こんばんは、長らくお待たせして申しわけありません。先日の続きですが、『太平記』と原典の関係、否定形の構文形式、そして道春点と一斎点に観られる流儀の違い、の問題に関してお話しさせていただきます。
【太平記と原典の関係】
件の文言を太平記に求めた結果、手許にある2種類のテクストには以下のルビが振られていました。
(A)「天勾践を空しくすること莫かれ 時に范蠡無きにしも非ず(天莫空勾践 非時無范蠡)」→小学館版『日本古典文学全集 太平記1 194頁』
(B)「天勾践を空しうすること莫かれ 時に范蠡無きにしも非ず(天莫空勾践 時非無范蠡)」→岩波版『新日本古典文学大系 太平記1 140頁』
読み下しは全く同一で「~であるとも限らない」として部分否定をほどこしています。但し「非時無范蠡」と「時非無范蠡」として「非」のかかる先が異なっています。
そして該当部分に関する典拠を調べてみましたところ、この文章自体は『史記』(世家所収の「越世家」)にも見えません。
小学館版のテクスト所収の頭注には故事の「会稽の恥」のプロットとして7つのポイントが挙げられています。
(1)勾践が范蠡の換言を受け容れず敗北を喫した話
(2)勾践が捕虜として呉に幽閉された話
(3)勾践が帰国を許された話
(4)勾践が呉王扶差に美女を贈った話
(5)呉の忠臣伍子胥が扶差を諫めて怒りを買い自死に至る話
(6)勾践が扶差を討って会稽の恥をそそいだ話
(7)その後に范蠡は引退し遁世した話
の7つですが、このポイントは児島高徳のエピソードの次の段で綴られるものの、そのなかに当該の五言古詩は全く登場もしませんので、太平記の作者による改変と考えてもよいでしょう。
【否定形の構文形式】
手許にある『漢詩・漢文解釈講座』(漢詩・漢文教材研究会編)の「別巻 訓読百科」に次の記載を確認することができました。
「[3]部分否定の形」
否定詞と副詞の位置関係によって、次の形が生じる。
・不常有(常には有らず)=「不」は「常有」を否定。
→「常に有り・それはない」→「有ることも、ないこともある」→部分否定(一部否定)
・常不有「常に有らず」=「常」は「不有」を否定。
「常に・ない」→全部否定
そこで、両方の違いをはっきりさせるために、副詞のほうを「常ニ←→常ニハ」のように読み分ける習慣である。
「必ズ←→必ズシモ」「甚ダ←→甚ダシモ」だが「復タ」だけはふつう読み分けない。
として以下の15通りのパターンを例示しています。
(1)「不常」→「常ニハ~ず」
(2)「不倶」→「倶ニハ~ず」(ともには~ず)
(3)「不同」→「同ニハ~ず」(ともには~ず)
(4)「不自」→「自ラハ~ず」
(5)「不甚」→「甚ダシクハ~ず」(はなはだしくは~ず)
(6)「不太」→「太ダシクハ~ず」(はなはだしくは~ず)
(7)「不殫」→「殫クハ~ず」(ことごとくは~ず)
(8)「不多」→「多クハ~ず」
(9)「不驟」→「驟ニハ~ず」(にはかには~ず)
(10)「不両」→「両ツナガラハ~ず」
(11)「不復」→「復タ~ず」
(12)「不必」→「必ズシモ~ず」
(13)「何必」→「何ゾ必ズシモ~ず」
(14)「未必」→「未ダ必ズシモ~ず」
○「不敢」→「敢ヘテ~ず」
※但し、この中の(10)に関してですが、個人的には少し疑問符が付く読み方です。
「[4]二重否定の形」
否定詞で一度否定したものを、さらに否定詞によって否定する、という形。多く強い肯定の意味になる。
(1)「無不~」→「~ザルなし」
(2)「無~不…」→「…ザル~なし」
(3)「不~不…」→「…ザル~ず」
(4)「未~不…」→「未ダ~ザレバ…ず」
(5)「非不…」→「…ザルニアラず」
【原典との対比】で二つのテクストの違いを指摘しましたが、この二つを上記の読み下しのルールに即して読めば
(B)は「天莫空勾践 時非無范蠡」は「天 勾践を空しうする莫かれ 時に范蠡無きにしも非ず」とはなっても(A)の「天莫空勾践 非時無范蠡」を「天 勾践を空しうする莫かれ 時に范蠡無きにしも非ず」と読むには少し無理があると感じます。むしろ「天 勾践を空しうする莫かれ 時に非ず范蠡無きか」として反語表現として読む可能性があるとはいえないでしょうか。
「無」はあくまでも動詞ですから「范蠡のような人物(忠臣)」の存在の有無を説明しているのか「今はその時ではないとのこと」を言っているのかは、非の位置によっても異なります。
中澤希男氏の理解は「無」を動詞として扱うとの部分で問題はありません。漢文での「無し」は否定表現としても使用されますが、実際には物がある・ないとの動詞に重点が置かれています。「人無遠慮、必有近憂(人遠き慮り無ければ、必ず近き憂へあり)」はその事例です。
お礼
大変よく調べて頂いたようで感謝に堪えません。 ベストアンサーに選ばせて頂きます。