回答自信なしですが、toraさんの「右も左も関係なく、さまざまな思惑がからみあっている政治の世界の中で、例えば、「つくる会」自身も利用されているといえるのでしょうか?」 という言葉に触発されて(つまり真摯さにうたれて)、知る範囲で書きます。右翼左翼という言葉はフランス議会が始まったばかりの頃の右側左側に座っていた人達の主張の違いから始まったのはご存知の事と思います。日本では明治以来いろいろ形容を変えて存在してきましたが、最近の形を知るには、学生運動とかが華やかな60年代に、赤色化防止という、つまり反共産主義化を名目に、児玉誉士夫というフィクサーが、関東中の暴力団を集めて政治結社化させていったのが、一つの潮流です。またもう一つの潮流が暴力団を壊滅させるための頂上作戦を警察庁が実施した際に、多くの巨大ヤクザ組織が政治結社の下部団体という名目をつくって右翼化しました。これが大雑把ですが巨大暴力組織と右翼の関係です。ただ、アウトローの世界という点で横のつながりは、常識では考えられない、彼らの中だけのルールでも昔からありました。変な話「お前らみたいな、共産かぶれは勉強しなおさせなけりゃだめだ」と逃亡中の左翼の学生を庇っていた大親分もいました。その庇われた学生は、マルクス主義では計り知れない人間の機微をそこで勉強し社会復帰したそうです。アウトローの世界は面白いですね。
伝統的な右翼は戦前から続き、「国士」という者として、日本国に仇なすものに一人一殺のテロリズムを敢行していったのです。その中にはパワーゲームに利用された人もいたし、そうでない人達もいたはずです。また、右翼だからと言って国粋というわけではなく大亜細亜主義として、アジア全土に広がった団体もあります。私はそれを右翼と呼んでいいのかどうか(一般的には言われていますが。なぜならその生き残り団体は右翼団体とマスコミに言われていますから)わかりませんが、中国の革命を手助けした団体もあります。
右翼左翼も新右翼新左翼と言って、新民族派運動とかで話し合いをするようになったのは最近です。面白いのはどちらの団体も、集団化するとまとまりがなくなってすぐ分裂するところですね。
政治においては現在は右派左派といっても、厳密には「民主主義」「自由貿易主義」「資本主義」を守るという点において、どの党も、そして国民も当たり前と思っていますから、差異はありません。憲法改正か天皇制をどうするかとは、個々人がいろいろ思っていますので、どの集団がどう思っているかはさっぱりですね。
いろいろな思惑となってしまっているのでそういったばらばらの力が、明確に政治家を支えているとは言えないと思います。
お礼
ありがとうございました。参考になりました。