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「本気で頑張るとかえって損してる?」と感じる時
例えば教員だと、子どもの成長を願って一生懸命接したつもりが 親も又問題ある親でこちらの意図が伝わらずクレームを付けられた とか、 他の仕事でも、何だか真面目に働いていると馬鹿らしい…と感じる事ありますか? 仕事が大変・面白くない といった話ではなく、 上文の教員の例を挙げると、 保育士でも、子どもの箸の持ち方がおかしくて ひょっとするとそれに気付いているかもしれないのに注意しなかったり、 食べ物の好き嫌いをしてもそのまま残させたり…。 本来、箸の持ち方が悪いと社会に出たら恥ずかしいし、 好き嫌いは我侭だと思います。 勉強だってしないよりした方が絶対将来力が付くし、 宿題を多く出す先生だって何も嫌がらせでそうしているわけではないと思うんです。 なのに、あの先生はうるさい・厳しい・意地悪 等という評価をされ、 酷い時には校長絡みのような事態に持ち込んだり…。 (自分は教員でもクレーマーでもなく、これは一例です) その一方で、ある子ども同士がおもちゃの取り合い等になって 一方の子が他方の子に噛み付いても、 保育士は噛み付いた子には何も言わず、 噛み付かれた子に 「そんな事くらいで言いにくるようじゃダメだわ。もっと強くならないと」と言うんです。 他にも教育関係の仕事で、 明らかに悪意があって他人の首を絞めようと縄跳びで絞めかかった子に対し、 真面目な教員は慌てて止めにかかったのに もう一方の先生は「間違えたんだよね」と、 その場限り済めば良いや という感じの態度でまともに取り合おうとしません。 大人なんだし、絶対故意か過ちかくらい分かる筈なんです。 なのに、上の立場の人には適当に交わしている教員の方が気に入られ、 真面目に止めにかかった教員は大して気に入られていません。 以上、教育の例が分かり易いと思い書きましたが、どれも実例です。 【何か社会に出るとおかしいな…】と思う事が多々あるのですが、 遅刻しないなど自分に関する事で本気で頑張るのは良くても、 他人が絡む対人関係的なものは 本筋を通すより要領を交わすべきなのでしょうか? あまり、心の汚いずるい考え・行動はしたくないのですが、 否応無く「『自分』の利益」を第一に考えた方が得なのでしょうか? 仕事だと、下手すると辞めさせられる可能性もあるし、 本筋を通すより、計算高く(という言い方はいやらしいですが)行くべきなのでしょうか? 一概には言えませんというのは無しで、 皆さんの経験上、職場でどのような対応を取っていますか? それは本心ですか?不本意ですか?
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- pigunosuke
- ベストアンサー率19% (1063/5529)
自分の行動に信念を持つ事ですね 他の先生にはその先生の考え方が有る、けれども 私はこう思います、 人生なんて計算式じゃ無いんだから、正解も不正解も無いです 自分が正しい、と思った事を 何故正しいと思ったのか?を、説明できるようにしてあれば 信念を貫いて良いと思います で 相手の意見を聞いて、そちらの意見に共感できると思ったのなら 自分の信念を曲げれば良いのです 学校でも、会社でも、 そこの職場が掲げている「理念」って物があると思います 「理念」に添った考え方なら、大抵は自分の主張を貫けると思いますよ
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
