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なぜ、我が国を「この国」と呼ぶのか

マスコミの記事やネットの掲示板を読んでいて、カチンとくることがあります。 「この国」という言葉です。 外国人が、日本に来て、日本を「この国」と呼ぶのは分かります。 しかし、日本人が、自分の国をなぜ、「この国」と呼ぶのでしょうか。 自分の国を愛するなら、なぜ「我が国」と呼ばないのでしょうか。 でも、ネトウヨでさえも、「この国」を使っています。 なぜでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.21

知性に理解ができるの? 知性で理解するんじゃないの? 締め切り有りの質問サイトなんだから質問者の早期納得が最善なのです。サイトの趣旨が分からない投稿者の理解力が高いはずないだろ。賢い人が自分で自分の方が賢いと繰り返すかよ。何の意味を持つんだよ、主観的な賢さに。誰も賢いと言っくれなくても人の回答欄を使うなって。知識の正しさに自信があるならその知識を教えるだけいいじゃん。理解者の評価を頼まれていないのだから。 サイト趣旨、質問趣旨、知識の適用、すべてに外れてるよ。一問一答の知識を間違って適用しているんだよ。解答欄を暗記するだけの人には無理なんだよ。真摯に質問者を助ける事を通じて本当に賢くなれよ。 我が国の我がが所有のわけないだろ。親愛の意味で適用していいものだけ適用すべきと考えるのが普通で、その当たり前の事を踏み外すレベルの人向けに書かれていないのだよ。所有権を伴うものに対して、所有者以外の人が親愛の意味で我がを使わないんだよ。使わないんだよ。使わないようにとは書かれていないのだよ。使うレベルの人向けに書かれていないからだよ。使う馬鹿が参加したらダメなんだよ。揚げ足取りをしたつもりなら失敗なんだよ。墓穴掘り。質問者非難したら自爆テロリストです。 我が国は我が国のまとまりで特定の意味を持つのです。自分の国ですよ。自分の国を学んだり話し合ったりする場面で使われているのです。その前提をしめしてんだよばーか。話が逆なんだよ。それに注意しとけって事。 この国とは意味が違うだろ。違う意味の言葉にする必要性がないんだよ。違う意味になる、それを問う質問なんだよ。 理性には理解できるという日本語技能者だけがこの国を使えばいい。 日本語の意味が通じない人が日本語を仕切るな。日本語がキチガイ用言語になるのは困ります。以上のように自問自答としてみるとこれは思ったより大問題ですね。質問者の問題提起は貴重。流してしまうからね、この国の人々は、在日コリアンと反日を除いて。不便な日本語だ。在日の日本語話者には便利かも知れないが。頭悪くなる、反日並みに。

nToTn
質問者

お礼

thegnusさん。 ご助力いただき、ありがとうございました。 そして、皆様のおかげで、「この国」と言う言葉の意味と歴史と問題点が、非常に良く理解出来ました。 また、臆面もなく、あり得ないことを堂々と主張する人に直面したのは、初めての経験なので、大変勉強になりました。 あまり質問をしたことがなかったのですが、今回、ずっと疑問に思っていたことを質問してみて良かったです。 ほかにもベストアンサーを差し上げたい方がいらっしゃいますが、最も多くご回答頂いたthegenusさんをベストアンサーとさせて頂きます。 thegenusさんのNo.18と19は、非常に勉強になりました。 また、golgo13さんのNo.15は在日のごり押しについて、教えて頂き、大変感謝しています。 最後に全体をまとめて頂いた、jbeamさんのNo.22は、非常にわかりやすかったです。 そして、結局、他人をバカ呼ばわりする人が最もバカであり、他人を傲岸不遜と非難する人が最も傲岸不遜であると、よく分かりました。 今後、私自身も気をつけたいと思います。 その御本人は、墓穴を掘ったのでもう出てこれないでしょうから、武士の情けで、質問を締め切らせて頂きます。 皆様ありがとうございました。 この場を借りて、御礼申し上げます。

その他の回答 (21)

