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イラクで30カ所超連続テロ、100人死亡
- イラクで30カ所超連続テロが発生、100人死亡
- イラクの首都バグダッドなど全国30カ所以上で爆弾テロや銃撃が相次ぎ、100人が死亡、数百人が負傷
- イラクで米軍撤退以来最悪のテロが発生し、要人や市民を狙った攻撃が行われ、100人が死亡
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”この国に平和が訪れるというシナリオはあるのでしょうか” ↑ 何しろ、人種も宗教もバラバラです。天皇みたいな 存在もいまません。 当分は難しいでしょう。 ”民主的な選挙で民主主義政治が行われたとしても テロはやまない気がします。” ↑ 民主政治がうまく機能する為には、色々な 条件が必要です。 それを無視して、力尽くで押しつけたのです。 当分テロは続くでしょう。 ”それは宗派同士の対立があるし、テロリストが海外から流入するということもある。” ↑ これは英国とフランスが、そうなるように仕向けた訳です。 つまり、人種、宗教、歴史などをあえて無視して 国境を引いた訳です。 そうすれば、内部がまとまらず、支配する側としては 都合がよい訳です。 同じ事は、アフリカでも、インドでも行われています。 インドとパキスタンの紛争は、まさに英国の計算通りでした。 ”何がどうなったらイラクで平和が実現するのでしょうか。 フセイン時代は今より平和だったの?” ↑ フセイン時代は、今より遙かに平和でしたよ。 『どんな悪政でも、無秩序よりはマシ』 と言います。 短期間に平和を取り戻したいのなら 強力な独裁政治を敷くか、人種、宗教別に国を細分 するしか無いでしょう。
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- Streseman
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回答したい なお、これから展開される見解は、歴史的教養・国際法・国際政治的な知見が一定水準にない限りは難解であることを覚悟されたい 本質的に、イラクという地域の歴史を概略的に理解する必要性があるが、現在の「イラク共和国」の原型は『イラク王国』にある。 帝国主義時代の産物である『イラク王国』は国際政治の力学上の産物として作為的に形成された国家である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E7%8E%8B%E5%9B%BD ここで注意するべきは、イラク社会の民族・宗派の多様性である。 過去、イラク社会を統治したムスリム王朝は特定のイスラム宗派・民族を差別することはなかったし、中央政府は人民に深く介入するような政治体制になかった。 概念的には、いわゆる部族社会であって、王朝はその部族社会の支持の上になりたつ存在とも言えたし、社会を統治するための法律(シャーリア)は聖職者が支配していたことから、政府が人民に強圧的にもなれなかった。 したがって、イラク王国成立以前の社会は、この部族(封建)社会による社会統制によって大きな衝突が回避できた。 (もっとも、小規模の衝突は日常茶飯事であるが) イラク社会は、シーア派・スンナ派・クルドという社会が各々適度な距離を置きつつ相互協調しつつ成立していた それらが各々高度に独立した社会として自立していたのである。 しかし、この状況を一変されたのが、上記した『イラク王国の樹立』である 英国主導のハーシム家『ファイサル1世』即位までの経緯は省略するが、 イラクの主導権争いで、英仏の代理戦争の構造に至ったことは理解する必要があるだろう http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%AB1%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E7%8E%8B) イラク王国成立の経緯から、イラクはシーア・スンナ・クルドの対立構造は、各勢力を応援する帝国主義勢力の支援を受けて激化するのである。そして、この対立構造の背景は、現代まで続く怨恨の連鎖の種子とも言えるだろう 第二次世界大戦後、イラク王国は倒れ、イラク共和国が樹立された。イラク共和国樹立からフセイン体制までを簡単に表現すれば、軍閥独裁政治であり、バアス党が政権を奪取すると軍閥化は進んだ。 