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人を好きになる方法
- 人を好きになる方法がわかりません。
- 冷めた性格で人を好きになることが難しいですが、コミュニケーションを取るスキルや感情を表現する方法を学ぶことで改善できるかもしれません。
- 自分の意見や感情を受け入れることや、他人との関係を深める努力をすることが大切です。
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誤解を恐れず言えば、貴方は 「自分が一番好き・大切な人」 なのでしょう。 「自己完結している人」 とも言えるでしょう。 ※所謂「自己愛が強い人(自分が一番可愛い人)」とは、若干異なります 一般常識や良識があって、精神的な社会性も身に付いているので >先輩や上司からはかわいがられ、後輩からは頼られ慕われている と言える様な人間関係の構築が出来ているのです。 他方、貴方は 「自分が絶対に損をしたくないと思っている人」 「自分が傷付く事・否定される事を極力回避している人」 でもあるのです。 >あまりオープンな付き合いはせず >場を取り繕う様なコミュニケーションしか取りません。 要するに、「表層的な付き合い・コミュニケーション」という事です。 それならば、他者(相手)から「拒絶・拒否・否定」を受けても、 「貴方の本体(心・内面)」は傷付きません。 恥をかき、自尊心が損なわれる事も少ないでしょう。 >ただいつも少し離れた所から >感情を抜きにしてこの場をどう立ち回れば最適かを >冷静に分析している自分がいます。 そうしていれば、「貴方が損をする・恥をかく・痛手を被る確率」はかなり低く抑えられます。 「感情的に行動する・言葉を発する」事で 「その時は勝ち・得した気になっても、後の事を考えれば、結果的に負け・損する場合がある」 というのは、実によくある事、周知の事実ですから。 >そのせいか、誰といても気持ちが盛り上がったり好きになったり、 >逆に嫌な気分や嫌いにもなりません。 「感情を抜きにして、分析・行動している」のなら、当然の帰結です。 好きも嫌いも、気持ちの高揚・停滞も、全て「生々しい自分」「感情の発露」なのですから。 >また自分の意見を受け入れて欲しいとも思いません。 「自分の意見」というものについては、 「自分が納得していれば、それでいい」という場合は多々あります。 「人によって、考え方はそれぞれ」という場合もよくあります。 しかし、貴方の場合は、上記以外に 「受け入れて欲しいと思わなければ、他者から拒絶・拒否・否定される事も無い」 「自分の意見を拒絶・拒否・否定されても、受け入れを期待していない分傷は浅い」 「受け入れて欲しいと思わなければ、苦しむ事も無い・少ない」 という気持ちがある様に感じられます。 >私は薄情なのでしょうか? 損得抜きで、寧ろ「将来的にも、明らかに自分の得にならない」状況でも 「他者の為に、一肌脱ぐ」事があるのなら、 「誰にも気付かれない・知られない(=誰からも褒められない・認められない)」状況でも 「他者の為に、善行を積む」事があるのなら、 「感情の起伏に乏しい人」ではあっても、「薄情」とまでは行かないでしょう。 >どうすれば人を好きになる事ができますか? 「愛」の反対は「憎」ではなく、「無関心」です。 今現在の貴方は、 「相手の本体(心・内面)に対して無関心」な状態です。 「相手の本体(心・内面)に対して無関心」だから 「表層的な付き合い」ばかりして 「自分の本体(心・内面)を相手に見せない」のです。 「愛情」は、「感情の一つ」でもあり、「理性の一つ」でもあります。 「性欲の発現」を「愛」と呼ぶ事もあります。 「恋(恋愛)」は、例え性行為に至らなくても「性欲の発現」によるものです。 だからこそ、「思春期」に異性を意識したり、付き合いだしたり、 「性欲の発散・解消」に過ぎない「思春期の性行為」を 「愛情表現」等と詭弁を弄して、実行する者(男女とも)もいるのです。 貴方は、 「一時の性欲に押されて性行為に至り、その結果 相手女性に『自分が相手を心から愛している』と誤解されたり 更には、妊娠などされてしまったら、 自分の人生は大きく変化して・狂ってしまう」 「そんなのは、堪ったものじゃない」 と、思うのではないですか。 「愛は理性の一つである」 というのは、「愛している者を慈しみ、支え、守り、導く」為には 「感情に溺れず、理性的に行動すべき場合」が多々あるからです。 「例え相手に一時的或いは永続的に憎まれ、嫌われる事になっても、 『相手を、本当に愛している』ならば、 言うべき事・取るべき行動がある」 という事です。 「愛されて、慈しまれて、支えられて、守られ、導かれる」という 「受け身の立場」「受け取るばかりの立場」であれば、 「してくれて、有難う。大好き。愛してる」 と言うだけの、「感情の、愛」だけでもやっていけるでしょう。 貴方は、何故「どうすれば人を好きになる事ができますか?」と質問なさるのですか。 貴方の本体(心・内面)は、「人を好きになる」必要性を感じていないのに。 「先々、人を好きになれる・なった方が、社会的に得だ」 とでも、お考えですか。 「人を好きになる・なれる方法」ではありませんが。 「自分の本体(心・内面)を知って貰いたい」 「一部分でもいいから、相手に自分を受け入れて貰いたい」 というのが、 「本当に人を好きになると、生じる欲求」 です。