  • jbeam
  • ベストアンサー率41% (85/204)
回答No.22

>日本人が、自分の国をなぜ、「この国」と呼ぶのでしょうか。 発信場所が日本だからでしょう。 アメリカ合衆国で発信すれば「この国」はアメリカ合衆国でしょうし、シナや半島から発信すれば「この国」はシナや半島を指します。 誰であろうと国籍に関係なく、発信場所の国を「この国」と言いますね。 発信場所を明白にしていれば国籍に関係なく「この国」は国を特定できます。 ------------------------------------------- かつて関西に住んでいた頃、半島の友人が柔らかい表現をする時「向うの人=朝鮮人」「こっちの人=日本人」と言う表現をしていました。 随分昔の事ですので、今でもそう言う表現が通じるかどうか不明です。 ------------------------------------------- したり顔で「この国」と言う連中は、少なくとも日本人の立場では無く、国籍と無関係な立場で国際人を気取って意見を言っていると無言で主張しているのでしょうね。 彼らはよく口にしますよ「私たち庶民」と・・・・・ 庶民の定義はなんだ?私たち?俺とお前を一緒にすんな!です。 一方「我が国」は三省堂大辞林によると 自分の国。わたしの国。ですから私の場合は日本を指します。 ------------------------------------------- 自分の国と言っても、「我が母校」とは私が所有している学校ではなく、「私が在籍した学校」を指すのと同様に、所有しているのでは無く自分の国籍が有る国の意味です。 我が××=私の所有××なんて考えてはいけません。勿論所有も有りますが、××とは様々な関係・結び付を表す事もあります。 「我が父」=私の所有する父親?? 「我が偉大なる指導者」=私の所有する偉大なる指導者??「我が母校」私の所有する母校?? ------------------------------------------- 従ってアメリカ合衆国に居ても何処にいても私の場合「我が国」=日本 発信者の国籍を明白にしていれば、場所に関係なく「我が国」は特定できます。 したり顔で「この国」と言う連中も、オリンピックでの日本人選手の活躍やメダル獲得の報道では流石に「この国」とは言っていませんでしたね。 言葉や表現は時代や社会情勢によって変化しますので仕方が無いと言いつつ我慢出来ない表現は有るものです。 少なくとも「この国」と表現するなら発信場所を明確にする必要はありますし、「我が国」と表現する場合は国籍を明確にする必要が有ります。 従って、「日本」と言う直接表現が発信者の国籍や場所に関係なく正確に伝わるのでは?

nToTn
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 最後にわかりやすくまとめて頂き、大変しています。 公明正大なご意見に感服いたしました。 ありがとうございました。

