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いじめ問題についての重要なポイント
- 連日大津の中学生が自殺した事件を受け、いじめ問題が注目されています。いじめの撲滅や被害者の人権と加害者の人権の問題が取り沙汰されていますが、この問題は解決の糸口が見えない状況です。
- いじめはどんな時代でも存在し、根本的な本能とも言えるものです。しかし、自分の感情を他人に伝えることはできるが、それを広めるべきではないと考えられます。
- いじめのきっかけと原因を混同しないことが重要です。いじめは必ず原因がありますが、そのきっかけがいじめを受ける本人にとっては改善することはできません。いじめを防ぐためには、加害者がきっかけをどのように受け止めるかが大きな要素となります。子供たちにいじめの問題を理解させるにはどうすればいいか、皆さんの意見を聞かせてください。
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教育現場が崩壊している以上、いじめはエスカレートすると思われます 子供は…体はもとより心も出来上がっておらず弱いです 多人数で一人を攻撃するのも逆の立場の「一人になりたくない」とか「いじめられるならいじめる方に入る」といった心の弱さが原因だと思います 最終的には教育しかありませんが、教育現場の崩壊や虐めた側の親の対応を見ている限りは期待は薄いですね 私自身も親ですので我が子には甘い部分もあるとは思いますが「悪いことは悪い」、また年齢が上がるにつれ「自分でやったことの責任は自分でとる」ことを教えています しかしTVなどを見ている限りでは、まず親自身が教育を受けないと無理そうだと感じます 親や先生の心が「自分の身を守ること」しか考えられない「弱い心」である以上「心の強い子供達」をつくりあげる教育ができるワケがありませんから…
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- fujitapari
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小父さんです。 多分、皆「いじめは悪い」と分かってると思います。 それでもしてしまう、何かが有るのでしょうね。 要は、止めさせること、しないようにすることですが、綺麗ごとを言ってもダメだと思います。 彼らには、そうすることで、自分に被害が舞い戻るとか、駄目な人間になってしまうというような、恐怖心を感じさせないと効果が無いように思います。 いけないのは、貴方が言うように、集団で行う事だと思います。 一人で行動する勇気のない、弱い人間がしてしまう行為なんでしょう。 強い先生や、友達が、「ガン」と強く言ってやることが良いのではと思います。 私は、60過ぎですが、いじめられたことは有りませんし、周りにあまり無かったようです。 昔は、子供も親も強かったように思います。 真剣に叱るという事も、必要と思います
お礼
ご回答頂き、誠に有り難うございます。 お礼が遅れ、大変申し訳ございませんでした。 一つ一つのご回答が、みな真剣に考えて頂いているものであり、とても有難く感じております。 >多分、皆「いじめは悪い」と分かってると思います。 それでもしてしまう、何かが有るのでしょうね。 そうなんです。 みな、いじめはいけないと言う事は分かっている。 しかし、その内の何割が「本気でそう思っているのか?」が自分には疑問です。 それでもしてしまう「何か」とは何なのか。。。 自分考えますに、人をいじめるような人間には「悪いと分かっている社会の常識」よりも「それを適用しなくても良いと考える感情の方が強い」のではないかと思います。 幸いな事に、自分もfujitapari様と同じように、過去から現在に至るまで、自分の目の届く限りでは「いじめ」なるものは無かったように思われます。 その代わり、「喧嘩」が多かったように思いますね。 今の子供達は喧嘩なんてするんですかね? あまり聞いた事がありませんけど。。。 自分の若い頃は、悪い事をすれば父親や先生達にガツンと怒られたり殴られたりしていたものです。 自分達の頃は、今取り挙げられている、教育委員会や校長、ましてや市長などが、生徒の問題に入って来た事はありませんでした。 問題があった時はいつも、担任、相手と自分、双方の両親など「当事者」のみで解決出来ていたと思います。 今の状態は何なんでしょう? 自分から見れば、教育長や校長、市長などは、本当の意味で「第三者」です。 第三者が第三者に対し「本気になれる訳がない」と思えるのです。 今後、それらの機関がどんなに「方針」として、いじめを強化したり厳しくしたりしても、それは自分らの為の「保身」でしかないと思えます。 ましてや子供達であれば、それらの事には特に敏感に感じるだろうと思います。 「真剣に叱ると言う事」 今の時代、それが出来る教師や大人はどのくらいいるのでしょうか。。。 出来ても自分の子供ぐらいなもので、その根底にはやはり「大切だから」と言う事が存在するんだと思います。 それが出来ないと言う事は、「大切ではないから」と言う答えを、子供達は出すのではないでしょうか。。。 当たらず障らずの教師、事無かれ主義の行政。それを受け入れざるを得ない家庭。。。 子供達、一人一人が強くなれなくても当然の結果かも知れませんね。 暴力を使って子供を躾けるのは、賛否両論分かれる所でもあり、確かに褒められた事ではありませんが、それでも確実に自分の中で救われた部分はあるのです。 「力の正しい使い方」 本来、そんな言葉は存在してはいけないのかも知れませんが、それでもあの頃は、教師も親も「叩くのが上手かったな~」と改めて感じています。 「理想」と「綺麗事」は違う。 それを、我々大人が子供の目線になって考えて行かなくてはいけないのではないかと思います。 長くなってしまいましたが、とても納得のいくご回答でありました事、深く感謝しております。 本当に有り難うございました!!
