• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人生に癒しが無いです)

人生に癒しが無いです

このQ&Aのポイント
  • 忙しい日々に癒しを求める私
  • 楽しいことを忘れてしまった私の人生
  • 癒しを見つけるための考え方や方法

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.6

【どこか考え方を変えるべきなのかもしれませんが、考え方のヒントを頂けないでしょうか。また、どんな癒しをどうやって探したらいいでしょうか?】 十分に、癒しはなされていると思いますが、ただ、音楽がどうしてもあなたの場合「音楽道」になっているような物なのではないでしょうか? セミプロ?として極めたい、そして、ランクは落としたくない・・・そんな’責務’を己で勝手に背負っている。 プロではないので、’責務’のところで、上手にエクスキューズすると、気が楽になると思うのです。 プロだって、’お値段’に見合うものがなければ、人の足は遠のきます。 それは次に反映することですから、’程度’としては、現時点でベストということでいいと思う。 私も、癒しとして和裁をやります。 正絹を触っているととても良い感触なので、毎日少しずつでも必ず、和裁をやる。 すると、テレテレやっていても2週間ほどで一枚仕上がります。 それなりの腕前だと思う。 そして、友人から頼まれたりもする。 料金は取らない、プロではないから。 もちろん、なにがしかの見返りとして彼女たちは私に’なして’はくれますが、別にそれを期待するわけではないです。 ただ、とても、この作業が私にとっては’癒し’にはならないのです。 いまでは、’縫ってあげる’という話はしません。 形の上では同じことですが。 反物が自分のものでないということに過ぎない。 問題はここなんです。 人の反物をいじる、失敗は許されないと・・・自分に責務とするわけです。 別に料金を取るわけでもない、仕上げを急がされているわけでもない・・・・が、しかし、自分の反物でないので 失敗したら・・・と。 出来上がるまで、ぜんぜん楽しくない。 もちろん、ちゃんと出来上がります。 失敗したことはない。 だから、自分の着物として作るときは全部の時間が楽しいが、 人に作るときは全部が楽しくないです。 そして、着て見せてくれても、チェック項目が多くて、つらいだけです。 着付けなのか、仕立てなのかとか。 あなたの音楽も、全部が自分のためになされるなら楽しいのでは? でも、最後に、どうしても、人の楽しみのために 最高を演奏しなくてはならないという’まったく自分のためになってない’目的 がゴールだからです。 唯一、他人のものとして仕立てをしますが、これ、反物も自分持ち(好きなのを選んじゃいます)で、 仕立てて、着てもらう。 嫌なら、相手は着用しません。 プロの噺家に応援目的でプレゼントです。 これは、作って楽しい、着てもらって尚のこと、とても楽しい。 もちろん、噺そっちのけで、チェックはいれますが、これとても、とても、楽しいのです。 相手にね、判断をゆだねるだけのことだと思う。 責任を持つ・・・ということが、苦しい、そして、癒しにならないのです。 演奏も、同じだと思う。 どんなに上手でも、’感性’が合わないと、ダメです。 技量でもない。 これが私の場合には、’柄’などが気に入らないということになりますが。 似合うと思って相手がね、これはちょっとと臆するわけです。 相手に’判断’をゆだねる、それだけのことです。

suffermylife
質問者

お礼

判断を委ねるという言葉がスッと心に入ってきました。 上手く乗り越えられそうです。ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.5

明日への活力源なんて、それこそ人それぞれなのではないですか。子供のために頑張ろうって人もいれば、家を買うために頑張ろうって人もいるし、あまり健全な方向ではないですが、あいつらを見返すために頑張るってんだって立派な活力源です。 ところで、音楽って「音を楽しむ」って書くのではないでしょうか。ピアニスターHiroshiさんがいってましたが、「本来は音楽は楽しいものなのに、日本人は真面目だから『音学』や『音我苦』になってしまっている」のだそうですよ。 音楽って、キリギリスじゃないですか。それに、演奏している人が楽しんでないものをオーディエンスが聴いて楽しいって思うのでしょうかね。「音学修行の様子お披露目の会」なら話は別ですが。

suffermylife
質問者

お礼

ですから、楽しむための心の余裕、癒しがないということで質問しているのです。 誰も一つのことだけで心の余裕を保てる人はいません。

回答No.4

 生活全体を見直せ。  仕事の忙しさにかまけて、メリハリのない生活をしていないか?  どんな仕事であれ宛てがわれただけの作業なら追われて当然。仕事内容を整理し、短時間で集中するようにすれば負担は減る。そうすれば時間が生まれ、その間に切り替えや休息が出来る。  ただ流されるだけの仕事では決して癒しなど生まれない。  1)一日の動きを表にして無駄な時間や集中できていない時間を削っていく。  2)隙間の時間はできるだけ体を休め、意識をぼっとしておく。  3)その隙間時間をずらして、朝昼晩の食事時間を作り、落ち着いて食事をとるようにする。  4)食事内容を点検し、バランスを考えた自分メニューを構築。意識して食事を味わうようにする。(特に食べた後の身体の状態は記録しておくといい。疲労の原因が食事の偏りだったという例は多い。)  5)メリハリのある生活が形になってきたら、そこから長期計画を立てる。別分野に手を出しても大丈夫。

