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差別といじめ 源(みなもと)は?
差別についてこう考えました。 なぜ、差別するのかと言うと、「その人がいやだから。」「その人がきらいだから。」という感覚ではないかと思います。 もちろん歴史的な経緯も大きな原因だと思いますが、「きらいだ」という感覚が大きいのではないかと思います。 それから、いじめも「いやな感じだ。」「ああいうのはきらいだ。」という感覚ではないかと思うのです。 自分自身を考えてみると、「あいつはきたない。いやな感じだ。」という気持を持ったことがあります。 ということは、自分は「差別」をし、「いじめ」をする「動機」は充分持っていた、ということだと思います。 こうした「他人をきらう気持」があるかぎり、差別やいじめはおきると思うのです。 こうしたことについていかがお考えでしょうか? よろしくご指導お願いいたします。
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好きとか嫌いとかの感情は、これ人間なら誰しも持っています。 差別や虐めをこういう当たり前の感情の発露と捉えてもその原因には迫れないでしょう。 「感情ある限り差別やいじめはおきる」という陳腐な結論に落ち着くのが関の山と思います。 あるいは、「徳目教育を推進すべし」という議論に落ち着くのが関の山と思います。 ところで、世界には、虐めが社会問題になっていない国も存在します。 いわゆる北欧諸国です。 ・中学校までは、試験というものを一切行わない。 ・中学校までは、社会で成功する教育に軸足を置かない。 ・中学校までは、民主的な人間関係の習得を第一義とする。 これらの国では、虐めに対しては抗議することを子供に求めています。 抗議しなくて容認していたのであれば、それは、自己責任として扱われます。 もちろん、最後の2行のみを今の日本に持ち込んでも意味がありません。 選別と差別の偏差値教育でストレス過多の日本の子供達。 一方で、自らの感情を抑制する訓練が不足しています。 一方で、他者の権利を尊重する教育もお座なりです。 一方で、自分だけが社会で成功するための教育を受け続けています。 自己のストレス発散のために他者を虐める行為も頻発する理由です。 自己の保身のために虐めグループに籍を置くこともありえる理由です。 目の前の教育実態の分析を差し置いて、「感情ある限り差別やいじめはおきる」はどうでしょう。 私は、このように思います。
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頭の中で考えてしまうと、ああだこうだ、異質性だ、とか成りがちだけど。あなたはいじめたこと、いじめられたことがあるのでしょうか。自分に置き換えてみると、いじめる理由のひとつに、「面白い」というのがあると思います。(いじめっ子側の理由として。とくにいじめっ子だったわけじゃないですが、今考えるとあれっていじめだったのかなと思うふしがあります。程度の差こそあれ、誰しも経験があると思います。)いじめられっ子の反応を見て、複数のいじめっ子側がその面白さの共感を味わい、いびつな友情を高めるという感じでしょうか。 いじめられっ子側の理由として、「弱い」というのがあると思います。精神的、体力的にどこか弱々しく見えて、こいつならいじめても逆らわず大丈夫、といじっめっ子側に思わせる所があるのではないでしょうか。 何かひとつ、お、こいつやるな、と思わせるものを身に着ければそうそういじめられないのでは無いかと思うのですが。
お礼
なるほど。 確かにそういうのはありますね。 とても参考になりました。 ありがとうございます。