- ekopon
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理由あっての好き嫌いの感情も 本能的な好悪感も、人間なら誰でも持っているものです。 でも、それを行為・行動としてあからさまに相手にぶつけることは 全く次元が違うと思います。 「殺したい」と思うことと、実際に殺してしまうことが 全く違うように。 子供にいじめは何故いけないか?を解らせる…というより、 そもそも人間は、いけないと解っていてやってしまう愚かさを持っていることや 少しでも幸多く生きるには自分はどうすればいいのか?…など 社会や生き方や人間関係など様々なことを 多角的に自分で考えさせることが必要だと思います。 大人でさえ人生を俯瞰する余裕はないから、ムリかなあ??
お礼
ご回答頂き、誠に有り難うございます。 お礼が遅れ、大変申し訳ございませんでした。 ははぁ。。。とても共感出来るご回答であると感じました。 いじめの問題は、子供の中だけの話ではないと思っています。 「いけないと分かっていてもやってしまう愚かさ」 そもそも、本当にいけないと思っているのか?が自分には疑問です。 表面上では確かに分かっているとは思います。 しかし、なぜやってしまうのか?については、突発的な行動であればともかく、持続的な事であれば、やはり根本では「そうされても当たり前」と言う心理があるのではないかと自分は考えます。 「ムカつくから」「嫌だから」 「理由なんかはそれだけで十分だ」 人をいじめるような人間には、きっと誰にでも分かる「社会の常識」などが「適用されない感情の方が強い」のではないかと思います。 >少しでも幸多く生きるには自分はどうすればいいのか?… 戦争は、「どちらも正義」だから起こるもの。 人の幸せと自分の幸せが噛み合わなかった時、一体どうすれば正しい答えを導きだせるのでしょうか。 たくさんの方からご回答を頂き、自分の中で答えが出て来たもの、逆に余計に分からなくなったものなどが理解出来たような気がします。 非常に参考になりました。 本当に有り難うございました!
- ymrys73
- ベストアンサー率35% (7/20)
いじめが悪いというだけで解らせるだけであればNo4の方の説明にちょっと被害者の気持ちを代弁するだけでいいでしょう ただ質問者の方の内容を見てるとそれだけでもないような気が・・・ 原因ときっかけの関係の考え方がちょっと僕は違うかな まー子供がケーキを持って歩いていると石につまずいてこけてケーキが下に落ちた 原因は石がそこにあったからこけてケーキが落ちた きっかけはそこの石を見逃したから であれば子供にきっかけをいち早く察知できるようにしておけば全部とは言わないが 回避できる部分はあるのでは と考えると被害者の子供もいじめのきっかけをいち早く察知できるようにしておけば・・・ 回避できたかも? 最初はだれもいじめられて無いわけですから加害者が誰かわからない けれども、いじめられるきっかけを知ってれば回避できるかも? (回避できない場合もありますが回避しやすくはなると思います) 加害者側が誰かわからないので加害者側の質問者の方の原因をどうこうできない であるなら出来る範囲は被害者側の方の行動とか考え方しか調整できない と考えます ただし加害者を決して擁護してるわけではないです。 私の、きっかけと原因で最善にととれる行動と範囲のみのかんがえかたです
お礼
ご回答頂き、誠に有り難うございます! お礼が遅くなり、大変申し訳ございませんでした。 自分が質問した内容にある、「きっかけ」と「原因」についてですが、説明が足らなかったようです。 例えば、例に挙げてもらったケーキの話で言えば、「石につまづく」事も「石に気付かなかった」事も、自分の中ではどちらも「原因」になると考えます。 ただ、その一連の行動を見ていた周りの者がどう思うかについては、全て「きっかけ」ではないかと思う訳です。 つまり、自分以外の他人から受ける全ての事は「きっかけ」であり、それをどう受け止め、どう判断し、どう行動するかは「自分が基本」と言う事になり、いわゆる「原因」となるのではないかと思うのです。 漠然とした事ではありますが、そう考えれば「誰かのせい」と言う考えは必然的に無くなるのではないでしょうか。 人が人を嫌いになる原因は自分にあります。 つまり、自分が見て「これが嫌だ」「こう言う所は嫌だ」と言う感覚は、本来自分個人が持っているものです。 