こんばんは夜分遅くに失礼します。
問題点を整理します。
(1)「AとBの両方ともに対して」
(2)「AとBの両方に対して」
(3)「両方に対して」
これらは2つのグループに分類することができます。
(A)→(1)のケースのみ
(B)→(2)および(3)のケース
正解から申しますと(B)となります。その理由ですが、この話題を提起している主語はAとB以外の第三者つまりCということになります。その「Cから見ての相手」ですからAとBの「両者(もしくは双方)」となります。両方あるいは双方は「共に」の意味となります。
但しここに一つの例外もありえます。裁判のケースです。法律家が好んで使いそうな「以て回ったような」表現(あくまでも自らは双方の間に公平に立つ判断者だよとの偉そうな意識)やそれを伝える第三者なども「観察者としての」意味で使う可能性もあります。ここには英語の“each other”(=互いに)の意味が示されています。
とはいえ現在ではこうした「わからない日本語」も徐々にその姿を消しつつあります。言葉の役割は「相手に意思を的確に伝える」ことですから、そこに違いがあることなどは到底許容される性質の問題ではありません。
モノの本質を本当に理解出来ているならば、解りやすい言葉で表現できるはずですから。
【追記】
日本語の構文に関して、主語、目的語、述語動詞、副詞節の理解が正しいかどうか、とのご質問を寄せられていたかと存じますが、その際にお話しさせていただく時間がありませんでしたので、この場をお借りして簡単にお話させていただきます。
「日本語」を構造としての側面から考察した場合、その最小単位は英語などの外国語と同様に「単語」となります。そして日本語の枠構造としての「単語」は自立語と付属語に大別されます。
自立語は「それだけで意味を示す言葉」として「名詞・代名詞・連体詞」「動詞」「形容詞」「形容動詞」「副詞」「接続詞」「感動詞」の品詞を含むグループ。付属語は「それだけでは意味を示す事のできない」言葉のグループです。品詞として「助詞」と「助動詞」が含まれます。
そしてこの「自立語」と「付属語」を組み合わせることで、それまでの「単語」が「文節」へと変化し、その「文節」が更に集まったモノが「文」となります。
従って質問者様が寄せられた「彼は それがどの様なものだとしても それを実現させている」を文節に分解してみますと次の様になります。
「彼は それが どの様なもの だとしても それを 実現させている」。主語の「彼」に対して述部は「実現させている」です。「は・が・を」は「彼」「それ」「それ」に付属する助詞です。英語的な発想からすれば「それを」が目的語に該当します。
けれども日本語の文法体系では「目的語」の概念がありません。その代わりにあるものが「修飾語」であり、これは「連用修飾語」と「連体修飾語」に区別されます。それぞれは「用言」と「体言」に掛かります。
例文ですと「それを」は「実現させている(実現する+可能の助動詞としての「させる」)」に掛かる連用修飾語となります。ですから「語」という単語を想起させるイメージを一先ず横に除けておいて「修飾部」とご理解された方が解りやすいかと存じます。
残る「それが どの様なもの だとしても」はいってみれば英語の挿入句に相当します。そして日本語文法(学校文法)でカテゴライズするならば「修飾語」であり、機能的には「状況語」に相当すると考えられます。