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宗教団体に入る人と、入らない人の違いは?
以前、「布教活動をする宗教団体は、悪そのものではないのか」という質問をさせて頂きました。 http://okwave.jp/qa/q7771328.html その結果、以下の疑問が新たにわき起こりました。 (1)宗教団体に取り込まれる人と、取り込まれない人の違いは、どこにあるのでしょうか? (2)そして、取り込まれてしまった人は、どうすればそこから逃れられるのでしょうか? 特に経験者の方の体験談を歓迎いたします。 宜しくお願いいたします。
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質問者が選んだベストアンサー
お礼ありがとうございます。 このテーマはいくらでもお話できますよ。元信者の話を集めるのもいいと思いますが騙される人は騙された後も「客観性」のない分析を語ると思います。過去の信仰を恨み、新しい信仰にのめり込みます。ニホンジンダマサレヤスイよ。 満州の英霊、満州は生命線、帝国万歳→アジアに謝罪、戦争反対、東西冷戦→年金制度は生命線、増税万歳、環境問題。 宗教を信じやすい人の最大の共通点は「権威主義」です。 経済議論で学者の名前を出すのもそう。マルクス、ケインズ、などなど。まったく予言者と同じです。経済学は宗教です。 自然科学もその傾向がある。 健康食品は霊感商法。 健康診断は日本教。 信じて患者再診参りです。 生物学カテゴリでも私は侃々諤々に回答しています。科学や遺伝子を御神体にしている科学者がたくさんいます。昔から学者は宗教者みたいなものです。幾何学の祖ピタゴラスもカルトの教祖ですからね。 質問タイトル。 「なぜ進化の過程で苦しまずに死ねる機能を手にしたのか」 「人間のオスは本能的に何に欲情するのか」 私は専門家ですという名乗りにみんな水戸黄門しちゃう。あのテレビ時代劇が日本人の洗脳についてヒントを与えていますね。 アメリカのキリスト教はダーウィンを信じません。世界一ダーウィンを信仰しているのはたぶん日本人です。しかし日本人の医学生理学賞は少ない。権威を信仰して思考停止しているからです。日本人にとっては科学も信仰の対象なのです。お経と科学書が同じになる。坊主と医者もそう。信仰の対象を当世流に新しくしているだけです。 思考停止する権威主義ですね。 差別だ!という呪いの言葉を恐れたら社会主義教です。 そう、差別反対主義者は嘘つきですね。おっしゃられる実行している気になった自己矛盾です。偽善、綺麗事、単純化。宗教の特徴であり、最高の魅力でしょうね。
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信ずるから幸福感を得られるわけで 自己責任。ひどい宗教ならマスコミ教が損得を計算しつつ攻撃。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうすると、例えば振り込め詐欺にだまされるのも、自己責任でしょうか。 ありがとうございました。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
私は神や仏という存在は信じているのですが、宗教団体には所属したいとは思って居ません。 基本的に弱っているときに誘導されやすいです。心の悩み等があると、真意に聞いてもらえますし、その回答を宗教毎の教えなどを使って説明します。そこでその教義などに関心を寄せると宗教にはまるのかなと。自分と同じ考えなど共通する部分等々。 取り込まれると、自分の考えと同じ状態ですから、自分を裏切る状態になるのが宗教からの離脱です。体の一部となっているのですから、簡単に切り取れないのです。もともと精神的に弱い状態ですから、切り離せる勇気も力もありません。だから外部からの強い力で抜き取る必要もありますが、抜き取った後の穴を埋めるべき物がないと喪失感にさいなまれて、また別の宗教などに入り込むのでしょうね。 布教活動は悪いとは思いません。強引にするのが問題で、自然と集まるのであれば、普通の事です。仲のいい人達が集まる感覚となんら代わり有りませんから。 私自身は、宗教を一本の杖と思って居ます。