しかし、いじめのように、主犯と呼ばれる者の一人の行動や想いが、周りに伝染する事で、個人的にはどうも思っていなかった事が、自然と嫌な事に見えてくるのではないかと考えた訳です。 汚なくないのに汚ないと思う、人が笑っているから自分も笑う、人がやっているから自分もやる。 いじめに便乗する者達は、他人に与えられた「きっかけ」が、さも「原因」であるかのように錯覚しているのではないか?と思えて来るのです。 >であるなら出来る範囲は被害者側の方の行動とか考え方しか調整できない と考えます 被害者側の行動と考え方の調整ですか。。。 実際問題、難しい所ですよね。 加害者を擁護している訳ではないと言う事は分かりますよ。 でも、あまりに難しいです。 それが出来るなら、いじめなんてものは始めから存在しないような気がします。 自分も加害者側を擁護する訳ではないのですが、人を誘導していじめを実行できるような人は、それだけの力があるとも取れる事だと思いますから、それをもっと他の事に使えば良いのにな。。。と残念に思う部分もあります。 頂いた回答を参考に、もっとよく考えて見たいと思います。 本当に有り難うございました!
- zz400n
- ベストアンサー率14% (351/2354)
ちょいとした例題を出すと。 「自分には、当然のように好きな人がおりますし、その反対に嫌いな人も間違いなく存在します。 その嫌いな奴と「仲良くやれ」と言われても、到底無理な話であり、好きな奴と同じくらいに平等に扱えと言われても、そこまで人は出来ておりません。」 質問者様の文を引用したものですが、ここで書かれている、質問者様の嫌いな人をA君とします。 貴方はもしそのA君がいじめられている時に助けますでしょうか? (1)一緒にいじめますか? (2)それとも助けますか? (3)見ているだけですか? このように、そこで助けるという人はいるかもしれませんが、実際の現場では(3)が圧倒的に多く、かかわると自分が標的にされるからという意見からです。 それにいじめている本人も、自分のしていることに罪悪を感じることが出来ずにいることです。 家庭で親が教育をしない、教室でも先生が止めない。 そのような環境が重なり、自殺という結果が産まれます。 最後になにをすれば、子供に諭すことが出来るかというと、それは授業です。 クラスの中心となっている人物を3人ピックアップして (1)いじめる生徒 (2)いじめられる生徒 (3)見ているだけの生徒 の3役を作ります。 そこで、実際にいじめている役をさせ、その3人がどのような気持ちかを黒板などに書き出す。 そこで何故いじめが起こるかを検証し防止策を講じる。 そうすると気持ちがわかる為に、いじめ自体が少なくなります。 この授業で大切なのが、いじめる側をいけないこと、恥ずかしいことだとわからせることです。
お礼
ご回答頂き、誠に有り難うございます! お礼が遅れ、大変申し訳ございませんでした。 さて、自分の質問に対するzz400n様のご回答ですが、個人的にも非常に興味深いものであり、昨日もあれからパソコンの前に立っていない間ずっと、この問題について考えておりました。 zz400n様のご回答の中の質問に答える前に、まずは確認したい点がございます。 >貴方はもしそのA君がいじめられている時に助けますでしょうか? あくまでも「いじめられていたら」と言う事ですよね? そうであるなら、答えは間違いなく(2)だと断言出来ます。 これは、理想論でも綺麗事でもなく、自分の性格から考えた、消去法を使って残ったものが(2)であったと言う事なのです。 理由としては、こんな質問をしているぐらいですから「嫌いになる事といじめられる事は違う」と言う事が「建前」として自分の中に存在します。 そして、「本音」の部分になりますが、ここがzz400n様も仰っていた、大多数の人の核心に迫る部分なのではないかと思っています。 批判覚悟で言いますが、きっと自分はどちらかと言えば「いじめをする側の人間」なのだろうと思います。 つまり、自分がいじめを止めても何しても「いじめられる事はない」と思っていると言う事です。 もちろん、過去に人をいじめた事はありませんよ。 実際、自分の周りでは、いじめと言ったいじめは存在しなかったように思います。 例えば、子供にせよ、大人にせよ、我儘ばかり言う、命令ばかりする、嘘をつく、約束をやぶると言った人がいたとします。 それを周りの者が注意する、もしくは直してもらいたいと言ったとします。 