なぜ、差別するのかと言うと、「その人がいやだから。」「その人がきらいだから。」という感覚ではないかと思います。もちろん歴史的な経緯も大きな原因だと思いますが、「きらいだ」という感覚が大きいのではないかと思います。 ここでおっしゃっていますが、歴史認識が1つのキーです。一言でいえば、いじめはあらゆる「差異」あるいは「異質性」に基づきます。 たとえば男と女といった性別上の違いです。この見方でいえば、歴史的に私たちは男か女という二分法で考えてきたのですが、やはり性的障害などを含め、ゲイやレズといったグレーゾーンが出ます。しかし過去にはもちろんこんなものはタブーで差別の対象です。しかし、最近はカナダなどでは社会的には認知されるようになりました。ゲイのカーニヴァルさえあります。もちろん国よって違うので日本ではまだかなり認知されているとは言い難いといえます。 同様に、年齢の違い、民族の違い、肌の色の違いなど、あらゆる差異や異質性は差別意識を生みます。ですから、人間は根本的に差別から逃れられないということができます。 ところが日本の場合だと、この差異だけでは説明しにくい差別があります。たしかに部落、障害者などはいじめの対象となりやすいのですが、日本人はそうした差異があまりない人までいじめる傾向があります。 これは日本の共同体的な「同質化」の圧力によります。日本は学校や職場においてそれほど関係が親密なわけではありません。しかし、元々から共同体意識が強く、協調することを強いられています。ですから、成績が少し飛び抜けるとか、先生に一人だけほめられるとか、共同体的な平等から少しでも飛び出るだけで差別の対象になります。 まあはっきりいえば、日本人は不寛容で、心が狭いといえます(笑) こんな日本では、有能な開発者が出てくるのはなかなか大変です。会社 のなかで平等関係を築くことが美徳とされます。もちろん階級はあるのですが、それは過去の年功序列に基づいており、若者が少しでも飛び抜けよう者ならたちまち非難の対象とされてしまうでしょう。 いずれにしても、いじめに寛容な社会が作れなくはありません。カナダのように徹底的な自由主義(すべて自分の自由、どんな悪いことでも法律を犯さない限りは個人が自由に選択することを社会は尊重する)にすれば、いじめは減ります。これはすでに証明されています。 日本のように共同体的な圧力にさらされると、逸脱した者はたちまち非難され、罵倒され、いじめられる傾向があります。 しかし、結局はいじめを撲滅できることにはなりません。ですから、最も大事なのはいじめを根絶することではなく、いじめのセーフティーネットを豊かに形成することです。もともと軽いいじめは誰もが受けるものです。しかし、多くの場合、それは益となることも多いのです。そうしたいじめが他者への共感する心を作ります。 ですから、いじめはある意味では人間形成に必要であるということです。ところが、程度の問題があり、日本のように学校のクラスぐるみで一人をいじめるということはあまりに横暴です。 こうしたいじめをある程度のところで見守り、ストップし、ケアすることが社会的な責任があります。いじめが自殺に至るような手前に、どのようにしてその人を救済するか、そのセーフティーネットがたくさんあればあるほど良いのです。 かつては祖父母や、お隣関係が親密であったので、こうした自然なセーフティーネットがありました。いじめられても、いろんな人のところに飛びつける可能性があったのです。しかし、今では万一クラスにいじめられても、相談できる相手は両親や教師という2つの選択肢しかありません。今の子供は両親に相談するのは「心配かけたくない」といってやめてしまい、教師にもあまり言わないケースが多いため、一人で抱える傾向が多くあります。 今の社会人も同様です。たいてい同僚の関係が希薄で、核家族化の潮流で今は話せる存在は家庭だけであることがほとんどです。ところが、家庭は家庭で問題を抱えていることが多いので、いろんな問題と一緒になって家庭崩壊へ向かうことになりかねません。要するに、家庭という受け皿には限界があります。 もともと豊かなセーフティーネット、多様な人間関係が人のストレスをガス抜きするところがありました。あるところでいじめられていても、ン別のところで「誰かが受け入れてくれる」ことが多かったからです。でも今は別のところがあまりに狭いのです。
お礼
ありがとうございました。 日本社会は「みなと同じ」であることを要求します。 「同調圧力」という言葉で表現できそうですね。 後半の「セーフティーネット」はとても参考になりました。 確かにそうですね。 いじめられても、仲間のところにいったん逃げ込めば心のケアにはなったと思います。 今思ったのですが、「クラス全体が一人をいじめる」ようになったのというのは、「日本の子供たちの心が病んでいるから」かもしれませんね。これは「好き嫌い」のレベルを超えた精神病理学的な問題なのかもしれません。日本という国が、病理に侵されているのかもしれません。 ありがとうございました。