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NO12です。こんばんは。 様々な方の回答を読むだけで勉強になります。 中で気になったことがあったので、差し出がましいかもしれませんがひとつ書籍を紹介させてください。 >「長い事、連絡を取っていない」のなら、尚更、母親を訪問して言って下さい。 実はこの事は昔母に話した事はあります。 結果は、相手がその事を全く覚えておらず、更に母としていつも息子の事を第一に考えてきた。自分のした事に間違いがあるはずがないという態度だったので、結局話はかみ合いませんでしたね。 こういう場合はどうしたらいいと思いますか? これは母親に一方的に言うだけで効果があるのか? それともきちんと母とコミュニケーションを取って和解する事に意味があるのか? どちらですか? また私の父も類は友を呼ぶというか、母と同じタイプの人間でした。 違う点は自分以外のすべての者を見下していない気が済まない点がある事ぐらいでしょうね。 父とも距離を置いていますが、訪問すべきだと思いますか? ちなみに父も楽器は違えど音楽家でしたが、やっている事が世間に受けいられず途中で廃業しました。 そのせいか私は何度も「お前は才能がない」「お前の音楽は下らない」「俺の音楽の良さがわからない世間はクズだ」 と言われ続けました。聞き流してましたが。 この部分ですが、こういった両親の場合の対処法が書かれている書籍で 「毒になる親ー一生苦しむ子供」 スーザン・フォワード 著 というものがあります。 何か糸口つかめるかもしれないと思ったので、よろしければご参考にしてくださいね。
お礼
レスありがとうございます。 この本の事は知っているけど読んだ事はありませんでした。 買って読んでみようと思います。
No.3です。(続きです) >>貴方の本体(心・内面)は、「人を好きになる」必要性を感じていないのに。 >今までこの考え方に何の疑問も持っていませんでしたが、ふとこれでいいのだろうかと思ったんです。 何故、「ふとこれでいいのだろうかと思った」のでしょうか。 貴方の様な方は、「一般的に」よくある事で、別段珍しくもありません。 他の回答者さんが >やはり芸術、音楽を愛する人は、一般的には、やっかいな性質をもっているんでしょうねえ。 と書いておられますが、これは「大きな誤解」です。 芸術や音楽を解さない人、音楽や芸術を愛していない人でも、貴方の様な性質の人が少なからず存在します。 貴方は「特別な存在」ではありません。 貴方の状況は「珍しい事」ではありません。 貴方は「理解困難な人」ではありません。 高度な学問や研究に携わっている人 一般企業の営業職の人 自営業の人 フリーターの人 ニートの人 長年、他者に尽くし、多くの人から尊敬されている人 何をやっても長続きせず、何時までもふらふらしている人 最終学歴が大学院の人 〃 大学の人 〃 高校の人 〃 中学校の人 男の人 女の人 結婚している人 〃 していない人 子供がいる人 〃 いない人 「あらゆる人達」の中に、「貴方と同じ様な感覚・性質・考え・行動の人」が存在します。 「芸術、音楽を愛する人だから、一般的には、やっかいな性質をもっている」訳ではありません。 そのまま、周囲の目を眩ませて、傍目には問題無く一生を終える人 いつか周囲に気付かれて、可愛がってくれたり慕ってくれたりした人々を傷付ける人 いつか誰かを好きになり、人生が一変する人 先の事は誰にも分かりません。 今現在の貴方の「本当の問題点」は 「承認欲求がこれっぽちもない事」 との事ですが。 母親の顔や姿を見ながら、 「幼い私に自分の期待を押しつけ、それが満たされないと手のひらを返したように冷たくされた。 どうしてそんな事をしたのか。私は、貴方のそんな行動が 『嫌だった』『辛かった』『悲しかった』『苦しかった』『腹立たしかった』『寂しかった』 『私は、ありのままの自分を貴方に受け入れて貰いたかった』 『貴方が憎かった』『貴方に愛されたかった』『貴方を愛したかった』」 と、口に出してはっきりと言ってみて下さい。 例え、『』内の言葉が貴方の気持ちにそぐわなくても、です。 例え、現在は「比較的良好な関係を構築している」としても、です。 「長い事、連絡を取っていない」のなら、尚更、母親を訪問して言って下さい。 