  • Streseman
  • ベストアンサー率24% (131/542)
回答No.20

日本語が不自由な人間の知性には、理解できない文章なんだろう・・・ それは知性のレベルの問題として当方の責任ではない、とは言いたくなるが(嘲笑) なお、補足回答が求められたの回答しよう >「我がふるさと」が傲慢・不遜であるのか?と言う問いに答えて頂いておりませんが、この話題を避けたのでしょうか? 傲慢不遜である。 我がとは、一人称である では、故郷は、特定の人物に所属するものなのか? 我が~~~という表現は、親愛の意味以外にも、従属・所有の意味が存在することを説明した(それが理解できないのだから、日本語が不自由であろう) それが理解できないのは、質問者の日本語理解力の低さであろうから、どうしようもない これが回答である すでに回答したように 他人が親しみ込めて、特定の人物に属する財産(事例では『我が家』で指摘している)に「我が」という言葉を使うことはありえない。  質問者の日本語であれば、外国人が日本国を親しみを込めて、”我が国”と表現することが可能になるが、それで良いのだろうか?そして、そう表現することが一般的なのだろうか? それが回答である 我がという言葉の日本語上の用法を知らない知的弱者の傲慢不遜な見解などは、単なる妄想に過ぎない  当方は 確立していると見なされる日本語文法上で回答しているのであって、 質問者の勝手妄想の日本語とは次元が異なる。万全な日本語の解釈余地を勘案すれば、”我が”は排除されるしかない。 もっとも質問者が真っ当な日本語を前提に出来ない知性である場合は、全うではない回答でしか承服できないのだろう・・・ だからこそ、『おっしゃとおり』とお礼を述べておいて、手のひらを返すようなお礼に至っているのだろうからw 日本語が不自由であることは、当方の論説が理解できないだけでも十分に立証できるだろう もっとも、都合の悪い事実に逃避するだろう質問者の動静も想定して回答するだけでもあるがw (ある市民講座の学生が指摘していたが、”住む世界が違うと通じない”という事実はあるだろう。)  実際に、当方の間違いがあったわけでもない。 むしろ、質問者の間違い・誤認を提示しているわけだが、都合の悪い事実から現実逃避したい知性の惰弱までは、責任は負えない なお、断言しておこう 頭の良い人間~~という件は、当然である 所詮は、賢い人間は賢い人間しか理解できない モノの価値はモノに関する専門知識をもっている人間でしか理解できない。賢くない人間は、所詮は、その価値をその人間の低い水準でしか理解できない、という話である。そして、その理解も程度問題に過ぎない。  もっとも質問者にとってのモノの価値は市場価値と当人の価値観だけであって、専門的な確立された知見などは、都合が悪ければ排除するのだろうからw  実際、質問者の見解は、その論理であることを立証できるが、立証しようか? 補足があれば、返答は可能なのでねw  言うまでもないが、バカはバカな回答しか理解できない。 賢い人間は、バカに対して賢い人間が行う回答・解説を バカにしている。実際に評論家連中は、どんなに頑張っても学術的には評価されないし、確立した認識を創設することはない。 評論のバカ向けの説明に満足するのは当事者の自由だが、それよりも格段上に影響力のある知性が控えていることは自覚した方が良いだろう。(自覚する機会・環境がないだろうが) バカが納得できる回答は、所詮は、バカのレベルに過ぎないのである つまり、それだけ程度を下げているだけの話でもあるわけだが、評論家連中が頭が良いというのは、バカの価値基準でしかない、そして、その価値基準の適切さを理解できないのだから、それはそれで、極めて逆説的に『賢い』という話であるw これは予備校講師として様々なレベルの学生を相手に指導しているからこそ言える事実である レベルの高い大学進学クラスの授業を、レベルの低いクラスの学生が聞いても理解できない。 もっとも、当方にも問題が指摘できる つまり、当方が質問者のレベルを読み間違った、という問題である。 そういう意味では、気の毒なことをした。 このようなレベルの違いはこのサイトでは良く感じるがw ちなみに、基礎的学力がないレベルなら、そこから指導するわけだが、その基礎さえ理解できないレベルも相応に存在するのも事実である。 予備校であれば、そのレベルの学生は、”大変申し訳ないですが、お引き取りを”ではあるがw ちなみに、シュトレーゼマンの件は周知している話。 ちなみに、知ったかの質問者に回答しておこう シュトレーゼマンのサインでは、MANNではなく、MANである 彼が意図的にMANとサインしていた理由がドイツでは知られているので説明しておこう 彼に影響を与えた”フリードリヒ・ナウマン”というリベラル政治家がいるのだが、その著作『中部欧州概論(Mitteleuropa )』において、ナウマンは、MANNではなく、意図的にMANを使っているのである。 理由は明確化されていないが、恩師でもあるナウマンがMANNという表現を避けていたことはドイツ自由民主党の書簡からも確認できる。その影響から、シュトレーゼマンの公式文書は別にして、私的サインでは、MANと書いているようである。なお、この傾向は、シュトレーゼマンのみならず、ドイツのリベラル派政治家に共有するものでもある。 したがって、MANにしているだけの話である。 そもそも、ドイツ留学(厳密には指導者としての「招聘」)経験のある当方が、MANNという表現を知らないわけがないのだが? 同時に、シュトレーゼマンの名前をそのまま失敬するほど傲慢にはなれない部分も大きい シュトレーゼマンの評価は極めて日本では淡白だが、ドイツでは将校を筆頭に国益論者をして高く評価されている。 原義に則れという質問者の主張ならば、尚更、”我が”という日本語用法が原義にないことを問題にできるのだが? おっと・・問題を提起しても、都合が悪い要素には反論しないで、逆上する人間には、無駄な文章だったね・・失礼したw(質問者がそれに該当するとは断言できないが)

nToTn
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 屁理屈のうまさには脱帽しました。 不幸にして私には現時点では、反論できませんが、何かおかしなレトリックを使っていますね。 そして、論理のすり替えが非常に上手いですね。 人を言い負かす事はできますが、それでは納得させることはできませんよ。 面白そうなので、もう少し考えさせて下さい。 Stresemann については、お見それしました。