躓きそうになったり疲れて居るときには杖があると楽です。しかし、自分自身でしっかりと立つ事も歩く事も大切ですから。でも、不安なども解消出来る存在が宗教であると。杖にばかり頼っていると、足腰が弱くなるばかりだからね。 それと、信者には成りたくない。信者は言いなりの存在。むしろ、そこから自分なりの答えを見つけて、離脱できなければ意味が無いと思っていますから。 そんな考えなので無宗教で居られます。むしろ多くの宗教と接していろいろと良い部分は取り入れたいけどね。 基本的に人として何かという良い部分と、教祖が勝手に決めて居る部分と分けて考えないと駄目でしょうね。勝手に決めて居る部分こそ、トラブルを起こす考えなんですよね。人の意見を聞かないという部分でしょうから。
お礼
ご回答ありがとうございます。 kyo-moguさんのお考えでは、宗教に取り込まれる原因は、その教義に共感する部分があるからということですね。 そこで考えたのですが、ということは、共感できない部分もあるはずですね。 その共感できない部分とは、恐らく、教祖が勝手に決めている部分です。 その部分を許容するか、拒絶するかが、運命の分かれ道かもしれませんね。 自分が普段から嘘をついている人は、他人の嘘にも甘くなる。 自分が普段から嘘をつかないように自分を律している人は、他人の嘘にも厳しく対処できる。 そこが運命の分かれ道ではないでしょうか。 自分の一部となった部分を簡単には切り取れない、というお話にはなるほどと思いました。 一方で、自分の一部ではないと思う部分に目をつぶって、それをも自分の中に受け入れているのは問題でしょうね。 それとも信者となる人は、全部の教義を最初から受け入れているのでしょうか。 kyo-moguさんが、信者になりたくないのは、上記のように、自分を売り飛ばすことを拒否したいからかもしれませんね。 実は私も神や仏という存在を信じています。 ただし、擬人化された神ではなく、すべての生命の根源のような超越的存在です。 そして、宗教を信じているとすれば、自分が悟るための仏教です。 No.13のお礼でも述べましたが、健全な宗教とは、心のための病院のような存在だと思います。 病気が治れば、すぐに退院すれば良いですし、その後は健康維持の方法を聞いて、たまに検査に訪れればいいのです。 おかしな宗教は、病院を装った、強制収容所だと思います。 ありがとうございました。
- t78abyrf9c
- ベストアンサー率47% (3029/6402)
お礼欄を拝見してまして、私なりに解釈したい部分がありましたので横から失礼します。 質問者さんは、度々「日本教」を取り上げてらっしゃいますが、私は『「日本教」=「世間」』だと感じ続けてます。 その意味で、日本で生まれ育ってしまった者は、(結果的に)「世間」に順応出来ないと生き辛くなる「宿命」の様なものを持つに至ってしまったと考えてます。 そして、新興宗教にハマるのは、(大なり小なり)ハマる前に属していた「世間」の居心地が悪くなった結果だと解釈してるのです。 勿論、宗教以外の「(小さな)世間」へ移行出来る人もいますが、余程特殊な生育環境で育ってない限り、一般的な日本人にとっては、対象が何であろうが、『「世間」間(かん)の移動」とでも言える延長上で、新興宗教も存在すると考えてます。 では、宗教団体へ向かわない人の根本理由は何か?を推測しますと、結局「世間並み(人並み)」の順応能力が「先天的」に備わっていると言えるのではないかと思うのです。 ここで重要なのは「先天性」です。 この順応力を持てずに日本に生まれてしまった人は、余程別の才能が発揮(開花)されない限り、「世間」(即ち「日本」)を出る事が出来ず、従来の世間で生き辛さを抱え生き続けるか、宗教の様な(従来世間から見て)特異な「世間」へ身を移すしか選択肢が無くなってくると思えるのです。 (前者の場合は、引きこもりやニート等になったり、犯罪者になる確立が高くなり、益々世間から弾圧される対象になるでしょう。) そもそも、「世間(日本教)」には「(明確な)教義」という物が存在しません。 「世間」にあるのは、何事も「人並み」を求め、「義務を率先して果たす」という曖昧模糊とした「要求」があるだけと言えるでしょう。 それだけに、世間に順応可能な「先天性」が備わらないと厄介な事になってしまいます。 