もし、お亡くなりになっているのなら、墓の前で声に出して言ってみて下さい。 父親か、兄弟姉妹か、叔父叔母か、親族で生きている人がいるなら、相手の顔を見ながらその人に言ってみて下さい。 親しい友人にでも構いませんので、相手の顔を見ながら言って下さい。 (その場合、当然ですが「母親の行動・態度」「母親への気持ち」だと分かる様に言って下さい) 「今更、どうでもいい事」ではありません。 「何やかや理由を付けて、避けて良い事」でもありません。 「言った所で、何も変わらない事」ではありません。 本当は、「職業としての音楽を止める」(違う職業に就く)というのが一番効き目があるのですが、それは「一人の人間の今後の生存を脅かす可能性のある事(食べていける他の仕事に就けない可能性がある)」なので、除外します。 貴方は 「必要な衝突はするし、相手に嫌われない様に行動する事もない」 との事ですが。 貴方は 「長期的に、破綻が出ない様に、自分を守っている」 のですから、当たり前です。 貴方は 「相手を好きでもないし、相手に好かれたいとも思っていない」 のですから、 「過度に相手に気を遣った、相手に支配された言動」 (必要な衝突さえも避ける、相手に嫌われない様な行動をする、等) を取る筈もありません。 貴方が 「今のままで、そのうちきっかけがあれば」 「考え過ぎないでいこうかと」 等と本気で思ってらっしゃるのなら。 「貴方の様な状況・状態・性質・感覚」は 「特別な事ではない」「音楽家・芸術家だからではない」 「『親の接し方・愛し方』と『自分の望む接し方・愛され方』との間に 齟齬を来たした人なら、誰にでも、何時の時代でも、何処ででもある事」 だと「認識」して下さい。 「それはない」「そういう訳でもない」 「母親に対して、そんな気持ちは抱いていない」 「……の様に行動している・出来ている」 等と、自分を「過剰防衛」しないで下さい。 「過剰防衛」している限り、「きっかけ」は何時までも訪れませんし 「きっかけ」を活かす事も出来ません。 そう「認識」して下さい。
お礼
>「人を好きになったら、それきり。相手には一切好意を伝える気は無い」 >「自分から『好き』とは言わない。相手から好きになったかの様に誘導し、相手に言わせる」 どちらかを選びたい訳ではありませんが、どちらもやった事はあります。 >「ライブやコンサートに行く(=会場にいる観客として認識される)」 >「CD等の音源を購入する(=売上として認識される)」 これは私には当てはまらない様な気がします。 ライブやコンサートはCDを聴くより遥かに多くの事を学べます。 CD等を購入する事は、学ぶ者、同じ世界に生きる者の義務だと思ってそうしています。 「自分に音楽家として才能があるから可愛がり、頼り、慕っているだけ」 (「自分に利用価値がある」「自分の側に付いていれば得する」と思われているだけ) 「本当の自分を可愛がり、頼り、慕っている訳じゃない」 全員とは言いませんが、一部私の周りにそういう目的の人はいますね。 >「他人に対する興味」はあっても >「他人に対する関心(ある特定の存在に心惹かれ、殊更に注意を払い、深く気に掛ける)は無い」のです。 すみません。私もきちんと使い分けれてるわけではありませんが、 「興味」=知りたいとか面白いとか感じる事、またはその対象 「関心」=注意を向けている、気にとめるようにする事、またはその行為 であってますか? >何故、「ふとこれでいいのだろうかと思った」のでしょうか。 特に理由はありません。 私は自分の考え方に固執する癖がありますが、それをあまりいいと思ってはおらず、時々全く別の可能性を考えるようにしています。 >「長い事、連絡を取っていない」のなら、尚更、母親を訪問して言って下さい。 実はこの事は昔母に話した事はあります。 結果は、相手がその事を全く覚えておらず、更に母としていつも息子の事を第一に考えてきた。自分のした事に間違いがあるはずがないという態度だったので、結局話はかみ合いませんでしたね。 こういう場合はどうしたらいいと思いますか? これは母親に一方的に言うだけで効果があるのか? それともきちんと母とコミュニケーションを取って和解する事に意味があるのか? どちらですか? また私の父も類は友を呼ぶというか、母と同じタイプの人間でした。 違う点は自分以外のすべての者を見下していない気が済まない点がある事ぐらいでしょうね。 父とも距離を置いていますが、訪問すべきだと思いますか? ちなみに父も楽器は違えど音楽家でしたが、やっている事が世間に受けいられず途中で廃業しました。 そのせいか私は何度も「お前は才能がない」「お前の音楽は下らない」「俺の音楽の良さがわからない世間はクズだ」 と言われ続けました。聞き流してましたが。 >本当は、「職業としての音楽を止める」(違う職業に就く)というのが一番効き目があるのですが、 これはどうしてでしょうか?もし余裕があればもう少し説明が欲しいです。 ただ、私に取って音楽をやっている時間だけが一番自分の気持ちを素直に外に出せる時間でもあるのです。