nToTn
質問者

補足

これでいかがでしょうか。 >傲慢不遜である。 >我がとは、一人称である >では、故郷は、特定の人物に所属するものなのか? この場合の「我が」は、自分がある集団に帰属することを示していますよ。 我が校、我が社、我が故郷、我が国、等、その対象を特定の人物の所有とだけ考えるのはこじつけでしょう。 この場合は、帰属に決まってますよ。 どこの世界に故郷を自分の所有と考える人がいますか? あなたしかいませんよ。 常識外れの回答に戸惑いましたが、自分がある集団に帰属していることを述べる事の、どこが傲慢不遜なのでしょうか? >他人が親しみ込めて、特定の人物に属する財産(事例では『我が家』で指摘している)に「我が」という言葉を使うことはありえない。 >質問者の日本語であれば、外国人が日本国を親しみを込めて、”我が国”と表現することが可能になるが、それで良いのだろうか?そして、そう表現することが一般的なのだろうか? これも当然のことでしょう。 外国人が、他国を自分の国と表現する事は、そもそも有り得ないでしょう。 そもそも有り得ないことを、私が主張したように見せかけて、あなたがそれを否定することによって、自分に有利なように議論を展開する手法では無いですか? 我が家についても、他人が私の家を、「我が家」であると主張することは、そもそも有り得ない。 私がそのようなことを主張してもいないのに、あたかも主張したように見せかけて、それをあなたが否定することによって、議論に勝とうとするレトリックです。 面白いですね。 屁理屈が非常に上手いが、それでは人を納得させることはできませんよ。

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.19

ご丁寧に有り難うございます。 だから司馬は国民的作家ですよね。ウヨクも教科書しちゃって師の口調になって。 他の文化人もこの国という言葉を使いますが、司馬は国民的作家ですし、この国という言葉を書名に採用して、その書名が引用されまくった経緯があります。書名がこの国で受けた証拠です。 政治家や二流文化人が真似するのは討論番組の石原用語でもなく教科書でもく知識人の私は当然ながら司馬のこの国の形を読みましたというこの国論調です。 以下の対比のように実効性があります。 この国の参政権が日本人にしか与えられていないのはおかしいですよね、日本は日本人だけの国じゃないのに。 日本国の参政権が日本人にしか与えられていないのはおかしいですよね、日本は日本人だけの国じゃないのに。 日本や日本人という意識がこの国で誕生したのは古くても明治以降である。 日本や日本人という意識が日本国で誕生したのは古くても明治以降である。 対比がなければ、「この国」は詭弁の整合性を高め、日本よりも名前を決めない方が厳密に正しい、科学的議論に感じさせます。馬鹿にはですよ。 日本という概念は過去の間違った認識・習慣ですから避けましょうよと。 いつも対案を出さない破壊だけの反体制。この国ですってどこの国だよ、国名言えよ、反体制。沈黙です。いつものパターン。小児病。 国民固有の権利である。 この国の国民は何人?黙秘権講師。 固有名詞不在。無責任主義。 だって日本は間違っているんだから使いたくないさと。間違っているのはこの国が主張する要求の方なのに。 司馬は日本人作家ではなく国民的作家です。私も司馬に印税払いましたよ。

nToTn
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 面白いですね。非常に勉強になります。 言葉一つで、印象ががらりと変わるのですね。 ですからやはり、国会議員は意識して、「我が国」を使って欲しいですね。 ありがとうございました。