- komimasaH
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いじめをしているかしていた人に聴くしかないでしょうね。 いじめをされている人のカウンセリングだけではなく、いじめをしている人たちのカウンセリングを行い、情報を蓄積していかないと、なぜ起こるかの解釈はおろか、対策も立てられないでしょう。 というのが正論だとは思いますが、個人的には次のように考えます。児童心理学者の話では、大人顔をした子供はいじめられやすい、とどこかで読んだことがあります。同属意識がいじめの根本にあり、よそものはいじめる。村八分と同じかもしれません。 北欧の教育方針の紹介をしていただいた回答者の方の記載内容を読みますと、日本の場合、教育だけでなく、社会構造自体が歪んでいると思えてきます。 好き嫌いはいじめとは関係ないでしょう。みんながいじめあうことになってしまいます。
お礼
「同属意識」、とても参考になりました。 心が狭いのですね。 よくわかります。 ありがとうございました。
- anachronism
- ベストアンサー率31% (186/591)
> こうした「他人をきらう気持」があるかぎり、差別やいじめはおきると思うのです。 それは、「この世に性欲のある限り、性犯罪はなくならない」、というのと同じことでしょう。 そりゃぁ、全人類の性欲を完全に絶つことができれば、性犯罪はなくなるでしょう。あるいは、絶つことができない以上、この手の犯罪もなくならないのでしょう。それは「正しい」かもしれませんが、でも、考え方として、それってどこか変だと思いませんか? > こうした「他人をきらう気持」があるかぎり、差別やいじめはおきると思うのです。 だからどうなのでしょうか。 「差別やいじめはなくならないからあきらめようよ」というのでしょうか。 「差別やいじめをなくすために、人を嫌ってはいけません」というのでしょうか。 食中毒になるのは食事をするからだとか、泥棒に入られるのは、盗まれるものがあるからだとか、それはたしかにそうです。ですが、食中毒にならないために食事はしなければいいとか、泥棒に入られないために財産は持たないようにするとか、そんなことは「解決策」とはいえません。 また、「食事をする以上、食中毒になることもあるさ」とか、「財産があれば盗まれることもあるさ」とか、そんな寝言を言っている人がいるでしょうか。 > こうした「他人をきらう気持」があるかぎり、差別やいじめはおきると思うのです。 ですから、それはそのとおりです。と、いうより、わかりきっていることだからだれも問題にしていないのです。「性犯罪が起こるのは、犯人が性欲を絶てないからだ」なんて、わざわざ言い立てる人なんていません。「だからどうするのか」、というのが大問題で、それをみんな議論しているのです。 > こうしたことについていかがお考えでしょうか? 少々厳しい表現ですが、あえて申します。 「だからなんなんですか?」
お礼
たいへん参考になりました。 ありがとうございました。
- Isamu_S
- ベストアンサー率21% (25/116)
十人十色と言うように、人それぞれ好みや考え方が異なります。よって、社会の前提条件として「好き嫌い」「合う合わない」「生理的に合う合わない」ということが起こって当然です。これを画一的に考えて、自分(や主流派)と違うからおかしいと攻撃したり排斥したりすることが「いじめ」や「差別」につながることだと思います。全てにおいて自分と異質であることを認めない、このような心が原因だと思います。 では、「いじめ」や「差別」をなくすにはどうしたら良いでしょうか? 社会は十人十色であることを充分に認識し、自分以外の様々な考えや好みを他人は持っている、そしてそれを尊重しなければうまく行かないというスタンスで、他人の長所は活かし短所はフォローする。このような考え方を社会全体がもたなければならないのではないでしょうか?