わかるような気がします。だから私は小中の教壇には立たない。 人生を左右するような時期に助言なんて怖くて出来ません。 高校の授業をサボタージュした生徒を 「先生、迎えに行かないの?」というので 「何故?」 「それが先生じゃないの?」 「高校は義務教育ではないから、好きで勉強に来ているのだよね?来ないのも自己責任だよ」 といったら「冷たい」だの「教師としてどうなの」とか言われましたけど。結果そのサボった生徒は妊娠退学し、あるときスーパーで出会ったら「先生!覚えてる?」と聞かれて「ああ、よくサボってくれたねえ」って。「生まれたんだ~」「かわいいね」で終わり。。。。。そんなもんか。 結局は「金八先生」が学校にいたら、学校としては成立しなくなるっていうのが現場の本音。 親の質かね。昔とは違うなと思う。自分が親になってみると分かるけど、理不尽な事の多いこと。 答えが出せないことが多すぎる。 先生は休み時間に職員室でお茶しているのにどうして、下校途中にのどが渇いたからとジュースを買って飲んではいけないの?とか。まあ、お金は落としたりしたら大変だし、おうちまで我慢した方がいいし~とごまかしたけど、未だに私の中では正解がない。 海外ではピアスOKなのに、どうして日本では学生はダメなの? でも、どんな職場・職業にも本音と建て前はあるよね? 日常生活でもそうだよね? だから・・・・・その場になってみないとわからないことって多いよね。 同じ場面でも役者が違うと別の方向に行くよね。 ケースバイケースでしか対応できないと思う。 持論として他人は否定しない・・・なるべくなら・・・と思ってます。 批判・反論はするよ。でも存在否定はしない。 計算高く要領よくできるならそれに越したこともないけれど、 額に汗して 泥をかぶるのは ピエロだとは思えない。 なんでもそうじゃない? 服でも食事でも、出てくるものを批判するのは簡単だけど、いざ自分で最初から作るのは大変ですよ。 教育は…流動的じゃないと駄目なんじゃないかなと思う。 確固たるアイデンティティーがあってからこそ言える事なんだけど。 自己哲学が確立していないと、揺れます。 それは、他の人にとっては迷惑になるよね。
- k-okamura
- ベストアンサー率40% (2/5)
相手を見て対応を決めます。 私は教員でも保育士でもありませんが、NPOや地域活動を通じて子どもを含む多くの人と関わり、会社では指導的立場も経験しました。 乱暴な子どもでも原因の多くはその親にあり、家で厳しく叱られる子ほど一歩外に出ると他人に対して乱暴になったり、いじめられる子はまた「そんなではダメよ」と言われると余計に「自分はダメだと」思っていまいます。それとは違って親の躾に素直に従う子も、頑張って反発向上する子もいます。 親の方にやんわりと注意しても、恐縮するくらい反省される方も、逆ギレ状態になる人もいます。 育てられた環境や人間それぞれの個性、あるいはなにかしらの精神的な問題があったりするので、結局は接触時間の短い他人には分からないのです。 ただ教育現場にいる人にとってはそうも言っていられず、本当に良い指導をしようという人ほど上司や親から反発を受けやすいというのも現実でしょう。 あなたを支えるものがあるとすると、信念を持って真剣に子ども(被教育者)と向き合う気持ちと、そういった考えをもつ同業に限らない(ここは大切です)仲間を作ることではないでしょうか。あなたが出世を望んでいるのなら、たしかに職場や上司の意向に反するのは得策ではないかもしれませんが、公立の職員ならまずクビになることはありません。 また以前とは違って、インターネットを始めとする様々なメディアがあり、教育について話し合おうという場は作りやすくなっているはずです。このOK waveもそうですが、よく探せばあなたのような悩みを持った方は大勢見つかるでしょうし、その対応について良いアドバイスも得られるはずです。文科省やNHKに直接あなたが話しを持ち込んでもスルーされずに対応を考えてくれるはずです。(そんな人は滅多にいないので、逆に真剣に対応してくれます/経験談) 私個人としては2つアドバイスをしたいです。 自分の利益を優先するか否かをハッキリさせること。社会はずるい・汚いが当たり前だと思うべきですが、若い教育者であれば一生をかけて「良い教育環境作り」に挑戦して欲しいです。 もう1つは、独善的にならないよう注意して欲しいことです。正直なところ、大学を出てから定年退職まで真面目に勤め上げた先生達に、良い印象はありません。