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.18

お礼ありがとうございます。 教科書で「我が国」を使用禁止したのは最近でしょ。ここ最近、韓国人がこれまでになく調子こいている現象の一環でしょ。 マスコミが「我が国」を禁止しただけでは「この国」が流行らないでしょ。ニュースで「この国」というのはないですよ。議題は「我が国」の禁止された理由じゃなくて「この国」が流行ってる理由でしょ。「我が国」と「日本」の二つがニュースや教科書で公的に使われていたのに「日本」だけになった。 「この国」を右にも左にも流行らさせたのは司馬ですよ。流行ったから指示代名詞じゃなくなったんですよ。 司馬遼太郎的歴史観。いつ頃か、ものすごい影響力ありましたよね。政治家が竜馬を尊敬しますというのも司馬のせいですよ。 とにかくファッションリーダー司馬が言えばなんです。大昔からホステスと暴走族の金髪は真似されなかったけどキムタクの茶髪は真似られて社会的に認められちゃたじゃん。日本人じゃないのに在日も茶髪にして司馬の言葉づかいですかね。司馬の威を借る在日コリアンとサヨク。天皇のゆかり発言もそうでしょ。 洒落抜きに、この国は、コリアンのための政治なんですよ。教科書もです。地方参政権が議題にあがる事自体が証拠です。この国の参政権が日本人にしか与えられていないはおかしいですよね、「日本」は日本人だけのものじゃないのに、と使い分けられます。 えーと、ウリは韓国人だから我が国は朝鮮半島にあるから…頭が混乱するニダ。イライラするから使用禁止ニダ。他の外人はイライラしないのに。頭の悪さです。一人称が分かってない韓国人が問題なのに質問者に説教するのは脳に問題あり。 日本という言葉を死語にしたいキチガイサヨク日教組。 あなたは日本人ですかとこのサイトで聞く質問者は私ぐらいです。一番大事な事です。しかし、 この国の政治家や文化人は日本という言葉を自主規制する癖があるんです。メクラやツンボ。日本で不快を感じる異常者のために。

nToTn
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 司馬氏の小説は好きですが、おっしゃるとおり、最近は負の側面も沢山クローズアップされていますね。 そして、マスコミは、やたらと「~に不自由な人」を使うのが好きですね。 そうやって、差別用語狩りをする人が、最も相手を差別していると思います。 自分が差別しているのを感じているからこそ、言葉狩りをして、自分だけ正義の立場に立ちたいんですよね。 偽善者は嫌らしいですね。 これも外国人の多いマスコミによって、日本語がゆがめられた例でしょうか。 ありがとうございました。

回答No.17

日本のマスゴミが、いかに支那や半島の手先であるかの証明です。また、ネトウヨが時に「この国」と表現するのは、愚民国家の日本に対する諦めの気持ちの現れもあるようです。

nToTn
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりですね。 No.15 の方の回答で、疑問が氷塊しました。 ありがとうございました。

  • Streseman
  • ベストアンサー率24% (131/542)
回答No.16

>自分の家族を愛することが、悪いことでしょうか? 自分のふるさとを愛することが、悪いことでしょうか? 自分の祖国を愛することが、悪いことでしょうか? 陳腐な善悪論は、当事者の価値観の問題にすぎない。仮に悪いと論及したとして、顧慮して居直るだけであろう。決めつけしてる質問者の言説を鑑みれば・・・ 問題は、主題は『この国』と呼ぶことへの抵抗であろうが、日本語として「この」が指示代名詞であることで説明したとおりである。(日本語文法の論説しないで、フィーリングで回答する人間が日本語を語るのはかなり苦笑いするしかない) これは日本語の確立した表現であり、これを否定する日本語慣習は存在しない。同時に多くの言語に存在している指示代名詞は意味を素直に理解することが出来るだろう。(細かいニアンスは別にして)  では、当方が指摘した親愛・愛情表現である「我が」という一人称が、日本語として確立しているか?と言えば、通用しないことも十分ありえる。(その事実は、古典などの原義の日本語で指摘したとおりである) 同時に、一人称の意味でもある「我が」が(傲慢・不遜であり)公共・共有性の意味を失念することは大きい。  質問者の自宅に対して、他人が親しみを感じることから「我が家」と呼ぶことが正しく、一般表現として受け入れられる、というなら理解するが、ドレだけの人間が、この場合の「我が家」を受容するだろうか?(受け入れるとは到底思えないのだが)  日本語として、この公共性の視座を失念することのリスクは大きいし、 憲法・民法・社会規範として公有概念である「日本国」に一人称を利用するのは、文学表現などを別にして不適切であろう もっとも、質問者が、国や社会の公共・公益などを全否定するなら、それはそれで自由だろう。 同時に指摘しておこう  愛する自由はある。では、その愛とは、なにをもって愛とするのだろうか? 愛国心を吹聴する人間は多いが彼らが、一般国民以上に愛国心を発揮し、何か実績を残したのだろうか? 心は自由だが、政治的には結果が大前提で評価されるものであり、結果・効果を残さない愛国心などは単なる観念論のステージでしかない もっとも、観念論で生きれるほど豊かな社会なら良いが、日本・世界は観念論に浸れるほど余裕がないのが現状であろう 心だけで中身の伴わない事実を指摘して、顧慮しないような自称愛国者など信用しないし、それを強制する価値観は、自然権という人間の根本的権利を否定する蛮行と言えるだろう  ”愛する心を自由である。しかし、その大前提を正当化する理論もなく設定するな”という話である その部分にも傲慢・不遜指摘できるし、日本語の適切な利用という意味・公共性の意味でも、我が国が不適切と言い得る余地が指摘できるのである  もっとも、質問者は、”自分が使っている指示代名詞のニアンスを誰もが理解できる”という設定を思考しているのだろうが、それが非現実的な事実であることは言うまでもない。 これは、誰もが日本国に親愛の心を持っているという前提条件に立脚しているが、そのような前提条件は保障されていない。 日本国に居住する人間全てが、日本国に親愛の心情を持ち得ていないことからも指摘できるだろう。 したがって、”我が国”よりは、「この国」が公的場面で利用するならば、最適であろう。 上記したように、言葉の誤解を回避する必要性において、相対的に、『我が国』は不適切なのである。 「一人称」という私有性を排除して解釈できるなら、「我が」でも良いだろうが、排除する必然性はないというのだろうか? 以上が、日本語文法を論理的に追求して思考できる人間の、回答である。 善悪ではなく 適否であり、成否において「我が国」が不適切であることを指摘した。 上記した論説に反論できうるならしてほしいものである。

