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人
私は、人とぶつかるのを恐ろしく感じていた。相手に対して、ものごとをハッキリと言うのが怖かった。それは、現代の若者に多いのかもしれない。携帯電話等の普及によりコミュニケーションがとれない・KYを恐れる風潮等により、若者が対人関係に対して弱くなっているのではないか? 特に、私は「嫌われたくない」とか「その場を楽しく過ごしたい」という気持ちが強く、なかなか自分の意見が言えないばかりか、気持ちまでもをあやふやにして優先順位を他人にするタイプだ。そんな自分を変えたい。 しかし、そこに大きな壁がある。 それは、恩人であり恋人でもある彼の存在だ。 私には、今年で付き合って1年と半年になる彼氏がいる。 彼には、お金がない学生時代には生活面でも精神面でも非常に助けられた。大好きな恋人だ。 私は、彼といるときに非常に柔らかい女性を演じている。 しかし、不器用な私はそれを操縦することが出来ず、彼に嫌われないようにとの思いから、彼といない時も常に演じなくてはという観念が生じている。 最近では、彼に限らず、家(父と二人暮らし)にいる時は父とずれないようにと、父に合わせようと常に気を張っている。 友人といても同様。 マイペースな時間は一時もない。 もう、パニック状態で、最近では自暴自棄だ。 どうすればよいでしょうか?
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- ok2775
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たいへんに困惑されているようですが 今のこのひと時、肩の力を抜いて深呼吸でもして 気持ちを楽にしてください。 人は自分を100パーセント出して主張や表現をしてしまうと もうあとに余裕ががないので、何か指摘されたり、批判されたりすると ダメージが大きく動揺したり混乱します。 特に、私は「嫌われたくない」とか「その場を楽しく過ごしたい」という気持ちが強く、 なかなか自分の意見が言えないばかりか、気持ちまでもをあやふやにして優先順位を 他人にするタイプ この文章からは自分の感情をかなり抑えておられるようですが、逆に冒頭に書いた内容の 反対の状況ですね。ですからダメージというよりは人に気を使うことへの疲れではないかと 思います。なにかを失うことへの怖さからきているのではないかと思います。 そのことにjakrna11様は自分を100パーセント出し切ってしまっておられるのでは ないのでしょうか。100パーセントの後にはもう何もないのですから、これを50~ 60パーセントに抑えることで今の自分が変わっていくのではないかと思います。 要するに極端な感じでいえば今までの半分程度の接し方でいいのではないかと思います。 人生どんなに自分が相手に気を使ってもダメなものはダメになりますので、そんなに気を 使わなくてもいいと思います。 せっかくの人生ですからもっと気楽に渡っていきましょう。
- anndoromeda
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ああ、それはね。 あなたに自分が無いからです。 深い意味で、もちろん、自分はいます。 だから存在しているのですから・・ しかし、自覚された、あるいは感じていると言った方が良いかな・・自分がいないのです。 だから、他人(自分以外)に合わせてします。 その合わせている時だけ、自分が現れるのです。 しかし、自分はいるのに、他人に合わせたときだけ自分がいる・・かの如き生き方をしているので、本当は知っている自分(潜在意識の)との齟齬が生じて辛くなってしまうのです。 では、自分を取り戻すにはどうするか・・ これは難しいです。 が、反面簡単です。 難しい方法・・一生ものです。 で、大抵の人が挫折します。 今回は面倒なので書きません。 簡単な方法・・直ぐにできます。 が、簡単なので直ぐに忘れます。 そこが難点。 でも、より良く生きるには・・何かをしなくてはなりません。 人生にカンフル剤はないのです。 つまり、自分で何とかしないといけないのです。 