後悔は意味があるとは思ってません。
反省は前向きで良い事だと思うので良いと思います。
後悔は過去の中に入り込んで、変更する事の出来ない
物理的にすでに存在すらしていない過去を改変したい心に巣くいますが、
叶わない願望の為、感情を底なし沼にひたすら投げ込むような形になり、
今を生きている自分をひたすら消耗させます。
反面、反省は過去での失敗を
今生きている自分の中にいかに生かすかという行いです。
だから、今を力強くする材料になります。
過去は記憶や経験としての資源ですが、
物理的には存在せず、変更はききません。
しかし、評価やとらえ方次第で
資産にも負債にもできます。
仮に過去に非常ないじめにあった方がいたとして
そのいじめがあったから、今の自分はダメなんだ。
あのいじめがなかったら今の自分はもっと明るい人間のはずなのに
ととらえ、自分の人生の負債(ネガティブ)にも出来ますし、
そのいじめがあったから、私は同じいじめにあった人の気持ちが分かるし、
普通の人以上にこれからもっと優しい人間になる為の努力が出来るとし、
いじめをなくす活動も出来るし、いじめている人間にも調べていくと
家庭に問題があったりといろいろ問題があった事に気付く事が出来た。
もっと強い人間になろうと思う事が出来た。
などなど・・・・一見マイナスに見える事も
自分の人生の資産(ポジティブ)に出来ます。
仮に片手が生まれながらになく生まれてきた人がいて、
この片手が生まれながらにないから人並みの事が出来ないんだと、
ない片手の空間を見つめてひたすら嘆いて人生を送り、
直接、関係のない事まで全てそれが原因と結論づけたり、
そのハンデを自分の人生の負債(ネガティブ)にも出来ますし、
この片手がない分、人に出来ないチャレンジが出来るとか、
じゃあ、自分で義手を作って見ようとか、
同じような身体の一部にちょっと特徴を持った他の人々と考えをシェア出来るし、
そういう人たちの工夫も目に入るし、
同じような人々の為に何かできないかと考えたりする事も出来ると、
自分の人生の資産(ポジティブ)にも出来ます。
さて、上記2つの例でのそれぞれの違いは何かというと
とらえ方、評価です。
端的に言うなら過去との向き合い方は
過去を
今現在、今ここにいる自分にたいして
生かす事に使うか、
殺す事に使うか
の一言に尽きるかもしれません。
言葉による識別は
否定形か、肯定形かです。
過去は使い方次第のもろ刃の剣です。
どう使うかは質問者さんの意思に任されています。
まさに自由って事です。。。。
わざわざ死ななくても
地獄も天国もこの世にあるんだと思いますよ、私は。