その点、宗教団体は(紛いなりにも)「教義」があるので、教義が明確で無い世間の中で生き辛い人にとっては、ある種の「安息」が得られる「世間」になってきます。 ここで見落としていけないのは、どちらに転ぼうが、日本人の集団である以上、「世間」である事に変わりはない、という点です。 一般的な「世間」であろうが、その世間から外れている宗教団体の「世間」であろうが、「世間」に共通する「同調圧力」が同じ様について回ります。 その「同調圧力」が当人にとって(結果的に)心地良いものであれば、新たに属した世間へ従属し続けるという構図になっていきます。 逆を言えば、「同調圧力」の居心地が悪くなれば、些細な切っ掛けでも別の世間へ移行する確立が高くなる訳です。 その部分に、『「思想性」は皆無だ』という事も付け加えておきます。 >つまり、宗教に取り込まれない人は、自分を客観的にみられる人。 宗教から抜け出すには、自分を正しく客観的に見ることでしょうか。 私が思うに、上記を踏まえますと、「客観性」は殆ど関係ないと感じます。 結果的に新興宗教へ向かわなくても、従来の世間に対して先天的に順応出来ない以上、従来世間に自然と順応出来る人達から批判され続ける対象である事には変りないのです。 改めて整理しますと、 「宗教団体に取り込まれる人と、取り込まれない人の違いは、どこにあるのか」 先天的に「(従来型の)世間」に順応出来るか、否かの違いです。 先天的に順応出来ない人は、取り込まれる確立が高くなります。 (取り込まれなかったとしても、世間から批判の目でみられる生き方を強いられます。) 「取り込まれてしまった人は、どうすればそこから逃れられるのか」 従来型の世間に順応出来る様になるしか術がありません。 ですが、先天性が無いと世間は受け入れませんから、事実上術がないとも言えます。 現時点で、後天や訓練等で従来型世間への順応性を獲得するのは、不可能だと断言します。 何故なら、世間の流儀に明確な教義やマニュアルが存在しないからです。 新興宗教へハマッてしまった人達を従来の世間へ戻すには、ハマッた人と同様のメカニズムで「世間」を「対象化」する必要性があると思います。 そして、そんな人でも(ある程度)居心地が良い「世間」へと変化させていく必要性もあるでしょう。 この二点が解消されない限り、「悲劇」は繰り返されると言えるのではないかと思います。 (つまり、「従来型世間」も変化して、「風通しの良い世間」になっていかないと解決しない問題だと考えてます。)
お礼
ご回答ありがとうございます。 おっしゃりたいことは良く分かります。 確かに日本教には、そうした面がありますね。 日本の世間には、異端者を村八分にする傾向があると言うことですね。 そして、その受け皿として、宗教がそれなりの役割を果たしていると。 私はタイに15年住んでいますので、タイ社会が他人に対して非常に寛容な社会で あることを実感しています。 寛容というより、不干渉の社会かも知れません。 その象徴が、オカマです。 タイではオカマは別に非難の対象ではないですし、自分がオカマであることを 堂々とカミングアウトすることが許されます。 タイ人は、ニコニコしているようですが、基本的に他人から干渉されたくない人 種です。 自分が他人から干渉されたくないので、自分も他人に干渉しない。 その傾向が日本よりも断然強いのです。 ですから、異端者を村八分にする事も、日本より断然少ないと思います。 それが原因かどうかは分かりませんが、私の知る限り、タイにはこれと言った新 興宗教やカルトは存在しないようです。 「いや、タイにもカルトがある」とおっしゃる方は、私も知りたいので、ぜひ教 えて下さい。 日本の世間の中では、戦時中の非国民や、同和問題など、周りと同じでなければ非難されたり、差別されたりすることが多いですね。 また、ネットの炎上や、抗議の電話が殺到するなど、他人の行動に対して、余計なお世話とも思える干渉をする人が非常に多いようです。 この様な世間の圧力に耐えられない人が、新興宗教にはまるとおっしゃりたいのですね。 その点には同意しますが、その人が、「先天的」に世間に順応できないとは、私には思えません。 確かに先天的な性格というものはあると思います。 例えば、内向的、外向的な性格というもの、つまり、性格の傾向は、一生変えられない物の様です。 