nToTn
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 あなたほど頭が良くないので、読むのが難しいですね。 しかし、難しい概念を万人にわかりやすく説明できる人こそ、本当に頭が良いと、何かで読みましたが。 ことさら難しい文章を書く必然性があるのでしょうか? 「我がふるさと」が傲慢・不遜であるのか?と言う問いに答えて頂いておりませんが、この話題を避けたのでしょうか? その他の内容については、少し時間を頂いて、補足の方に書かせて頂きます。 なにせ、難しい文章なので。 ところで、No.15の方の回答を読んでなるほどと思いました。 これについてはいかがでしょうか? ぜひご意見をうかがいたいです。 なるべく平易な文章でお願いします。 あなたの文章が一番難しいです。 ありがとうございました。

nToTn
質問者

補足

あなたは、自分の書いた文章を自分で理解しているのでしょうか? 理解しているなら、ぜひ、要約してみせて下さい。 「できるもんなら、やってみろ」と言っておきます。 私の頭が悪いのかと思いましたが、よく読んでみると、実際はこじつけの連続で、論理展開がむちゃくちゃです。 もっともらしいことを書いていますが、私の最初の印象が正しかったようですね。 難しい事を万人にわかりやすく説明できる人こそ、賢い人です。 要するに、あなたの言いたいことは、下記ですね。 (1)日本人の愛国心は無意味だ。 (2)日本に対する愛国心を、在日に強制するな。 あなたは、たった2行で説明できることに、何行費やしているんですか。 何かをごまかそうとしているとしか、考えられません。 しかし、その前に、No.15の方の回答について、ぜひコメント頂きたいです。 「我が国」と言う言葉を日本人に使わせないように強制したのは、在日朝鮮人の様ですね。 そんなクレームをわざわざ付けると言うことは、以前は「我が国」が広く使われていたという証拠ではありませんか。 あなたの理論では、在日が日本人にこんな事を強制するのは、問題ではないのでしょうか? 余談ですが、あなたのハンドルネームは、ドイツ語圏の名前で、シュトレーゼマンだと思いますが、スペルが間違ってますよ。 Stresemann が正しいです。 英語の man は、ドイツ語では、Mann となるのです。 あなたこそ、言葉に不自由のようですね。

