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死んでしまった神様のご利益
日本神話には火之迦具土など死んでしまった神様が存在します。 それらの神様も神社で祀られていたりしますが死んでしまった神様でもご利益は在るのでしょうか。 なんだか薄いような気がしてしまいます。 専門的な回答でなくとも「私はこう考える」というのでも結構です。
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おもしろいですね。考えてもみなかったです。 本当に死んだんでしょうか。 彼らは、私たちが記憶している以上、ずっと存在しているのではないでしょうか。 まつっている以上、神さまはそこにおられるのです。 という考え方なら、後利益があるのでしょうか。 また、 僕は、利益があるみたいな発想はものすごく近代的なのかなっておもったりします。 投資したらそれ以上のリターンを求めるという資本主義的な考え方かなって思います。 祈るという作業は、本来無償ではないでしょうか。 昔の農家の方は、将来の不安(天候に大きく左右される作物の実りへの不安など)に対してのどうしようもない感情を、祈る作業に込めたのではないかと思います。 だからと言って、今とは関係ないといわれればそれまでですが、 神が死んでようと生きてようと、それを想い祈るということが、心にいいのではないかと 思います。(そういう意味で、ご利益があるといえばある。という回答です。) 日本の神というのは、その器なのかな、と私は解釈しています。 というひともいるのでしょうか。 そもそも、神なんてもんは人間の作った概念だから、死のうが死ぬまいが、ただの偶像であり、利益はなくて、あると思うのは、ただのプラシーボ効果(思い込み効果)です。 というひとも居たりして、 というちょっと卑怯な書き方をしてしまいました。 専門ではないので、あんまり自信がなくて。 僕は、考えてもみなかったのですが、何かに祈ってました。 真ん中の意見ですね。
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- kyo-mogu
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死ぬというのは肉体を持っている状態。それが無い状態に。霊とかそういった存在になっているので、神として存在しています。霊魂そのものが失われても、信仰する人々の念などが形となり復活している場合もあるでしょうね。 ただ、神という存在は御願いする限りにはしきたりなど守るべき物があります。それに従えばご利益もあるでしょう。ただ拝んだだけでは駄目ですからね。
- pupPeTeer119
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死んでしまった神も黄泉に行って、形を変えて存在しているのだと考えれば、ご利益はあるのでは? イザナミなんて黄泉にいながらにして一日に1,000人殺す、なんて言ってますからね。 それでなくても八百万神ですからね。一人いなくても誰かが変わりにどうにかしてくれそうな気がします。まぁ、八百万は“数が多い”程度の意味らしいので実際には何柱の神がおられるのか謎ですが・・・。
- fujic-1990
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負けたから、かえって勝ちたいという気持ちが分かってくれて、絶対に助けてくれるだろう、的な発想をするのが日本古来の考え方なんですよ。 典型的なのが、長野の諏訪大社です。「御柱祭り」で有名な神社で、武田信玄が深く帰依した神社です。 あちこちに末社があります。 ご祭神「建御名方(富命)」は大国主の子供で、親の大国主が天孫族に国を譲るときそれに反対して天孫族の建御雷神と戦い(相撲をとった)、負けて信濃まで来て、生涯信濃から出ないことを約束して許された、という伝説のある神様です。 日本の神々ははやい話が「ご先祖様」です。亡くなるのは想定内。亡くなったことで、肉体の束縛を離れ、さらに強い力を発揮できるようになった、くらいに思って拝みましょう。