しかし、それさえも、先天的なのか、あるいは、「三つ子の魂百までも」の格言のように、幼い頃の心のプログラムミングによる物なのかは、断言できないとおもいます。 と言うか、私の考えでは、性格とは、生まれてから物心つくまでの、周囲の大人の考え方や行動形式の影響によって形作られるものだと思っています。 決して、先天的なものではないと思います。 先天的な脳疾患は、例外ですが。 人間はおぎゃーと生まれたときは白紙の常態ですが、経験を積むに従って、刺激に対する反応方法を習得し、自分の心にそれをプログラミングをしていきます。 しかし、両親が精神的に未成熟の場合や、何かトラウマを負ってしまった場合は、世間の常識とは違ったプログラミンをしてしまい、大人になっても間違ったプログラミングを後生大事に抱えて悩む場合があります。 それは、経験の少ない幼い心で考えたプログラムなので、当然不合理な場合があるでしょう。 しかし、大人になった自分の観点から、改めてそのプログラムを見直せば、不合理な点に気付くことができ、間違ったプログラムを正しく書き換える事ができるのです。 ですから、私は「先天性」については、否定したいと思います。 プログラムの書き換えの努力を拒否するための、言い訳にしか聞こえません。 例えば、本来の仏教には、そのようなプログラムを書き換えるための、心の病院という意味合いがあるのではないでしょうか。 現代では、精神医学という物がありますが、大昔には、宗教しか無かったのです。 そこで、宗教の質が問題になります。 宗教が真に心の病院であれば問題ありませんが、ある種の新興宗教は、病院の振りをした強制収容所なのです。 人は、重い病気になれば、入院して病気を治そうとしますが、病気が治れば、もう病院へ行く必要はありません。 あるいは、通院で十分です。 一方、不治の病であれば、亡くなるまで病院から離れられないでしょう。 ところが、病院の振りをした強制収容所は、病気を治すつもりなど全く無いのです。 逆に、集まった人たちを、不治の病であるかのように思い込ませて、強制的に入院させるるのです。 自分が心の病気だと思った人は、病院を求めて新興宗教の門を叩くのですが、それが病院の振りをした強制収容所だとすると、それはとんでもない犯罪でしょう。 そこに、新興宗教の問題があるのではないでしょうか。 そして、「先天性」を認めてしまうことは、自分を不治の病だと考え、努力を放棄するだけであると、私は考えます。 人によっては、強制収容所のせいで、自分が不治の病だと思い込んでいるのでは無いでしょうか。 確かに病院は、病気を治す手助けはできますが、実際に病気を治すのは、自分自身の治癒力です。 私は、他人の病気を治せると主張する他力本願宗教は、全て詐欺だと考えます。 「病気を治す手助けはしますが、実際に直すのはあなたです。」というのが本当でしょう。 ありがとうございました。
- thegenus
- ベストアンサー率49% (330/673)
私は人より先んじてそう思ってだいぶ後から世間がというのが多い。公務員や韓国が諸悪の根源というのもそう。いまだに保守はGHQと日教組が悪の根源だと唱えている宗教です。どっちもいないようなもんなのに悪霊信仰が保守です。そういうのを日本教というの?日本人が日本人教であるなんて私は大昔から自覚していましたが世間は遅いのかな。和の精神は宗教でしょ。通じませんよ、日本人以外に。和の精神を教えるのは日本人の親です。 これもまだ世間では問題になっていないが最近の親と先生が何を教えているか?地球温暖化教。これは世界宗教ですがその信者人口のほとんどが日本です。ついでドイツかな。ちょうどカトリックがフィリピンとポーランドに多い感じ。 アメリカの地方生活者が宗教熱心なのは流民だからです。宗教を信じて困難を乗り越えて来たのです。心の支えでもあるが堕落しないための生活の規範なのです。戦後日本のサラリーマンにとっての仕事教です。狂った宗教です。教会に捨てられると自殺します。世界宗教にはなりません。世界宗教は社会主義と地球温暖化。複数の信仰を矛盾しながら掛け持ちです。 どうしたら公務員教と政治問題教と地球温暖化教をやめさせられますか。 おかみへの責任転嫁ですね。