No.3です。 >>「自分の本体(心・内面)を知って貰いたい」 >>「一部分でもいいから、相手に自分を受け入れて貰いたい」 >逆になぜ他人にそこまで期待できるのかがとても気になります。 「他人への期待」とは、一寸違いますよ。 ・誰かを好きになった。 ↓ ・その人に思いを伝える。「貴方の事が、好きなんです」と相手に告げる。 これは、 「自分の本心(心・内面)を知って貰いたい」 (本当に人を好きになると、生じる欲求) から取る「自然な行動」です。 貴方は、「人を好きになる方法」を質問なさっていますが、 「人を好きになったら、それきり。相手には一切好意を伝える気は無い」 という考えなのですか。それとも 「自分から『好き』とは言わない。相手から好きになったかの様に誘導し、相手に言わせる」 という奇妙な行動を取りたいのですか。 あるミュージシャンを「気に入る(楽曲を好きになる)」と 「その楽曲を口ずさむ・鼻歌を歌う」 「CD等の音源を購入し、繰り返し視聴する」 「ラジオやTV等に出演する時に視聴する」 「ラジオやTV等で楽曲が放送される時に視聴する」 「視聴した感想・ファンレター等をラジオ局や所属事務所等に送る」 「ライブやコンサートに行く」 「周囲の人に(或いはブログ等で不特定多数に)お薦めする」 「その楽曲を練習して、自分で演奏する」 等々の行動を取る事は「一般的」ですが 「ライブやコンサートに行く(=会場にいる観客として認識される)」 「CD等の音源を購入する(=売上として認識される)」 「感想・ファンレター等を送る(=好意的評価として認識される)」 以外は 「対象(ミュージシャン)に、自分の気持ち(好意)は直接知って貰えない・伝わらない」 可能性が高いです。 それでも、「そのミュージシャンを気に入った(楽曲を好きになった)」ら 「思わず取ってしまう行動の数々」なのです。 これらは 「自分の本体(心・内面)を知って貰いたい」故の行動の「派生の一つ」です。 「好意を持った対象に、気持ちを伝える」とは、「自分の中にあるものを外に向けて表現する」事です。 「口ずさむ」「CDを買う」「ラジオを聴く」「自ら演奏してみる」等は、「内なる気持ちが外界に溢れ出た表現の数々」です。 ここには、「対象(ミュージシャン)への期待」などありません。 ただ、「自分が、気に入ったから(好きになったから)」その様な行動を自然と取ってしまっているだけです。 先輩や上司が貴方を可愛がり、後輩からは頼られ慕われるのも 「彼らが貴方に好意を持っている(貴方を気に入っている)から」です。 「貴方に好意を持っている(貴方を気に入っている)」から 「自然と、可愛がる」「自然と、頼りにする。慕う」のです。 まさか、 「自分に音楽家として才能があるから可愛がり、頼り、慕っているだけ」 (「自分に利用価値がある」「自分の側に付いていれば得する」と思われているだけ) 「本当の自分を可愛がり、頼り、慕っている訳じゃない」 なんて、「悲劇のヒーロー気取り」な事は思ってはいませんよね。 貴方は、他の回答者への返礼に >私に取って「好きの」反対は「どうでもいい」であり、嫌いではありません。 と書いておられます。これは私の先の回答にある >「愛」の反対は「憎」でなく、「無関心」です。 に合致します。 嫌う事にも時間とエネルギーが必要です。 「相手に、時間とエネルギーを使うのは馬鹿げている。勿体無い。そんな余裕は無い」 「だから、使わない」 というのが、 「無関心」「どうでもいい」という状態なのです。 >確かに私は自分を受け入れて欲しいとは微塵も思いませんが 他の回答者さん達への返礼から、貴方と母親との関係等を知りました。 正直に申せば、「想像通り。予想通り」です。 貴方は、「自分を受け入れて欲しい(承認欲求)」を「諦めてしまっている」のです。 今現在の貴方の中に 「相手に自分を受け入れて貰う事を『諦めている』」という「自覚」はないかも知れません。 しかし、それは 「とうの昔に諦めてしまっている」 「自分が『諦めている。諦めた』と認識し続け、実感するのは、時間とエネルギーの無駄だ」 「だから、『諦めている。諦めた』と、認識すらしない。そんな実感も無い」 つまり、 「承認欲求という自分の願望を『どうでもいい』と切り捨て、その願望に『無関心』となった」 からなのです。 >他人が何を見て聞いてどのように感じたかはとても興味があります。 それはそうだと思います。何せ >ただいつも少し離れた所から、感情を抜きにしてこの場をどう立ち回れば最適かを冷静に分析している自分がいます。 という方ですから。 「本当は、相手に期待している人(自分を認めて欲しがっている人)」の方が 「自分は相手を嫌いである」「相手が自分を嫌っている」という事を行動や言葉、態度、表情等で表します。 (「どうでもいい」と口にする或いは書き残す人は、「本当は、誰かに構われたい・気遣われたい」のです) 「本当は、相手に無関心な人」の方が、 「一見、当たり障りのない」 「一見、そつのない」 「一見、周りに気遣っている」 行動や言葉、態度、表情を取ります。 そうすれば、「相手との関係・距離感」に対するアドバンテージが取れるからです。主導権を握るとも言えます。 アドバンテージを取れば・主導権を握れば、 「相手に不用意に踏み込まれない」 「相手の言動を冷静に観察し、分析し、対策を立てる余裕が生まれる」 「相手を嫌う事に時間とエネルギーを使う必要がなくなる」 (相手に自分との関係・距離感のアドバンテージを取られると、「振り回される」「疲れる」「嫌になる」可能性が高い) だからこそ、 「本当は、相手に無関心な人」の方が、先に書いた様な言動を取るのです。 「自分の本体(心・内面)」を見せるのは 「相手に、心を許している(相手を信頼している、相手を受け入れている)から」です。 (「相手に対する信頼」と「相手に対する期待」とは別の物です。世の中では混同している人が少なくありませんが) 「自分の本体(心・内面)」を見せるのは 「相手との距離が近くなる・なった・なりたい(=親密になる・なった・なりたい)から」です。 貴方は相手に心を許さず、相手と親密になるのを避けている(苦手)から >「表層的な付き合い」ばかりして >「自分の本体(心・内面)を相手に見せない」のです。 貴方は「他人が何を見て聞いてどのように感じたか、にとても『興味』がある」との事ですが 「他人に対する興味」はあっても 「他人に対する関心(ある特定の存在に心惹かれ、殊更に注意を払い、深く気に掛ける)は無い」のです。 「他人が何を見て聞いてどのように感じたか、に興味がある(=無関心ではない)」 は実の所、 「貴方が、他人を拒絶していない」 「どちらかと言えば『好き』の範疇にある」等の証明とはならないのです。
お礼
長レスありがとうございます。 上のお礼の方に自分の答え等書いておきました。 また時間のある時にでも読んでください。
NO8です。お礼ありがとうございます。 ・・・実は私も下手ながら子供の頃からずっと音楽を愛してきました。だからと言うわけではないのですが、ワタクシも似たような感覚をもっているかもなあ・・と共感したりもしました。 やはり芸術、音楽を愛する人は、一般的には、やっかいな性質をもっているんでしょうねえ。 別に今のままでいいではありませんか。 貴方様は貴方様。世界でたった一つの大切な存在です。貴方様が作り出す、音楽と一緒です、きっと。 そんな貴方様を理解してくれる人、そのうち現れますって。いや、現れなくても、それが淋しくてもそれでもやっぱりいいんじゃないでしょうか。貴方様の音楽はより一層深まることでしょう。 言葉や行動で出せないものを表現するのが、音楽じゃないですか? そんな素敵な道具を持っていて、さらに仕事にまでなっているなんて、とても素敵なことですよ。 そのままの頑固な貴方様でいてください。・・・それで良いんですよ。 理解されない部分、音楽にしちゃってください!それが貴方様に与えられたすばらしい能力、そう思います。 本題からずれましたね(笑)すみません。
お礼
レスありがとうございます。 確かに自分は自分なので、そのままでいいのかもしれません。 今のままやって、なにかきっかけがあれば変わるのかもしれないですし。 まあ考えすぎないようにします。
NO.9です。お礼ありがとうございます。 さきほど質問させていただいた内容ですが、あらためて考えると好きな人ができてその相手に対する反応に関するご質問でした・・大変失礼いたしました。 質問者様は、特定の人と親密になることを基本的に避けるということですが、それはなぜでしょう。 幼少のころに受けた傷は、大きくなってその部分に軽く触れられるだけでひどく痛みを感じたりします。 特定の人と親密になるというのは、心を開くことでもあり傷口をもさらけだすことなのですよね。 親から条件付きでしか愛情をもらっていなければ、パートナーに対しても「何かしなければ愛情をもらえないんじゃないか」と無意識におもってしまったり。 もしそういう痛みを感じるのがこわくて親密になるのを恐れているのだとしたら、ご自身の心を理解してあげないとこれからもし好きな人ができたとき愛情交換がスムーズにいかないんじゃないかな。 たとえばパートナーの何気ない態度で傷ついたとき、思わずパートナーのせいにしてしまったりとか。 そんな時に「今自分の過去の傷に触れただけでたいしたことをされたわけではない」と思えるようになったら、パートナーへの愛情を疑わずにすみますよね。 ・・・なんだかまた質問と内容がずれてしまいましたね・・・申し訳ありません。 何が言いたかったかというと、傷つくことを恐れないで欲しいということと、愛情の欠如からくる痛みは新たな愛情によって治癒できるということです。