suffermylife
質問者

お礼

回答有り難うございます。 確かに食事のバランスがよくないと自覚しています。 見直すきっかけになりました。ありがとうございます。

  • gokuu999
  • ベストアンサー率51% (538/1038)
回答No.3

楽器演奏は趣味でも相当な努力が必要ですよね。 技術や表現力を向上させようという思いは、ある意味「仕事」と似ているかもしれない。 癒しよりも苦しみと葛藤ですね。 演奏に喜びを感じられればそれも「癒し」になりますが、 その「癒しや喜び」を求めるための「努力」過程に疲れることあるでしょう。 スランプなのかもしれませんよ。 楽器演奏で癒しを求めるなら、 「遊ぶ」時間を作ることも大事かと思います。 趣味の仲間と集まり、自分たちが初見で演奏できるような曲を「遊びで合わせる」 音楽性や技術をを追求しすぎずに、「はい次はこれ」とどんどん合わせまくる。 それも楽しみや癒しになりそうです。 結構楽しいと思います。 世界は美しさに溢れています。 でもその美しい世界作りに「参加」しないと、ただの傍観者になってしまいます。 植物を育てれば、美しい世界への貢献。 ごみを拾えば、美しい世界を保つ行動。 美しい音楽を奏でれば、美しい世界への彩り。 あなたが笑えば、美しい世界の肯定。 もしあなたが楽器を演奏し、 誰かが心から喜んでくれた時、あなたの心は癒されるのではないかと思います。 技術の向上とか、楽譜通りに演奏するだけでない、心から相手のために奏でる音楽。 そんな機会に恵まれるといいですね。

suffermylife
質問者

お礼

確かに楽器演奏で仕事をしている気分になることは多々あります。 そこから状態から脱却するには、楽しみなことを増やして心に余裕を持つことが大事なのかなと思ったのですが、私にとって楽しみと言えることは音楽以外ほとんど何も無いのが問題です。 確かに先月、仕事で忙しい上にコンサートで完璧な演奏をしなくてはならないプレッシャーで参ってしまったこともあり、楽器で気楽に遊ぶということを完全に忘れていた気がします。回答を読ませていただき、正に今、音楽と向き合う姿勢を考え直すべき時期なんだと思いました。大変的を射た回答を頂き、モチベーションが復活しました。どうもありがとうございます。

回答No.2

【癒す】 病気や傷を治す。 飢えや心の悩みを解消する。 [広辞苑(第六版)] お早う御座います。 「努力する事に疲れた」ようなら、先ずは「休養」。 休まれてみては如何でしょうか?。 何処か、ひなびた温泉に浸かって、一日中「温泉三昧」。 或いは、座禅を組む。(疲れますかネ・・・) 私は、朝スッキリと眼が覚めて、一杯の「お茶」か「水」を美味しく飲めた時に、先ず「幸せ」を感じます。 「ああ、今日も健康体で1日が過ごせる」 と思うと、特別な日程や用事が無くても、妙に楽しくなります。 愛猫が可愛い。 妻が優しい。 一人娘が「独り暮らし」して元気に働いてる。 自分も健康体で働ける。 晩酌の酒が美味い。 風呂上りのビールが爽快。 ↑ どれも、幸せを感じるし、「楽しい」とも感じます。 即ち、「楽しい」とは、「幸せを感じる事」ではないのでしょうか?。 コレは、他人から勧めて貰う事でもないし、勧めて貰ったところで「楽しい」とは思えないでしょう。 自分の健康体に幸せを感じられないなら、病院や障害者の施設を迷惑に成らない範囲で見学させて貰うのも一つの方法です。 世界の紛争地まで足を運ぶ余裕が無いなら、「福島」の原発の状況を見てみるのもいいでしょう。 ★「足ることを知る」 ↑ こんな言葉が有りますよね?。 つまり、「満足できない」、「癒しが無い」と常日頃から思ってる人は、例え億万長者になって、物心両面に贅沢の限りを尽くしても、やっぱり満足しないし、「癒しが無い」と感じるだろうと思います。

suffermylife
質問者

お礼

温泉、いいですね。しばらく行ってませんでした。 足るを知れというのは今の私にぴったりのお言葉だと思いました。 常に自分に満足していないのです。自分が健康体で過ごせている裏で、病気や飢餓等で苦しんでいる人がいるのは何故なのか、この世界が残酷だからだ、そして自分はそれに何も対処できない、と考えて落ち込んでいきます。これも未熟な自己愛の一種だと思います。能力の限界を受け入れられるようになりたいです。 足るを知ることのコツを探って行こうと思います。ご回答ありがとうございました。

回答No.1

あなたの思う「癒し」って、どの様なものなのでしょう。 それが分からなければ(こちら側に)答えようもありません。 私の思う癒しと、あなたの思う癒しは同じではないですよ。

suffermylife
質問者

お礼

舌足らずで申し訳ありません。 癒しとは、それで明日も頑張ろうと思える活力源のことを指しました。 逃避の術なら簡単に見つかりますが、活力源を見つけるのが私は下手なようです。 そういったものを皆さんは一体どこから得ているのかお聞きしたかったです。

関連するQ&A