だから自己責任の徹底ですかね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど! おっしゃるとおり、例としてあげられたのは、全部、宗教のようですね。 自分が基地外かも、と疑える人は正常で、自分が正常だと思い込んでいる人が基地外だというのに似てますね。 自分が正常だと思い込んでいるから、基地外のままでいられるんですよね。 私も自分が本当に正常かどうか、不安になってきました。 よく考えてみなくては。 でも、そうやって、疑えたということは、正常なのか??? つまり、宗教に取り込まれない人は、自分を客観的にみられる人。 宗教から抜け出すには、自分を正しく客観的に見ることでしょうか。 それは、原始仏教が説く八正道のような内容ですね。 宗教から抜け出すヒントが、宗教で既に説かれているとは、皮肉ですね。 各種新興宗教の大本たる原始仏教が、それだけ偉大だと言うことでしょうか。 例えば幸福の科学は、他の宗教のいいとこ取りで、八正道も説いていますが、説くだけで何も実践していないと言うことでしょうね。 きちんと実践できれば、幸福の科学から抜け出せるはずです。 話を聞いただけで、自分が理解して実践できたと感じるような、おめでたい人が、宗教に取り込まれるのでしょうね。 ありがとうございます。 とても良いヒントになりました。 面白かったです。
(1)精神的な弱さにつけこまれるのでしょう。 (2)マインドコントロールを解くしかありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 (1)精神的な弱さにつけ込まれるのは、やはり、情けない人なんでしょうね。 (2)マインドコントロールをとくとは、やはり、自分が気付くしかないと言うことですね。 ありがとうございました。
- o120441222
- ベストアンサー率69% (3624/5206)
>欧米人は、キリスト教徒が多いですが、個人それぞれが、アイディンティティは持っていると思います。ただし、生まれたときから周囲がすべてキリスト教徒ですので、宗教と文化が一体になっていると思います。 生まれた時からその民族や地に根付いているものであれば、そうといえるでしょうね。このご質問はどのようなケースを仮定しているのでしょうか?私は日本における新興宗教が前提だと思い込んでおりました。 >一方、No.3のお礼で述べたように、日本人は、日本教の信者であるようですね。 o120441222さんは、ご自分が日本教の信者であると思われますか? 日本教の概念がよく分かりませんが・・・私は墓参りはしますが、その時何を思っているかといえば自分と面識のある祖父母のことです。あったことのない祖父母もいますが、それはリアルに想像し、なにかを思うことは正直ありません。勿論その他にも先祖は沢山いますが、個別に何かを思うことは無いですね(ぞんざいにしているという意味ではありません)。地鎮祭も別にやらなくてもいいと思いますし、戒名だっていらないと思います。初詣は行く年もあれば行かない年もある・・・どうなんでしょう。日本教の信者なんでしょうかね? >(2)私も、基本的に、自分で気付くしか方法はないと思いますが、自分で気付くには、どうすれば良いと思いわれますか? 自分が自分で気付くにはってことですか?それを他人が気付かせるってことでしょうか?自分で気づくにはいかに冷静になれるかじゃないですか。それしかないと思います。他人が行う場合は物理的に引き離すしかないかと。ただ私は経験がありませんのでそれが正しい方法かどうかは疑問が残ります。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >私は日本における新興宗教が前提だと思い込んでおりました。 その通りです。私の立ち位置がぶれてしまい、混乱させて申し訳ございませんでした。 自分でも何が言いたいか、分からなくなってしまいました。 (2) >自分で気づくにはいかに冷静になれるかじゃないですか。それしかないと思います。他人が行う場合は物理的に引き離すしかないかと。 それしか無いですね。わかりきったことを質問したようで済みませんでした。 ただ、他に何かないかと思い、質問させて頂いた次第です。 ありがとうございました。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
