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加齢によって動きやすくなるわけ

若い頃、街で困っているお年寄り等に手を差し伸べたい気持ちがあったのですが「もしかしたら返って迷惑なのかもしれない?」などと思ってなかなか実行できませんでした。現在、中年となり困っている人を見かけると何の気負いもなく手を差し伸べることが出来ます。加齢と共にずーずーしくなったのでしょうか?私に限らず、このような現象は多くの方にあると思うのですが、どのような変化なのでしょうか?なんか、拙いような感じの質問で申しわけないのですが、教えて下さい。よろしくお願いします。

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回答No.4

「慣れ」だと思います。 私は、他人の手助けをするのと同様に「困ってるから自分を助けろ」という意思表示もできるようになりました。 訓練(というほどのことはないけど)の賜物です。 もっと歳をとったら、きっともっといろんなことができるようになると思います。

nezumiotoko2003
質問者

お礼

助けろといいう意思表示はいいですね。慣れ、、、納得。ありがとうございました。

その他の回答 (5)

回答No.6

皆さんの回答の通り、と思います。 「気持ち」があってもなかなかできることでは、ありませんしね。 「ずーずーしい」どころか立派(無償なんですから)だと思います。 私も若い頃に比べると、気負い無くできるようになりましたが、理由の一つは親(父は早死にしましたが)が老齢になり、体が弱ってくるのをみて、「他人事ではない!」という意識が芽生える、ということもあるかと思います。 若い頃は親もまだ若い(今の私らの年齢位とすると)ので、普通はあまりそこまで意識しませんよね。 ひどいのになると邪魔者扱い・・ 母親と同年齢くらいのお婆さん(足が不自由だった)を背負って階段の昇り降りをしたとき、礼を言われましたが、「私もいつかこうやって誰かの世話になる、今できる(その体力がある)からさせて頂くのです」と答えました。 「そういうこと」なんじゃないでしょうか? 若い人の弁護(?)をしておきますと、そういうケースに遭遇したとき「誰か手伝って!」と声をかけると、茶髪のアンチャン(偏見ですね・・笑)でも手を貸してくれるもんです。おそらく祖父母(自分の)をみていて、分かってくれているんだ!、と想像してますが。 ちなみに講習会で教わりましたが、車イスをかついで降りるときは、階段の上向きに持った方が、乗っている人の恐怖心が少ないそうです。 お互い「できるあいだ」は、お節介か?と思わず頑張りましょう。 お節介の「介」は、介護の「介」ですからね・・

nezumiotoko2003
質問者

お礼

実体験の貴重なご意見ありがとうございました。大変参考になりました。

回答No.5

若い頃、タクシーに乗るのはとても勇気がいりましたが、今は「いい天気ですね」と普通に言える。若い頃は「いい天気ですね」なんて言っても無視されるのが落ち。要は「若いくせに身分不相応」という感じを「相手が」持っていた。自分は大して変わってないと思うのです。 人助けもなんとなく変な話ですが「若い人」には不相応な感じがあります。そういう違和感が行動を妨げるのではないかと。 自分の意識ではなく「多分こう思われるやろな」という感じですね。 自分の行動は人にどう思われるかで決まりますから。 人間って実は全く成長してないのではないかと思います。経験とかいうけど嘘。 人の見る目がおっさんになれば変わってくるだけじゃないかな。

nezumiotoko2003
質問者

お礼

そうか、人からあまり見られないから自然な行動が出来るのか、、、なーるほど。思い当たります。貴重なご意見、ありがとうございました。

回答No.3

おはようございます。 こんな素晴らしい事を「加齢によるずうずうしさ」だなんて、とんでもないです! 私のような若輩者が言うのも失礼ですが、人間味に深さが出たことが行動にも反映されるようになったのではないでしょうか・・・?。 他人を助けたいという気持ちは自分に余裕がないとなかなか出ないものだと思うのです。。。 ご参考になりますでしょうか・・・

nezumiotoko2003
質問者

お礼

私はあまりほめられるような人間ではないので、ちょっと恥ずかしいです。若い方からの貴重なご意見、ありがとうございました。

  • kyouichi-7
  • ベストアンサー率45% (564/1229)
回答No.2

加齢と共に 『ずーずーしくなった』 『図太くなった』等々言われる方々がいますが、 だんだん自分がその年齢に近づく事により、 相手の立場を理解できる様になってきたのではないかな? と思います。 もちろん、経験や知識も必要です。 若い時はなにもかもまだ未熟で失敗する事も多いです。 それに気がつかない人もいますが、 心優しい人は『無知ゆえの余計なおせっかいかな?』と、 どうしても躊躇してしまいますよね? たとえば、町で見かけた視覚障害の方に対するサポート。 経験や知識がなければ、 「迷惑かもしれない。」と遠巻きにしがちです。 でも長い年月を経ていれば、 そう言う時のサポートの方法を何処かで聞いていて、 自然と声をかけている自分に気がつくことがあります。 入院したりしている特別なケースでもない限り、 本当にきちんとした『これこれこう言うへルプの仕方』 などというマニュアルはありませんよね?   『 困っている人を助けてあげたい 』 そう言う優しい気持ちが相手に伝わることが、 一番だと思います。 ・・・・・やっぱり、 nezumiotoko2003さんの優しい心が、 年を経てますます大きく膨らんできたのではないかな? って思います♪ 一人でも多くの困っている方々(年齢に関係なく)を、 余裕のある人が手を差し伸べる。 一人一人が気負うことなく、自然に行なえる、 そう言う社会を作りあげていきたいですね。 y(^ー^)y

nezumiotoko2003
質問者

お礼

障害者の方のサポートが気負い無くできたらいいなと日ごろから思っています。貴重なご意見ありがとうございました。

  • yu-taro
  • ベストアンサー率39% (3209/8203)
回答No.1

  こんにちは。ご質問を読んでとても気持ちのやさしい思いやりのある方だと思いました。  誰でも思っていてもなかなか行動に移せないものですが、それは加齢によるすうずうしさとか言う感じなく、老人の痛みを分かり、自然と態度に出たものだと思います。  最初は何か偽善者的な感じや、何か照れくさいのかもしれませんが、それも何度か行っていると自然とできるようになると思います。  身近な例では、電車やバスで老人に席を譲ることがあります。私もやれれはと思いながらなかなか出来ませんが、それがスマートにできている人を見ると羨ましいなと思います。  他人の痛みを分かり、小さな親切が自然と行えればは自分の気持ちもやさしくなれるので、私も少しずつ実践したいと思います。  回答しながら勉強させていただきました。

nezumiotoko2003
質問者

お礼

お礼が遅くなりすみません。貴重なご意見ありがとうございました。

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