでるにすぎません。 その精神をもっと外側に放出していけるようになりたいです。 最近読書すらする気持ちの余裕も無かったので、読書を再開したいと思いました。 出来ることから頑張って前向きな精神を取り戻していきます。
- sakudrada31
- ベストアンサー率21% (63/287)
>死ぬべき方向にもっていけという意味でしょうか? ノーノー 自分より不幸な人を見てしまえば、自分の不幸が少しはマシに見えてしまって、気が楽になるという意味よ。 フェイスブックは顔出しできる様な自信家か、プライバシーリスクに無頓着な人の利用者が主だけど、いずれにせよ、リアルがアクティブでリア充してる人ばかりが使ってる訳だから見ても良いことない。 フェイスブックで幸福を世の中に公開するという事はどういう事なのかとか、リア充故に、そうでない人に目を向ける機会すらない少ない人生を歩んでいるとするなら、その状態がどういう事かとか・・・ 私はそんなリア充な人間が集まるフェイスブックは、見るに値しないと思うし、自分と比較するにも値しないと感じてるだけ。
お礼
確かにそうですね。 フェイスブックは充実している人が充実している一面を見せる場でもありますよね。 見ても良いことない。本当思います。 なのに見てしまう自分に矛盾がありますが・・・ 何だかお言葉で少し気持ちが楽になりました。 充実してるゆえにそうでない人に目を向ける機会も無い人生もあるわけですよね。 そうした充実ぶりをアピールする人たちと自分と比較していたことが間違いでした。
- oyukitya-n
- ベストアンサー率41% (17/41)
心中お察しします。 僕もそんな時がありました。 今は僕は元気ですが、 あの時こうしていれば良かったな…って思う事が良くあります。 身体的に体調を崩されて、 引け目や負い目を感じるのは当たり前の思いだと思います。 じゃあどうすればいいのか? 笑ったらいいんじゃないですかね? 自分はそう思います。 今は自分には一人の息子がいますが、 笑っていてくれればそれでいいって思います。 今も自分の両親は、 自分がいないとさみしがったりします。 もっと甘えてもいいよとかね。 だから、今思うのは、 あの時、もっと笑って家族に接すればよかったな・・・。 って思います。 しょうがないモノはしょうがないんです。 良くなるかもしれないし良くならないかもしれない。 かもしれないと思うくらいなら、 今家族にできることは笑って、 たくさん家族とお話したら思い出作ったらいいと思います。 家にいても出来ることはたくさんありますからね。 自分に負けず頑張ってください。
お礼
両親からの目線で回答くださり有り難うございます。 自分が親にならないと解らない感情ですよね。 笑っていなかったら両親はもっと悲しいですかね。 泣いてばかりいたらもっと悲しみますよね。 家族と話をしたり、そういうことも大事ですよね。 出来ることしてみます。
- sakudrada31
- ベストアンサー率21% (63/287)
>フェイスブックなど見るべきではないと解っていながらも、見てしまうとその姿と自分を比べて胸が苦しくなります。 フェイスブックじゃなくて、このサイトを見ると楽になれると思うよ。 死にたい OR 死のう で検索するのをオススメします。 私の場合それで大分楽になります。
お礼
死ぬべき方向にもっていけという意味でしょうか?