しかし、改善の兆候が全く見られない場合、周りの者は、その人と口をきかない、避けると言った行動を取るのは、自然な流れでは無いかと思います。 それは、果たして「いじめ」と言うのか?が自分の中で非常に曖昧になっている点でもあります。 今回の大津の事件のように、誰がどこから見てもいじめと分かるものであれば、自分の場合は「正義感」などではなく、単にそう言う行動を見ていて「ムカつく」から止めると思います。 自分の性格的に、見ている部分は「いじめられている被害者」ではなく「いじめている加害者」の方だと思います。 ですので、「自分が被害者を助ける」と言う感覚ではなく「加害者を自分に従わせる」と言った感覚の方が近いと思います。 それでも、あなたが仰るように、大多数の人は(3)の行動を取ると言う事は、「大多数」の中ではごく自然な事であると思います。 自分のどんな行動を、何を持って「身を守る」と捉えるのかだと思いますが、それを人に強要する事は出来ませんし、一番良いのはやはり「加害者を作らない」と言う事だと思いますね。 ご提示頂いた、3役を割り当てた授業の内容ですが、先の質問で大多数が(3)なのだとすれば、そういう人達がいじめる生徒役をするのであれば、気持ちの理解も出来るかとは思います。 ただ、いじめる資質を持っている生徒が、いじめる生徒役やいじめられる生徒役をやったとしても、ただ「演じる」だけで、気持ちの理解まで出来るのかが分かりません。 そういう授業も、いじめを無くす取り組みの一環として必要だとは思いますが、いじめの本質を理解する為に、ただの上辺だけのもので終わらせないような環境が必要なのかも知れませんね。 頂いたご回答は、自分の心理的にも深く考えさせれるものでした。 参考にしたいと思います。 本当に有り難うございました!
- 2080219
- ベストアンサー率32% (627/1954)
こんにちは。 複雑に考える必要は全くありません。 いじめは、憲法で定められた「基本的人権」を踏みにじる、 「犯罪」です。 加害者は法的に処罰されなければなりません。 これだけ伝えれば十分です。
お礼
ご回答頂き、誠に有り難うございます。 そうですね。 深く考え過ぎですだと自分でも思います。。。(汗 >加害者は法的に処罰されなければなりません 確かに何らかの抑止力は欲しい所ですね。 しかし、NO,1様の回答にも書きましたが、それがどんなに犯罪行為だとしても、立件出来なければどうにも出来ません。 過去に、「自殺していない状態」でのいじめが立件された事があったでしょうか。 犯罪は犯罪でも、周りのごまかしや嘘が通用してしまい兼ねないものが「いじめ」だと認識していますので、なかなか難しい所です。 参考にさせて頂きます。 ご回答頂き、本当に有り難うございました。
- ziv
- ベストアンサー率27% (426/1542)
貴方のご意見は的を得ていると共感できます、 好き嫌いからの感情論の展開は、 私としては初見の意見で、 興味深い論であると思われます。 ただ、 >子供達の中で「いじめは何でいけないのか?」と言う事を分からせる事が出来ると思いますか? この部分に関しては、ちょっと違うかと考えます。 ”いじめがいけないこと”なのが分らない人間は、おそらくタダの1人も居ません、 個人的な意見を聞けば、どんな人でもいけないことだと答えると思います。 ならばなぜなくならないか? これは、おそらく犯罪がなくならないのと同じことだと思うのですよ。 法的に強固な罰則があるにもかかわらず、 犯罪をおかす犯罪者はあとを絶ちません。 ましてや、 いじめは公的に無かったことにされたり、 うやむやにされて、まったくのノーリスクです。 抑止力がある犯罪すらなくならないのに、 抑止力が無いいじめが無くなるわけがありません。
お礼