回答No.15

もはや「我が国」は差別用語となっているようです(一部団体「朝鮮系団体。民団・朝鮮総連とか」から相当クレームがあったようです)。 戦後日本は、朝鮮人の言い分がまかり通る異常な国になっています。 サヨク系は、「我が国」を使いたがりません。「この国」を使いたがります。 在日にとって、日本を「我が国」と言われることは「日本人でない彼らにとって」屈辱に感じるそうです。 日本はあくまで「この国」であり、「我々日本人でない在日韓国・朝鮮人」にとって「我が国」の中に入っていない者としては、日本は「この国」であり、「我が国」を使われるということは「我々在日朝鮮人の存在を無視」され「日本人しか住んでいない国」の印象を受ける。 しかしながら、日本には「在日韓国・朝鮮人」が多数住んでいるのであるから「我が国」を使われることは「差別」であり「理不尽」だ、との論理から「日本は、決して「我が国」を使うな!!「この国」しか使うな!!」だそうです(しかし、韓国は「我が国」を使えて当然だ!!我が祖国なんだから当然!!だそうです。実に、理不尽なダブルスタンダードですね。)。 彼らにとって、「我が国」は「差別用語」であり「不適切用語」の典型だそうです。「この国」を使え!!、とわめいています。 在日は、自分らの言い分が通りにくい、或いは通らない場合、「差別だ!!」と言える最終兵器を持っています。彼らはその最終兵器を行使、戦後、日本における在日の権利を徐々に拡大して行っています。 当初は、在日が犯罪を犯した場合、在日による要求から新聞紙面上での「通名」使用が一般化。 「この国」の使用は、彼らの感情論への配慮から常態化しつつあります。 次に、彼らの目的は「外国人地方参政権」「人権擁護法案」等の実現化。民団幹部の発言では、「外国人地方参政権」の権利と言っても当初の内は権利らしい権利がないのは織り込み済み。歳を重ね、法案改正をし権利拡大を図ることが目的と語っていました(民団新聞より)。 以下、記事引用 「外国人児童生徒の人権に配慮した教育を推し進めるため」 編集委員に在日同胞教員 民団新聞  2011.2.23  http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=14043  【兵庫】神戸市教育委員会は、外国人児童生徒の人権に配慮した教育を推し進めるための指針ともいうべき 「在日外国人児童生徒にかかわる指導の手引き」を大幅に改訂した。今回の改訂は98年3月の旧版作成以来10数年ぶりのこと。 市教委では近年、増え続ける「新渡日外国人」の増加や社会経済状況の変化に対応したと話している。 今回の10年度版では、公立中学校教員の韓裕治さんをはじめとする在日外国人教育実践者・当事者などを編集委員に加えたのが目新しい。 また、「兵庫在日韓国朝鮮人教育を考える会」など各団体から「排外を助長する」と批判されていた「我が国」「京城」などの「不適切用語」も是正した。 教材例を見ると、多文化共生の視点から小学校低学年「生活」に韓国、ベトナム、 インドネシアなど6カ国のジャンケン遊びを図解入りで紹介している。 中学生向け「社会・総合」では、「私たちのまち『神戸』と在日外国人」のなかで川西市役所副主幹の孫敏男さんを取り上げ、 一部自治体では外国籍者が管理職に就く道が開けていることを紹介している。 各市立学校では新しい「指導の手引き」に則った具体的な取り組みが始まっている。 http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/11335415.html

nToTn
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、そうだったのですか。 非常にわかりやすいです。 感謝感激です。 >彼らにとって、「我が国」は「差別用語」であり「不適切用語」の典型だそうです。「この国」を使え!!、とわめいています。 外国人が、我々の日本語をゆがめたのですね。 これは、内政干渉ではないでしょうか? ありがとうございました。

回答No.14

( ´Д`)y━・~~ これはワシも感じていた‥ 「この国」って言い方は、なんだか自分が第三者の立ち位置にいるみたいだと感じたので、わしも「我が国」を使うように心がけてる。 まぁ、マスゴミが使ってるので、言わば「慣用句」みたいになってる希ガス。 特に報ステで「フル勃ち」が「この国はどこに向かっているのでしょう?」とか言ってるのを見ると、無性にフル勃ちを殴りたい衝動に駆られてしまう。 マスゴミはタヒね!

nToTn
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうなんですよ。 自虐史観の総元締めたるマスゴミが、日本を悪者にするときに、自分も一緒にされては困るから、自分は一抜けた~、とばかりに、自分だけ外国人みたいな気分で、「この国」を連発するんですよね。 自分だけ、いい子になって、卑怯極まりないです。

