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看護学校の自己PRの添削をお願いします、
看護学校の自己PRを添削してください。 友達がいつもと様子が違うと感じたときに、いきなりいつもと違うというのではなく、挨拶等から入りなにかあったのかとさりげなく声をかけることが多くありました。そのまま相談に乗ったり、悩みを聞くことで友達が前向きになる手助けをすることができました。その時に、私の前だと変に強がらずに素の自分で話せると言ってもらえたことがあります。その言葉がとてもうれしく、励ますはずの私が逆に励まされてしまいました。友達が元気になるために何かできないだろうか、と声をかけたことが本当に友達のためになったと実感することができました。また、こんなこともありました。学校の掃除の終わりに、教室の窓の鍵がしまっていないことに気が付きました。このままでは危ない、と思い、教室の窓を一つ一つしまっているか確認しました。手伝ってくれた友達にお礼を言っていると、そんな私の様子を先生が見ていました。先生に、窓の鍵を閉めなさい、と怒ろうかと思っていたら、(私の名前)が動いてくれたので驚いた。よく気が付く。と言っていただきました。※人をありのままに受け入れ、気配りができるという強みを生かして、私の理想である、しっかりとした技術と知識を持ち、思いやりのある看護士になりたいと思います。 (私の名前)←ここは素直に苗字を入れたらいいでしょうか?先生の言葉を文章中に入れるのはよくないでしょうか? ※の部分はなんだか、上から言っているようで少し違和感を感じます。つたない文章ですが、ご指導お願いいたします。
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- tekcycle
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書き直しでしょうか、って当たり前ですよね。 冷やかしで「読む気がしない」と言っているのではありません。 本当に読む気がしなくなります。 文字通りのことを、ありのままに受け入れてください。 入試でこれを提出すると、(レベルの低い看護大学なら、どうせその程度の学生しか集まってないでしょうけど)能力以前にやる気がない、受かりたくないんだな、と見られると思います。 先生か誰かに添削して貰ってすらいない、適当に書いた文章を、ろくに推敲もせずに提出してきた、と。 看護って、たぶん健康第1でやる気が第1.5だと思うんです。 あまりやる気がないのに就職率目当てで入ってきて、大学の段階でも就職してからでもボロボロ辞められて(まぁきついからそうなりますが)困っている分野でしょうから。 あなたが書いた物は、下書きとしてはまだ成立していると思います。 そこから、まず自分でしっかり推敲することです。 と言っても、やれと言われてできてしまうなら困らないでしょう。 で、できてないことは悪いと言えば悪いんですが、それよりも、書き直しと言われて口をとがらせているなら最悪です あなたには文章を一発で書く能力は全くないのです。天才じゃあるまいし、できなくて元々です。 駄目出しをくらって20回書き直すくらいのことは当然だと思った方が良いです。 私に言わせれば、そういう入試はインチキ入試ですが、インチキにもそれなりの意味があるのです。 (まぁ看護学校が猫も杓子も大学になっている方が間違いなんですが) > ※人をありのままに受け入れ、気配りができるという強みを生かして、 --> 人をありのままに受け入れ、気配りを欠かさないよう常に心がけて、 でどうでしょう。PRとしては弱くなりますが、謙虚さが出てきませんかね。
- tekcycle
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> 友達がいつもと様子が違うと感じたときに、 主語が誰なのか判り辛いです。 友達が感じたのか、と思って読んでみるとそうじゃないと。 "友達の様子がいつもと違うと感じたときに"じゃないでしょうか。 > いきなりいつもと違うというのではなく、 いきなりってのもどうでしょうね。お友達にメールしているんじゃないんですから。 読めるかどうか知りませんが、 http://thesaurus.weblio.jp/content/いきなり まぁ色々ありますわなぁ。 "いきなりいつもと違うという"も、"いきなり「いつもと違う」と言う" では? > 挨拶等から入りなにかあったのかとさりげなく声をかけることが多くありました。 句読点を適切につけましょうや。 一行目でこうですから、全部書き直しでしょうね。それ以上読む気はしません。 (良かったですね、提出しなくて) 相手に対する配慮があるんですよ、という内容だろうに、読み手に対する配慮が全く無い文章になっています。 思い出すなぁ、京大模試の英作文。 紙一面に英作文したのに、2行目か3行目かに、「減点したら点が無くなったからもう採点しなくて良いか?」と書いてあったのを。(笑)
お礼
文章力がないのを改めて自覚しました。 書き直し、でしょうか…。 内容は自分の思ったことなので、表現方法を変えようと思います。 相手への配慮を考えます。
まず、文中の違和感の有る箇所について、 「先生に、窓を閉めなさい、と怒ろうかと思っていたら」は「先生に、窓を閉めて帰らない人が居る、と苦情を言おうとしたら」の方が良くないですか。 それはさておき本題ですが、「自分にはこれが出来る。だからそれを生かしてこう言う事をしたい」と言う論調や内容はとても好感を持って読めました。この辺りは大変結構だと思います。 残念に思ったのは、「看護」と言う職を目指す中に於いて「命」や「痛み」や「人間」(人権と言ってもいいでしょう)に関する形而上的な考察の跡が希薄に感じられてしまう事です。 友達の相談にのってあげた事も窓の件も極めて形而下的に記述されていて、「看護士」よりは「カウンセラー」や「アドバイザー」を目指す方の文章の様に感じました。(カウンセラーが形而上的な考察を必要としないと言う意味ではありません。「現象」として捉える能力に長けていると言う意味ですので誤解の無い様に) 現役の看護士の方達が「痛みをとってあげたい」と言う様な具体的にしてあげたい事を言う時、その言葉の裏には常に痛みを取った先にあるQOLに対する思いが有る様に感じます。 窓の件も、友人の極めて小さな異変(他の人が気付かない様な異変)に気付く事も一言で言えば「観察力が有る」と言う事です。これを生かして患者さんの小さな異変に気付ける看護士になりたいと言う一文が有れば、異変に早く気付く事によりその患者さんのQOLを向上させる事が出来ると言う、「現象」(気付いた事実)を「患者さんの幸せ」へと昇華させ得る能力のアピールになるかと思います。 少し難しかったですか。この内容をふまえて担任や進路指導の先生等に相談する(書き写して先生に見せても良いですよ)のも良いと思います。 良い春を迎えて下さい。
お礼
ご指導くださった内容を練りこんでみました。 ありがとうございました。
補足
はい。まだ添削段階です。先生に見せるのも恥ずかしい出来だったので、皆様のお力をいただこうと思って載せました。ですが、自分で思ってる以上にひどい内容だったのだと、恥ずかしく思っています。