早速のご回答、誠に有り難うございます! 確かに、「いじめがいけない」と言う事が分かっていない人は一人もいないと思います。 良いか悪いかで言えば、やはり「悪い」と答える人が大多数であると思います。 ただ、いじめをしている加害者達は? 実際、自分達の行動をどう捉えているのか?と言う事を考えて見ました。 恐らく、何も考えていないのではないかと思います。 悪い事だとも、良い事だとも、間違った事だとも、正しい事だとも。。。 ほぼ、感情の赴くままに支配されているのではないかと考えます。 「ムカつくから」「嫌だから」 「他に何か理由なんてあるか?」 そんな感じではないだろうかと思います。 仰られるように、犯罪として罰則、刑罰化がなされているものであっても、それらが昔から無くならないように、周りの状況、環境がどんなに変わったとしても、人間の根源たる感情が無くならない限り、犯罪もいじめも決して無くなる事はないだろうと思います。 何が抑止力になるのかは、己の心が決めるものですからね。 大人は、子供に対し、愛情や優しさなどの大切さは教えますが、怒りや憎しみなどの負の感情を認めるような大人は少ないですよね。 しかし、臭い物にふたをしても何も解決などしないように、大人でも子供でも、男でも女でも、誰にでも持ち得るような感情を正しく認め、その使い方や方法を教えて行くしかないのではないかと思うのです。 戦争は、「どちらも正義だから」起こるもの。 今回の加害者の少年達が、ネット上でさらけ出されている問題については、自業自得との結論で自分の中で終わるものですが、ただ、やはりそれを「制裁」と言う形で実行しようとした第三者の行動は、何をどう言っても褒められたものではありませんね。 それだけ、感情の使い方を間違うという事は、恐ろしいものだと思うのです。 子供達に、何をどう教えてあげれば良いのでしょう。 そこには必ず、被害者でも加害者でも「当事者の目線になり変わった」視点が無ければ、到底どちらの言葉にも本質はないのではないかと思います。 結局、何を言いたいのか分からなくなってしまいましたね。。。(汗 申し訳ありませんでした。 頂いた回答を何度も見直して、参考にさせて頂きます。 本当に有り難うございました!
- aho0xff
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個人的にはもっと単純に「いじめ」という言葉で「恐喝」「暴行」「執拗な嫌がらせ」等の 「犯罪行為」をごまかすからおかしいだけの話だと思っています。 今回騒ぎになっていることだって、人一人自殺させるまで追い込んだ数々の暴行、恐喝行為を いじめは無かったなんて適当な言葉でごまかそうとするから騒ぎになっているだけの話だと いう認識です。 別に個人個人にまで人を嫌いになるのをやめろだとか、博愛主義者になれとか そんな話ではないはずです。 嫌いだから。子供だから。大人がやったら犯罪行為となる行動をやっていいのか? 周りはそれをごまかしていいのか? 私はそういう考えです。
お礼
早速のご回答、誠に有り難うございます! >個人的にはもっと単純に「いじめ」という言葉で「恐喝」「暴行」「執拗な嫌がらせ」等の 「犯罪行為」をごまかすからおかしいだけの話だと思っています。 恐喝、暴行などの、犯罪行為と呼ばれるものは、立件出来なければ犯罪としては成立しませんよね。 いい身分の大人達がこのような犯罪をごまかせるのは、すでに被害者が自殺と言う形で亡くなっているからだと思います。 被害者が亡くなったのは、あくまでも自殺であって他殺ではない。 生前にさかのぼって、そこからの恐喝や暴行の経緯を調べようとしても、当事者はすでに亡くなっている為に、周りに事実関係を聞いていくしかない。 しかし、まだ犯罪として立件も出来ていない状態のものには、実際、どんなごまかしも嘘も通用してしまう。 それが「いじめ」の本質なのではないかと思います。 >別に個人個人にまで人を嫌いになるのをやめろだとか、博愛主義者になれとか そんな話ではないはずです。 では、なぜ「いじめ」と言うものが存在してしまうのか?と考えるのです。 好きな人をいじめるような人はいませんし(好きな子にちょっかいを出す目的のカラかい半分のものは除く)、あくまでも「嫌いだ」「ムカつく」と言った感情の行き付く先にあるものが「いじめ」ではないかと自分は考えます。 「いじめは絶対にいけない」とどんなに教えても、いじめは決してなくなりません。 「それはなぜなのか?」を考えた時に、どんなに愛情や優しさなどは教えても、怒りや憎しみなどの人間としての根源たる感情を認めていない事が、そもそもの原因ではないかと思うのです。 そう言う感情もしっかり認めた上で「正しい表現の仕方、使い方」を教えていかなくてはいけないのではないかと思う訳です。 いじめの問題を、どうやってごまかしがきかない犯罪行為まで持って行くか。。。 「猫の首に鈴」ではありませんが、解決方法が分かっているのにそれを実行出来ない事があってはいけないですね。 仰られた事を参考に、もう少し自分なりに考えてみたいと思います。 本当に有り難うございました!
