わたしも「原理共産主義」という言葉を聞いたことがありません。もし本当にこのような言いまわしがあるのなら、おそらく「原理主義」の共産主義版なのでしょう。
原理主義とは、もともとは20世紀の初めに、キリスト教徒は聖書やキリストの教え(とされるもの)に忠実であるべき、とするプロテスタントの運動から生まれた言葉で、ファンダメンタリズム(根本主義)と同じ意味の言葉です。アメリカではいまでもたいへんな影響力を持っていますが、日本人からするとしばしば非現実的と感じられてしまいます。キリストが生きていた時代から2000年もたっているのですからあたりまえですね。
そこから同じように教条的で硬直的、しばしば現実離れした教えに固執して過激な行動を選ぶこともある人たちを、キリスト教以外にもイスラム教原理主義とか、市場原理主義などと呼んでいます。
いっぽう、マルクス主義について従来この言葉が用いられてこなかったのは、想像でしかありませんが、なにがマルクス主義の本来の原理なのか、必ずしも意見が一致していないからなのではないでしょうか。マルクス主義なのか、マルクス=レーニン主義なのか、それとも毛沢東思想なのか、どれを当事者がマルクス主義の「原理」と見なすかによってかなり違いがありますので、他者がどう呼べばいいのかも定まらないのでしょう。
ついでに、マルクス自身の思想はかなり広範囲にわたっていて、共通する基本的な傾向はあるものの、わたしは統一された「原理」を見いだすことは無理だと思っています。それだけに「マルクス主義者」たちは結構都合のいい理屈をひねり出しても来たのですが。
教条的・硬直的・非現実的で過激という条件にもっとも適合するのはポルポトでしょうが、それにしても彼を「原理共産主義」と呼ぶ非難を聞いたことがありません。ポルポトはカンボジアで共産主義の理想を実現すると称して極端に平等主義的で反近代的な政策を実施し、100万人の国民を虐殺しましたが、あれがマルクスの唱えた共産主義だとは思えないからでしょう。
というところで思いついたのですが、もしかしたらこれは「原始共産主義」の聞き間違いなのではないでしょうか。正確には「原始共産制」ですが、マルクスの同志であったエンゲルスの著作から用いられている、マルクス主義においては基本的な概念の一つです。
意味するところは、原始時代には生産力がとぼしかったのでだれもが等しく貧しかったのだ、というものです。マルクス主義は平等を指向しますからその点では理想的なのですが、同時にマルクスは、共産主義は社会が発展して豊かさが万人に行き渡ることによって実現すると考えていたのですから、これを共産主義の「理想」だとすることはできません。
もし聞き間違いではなく本当にこのような言いまわしがあるのなら、最近生まれたスラングなのだと思います。しかし、「マルクス主義の精神」とか「マルクスの理想」を云々する人はいても、マルクスの言葉を言葉どおりに実践しよう、実現しようという人など、実際にはまずいないでしょう。
「原理共産主義」という言葉を使用している人(が本当にいるとして)も、自分がなにを指してそう呼んでいるのか、正確に説明できないと思いますよ。なにしろ実態がないのですから。要するに、単なる妄想の産物です。