お礼
とても参考になります。 おっしゃることはまったく同感です。 多様性を認めることが大事ですよね。 ありがとうございました。
- sazanami77
- ベストアンサー率25% (8/31)
自我の目覚めと自己形成 自我の目覚めが深く関わっているのでは ないでしょうか。 幼児や児童が他人とは違う自分を意識し アピールする。 人が成長する上で大切なことです。 「私は算数が得意」 「僕は給食を一番速く食べる(笑)」 などなど......。 自我に目覚め、自分を認識するケースは さまざま。他人を攻撃することによって 自分をアピールするケースも当然あるわ けです。 自我の目覚めと自己形成が差別といじめ の源だと考えます。 他の回答者が指摘している文化や育った 環境などの影響も当然あると思われます。 いじめを防ぐには? 周りの大人が気づいてあげるしかないと 思います。 「いじめられたら先生や親に相談して!」 と教育関係者などは のんきな事を言って ますが、言うわけありません。 私もいじめられた経験がありますが、先生 や親に「いじめられているから助けて」など とは絶対言いたくありませんでした。 そんなこと言うくらいなら死んだほうがいい とまで思ったくらいです。 いじめ深刻化の源は、気づいてあげられる大 人が減ったということではないでしょうか。 情報やモノや食があふれ「もっと豊かになりた い」と、それを他人より速く求める今の社会。 当然、思いやる気持ちが希薄になります。 ちょっと立ち止まって考えると 「情報やモノや食......」すべて人がつくった ものなんですよね。 主人公はすべて人なんです。 人に興味があるから 人が好きだからこそ 人は情報やモノを求めるのだと思います。 「人が好き」 生きる源ですね。 脱線気味で取り留めのない文章になってしま いました。ごめんなさい。 「差別といじめの源」テーマに こんなことを思う今日この頃です
お礼
ありがとうございます。 「自我の目覚めと自己形成」、なるほどなあ、と思いながら読んでいました。 また、いじめの解決も、なるほどなあ、と思いながら読みました。 とても参考になります。 またいつか機会がありましたら、ご意見をお伺いしたいと思います。 心より感謝申し上げます。
ANo.2 Antitheseさんの回答に深く感銘を受けました。 「いじめ」は、動物の対外関係では一般的な上下関係を構築・確認するための、より積極的、適応的な行動だと思うのです。なので、平等主義のようなもので撲滅することはまず不可能なのではないでしょうか。 「差別」は、そこに集団に関係する心理的力学のようなもの(よく説明できませんが)も加わると思います。
お礼
ありがとうございます。 私もNo.2 Antitheseさんの回答に深く感銘を受けました。 たいへん参考になります。 私もまた自分でも考え続けていきます。 今後もご指導をよろしくお願いいたします。
- Antithese
- ベストアンサー率33% (202/606)
わたしはいじめや差別というのは、対外関係において相手の優位に立とうとする動物的本能に根ざしていると思っています。動物にとっては対外関係は常に上下関係であり、対等な関係というのはまずありません。 対等な関係というのはこうした動物的本能からすると不自然であり、それが人間社会のストレスを生んでいるのではないでしょうか。だから多くの人は精神のバランスをとるため、自分より劣る者を探し出し、いじめたり差別したりして優越感を得ようとするのではないでしょうか。 人間が文化的であるゆえんはそうした本能を理性で押さえ込む術を身に着けたからに他なりません。 全ての人がそのことを理解し、人を思いやる気持ちを持てばいじめや差別はなくなるのでしょうが、理想論でしょうね。
お礼
ありがとうございました。 深いですね~。 深く考えていらっしゃいますね~。 なるほどなあ、と思います。 少しでも理想に近づけるように意識を高めていきたいと思っています。 ありがとうございました。 今後もよろしくお願いいたします。
- fallen_angel
- ベストアンサー率12% (287/2339)
根本は好き・嫌いなのでしょうね。 貧富の差、出身地、信仰、自分と異なるモノを受け入れるのは、ある意味苦痛でしょう。 イジメは、孤立する不安からイジメ側に回るのが最近の傾向でしょうかね。好き・嫌いより、自分がされたくない。という自覚の無い意識でしょうかね。
お礼
同感いたします。 いじめは「いじめられたくないからいじめの側に回る」というのは聞きます。 とても参考になりました。 ありがとうございます。
お礼
ありがとうございました。 「なるほど」とうなずきながら読ませていただきました。 私は、子供たちの置かれている環境、背景となる社会的状況を無視して語っていました。 眼を見開かせていただきました。 勉強になります。