お礼
>質問者様は、特定の人と親密になることを基本的に避けるということですが、それはなぜでしょう。 あんまりそういう願望がないからかなと思います。 >幼少のころに受けた傷は、大きくなってその部分に軽く触れられるだけでひどく痛みを感じたりします。 >特定の人と親密になるというのは、心を開くことでもあり傷口をもさらけだすことなのですよね。 >親から条件付きでしか愛情をもらっていなければ、パートナーに対しても「何かしなければ愛情をもらえないんじゃないか」と無意識におもってしまったり。 おっしゃっている事は理解できるんですが、う~ん。あまり実感湧かないですね。 >もしそういう痛みを感じるのがこわくて親密になるのを恐れているのだとしたら、ご自身の心を理解してあげないとこれからもし好きな人ができたとき愛情交換がスムーズにいかないんじゃないかな。 怖いはないですね。必要なら親密になる傷つく事も構わない、不必要なら親密にならない傷つきたくないってかんじでしょうか?恐ろしく言い方は悪いですが。
- gldfish
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No.2です。 当初「熱い思いが無」くて困っている方だと思いましたが、お話を聞く限りむしろ「思い込みが激しく頑固な故に、打開策や人の言葉をはねのけてしまう」タイプの方ではないかと思いました。 少しでもいいですから、「自分が信じて疑わないことは、実はある意味において違うのかもしれない」とも考えてみてはいかがでしょうか。でないと本当にご自身が堂々巡りになってしまいます。 antony_lawさんの言葉・・「怒り」をネガティブに捉えている点に、ヒントがあると思いました。 というのも、幸せが「ことなかれで進むこと」だと思っているフシがあって、そこが自分との大きな違いなのです。ここに関しては前に述べたことと変わりません。 「好き」と「嫌い」は同じなのです。「嫌い」は「どうでもいい」ではありません。そして「好き」は残酷なものです。「嫌い」があるからこその「好き」なのです。何が良くて悪いかを選別した結果です。つまり「嫌い」を否定している者に「好き」なんてあり得ないのです。 ・・・No.7の方がantony_lawさんを例えるのに「怒り」を挙げたのはそういうことではないでしょうか。 「怒りとは、自分の期待や欲求が満たされない時に起こると思う」・・・まさしくそれです。期待や欲求があるからこそ「怒る」のです。怒らない者は、そもそも「期待も欲求も無い者」です。怒りや苦悩や他人との衝突は生きることであり「愛」そのものです。 「熱い思い」は苦悩を生みますが、でも自分の信念や欲求の為に、苦労することを避けては駄目です。「必要なこと」だと思わないと。自分は「怒る」者は好きです。そこにその人の信念や熱く真っ直ぐな思いが少なからず見えるからです。損得勘定から厄介事を避け上辺だけで終わらせる者とは違います。 ・・・その「熱い思い」を「音楽だけ」にぶつけるのも違うのかもしれません。そんな使い分けをする者は、結局音楽においても何も消化出来ていないのかもしれません。表現物やクリエイティビティとは「自己表現」そのものです。(クリエイションの件については本題がズレるので今回はこれくらいにしておきます。) >好き嫌いが激しく、散々衝突を重ねた 人見知りの典型的な思考だと思います。人見知りって弱弱しくて繊細なイメージがあるかもしれませんが、実はとても頑固で強いのです。その自我の強さ故にどうしても他人との衝突や他人を受け入れられないことが多くなりがちで、結果傷付き人を避けてしまうのです。 antony_lawさんはコミュニケーションを拒まないにせよ、「そつなく合わせて、厄介事を避ける」という形で「人見知り」を実践しているのです。これでは結局拒んでいるのも同じかもしれません。 でもそうは言いながらも、ここのやりとりからも自分はantony_lawさんが「熱い思い」が無い人間だとはどうしても思えませんでした。充分に「怒り」を持つ器にあるのではないかと感じました。それはご自身でも「好き嫌いが激しく、散々衝突を重ねた」と認めている通りです。 そこを完全に「自分はそれで悩んでいるんじゃない」と思い込んでしまっている為、打開が見えてこないのではないでしょうか。 antony_lawさんの問題点は本当に「人を好きになれないこと」・・なのでしょうか? 「(頑固で強い)自分を受け入れられないこと」なのではないでしょうか。 ・・・自分を受け入れられない者、正直に表現出来ない者が、他人あるいは他人の正直な表現を受け入れられると思えますか? 自分にはそうは思えません。相手は正面からぶつかってきているのに、自分だけ自分を守る(衝突を避けたり、嫌われないようにする)なんて、なんだか相手に悪い気がして。antony_lawさんはその辺いかがですか? やはり「自分の意見は受け入れられなくてもいい。心を閉ざしているから、相手に悪いという感情も無い。」ですか? 以上、思いついたことを羅列したのでいまいち整理出来ていないかもしれませんが、部分部分でも何かしらヒントになれればと思います。今のご自身の状況を色々と視点を変えて考えてみてはいかがでしょうか。