質問者さんがご指摘する「日本教」は一神教を信じている人たちからすると「アミニズム」と呼ばれる土着的な古い信仰形態なんですって。なんか釈然としませんけどね。 ただ、日本人て神様と乱交する民族なんですよ。人類全体のスパンで考えると、どこかの宗教を信じるというのはその宗教と結婚するようなものです。結婚の場合は他の異性と(時には同性も含めて)浮気することは許されないわけですよね。さすがに質問者さんも「結婚したからといって他の人とセックスしちゃいけないってのはおかしい」とは思わないのではないかと思います。 ですから、日本人みたいに生まれたら神社に行って、結婚式はキリスト教式で、死んだら仏式で葬式をするなんていうのを外国人が見たら「あっちこっちの神様と寝まくっている」ように見えてしまうのです。 だから、質問者さんは「宗教団体に取り込まれる」という言い方をしていますが、それはいってみれば「結婚という制度に取り込まれる」ようなものだと思うのです。フリーセックスの家に生まれ育って、周囲の人たちも同じようにフリーセックスの人たちだったらフリーセックスが当たり前だと思いますよね。そんな人が「結婚したら他の人とセックスしちゃダメだ」なんて話を聞いたら「結婚なんて制度はなんとバカバカしいものだ」と感じると思います。 これは、宗教団体に所属しないのはおかしいといっているというより、価値観が違えばとらえかたもまた変わる、と理解してください。 だから、私は特に特定の宗教団体に所属はしていませんが(ただし、洗礼は受けていませんがキリスト教は信じています)、「宗教団体に所属しているのはおかしくて、そこから逃れて精神的自由を得るべきだ」という考え方は、間違いと断ずることも難しいですが、「結婚制度に縛られるのはおかしくて、人はもっと自由であるべきだ」というのに通じるもの、すなわち同じ価値観を持つ人には通じても、違う価値観を持つ人には通じないところがあると思います。 歴史的には他民族との苛烈な戦争をまったくといっていいほど経験したことがない日本人と、他民族との苛烈な生き残り抗争を繰り返してきたユダヤ人とでは置かれた立場がまったく違うといっていいでしょうね。我々日本人は「神の名のもとに数多くの戦争が起きてきた」と指摘しますが、他民族からすると「宗教で民族をまとめないと他民族にやられてしまう」という事情もあったと思います。ユダヤ人がユダヤ人であり続けられたのも、どんなことがあっても決してユダヤ教を捨てなかったからだといえるでしょう。 まあなにがいいたいのかというと、日本人の価値観だけで宗教を断じてもあんま意味ないんでないの?ってことです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 読ませて頂き、大変面白かったです。 おっしゃるとおりだと思いました。 私の質問のしかたが悪かった様です。 私の意図は、「『新興宗教』に入る人と、入らない人の違いは?」でした。 私は全ての宗教を否定するものではありません。 また、宗教を信じる人も、信じない人も、一定の割合で、立派な人と、そうでない人が含まれるのは当然だと思います。 問題は、強引かつ活発に勧誘活動をする、新興宗教だと思います。 日本教についてですが、これは、我々の先祖が何千年もの歳月をかけて作り上げた、日本の文化を指すと思います。 そして日本人は、どんな宗教に取り込まれても、日本人として、日本文化の思考形式から逃れることはできないと思います。 同様にユダヤ人にとってのユダヤ教は、ユダヤ人としての文化であり、単なる宗教を超えるものだと思います。 宗教は文化の中に含まれる、つまり、文化の方が宗教より上位の規範ではないかと思うのです。 文化とは、その民族の生き方そのものではないでしょうか。 日本人にとっては、日本文化が宗教の役割を果たしているのであって、無宗教では全く無いのだと思います。 そのために、新興宗教の中で、日本文化と対立する思考形式と行動様式を取るものが、世間から強く批判されるのではないでしょうか。 そして、eroero1919さんも、キリスト教を信じてはいても、日本人として、日本文化の思考形式を捨てたわけではないと思います。 