- jjubilee
- ベストアンサー率75% (367/485)
胸中お察し申し上げます。あなた様の負い目の気持ちは十分親御さまご感じておられるれしょう。 しかしこのような状況で負い目を感じることもできず我がまま放題に振る舞ってしまう精神に障害を持っておられる方もその親御さんはあなた様の親御さんよりももっと苦労しながら面倒を見られていると思います。 あなた様の負い目はあなた様のご両親に対してできる償いの一つなんです。負い目を大いに感じてあげて下さい。 もし神がいるとすれば、なんと不平等な仕打ちをするものだ、と怒り嘆き悲しむ人もいるでしょう。しかしもし神や阿弥陀仏がいるとすれば、彼らはどのような人間にも差別はしていないということです。どのような極悪人にもどのような親不孝者にも、どうのように心身に障害がある人間にも、健常者と言われるどのような人間にも、皆、等しくこの世に生まれてきた人間をあるがままに見守っているはずです。彼らにとっては、道ばたに咲く野花も人から賛美される桜の花も全く同列なんです。あの花は特別美しいとかあの花は道ばたに咲く取るに足らない花だと感じるのはただ人間のみです。 毒草も毒キノコも毒蛇もムカデも皆彼らの下では平等なんですよ。(例が悪くて済みません。)あえて人間界でのあなたの評価を申し上げれば、あなた様はご病気になって、人が感じることのできないことを感じることができるようになったわけです。ご健康であれば決して感じることのできないことを。誇ってもいいのですよ。あなた様こそ、神や仏の気持ちに近くなったのです。 受け入れて下さい、ご自分を。生活のことや死生観のこともすべてあなた様を越える大きなものに任せておけばいいのです。誰しも限界のある人間の命です。限界が来れば素直にそれを受け入れる。それはどの人間も最後に受け入れるべき最も大切な選択です。それまでは任せきって生きること、それがあなた様のなすべきことではないでしょうか?
お礼
>あなた様の負い目はあなた様のご両親に対してできる償いの一つなんです。負い目を大いに感じてあげて下さい。 自分の感じている負い目が自分にとって両親に出来る償いの一つであるという考え方、少し救われました。 この負い目は毎日とても苦しく、辛く、かといってどうすることも出来ないものでした。 負い目を感じるべきじゃないと言われたらそれこそ負い目を感じないなどとは罪だと思っていました。 今の気持ち、受け入れなくてはならないですね。負い目も含めて自分で受け入れていきたいです。 私はきっとありのままの自分が受け入れきれなくて周りと比べているのだと思います。 そして劣っている部分で苦しんでしまいます。 周りの人のような生き方が出来てない自分は人間として最低だと思ってしまうのです。 働かざるもの食うべからずという言葉があるように、私は何も食べてはならないのではないかと毎日毎日思ってしまいます。 生きていることすら罪なのかと思ってしまいます。 幸せになることすら罪なのかと思ってしまいます。
お礼
とても丁寧なご回答有り難うございます。 病気になったこと、防ぐ手段は無かった事ですよね。 確かに今持っている病気は自分の行いにより起きた病気ではなく、免疫異常による病気です。 ある日突然降りかかってきたものでした。 食べ物に関しては本当にNGです…。 食べてしまった日には大変な事になり、また元の安定した状態に戻るのに非常に時間を要します。もしくは安定することが出来なくなる可能性もあります。 食事によって一番左右されやすいので、そこはかなりストイックに制限しないといけません。 そのため、外食などはどう調理されて何が含まれているか細かい部分まで見えないために難しいです。 そんな身になってしまった自分と他人をいつもいつも比較していました。 そして、周りと同じように生活出来ない自分、負担しかかけられてない自分、その自分に罪悪感で一杯でした。 でも御回答の中にあったよう、これは自分が起こしたことではなく、不運以外の何物でもなく、そこに罪悪感を感じることが違うのですよね。 ある意味開き直りのようなものも必要かもしれないですね。 贅沢。してみちゃうのもいいかもしれないですね! こんな身だからこそ、怖くて貯金には一切手を出せませんでした。 むしろ高い買い物など以ての外、贅沢をしてはいけない、そう思ってきてました。 我慢我慢の中にいるうちに、どんどんストレスだけが山になり、精神が不安定になっているかもしれません。 お金が無くなってしまったら終わりと思っていて、貯金だけが心の安堵でした。 でもそのお金を使って自分を満たしてみることも必要なのかもしれないですね。 回答者様も何か病気をおもちのかたでしょうか? 勇気を持てる良いお言葉をいただけて感謝してます。