※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:いじめについてのご意見(長文))
いじめ問題についての重要なポイント
このQ&Aのポイント
連日大津の中学生が自殺した事件を受け、いじめ問題が注目されています。いじめの撲滅や被害者の人権と加害者の人権の問題が取り沙汰されていますが、この問題は解決の糸口が見えない状況です。
いじめはどんな時代でも存在し、根本的な本能とも言えるものです。しかし、自分の感情を他人に伝えることはできるが、それを広めるべきではないと考えられます。
いじめのきっかけと原因を混同しないことが重要です。いじめは必ず原因がありますが、そのきっかけがいじめを受ける本人にとっては改善することはできません。いじめを防ぐためには、加害者がきっかけをどのように受け止めるかが大きな要素となります。子供たちにいじめの問題を理解させるにはどうすればいいか、皆さんの意見を聞かせてください。
連日、大津の中学生が自殺した事件を皮きりに、各メディアが様々な方面でこの問題について取り上げています。
「いじめを撲滅しよう」「いじめは絶対に無くならない」
「被害者の人権」「加害者の人権」
互いに矛盾した問題だけが平行線を辿り、なんら解決の糸口が見えないまま、これまでの事件と同様、時間が経てば風化されていくのではないかと懸念しています。
いじめは、いつの時代も、どんな環境にも存在するもの。
それは、「差別」や「偏見」、「村八分」などの言葉が、昔から存在する事でも分かるように、人が人を好きになる感情があるのと同様、人が人を嫌いになる感情が間違いなく存在するように、根本的な動物としての「本能」とも言える事なのかも知れません。
実際に、いじめとそうでないものの違いは何なのか?
自分は、今その境界線が非常に曖昧になって来ております。
自分には、当然のように好きな人がおりますし、その反対に嫌いな人も間違いなく存在します。
その嫌いな奴と「仲良くやれ」と言われても、到底無理な話であり、好きな奴と同じくらいに平等に扱えと言われても、そこまで人は出来ておりません。
ここまでは、自分と同じように思う方がいるのではないだろうかと思います。
問題はそこからであって、この「負の感情」の使い方や方向性が一番重要になるのではないだろうかと思うのです。
嫌いな奴は嫌いでいい。
でも、それはあくまで「自分個人の感情」であって、周りにまで伝達する事では無い。
そう思うのですが、いかがでしょう?
よく、いじめは「いじめられた側にも原因がある」と言われますよね?
もちろん、いじめられた方が悪いとは思いませんが、なぜこの言葉がよく使われるのかについては、深く考えさせられる部分があります。
人を嫌いになる事には必ず「原因」があり、いじめに発展するには「きっかけ」があるのだと思います。
しかし、「きっかけ」は「原因」ではありませんので、いじめを受ける本人に取っては改善する事は出来ません。
「きっかけ」をどう受け止めるかは、いじめに加担する側が「原因」になるのだと思います。
いずれにせよ、たった一人に対して、多勢でかかるという者の神経を疑いますし、キモい行為である事は間違いありません。
最終的に何を言いたいのか分からなくなってしまいましたが、皆さまはどうすれば、子供達の中で「いじめは何でいけないのか?」と言う事を分からせる事が出来ると思いますか?
ご意見下さい。
お礼
ご回答頂き、誠に有り難うございます。 大変共感出来る部分が多々ありました。 >子供は…体はもとより心も出来上がっておらず弱いです >多人数で一人を攻撃するのも逆の立場の「一人になりたくない」とか「いじめられるならいじめる方に入る」といった心の弱さが原因だと思います 仰られる通りだと思います。 小さい内から、個々のメンタルを強くする為には、やはり学校教育と共に、家庭教育でも充実させないといけませんね。 しかし、大人の世界でも実際いじめはありますよね。 会社でも、教育現場でも、父兄の間でも、色んな分野に人間の根源足る感情は現れています。 今の子供達は、そう言う面にはとても敏感であると思います。 「そう言う状況」が、実際大人の世界でもあると言うのに、「いじめはいけない」とただ教えられたとしても、子供達は何をどう感じるのか?と思う訳です。 自分だったら「建前だけでキレイ事を言う汚ない大人」と感じるのではないかと思います。 そもそも、仰られているような「教育現場の崩壊」はなぜ起こったのか? 自分達が子供の頃は、悪い事をすれば、親に叩かれたり、先生に叩かれたりするのは当たり前でした。 いつからか、それが「体罰」とみなされ、親がそれを監視するようになり、子供が教師を舐めるようになってから、当たらず障らずの教師が増えて来たような気がします。 親自身にしても、いつからか「思い込む」親が増えた気がします。 「自分の子供はいい子だ」「自分の子供はそんな事しない」 四六時中監視している訳でもないのに、「親だから」と言う理由だけで、子供の全てを分かった気になっている。 自分も二児の子供の親ですが、将来、自分の子供がどうなるかと言う事は、実際、よく分かりません。 いつ自分の子供が、いじめの被害者になるか、加害者になるか。 いじめは絶対に無くならないと言う事から、だからと言っていじめの傍観者であっても欲しくありません。 でも、それは仰られたように、もしかすれば「一人になってしまう」事でも、逆に「ターゲットになってしまう」事でもあるかも知れません。 自分の事であれば、例え一人になったとしても、どうにかして納得する形に持っていける自信はあります。 しかし、自分の子供となれば、その自信がありません。 親となれば、弱くなってしまう部分がある事は、否定出来ませんね。。。 心の弱さとは、心の強さとは何でしょうか。。。 そもそもが分からなくなって来ました。 ご回答頂いた内容は、親として深く考えさせられるものでした。 参考にさせて頂きます。 本当に有り難うございました!
補足
ご回答頂いた皆様、本当に有り難うございました。 あれからもう一度、皆様に頂いたご回答一つ一つを読み直して参りました。 色々な角度から、このいじめ問題について真剣にご意見下さったご回答に、ベストアンサーを付ける事は本当に胸が苦しくなる行為です。 しかし、だからと言って選ばずに締め切る方がもっと失礼だと思いますので、誠に申し訳ございませんが、今回は「子供自身と一番近くにいる親」から教育をし直さなくてはいけない、と言うご意見を最初にくれましたKiripaku様をベストアンサーに選ばせて頂きたいと思います。 大きな社会全体の中で、大きな部分から改善をしなくてはいけないのはもちろんの事、やはり家庭と言う社会の縮図の中の「末端部分」から変えて行かなくてはいけない問題なのだと改めて感じさせられました。 今後も、このいじめ問題については「しつこい」くらいに議論を重ねていかなくてはいけないのだと思います。 また何かの機会がありましたら、よろしくお願い致します。 本当に有り難うございました!!