戦後、アラブ情勢は複雑化した。その象徴が、イスラエルとイランである。冷戦構造において、イランは独特の立ち回りをなし、中東社会のキーマンになった。これは、原油資源・宗派・国力などの総合的側面において中東では特異なポイジョンになたのである。 このイランに対して牽制したいアメリカは、フセイン政権を積極的に支援した結果が、イラン・イラク戦争である この戦争は、イラク社会に大きなダメージを残した。イラク社会にテロが安易に横行するのは、当時から続く重火器の市場流通などの部分も大きいし、『同じアラブ人同志が戦わされた』(厳格には誤認)という憤りに至るわけである 最終的には、イラクはイランに対する牽制力を担えないと見做され、原油資源の収奪だけの存在意義になってしまうのである ここまで極めて乱暴に概略を展開したが、 『”イラクという国家”は成立からずっと帝国主義・冷戦構造という国際情勢に振り回された悲劇がある』と理解されたい ・・・・・・・・・ さて、簡単に概略を説明したが、簡単に表現すれば、 「 イラク社会は、イラク王国・イラク共和国という一つの国家(国民国家)で統制する必然性がない 」、と表現できよう 第二次湾岸(イラク)戦争の戦後統治において、当時の国防長官のラムズフェルド氏が戦後統治の見通しについて 『イラクを解体して、シーア・スンナ・クルドに最低限に分立して統治し、民主化するのが望ましい』 と述べていたように、イラク王国以前のイラク社会のようにイラク社会は、一つの国民国家として存在するのではなく、緩やかな部族社会として連邦制国家・もしくは小規模国家の乱立が望ましいものだっただろう 戦後イラクを分離できなかったのは、分離する大義名分が存在しなかったことが大きいが、分離による国家資源の再分配問題が大きかったとは指摘できるだろう。 ・・・・・・・・・ では、質問に回答しよう イラクのニュースというと大概テロですが、この国に平和が訪れるというシナリオはあるのでしょうか。 イラクという国民国家の形状を維持した上での、平和状況は不可能だろう。 連邦国家・主権国家の鼎立(ていりつ)であれば、イラク王国以前の部族社会として、大きな衝突は回避できるような情勢になれるだろう。その状態を平和と呼べるのか?という問題はあるが、深刻な対立は回避できるだろうし、衝突規模が小さけば仲裁・停戦も第三者介入で行われやすいことから、”平和に近い”と言えるだろう >民主的な選挙で民主主義政治が行われたとしてもテロはやまない気がします。 テロは簡単には沈静化できない しかし、歴史はテロを撲滅する方法を知っている (1)失業者を減らすこと (2)テロの応酬の不幸な歴史を人道的に教育し続けること この二つだけでテロは壊滅状況に出来る。 ちなみに、残念な話だが、テロは民主主義・民主制だからこそ誘発される傾向にある 仔細は補足要請に応じて説明しよう >それは宗派同士の対立があるし、テロリストが海外から流入するということもある。何がどうなったらイラクで平和が実現するのでしょうか。 上記した通りである >フセイン時代は今より平和だったの? 評価は難しいが、死傷者数だけを見れば、フセインの独裁体制の方が平和とは言えるだろう しかし、フセインは、スンナ派には優しかったが、シーア派は冷遇した 湾岸戦争は、イラクがクウェートに侵攻したことが原因であるが、実はイラクへの武力制裁措置の動機としては、シーア派に対する大虐殺事件も指摘できる 評価は難しいとは思う。しかし、失業率・飢餓率などの「人として生きれる」水準で評価すれば、フセイン時代が平和だったかもしれない 少なくとも首都バクダートの住民はそう思っているだろう さて、本件に関しては、仔細情報を持っているし、個人的見解も多々あるので、質問者が気になる問題などがあれば、別途補足質問されれば、可能な限り回答したい 別件になるが、フセイン氏はリビアのカダフィ氏と違って、法廷で裁判を受けた上で、処刑されたことだけは、幸いだったように思う あくまでもカダフィー氏に比べての話だが・・
- mekuriya