誰かが、あなたの代わりに・・はあり得ないのです。 そこまで、理解したなら・・後は実行有るのみ。 人は、歩く時「立って」います。 文字通り・・「立つ」です。 が、立っている時に、足裏に自分の重さを感じたりはしません。 忘れています、あるいは気にもかけません。 それが、多くの人の悩みの始まり。 勿論、足裏を気にしなくとも良いのですよ。 場所は何処でも良いのです。 ある人、呼吸に注意を向けたり、丹田などはポピュラーかも。 極端な話・・指先でも良いのです。 それはそれとして・・ 足裏に自分の重さを感じる・・ 注意を向ければ、直ぐにできます。 この「注意を向ける」が自分との出会いの始まりです。 まあ、最初は難しく考えなくて良いです。 唯々、足裏に体重を感じる・・を実行します。 しかし、人とは単純な事には弱い・・です。 つまり、何か刺激・・例えば携帯が鳴れば、もう忘れます。 誰かに声をかけられれば、もうそちらに気持ちが取られます。 これは、当たり前・・でもあるので気にしません。 が、足裏に自分の体重を感じる・・事を思い出したなら、反省などしないで、直ぐに足裏を感じます。 足裏感覚・・と言いましょうね。 椅子に座っていても、足裏感覚は感じられます。 勿論、お尻にも体重を感じます・・そちらの方がお好みなら、お尻感覚でも良いです。 そこは、好き好き。 最初は、足裏感覚・・にいられるのは本の数秒でしょう。 1分いられるようになるまでが大変。 連続して「1分」いられたなら・・後は簡単。 唯、これは何時やるか・・ではなく、何時でも、気付いたなら・・足裏感覚・・ですよ。 足裏感覚を常に意識する様になると、人生変わり始めます。 それがどの位の期間かは、その人の真剣さにより異なります。 再度書きますが、人生に特効薬はありません。 変化を感じるまで数年と言う事もあるでしょう。 あるいは、数ヶ月かも・・ それはあなた次第。 しかし、自分で何もしないで・・人生が変化することはありません。 他人から強制されてでは、変わった気になるだけ・・納得してではないでしょう。 自分が自主的に・・ この自主的に・・が自分との出会いの始まり。 あるいは、自分の決断です。
僕もそうなのですが、、自分の中のある面だけしか、こわくて見せられない、、理解してもらえないんじゃないだろうか、、というのはあります。僕は大体それでさみしさを感じることが多いです。 これは、薄い知り合いくらいなら、別にいいのですが、深い関係になりたかったら、避けて通れない問題だとは感じています。しかし、、いい面を見せないと、嫌われるかもしれない、、というのは、僕も常にあります。 けど、こういうことは、相手にとっても失礼じゃないかなって、最近は思うようになってきました。 相手は全部の面を見せているのに、自分だけかくして見せたい部分しか見せない、、というのは、美徳じゃなくて、相手を信頼していないのではないか、と感じる部分があります。 昔、いじめられたので、演技をするようになって、キャラクターを作るようになってから、対人関係がうっとうしくなってきたような気がします。小学生、中学生のころは、もっと楽しかった気もします。 自分の、汚い面や、とんでもなく下劣な面を出すのが怖いのですが、出さないよりもましなのではないか、と最近思います。これ以上、こういう、自分でキャラクターを作って生きるのは、きついです。人間が嫌いになります。 勝手に、嫌われたくなくて、キャラクターを演じて、負担になって、それで人間関係がいやになるのって、いったいなんなんだ?全部自分のせいじゃないか。と思うのです。 自暴自棄になるくらいなら、自分の汚いと感じている部分や、嫌いな部分を見せたほうがいいと思います。怖いでしょうけど、そう感じるのは、弱いから仕方ないのです。すこしずつ、自分が認めたくない部分を出していかなくては、前に進めない、、と思います。 あなたに巻き付いてがんじがらめになっているこの鎖は、わざわざ自分で巻き付けたのですから、一つずつ、ほつれを直していくのも、あなた自身でしないといけないと思うんです。 この回答は、かなり自分に対して言っている部分が強いので、質問者様の参考にならないと思いますが、参考になればうれしいです。 うまくいきますよう、お祈り申し上げます。