ある種の新興宗教が、日本文化と対立するにもかかわらす、その矛盾に気付かずに、新興宗教に入信する人は、何を考えているのでしょうか? >「宗教で民族をまとめないと他民族にやられてしまう」 この視点には気付きませんでした。 なるほどと思いました。 余談ですが、個人的には結婚制度は、不幸な子供が生まれないための必要悪だと思います。 ですから、子供が健全に成長し、幸福になれるような育成環境ができさえすれば、結婚制度はなくても良いと思います。 例えば、猿の群れには結婚制度がなくても、ちゃんと群れが生き延びられます。 それが猿個人(個猿?)にとって幸せかどうかは別問題ですが、少なくとも猿の群れの生存競争の為には、その仕組みは有効に働いています。 人間の場合は、過去において、結婚制度が生存競争のために有効に働いていたと言うことだと思います。 しかし、社会環境が変化すれば、昔の制度が不要になることも考えられます。 夢物語かも知れませんが、SF小説には、そのような社会がたくさん描かれています。 あくまでフィクションですが、考えるだけなら、面白いです。 ありがとうございました。
- globef
- ベストアンサー率17% (1306/7306)
>(2)は、ちょっと? 回答 間違えました。 逃れる方法 人によってケースバイケースですが 周りが、「辞める」様に説得すると 逆効果になりようなので まずは、敵(布教活動をする宗教団体)の 情報収集をし分析 矛盾点を気長に説明し 本人に考えさせるのもいいのでは?
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりですね。 宗教に取り込まれる人は、矛盾点が見えないので、入ってしまうわけで、それが見えれば、呪縛が解けると言うことですね。 ありがとうございました。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
(1)宗教団体に取り込まれる人と、取り込まれない人の違いは、どこにあるのでしょうか? ↑ 人間にはみな宗教的なものを信じる要素があります。 遺体を生ゴミとして扱えないのは、心のどこかに宗教的 感情があるからでしょう。 文科省によると、日本では神道の信者は1億1千万いる そうです。仏教は9千万です。 天敵のいない人間は、神のように人間を超える存在を 信じたいのかも知れません。 それはともかく。 特定の宗教団体に入る人には色々なタイプがあります。 1,親が入っていたので自然に信者になった。 2,ショックな出来事があり、それをきっかけに入った。 3,心に隙間があり、そこを勧誘などで突っ込まれて入った。 4,経済的利益などを目的に入った。 私の知人は「2」が多かったですね。 死にそうな目にあってから、入ったら子供と和解できた とか、そういう人がいました。 「4」の人もいました。 これは就職みたいなものです。 (2)そして、取り込まれてしまった人は、どうすればそこから逃れられるのでしょうか? ↑ ある団体の信者になった新体操の選手の場合は 強引に隔離して、洗脳を解く、という方法で 解決しました。 某女優は、父親が拉致同然に引き離し、隔離して 洗脳を解きました。 このように、 その団体から引き離して、客観的冷静な目でみられる ようにするのが良いのでは、と思っています。 ちなみに、私の体験では宗教やっている人にろくな人物は いませんでしたよ。 障害者を露骨に差別したり、偏屈だったり、金目当てを 隠そうともしなかったり・・お陰で宗教に入らないで済みました けどね。 こういう話は欧米でもよく聞きます。 牧師とか神父にはろくな奴がいない。
お礼
ご回答ありがとうございます。 (1)遺体の件は、なるほどと思いましたが、宗教心だけでなく、形見の品を大切にする心理もあると思います。 あるいはそれも、宗教心なのかもしれませんね。 宗教に入るきっかけを分類頂き、ありがとうございます。 わかりやすいです。 同じきっかけがあっても、宗教に入る人と入らない人がいると思いますが、その違いは何だと思われますか? >死にそうな目にあってから、入ったら子供と和解できた 反論するわけではありませんが、子供と和解できたのは、宗教に入ったからなのか、それとも死にそうな目にあったからなのか。 私には、死にそうになったのが直接の要因に思えます。 死を意識したので、自分の今までの人生を深く反省したのでしょう。 