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民主的な選挙を実施したからといって民主主義政治が行われるというほど簡単な話ではありません。 イラクの歴史を簡単に振り返れば長くオスマン帝国領の一部であって、第一次世界大戦に前後するオスマン帝国の瓦解でイギリスの委任統治領となり、そのイギリスの委任統治領の一部をイギリスが人工的にイラク王国として独立させたといった経緯ですが、バアス党がクーデターで政権を奪取するまで内政は安定しませんでした。 そもそもイラク人などという民族的アイデンティティは育っていないし、統治階級も育っていないのです。バアス党とは、アラブ民族主義を唱え、西洋による人工的な国境を否定する党是を持っています。アラブ民族主義といわれりゃクウェートもアラブ人が大多数な国家で、イギリスがイギリスの都合でイラクとクウェートを分離させたという言い分も一理はあるわけです。 つまりイラクとは何なの?他の国と何が違うの?イラクの求心力は何なの?ってことです。共和制の国がそういうことを定義しないと国そのものが成り立たない。サウジアラビアやカタールやアラブ首長国連邦は日本と石油などの取引が多いが、どれも首長制、君主制だから求心力があって内政が安定しています。しかし、その3国とて決して民主主義国家という訳でもないんです。 ちなみに湾岸協力会議という組織があって、加盟国はアラブ首長国連邦・バーレーン・クウェート・オマーン・カタール・サウジアラビアの6ヶ国で6ヶ国とも首長制・君主制で、共和制の国は一つもない。 ペルシャ湾諸国に民主主義国家などひとつもないのに、どうしてイラクが民主主義国家になれる道理がありますか?独裁だろうと何だろうと、そもそも治安を確立しないことには選挙すら不可能です。治安を確立するには独裁だろうと傀儡だろうと米軍駐留だろうと政府機構・警察機構・軍機構を確立するしかないんです。 オバマのように綺麗事を並べただけで中途半端に米軍を撤退させれば、治安が乱れるのは当たり前。そもそもイラク人にイラク人などという意識がない。彼らは民主主義など知らない。統治階級が育っていない。彼らは政治が何か知らないからです。 そりゃ宗派対立ぐらいありますよ、どこの国でも。日本の仏教宗派などいったいどれだけ細かく分かれているか分からないぐらいです。イラクの問題点は宗派対立を超える上位レベルの理念・コンセプトが無いことです。 この問題は日本人に理解することは絶望的に難しいだろうと思います。日本は地理・歴史・社会・文化・言語・宗教で外国とは隔絶した独立性を長い間保ち続けています。さらに天皇を君主として擁立する立憲君主制の国です。このような強力な国家の求心力は世界のどこにも存在しない。日本人はおよそ国家理念だの考えたこともないのです。 イラクのような共和制の国家は求心力がひ弱です。国民がイラクという虚構を信じられないのでは到底民主主義など確立できるわけがない。イラク国民は民主主義など信じていない。彼らは宗教以外には何も信じていないのです。何でもかんでも疑うことなく信じてしまう日本人には到底イラクを理解することなどできない。 フセイン時代?秘密警察網で無理やり押さえ込んでましたから。北朝鮮みたいなものです。金正日にバトンタッチする前に倒されただけの違い。
- gungnir7
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ここでも国内に韓国を支持する敵がいる。こいつらを始末すべしという声が挙がるくらいですから、 1週間で数百人単位が殺されるイラクでは推して知るべしでしょう。 原因は米国の傀儡政権にあり、本来は打倒米国で一致できるはずなのですが 国内で足を引っ張り合い、更にそこに宗教が絡んで複雑になっています。 スンニー派とシーア派の二大派閥で揉めているのは歴史を勉強していれば分かると思いますが、 その中にも武闘派、穏健派など諸派があり、今はコテコテの武闘派が暴れているのです。 イラクはシーア派の国であり、スンニー派は少数派です。さらに北部にはクルド人などがいます。 フセイン政権下は軍事政権ですから、これら少数派は弾圧を受けています。 といってもフセインに楯突かなければフセインも無闇に国民を殺すことはしないし、今よりは平和でした。 今は米国がバックにいますからスンニー派が積年の怨念を爆発させているのでしょう。 米国のことですから変なNGOとか使ってスンニー派に武器を提供しているのは確実でしょう。 陰謀論の史観に立てば、アルカイダ側にも武器を供与しているかもしれませんよ。 自分の応援勢力と対立する勢力にも支援して泥沼にさせるには欧米外交のお家芸ともいえます。 まずは欧米の影響力がイラク国内に及ばないようにすること。これが解決の第一条件。 後は同じ中東の住人なのですから、どこで妥協点を見いだせるかです。 欧米がいてはそれが一切不可能、問答無用の世界が続いていくと思われます。