人の話を聞かずに、人物像を決めつける傾向が明確にあります。教育(学習)に厳しい先生も然りで、厳しくすればどの子も成績が上がると信じていて、萎縮してしまう気持ちが理解できなかったり、子どもにはプライドがないと思っています。様々な立場、環境、生い立ちの人を知ってこそ、良い教育者になれると断じておきます。 そして最高の教育の成果とは、クラス全体の成績を上げることのできた先生ではなく、個々の生徒の個性を見極め、将来への道しるべを見つけてあげられることのできる人なのだと信じています。 またついでのようですが、日教組との関わりにはことのほか熟慮が必要と申し添えておきます。独自に調べてください。
- u-lily
- ベストアンサー率41% (307/746)
「自分を守るのは自分」 まずはそれが第一です。なので「~が守ってくれると思ったのに」といった他者の援助などを期待しなくてはできない「筋」には、目をつむるときも多々あります。もちろん、不本意ではありますが… ですが、「これに関しては筋を通す!」と思う時、「誰が賛同してくれなくても、皆にとって絶対この方がいいはず」と思えたときに、がんばったこともあります。そのときは一部の「筋が通らない変な考え(私的に、ですが)」の方々には完全に嫌われて、嫌がらせのようなこともありましたが、「おかしいな」と思いつつも自分の気持ちをうまく言えないでいた方々はついてきてくれました。 周囲も皆窺っているのです。 どんな「自分の利益」のために動いたかによって、周囲の反応は違います。 自分がのし上がるために「自分だけの利益」のために動いた場合は、やはりあまりいい顔はされません。単なる「利己主義」と思われます。 自分の身を守るための「自分の利益」優先な態度の場合は、ちゃんとわかっている人はわかってくれます。「ここでは仕方ないよね」と。そういう意味では、意外と大人な人も多いのですよね。 ドラマの台詞ではありませんが「正しいことをしたければ、偉くなれ」とは本当です。 会社でも何でも「力=正義」なのですよ。 なので、まずは要領よくでもなんでもその場での「力」を蓄えなくてはお話になりません。これは職場で痛感した事実です。それまでは黙々と、身を守りつつ、力を蓄え、いざ力を持ったときに「筋」が通せる自分でありたいと思います。
- silversmith
- ベストアンサー率27% (68/243)
質問主さんの言いたい事、よくわかります。 最近首を傾げたくなる社会観が多々ありますが、 私は、自己責任が取れる範囲でなら、 どんだけ周り、上司から何を言われても、 信念を曲げてまで、他者に媚びる事はありません。 それは、後悔しない為です。 表題にある >「本気で頑張るとかえって損してる?」と感じる時 とは、自己評価より他者評価に重きをおいて行動する時に生じますよね。 私は、そういった考えを捨て、自己を客観的評価するように行動しています。 決して自己満足で終わらせず、 客観性を持って、信念を曲げずに行動するかが重要で、 結果、人からは煙たがられる事もありますが、 それは仕方がない事。 そういう人が上司や雇い主なら、こっちから辞表を出します。 しかし、クライアントの理不尽なクレームに対しては、 要領を交わしています。 それは、自分が属している会社自体に迷惑がかかり、 自己責任でどうにもならない可能性があるからです。 その辺りは、要領よくする必要はあるかもしれません。 まぁ、教育の現場においては、 生徒は神様と勘違いしている世論を作り出したメディアがバカで、 先生は先生で、もう少しプロ意識を持って対応して欲しいものですね。
- ikagessou
- ベストアンサー率12% (41/336)
自分がこれで正しい!間違ってないんだ!って思って行動したのなら、どんな事態になっても後悔はないのでは? 後悔があるのだとしたら正しくなかったんでしょう あと正しいことが幸せを呼ぶとも限りませんし 自分を守れるのは自分だけなのなら 私はそうします 他人なんてどうでもいいです