宗教は単なるきっかけに過ぎなかったのではないでしょうか。 宗教に入ろうと決心した時点で、既にその人は、心境が変化していた様な気がします。 「4」の人は、経済的理由が無くなれば、そこから脱出できますね。 (2) 強引に隔離して洗脳を解くのですね。 やはり、自分で洗脳を解くのは難しいのでしょうね。 自分で洗脳を解く力があれば、そもそも、洗脳されないのかも知れません。 >ちなみに、私の体験では宗教やっている人にろくな人物はいませんでしたよ。 >障害者を露骨に差別したり、偏屈だったり、金目当てを隠そうともしなかったり・・お陰で宗教に入らないで済みましたけどね。 hekiyuさんの場合は、宗教をやっている人の矛盾点がよく見えたので、宗教に入らなくて済んだと言うわけですね。 そうすると、矛盾点が見えない人は、宗教に入ってしまうのでしょうか。 自分がろくでもない人物なので、ろくでもない宗教の矛盾点に気付く事ができないという事かも知れませんね。 もちろん、立派な宗教もあると思いますし、どんな宗教の中にも、立派な人はいると思います。 しかし、欧米の牧師や神父にろくな奴がいないとは、私も知りませんでした。 勉強になりました。 ありがとうございました。
- Subaru_Hasegawa
- ベストアンサー率11% (106/937)
極端な事を言えば、無宗教と言い張る人間の考えも、一種の宗教と言ってもいい。 結局のところ、団体との関係だと、細かいところまで考え方が一致するかどうか、 それだけの話でしかない。 (1)確か天理教だったと思うが、途中で拝む対象物が変わった例がある。 宗教としては信じられない事例だが、事実として存在する。まあ、教えそのものが 有り得ないぐらいいい加減なのですがねw 結局は、自分がどの方向を向いて その信仰を全うできているかを、認識できているかどうかではなかろうか。 (2)(´・ω・`)知らんがな 思想や宗教における考え方として、質問者は日本人として平均的ですが、 非常に浅はかだという認識を持ちましょう。結局、何がしたいの? これを明確にすればいいだけですから。
お礼
ご回答ありがとうございます。 的外れですね。 質問の答えになっていませんよ。 あなたこそ、何がしたいの? ともあれ、ありがとうございました。
- 1
- 2
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 なるほど!「権威主義」ですか。 つまり、権威のある肩書きに、無批判に従う人ということですね。 それは、自分の頭を使わずに他人に考えてもらう人、他人の考えを鵜呑みにする人ということでしょうか。 確かに日本人は、ほぼ全員が一斉に同じ方向を向きますね。 だからマスゴミやサヨクにもだまされてきたし、今度はネトウヨの大量発生。 民主党に向いたと思ったら、今度は自民党。 確かに、自分自身を振り返ってみると、自分の興味の無い分野は、自分で情報収集して自分で考えるのがめんどくさいんですよね。 そこで権威者の言うことや、周囲の流行に、何の疑問も無く従うわけですね。 新興宗教は、その日本人の性質を最大限に利用していますね。 信者の生活を宗教付けにして、信者同士の交流機会を最大限に増やし、外部との交流を遮断する。 信者同士でつきあっていると、周りじゅうみんな教祖を信じている。 みんなと同じだから、それだけで安心する。 そうすると、自分の頭で考えるのがめんどくさくなってくる。 教祖が権威者だから、権威者の言うことは、全部正しい。 何も考えなくてもいいなら、不安も苦しみも無くなってくる。 世間とのしがらみが無ければ、不安も苦しみも無い。 まるで麻薬を吸って、一日中ごろごろしている人みたいですね。 近頃流行の、ニートも同じ気持ちかも知れませんね。 書いていて気付きましたが、マスゴミのやり口も、これと同じですね。 信者は自分でそうしたくてしているのだから、逃げることはできないですね。 その方が断然楽だから。 でも、お布施をするお金が無くなってしまったら、それが維持できなくなるので、金の切れ目が縁の切れ目でしょうか。 そこまで行き着かないと、気付くことができない。 気付いた頃には、借金だらけで、家族崩壊。 その前に気付かせるには、強引に宗教から引き離すしかない。 こうゆうことですね。 ありがとうございました。