まずは勧誘や投票の依頼等(組織拡大のための行動)に熱心なことで、他者に強引に勧めてしまったり、夢中になることで家族や周囲の人を心配させたりというようなことが必ずどこかで起こるからです。
その熱心さ、夢中さが人間関係を壊したり、家族関係を壊すというような事に繫がります。時には、自分や他人を精神的に追い詰め、それが精神疾患、自殺、犯罪などにも繋がることがあります。
心を指導するはずの宗教が、心の指導を誤ると社会にとっては深刻な問題となることがあります。誰もが知りたい「幸せ」や「生きる意味」などを餌にして思う通りに信者を操れば、信者を殺すことも殺人鬼にすることも可能となってしまうのです。
なぜ、そのようなことが起こるかと言いますと、創価学会では他の信仰を強く否定することで、自分達の信仰が「絶対に正しい」と信じることが信仰の根幹だからです。「学会員には犯罪者が多い」と言われるのはあながち出鱈目ではなく、「正しい」「素晴らしい」「自分達は良いことをしている」という価値観を強く持つことは、時には社会の常識やモラルよりそれらが勝ってしまうこともあります。
「民衆にも可能な信仰」「厳しい修行等は必要なく、誰もが幸せになれる信仰」などが謳い文句で、つまり「強く信じることで生きる希望を持つ」という信仰であり、それ以上でも以下でもないはずなのですが、盲目的になると「本当にこの信仰の力はすごいんだ」と信じきってしまい、他人にも一生懸命勧めてしまう狂信者が生まれてしまいます。
しかも、「正しい」という価値観を植えつけられてしまうので、「正しい信仰を他人に勧めることは良い行いだ」と勝手な解釈をしたり、中には「自分が良いと思うものを他人に勧めて何が悪い?」と堂々と言う学会員もいて、話にならないのです。
(まともな)信仰や宗教は、「正しい」とか「間違い」などと拘る「心」についての指導であり、それらを学ぶことで「楽に生きよう」というものです。
ですから、宗教団体が自分達の信じる「平和」や「幸せ」「正義」などを主張することなどあり得ません。
自分の考える平和などを主張する「政治団体」や「思想団体」と、もっと深い心を教える「宗教」というものを混同して理解しているようで、このような教団が「宗教法人」であること自体が間違いなのです。
これは宗教法人の認可に問題があるということです。
まずは、多くの人が「宗教」「宗教法人」と名がつけば、「人にとって良いものだろう」という先入観を捨てることが必要で、日本にもおかしな教団、狂信的、排他的な教団はいくつもあります。これらに「信教の自由」という言葉を当てはめて理解しようとするべきではありません。その中で創価学会は、これほどまでに大きくなってしまいマスコミの批判を許さない程の権力を持ってしまったことは非常に残念なことです。子供を持つ親御さんは特に注意が必要です。
お礼
ありがとうございます。 >覚えているだけでも、池田大作レイプ訴訟、月刊ペン事件 などいくらでも出て来ます。 ひどいですね。最近の風潮として レイプ魔は死刑にしろみたいな発言をする人がおりますが、学会の会員でそういう人は 池田大作は不問なのでしょうかね。