  • Tann3
  • ベストアンサー率51% (708/1381)
回答No.13

 「我が国」というのは官僚・役人用語です。法律に基づく通達や、なんとか白書などの役所・役人が発行する文書などで使われます。  あまりに上から目線(要するに「おかみ」「支配者」目線)なので、私は好きではありません。  民主主義国家の国民・民衆目線、脱官僚を掲げる野田政権、マスコミでは、そういう「上から目線」を避けようと、意図的に「我が国」という表現を避けているのではないでしょうか。  「この国」も何なので、「日本」でよいように思います。

nToTn
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど。それは知りませんでした。 いろいろと勉強になります。 この質問をして良かったです。 やはり、国政に関する人は、「我が国」を使うべきなのですね。 しかし、日本を悪者にしたいマスコミや、国賊の民主党政権が、意図して日本を悪者にしようと、「この国」を使っているのではないでしょうか? 要は慣れです。 マスコミの「この国」に慣れすぎたので、何となく、「我が国」と言いにくいようになっただけのような気がします。

  • Streseman
  • ベストアンサー率24% (131/542)
回答No.12

結論  質問者の日本語が「不自由」なだけの話 「この」という指示代名詞の日本語を利用する環境によっては、むしろ言葉として相応しいこともある 日常会話で使われる指示代名詞を想起すれば分かりやすい 自分・他人の所有物に関して、質問者の指摘であれば、その所有者に関する情報が必要になるだろう したがって、手元にあるAさんのモノは、”Aさんのモノ”と表現することになるだろう しかし、現実には、手元にあったり、近接した距離であれば、指示代名詞が利用される これは、一般的に使われる指示代名詞の用法で、”この国”で使われる”この”は、その近接性を示唆するニアンスとして利用できる。 次に想起するべきは、”我が”と限定することの適否である。 地球を”我が地球”と質問者は呼ぶのだろうし、ソバにある質問者に属する車も、「私の車」というのだろう(質問者の論理では)が 日本国は、特定された人物・物象だけに属するものではない。 「我」は、一人称代名詞である。では、日本国は一人称代名詞で表現する必然性があるのだろうか? 原義や適切な日本語を想起すれば、むしろ、言説者の一人称に限定される「我が国」という方が、傲慢不遜であり、公共性のある状況での利用に適さないだろう むしろ、 質問者や巷説は、不適切な日本語を慣用表現としてなんの疑問も持たず(考えもせず・省みることもなく)利用しているだけでもあろう 外国語で、一人称が利用される場合はある。それ親しい相手であったり、愛情表現の意味があるだろう。 では、日本の古典文学の類に、”我”が利用される場合に、上記したニアンスが存在しただろうか?

nToTn
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりですね。 ただし、「我が家」という言葉がありますね。 「我が家」には、自分の家に対する愛着が感じられます。 逆に、「この家」というと、自分の家が嫌いであるように感じませんか? ♪狭いながらも楽しい我が家~♪という歌もありますね。 「我がふるさと」という言葉もありますね。 ネットでたくさんヒットします。 自分のふるさとに郷愁や愛着を感じる人が、この言葉を使います。 「このふるさと」という人はいませんね。 「我がふるさと」が、傲慢不遜であり、公共性のある状況での利用に適さないのでしょうか? 同じ意味合いで、「我が祖国」も使われていませんか? SF的ですが、もし自分が地球を離れて、宇宙の遠くに居たら、地球に郷愁を感じて、我が地球と呼ぶでしょうね。 私は現在、海外に住んでいるので、特に我が国と呼びたくなるのかもしれません。 質問では書き忘れましたが、一番気になるのは、政治家が国政を論じる際に、「この国」と言うたびに、自分の国に愛着をを感じていないように聞こえることです。 自国を愛していない人間が、国会議員になっていいものでしょうか? 外国人が公務員になることの問題が取りざたされていますが、それと似た意味合いがあると思います。 自分の家族を愛することが、悪いことでしょうか? 自分のふるさとを愛することが、悪いことでしょうか? 自分の祖国を愛することが、悪いことでしょうか?

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