お礼
>「思い込みが激しく頑固な故に、打開策や人の言葉をはねのけてしまう」これは心当たりがあります。 >「自分が信じて疑わないことは、実はある意味において違うのかもしれない」 これも思い当たる節があります。自分では視野を狭めないよう多角的に物を見ているつもりですができてないのかもしれません。 >「怒り」をネガティブに捉えている点 う~ん。私にはポジティブにはとらえる事は難しいです。 私個人の経験から言わせてもらうと、怒りを覚えたとき、ホルモンの関係でしょうか物の見方は狭まり、思考は短絡的になり、言葉はよりきつくなります。 怒りに身を任せた事はありますが、いい結果を得た事はありませんでした。 これは私だけなのかもしれないです。ただ、私にはこれがいいとはどうしても思えません。 >幸せが「ことなかれで進むこと」だと思っているフシがあって、 これはありません。私は幸せは自分でつかむ物だと思っています。誰かと衝突する事も多々あるでしょう。ただ、その時に自分の主張を通す為に一々感情的になっていては、赤ん坊と変わりありません。 私は赤ん坊ではありません。そういう時に理性を持って冷静に何をどうするのがベストかを考えその場に望みたいのです。 >「嫌い」があるからこその「好き」なのです。 これは私に取っては少し違います。 私に取って「好きの」反対は「どうでもいい」であり、嫌いではありません。 好きで好きでたまらない物はありますが、嫌いで嫌いでどうしようもない物はありません。 ポジティブな方に私の感情を揺さぶる物はあっても、ネガティブな方に私の感情を揺さぶる物は殆どありません。またあっても自分のそばにあって欲しくありません。 >期待や欲求があるからこそ「怒る」のです。怒らない者は、そもそも「期待も欲求も無い者」です。 確かに『怒らない者は、「期待も欲求も無い者」』は『期待や欲求がある者は「怒る者」』の対偶だと思いますが、果たして世の中この2種類だけなのでしょうか? わたしは期待や欲求があるがそれが満たされなくても怒らない者がいてもいいのではないかと思います。 >「熱い思い」は苦悩を生みますが、でも自分の信念や欲求の為に、苦労することを避けては駄目です。 おっしゃっている事には同意できます。ただ、これも自分に当てはまらない様な気がします。 上記した通り私は人と衝突した時、自分の主張が通らない時に怒らないまたは怒りを持って主張を通さないだけであり、そこに諦めや逃げの考えは持ち込まないようにしています。 勿論自分の意見が複数ある場合は優先順位をつけ、下位の物は切り捨てて不要な衝突を避ける場合も多々ありますが。 >自分は「怒る」者は好きです。 これはどういう風に怒る人の事を指すのでしょう? 怒りにも種類があり「ただ感情的に怒る人」もいれば「理性をもって怒る人」等、いろんなバリエーションがあると思うのですが。 >・・・その「熱い思い」を「音楽だけ」にぶつけるのも違うのかもしれません。 >そんな使い分けをする者は、結局音楽においても何も消化出来ていないのかもしれません。 これは私は必ずしもそうだとは思いません。好みの問題もあるのかの知れませんが。 >人見知りの典型的な思考だと思います。人見知りって弱弱しくて繊細なイメージがあるかもしれませんが、実はとても頑固で強いのです。その自我の強さ故にどうしても他人との衝突や他人を受け入れられないことが多くなりがちで、結果傷付き人を避けてしまうのです。 確かに私は人見知りで我が強いとは思います。 >問題点は本当に「人を好きになれないこと」・・なのでしょうか? たしかに違うかもしれません。本当は「承認欲求がこれっぽっちもない事」って書いた方が適切なのかもしれませんね。 >「(頑固で強い)自分を受け入れられないこと」なのではないでしょうか。 どうでしょう? 自分では自分の事を「まだまだな点は沢山あるけど自分が自分で良かったとは思っています。」 >自分を受け入れられない者、正直に表現出来ない者が、他人あるいは他人の正直な表現を受け入れられると思えますか? これもどうなんでしょうか? 私は通る通らないは別にして、自分の意見を主張する時に最も波風の立たない方法を探して選んでいるだけだと思います。 なので衝突を避けたり、嫌われない、または相手の顔色をうかがう様な行動はとりません。 >相手は正面からぶつかってきているのに、自分だけ自分を守る(衝突を避けたり、嫌われないようにする)なんて、なんだか相手に悪い気がして。antony_lawさんはその辺いかがですか? やはり「自分の意見は受け入れられなくてもいい。心を閉ざしているから、 上記の通り私には承認欲求がないのかもしれません。また不要な衝突は避けますが、必要な衝突はしますし、相手に嫌われないように行動したりはしません。