お礼
ご回答頂き、誠に有り難うございます。 大変共感出来る部分が多々ありました。 >子供は…体はもとより心も出来上がっておらず弱いです >多人数で一人を攻撃するのも逆の立場の「一人になりたくない」とか「いじめられるならいじめる方に入る」といった心の弱さが原因だと思います 仰られる通りだと思います。 小さい内から、個々のメンタルを強くする為には、やはり学校教育と共に、家庭教育でも充実させないといけませんね。 しかし、大人の世界でも実際いじめはありますよね。 会社でも、教育現場でも、父兄の間でも、色んな分野に人間の根源足る感情は現れています。 今の子供達は、そう言う面にはとても敏感であると思います。 「そう言う状況」が、実際大人の世界でもあると言うのに、「いじめはいけない」とただ教えられたとしても、子供達は何をどう感じるのか?と思う訳です。 自分だったら「建前だけでキレイ事を言う汚ない大人」と感じるのではないかと思います。 そもそも、仰られているような「教育現場の崩壊」はなぜ起こったのか? 自分達が子供の頃は、悪い事をすれば、親に叩かれたり、先生に叩かれたりするのは当たり前でした。 いつからか、それが「体罰」とみなされ、親がそれを監視するようになり、子供が教師を舐めるようになってから、当たらず障らずの教師が増えて来たような気がします。 親自身にしても、いつからか「思い込む」親が増えた気がします。 「自分の子供はいい子だ」「自分の子供はそんな事しない」 四六時中監視している訳でもないのに、「親だから」と言う理由だけで、子供の全てを分かった気になっている。 自分も二児の子供の親ですが、将来、自分の子供がどうなるかと言う事は、実際、よく分かりません。 いつ自分の子供が、いじめの被害者になるか、加害者になるか。 いじめは絶対に無くならないと言う事から、だからと言っていじめの傍観者であっても欲しくありません。 でも、それは仰られたように、もしかすれば「一人になってしまう」事でも、逆に「ターゲットになってしまう」事でもあるかも知れません。 自分の事であれば、例え一人になったとしても、どうにかして納得する形に持っていける自信はあります。 しかし、自分の子供となれば、その自信がありません。 親となれば、弱くなってしまう部分がある事は、否定出来ませんね。。。 心の弱さとは、心の強さとは何でしょうか。。。 そもそもが分からなくなって来ました。 ご回答頂いた内容は、親として深く考えさせられるものでした。 参考にさせて頂きます。 本当に有り難うございました!
補足
ご回答頂いた皆様、本当に有り難うございました。 あれからもう一度、皆様に頂いたご回答一つ一つを読み直して参りました。 色々な角度から、このいじめ問題について真剣にご意見下さったご回答に、ベストアンサーを付ける事は本当に胸が苦しくなる行為です。 しかし、だからと言って選ばずに締め切る方がもっと失礼だと思いますので、誠に申し訳ございませんが、今回は「子供自身と一番近くにいる親」から教育をし直さなくてはいけない、と言うご意見を最初にくれましたKiripaku様をベストアンサーに選ばせて頂きたいと思います。 大きな社会全体の中で、大きな部分から改善をしなくてはいけないのはもちろんの事、やはり家庭と言う社会の縮図の中の「末端部分」から変えて行かなくてはいけない問題なのだと改めて感じさせられました。 今後も、このいじめ問題については「しつこい」くらいに議論を重ねていかなくてはいけないのだと思います。 また何かの機会がありましたら、よろしくお願い致します。 本当に有り難うございました!!