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ゆとり世代と昔の人

昔の動画とかみると色々な有名人や一般人もかなり若くても割りと老けていて 物腰自体もかなり大人っぽかったけど、見た目は時代があるんで 違うのはわかりますけど最近の若い人は昔の人が若いころに比べると 全体的な挙動や物腰が幼い感じしませんか?何故そうなのかわかりませんけど やはりゆとり教育が関係してるんでしょうか?

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noname#160007
noname#160007
回答No.5

まあ「幼く感じる」というところから既に怪しいですね。 仮に幼さを数値化できたとしても、その原因を確かめることはできないと思います。 「ゆとり教育が原因だ」という仮説を検証するには、 ゆとり教育があった場合となかった場合とで、 それ以外の条件を全て同じにして、 歴史をやり直して確かめるしかありません。 そんなことはできないので、 社会的な事象に関しては対照実験ができません。 したがって、仮説は検証できません。 つまり、「社会的事象の原因を考えるのは無意味」ということです。 「ゆとり教育が原因か?」という問いに対しては、 「それは誰にもわからない」というのが唯一の正しい答えです。 世間には評論家とか社会学者とかいうインチキ業者がたくさんいて、 「○○の原因は××だと考えられる」などと勝手なことばかりぬかしていますが、 そんなのは全部デタラメです。

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noname#172673
noname#172673
回答No.4

昔より精神年齢が低いって事が原因になってると思いますね。 明治時代中期~後期あたりの男性の平均寿命は 確か35-6才だったと記憶しています。15-6才にはもう成人とみなされていたと聞いた事もあります。 なのでゆとり教育は関係ないと思っています。 『最近の若い人は昔の人が若いころに比べると全体的な挙動や物腰が幼い感じしませんか?』 思いますね。 私の祖母なんかは私をみてとっても心配していますもの‥。中身が幼すぎるって‥。人にもよるのでしょうが 祖母の娘時代の昔話を聞いて 私自身もそう思いますね。

  • daidou
  • ベストアンサー率29% (491/1687)
回答No.3

最近50年間で、およそ15歳程度日本人の平均寿命が延びています 現在の平均寿命は男性でほぼ80歳 1960年あたりでは65歳くらいでした 一般的な会社員の定年も50歳とか55歳でしたね つまり平均的な寿命の何割をすでに生きてきたか、という事があります さらに、自分より上の人間たちの数も異なります 同じ20歳でも、年齢に対する社会的な要求のレベル、社会的責任が異なるという事です 日本が豊かになり、上昇志向が薄れてきたという要素もあるでしょう がむしゃらに頑張って上を目指す必要がなくなり、刹那的な生き方を許容出来る社会になったという事も一つの要素だと思います つまり若者に甘えを許す社会構造です それから「ゆとり教育以前」の教育の方針もあったように感じます 60年代から70年代の初めの学生運動は、若者たちが自らの手で日本をより良くしようという活動でした それが今でいう「カルト」にも似た集団を生み出し、過激な活動へと発展していったため、 それ以後の学校教育の背景には「平等主義」や「競争の忌避」、「多様な価値観を認める事の是」など 強固な価値観や鍛えられた議論を生まないよう、言い換えれば「学生たちの牙を抜く」ための方針が採用されているように思います この事が精神的な成熟を遅らせている要素の一つだとも思えてなりません

noname#160590
noname#160590
回答No.2

ゆとり世代がどうかわかりませんけど、 最近戦後・終戦のテレビ番組で、 特攻隊などの人達は、 若いのに、随分大人びた遺書を書くもんだな~と思いました。

  • 310f
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回答No.1

こんばんは。 わたしは、挙動や物腰だけではなく、 中身も幼稚化しているように感じます。 それは年々顕著になっているとも思感じています。。。 なので、 「ゆとり教育」の世代よりも下の世代でも それは言えることだと思います。 原因がなんなのかは専門家ではないのでわかりかねますが、 ただ、個人的には、 (1)恵まれ過ぎた環境による「考える力の低下」と (2)親の幼稚化(大人になれてない親によるしつけや教育の不十分)が原因なんじゃないかなと考えます。 (1)に関しては、 色鉛筆や絵の具によるぬりえで例えると、 昔の人は、限られた色で、紫やピンク、肌色、オレンジ色などを自分たちで組み合わせて作ってましたが、 現在10代のコ達は、最初からそれらの色が入っている絵の具などを使用して育っているので、 「ピンク」となったら、そこに入っているピンク色=ピンクというような発想で、 薄ピンク、濃いピンク、青みのピンク、赤みのピンクという風に、 自分でイメージしたピンクを作るという行為をしない傾向があります。 肌色もそう。人物画を描くと、描かれた人物みんなが同じ肌色。。。 便利であったり、最初から与えられることが当たり前な環境で育ったことで、 考えることや想像する機会が失われているのかな…と感じています。 それ故、昔の人が自分で工夫し、習得していた課程が減って(もしくは無い)いる分、 それらの考えなどが、ちょっとした仕草や態度に表れているのかなと思います。 自分で考えて行動する人の顔は引き締まってて大人びますが、 それがなければ、幼稚な雰囲気になるのかなと。。。 それに加えて、親自体が、親になり切れていないとも感じます。 道を広がって歩いていても、子供を注意しない。 電車に乗るとき、親が堂々とドアの前に立って降りる人を優先しない。 タバコを堂々と道で吸う。(それ以前に子供の前で吸うこと自体が親として恥ずかしい行為だし) 敬語を話せない。 ポイ捨てをする。etc. 子供は親をみて言葉やマナーを学びますから、 その親がきちんと言葉を話せなかったりマナーを守れないといった幼稚な大人であれば、 当然、その子供も、幼稚化するのが自然だと思います。 情けない話しですけどね。。。 学校での教育を受ける以前、もしくは小学校中学年までの 子どもの脳が柔軟なうちでの問題だと思います。 私自身、早い段階から培ってきた教育やしつけなどの方が 大人になってからも身に染み付いているので余計にそう感じます。 なので、ゆとり教育以前の問題だと思います。 長くなってしまい申し訳ありません。 少しでもご参考になれば幸いです。

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