- yosiochan
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どうすれば人を好きになる事ができますか?ということですが、なろうと思ってなれるもんじゃないですよ。 音楽の好き嫌いと同じで理屈じゃないですから。 「胸がきゅんとする」「彼女に会いたくてたまらない」「彼女無しでは生きていけない」など・・本人の意思とか関係なく頭はその人のことでいっぱいになってるんです。 あなたの心をかき乱す女性にまだ出会ってないだけじゃないでしょうか? きっと性格が惚れっぽくないんですね。そういう人に限って運命の人とドラマティックな恋愛するかも。 あなたが好きになれる人に出会えば、いやでも好きになりますよ。
お礼
レスありがとうございます。 >どうすれば人を好きになる事ができますか?ということですが、なろうと思ってなれるもんじゃないですよ。 やっぱりそうですよね。 >あなたの心をかき乱す女性にまだ出会ってないだけじゃないでしょうか? 二人心あたりがあります。学生の頃ですが、一人は4年、もう一人は2年思いを続けました。 辛くなったのでこっちから距離をおきましたけど。 >あなたが好きになれる人に出会えば、いやでも好きになりますよ。 いつか出会えてうまくいくとといいなあと思います。
お礼ありがとうございます。 >私は物心ついたときにはすでに反抗期でしたね。よく怒られてた記憶があります。 ただ15歳で家を出たので他の人の反抗期とは大分、様相が異なると思います。 反抗期にちゃんと反抗されていたと聞いて少し安心しました。 というのは、反抗せずに抑圧されたままなのではと心配していたからです。 たしかに15歳でおうちを出られたというのはなかなかできないことですよね。 あと気になるのは、特定の人と親密になることを避けているということはないでしょうか? たとえば、メールの返信が遅いだけでパニックになってしまったり。 相手から要求されることを重荷に感じたり。 本当の自分を知られると嫌われるんじゃないかと不安になったり。
お礼
レスありがとうございます。 >特定の人と親密になることを避けているということはないでしょうか? 基本的には避けますね。ただつきあいが10年15年の親友ともなると話は変わってきますが。 >たとえば、メールの返信が遅いだけでパニックになってしまったり。 これはプライベートではありません。 >相手から要求されることを重荷に感じたり。 他の方のお礼に書きましたが、私は「情けは人の為ならず」「受けた恩は必ず還元する」と思っているので、他人が頼ってきたらどんな状況であれ自分ができる範囲で助けます。 >本当の自分を知られると嫌われるんじゃないかと不安になったり。 これもないですね。知られる事がないので。
こんにちは。 無理に人を好きになる必要はないと思います。 特に嫌いな人もいらっしゃらないようなので、生きていくのに困ることはなさそうですし。 ただ音楽家でいらっしゃるということですが、音楽表現はいい感じなのでしょうか? 普段感情を出さないけれど本当は深い情熱を持っていて、それを音楽にしているのならそれでいいのかな、と思います。 別に人に対して出さなくても良いし。 音楽だけを愛する人生でもいいと思いますよ。 無理やりな感情を抱くなど、不自然極まりないというか、そんな音楽があったら変だなあってわかりますよね。 自然に任せるのが一番かと・・おばさんは思います。
お礼
レスありがとうございます。 >音楽表現はいい感じなのでしょうか? 一応周りの方が仕事をくれるし、講師業も含めてそれで生活が成立してるってことは他者が私の音楽はいいと思ってくれているのではないかと思っています。 もちろん、自分ではまだまだで満足できない部分は沢山ありますが、一生をかけてもますます良くなる事はあっても完全、完璧になる事はないので今できる事をきっちりやるって感じですね。 自然が一番なのは何となく理解できてるんですが、何かできる事はないかどうしても考えてしまいますね。
- pct10968
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自分が曖昧だからでしょう。 好きも無いけど、嫌いも無い。 怒りも起こらないし、情熱も無い。 冷静などではなく、あなたの振り子の振幅が小さいのです。 あなたに必要なのは、猛烈に怒り、猛烈に愛する強烈さです。
お礼
レスありがとうございます。 申し訳ありませんが、小さな頃から物にせよ人にせよ好き嫌いが激しく、散々衝突を重ねた上で今の様なコミュニケーションの取り方をするようになったと自分では思ってます。 なのであなたのアドバイスは、自分にはしっくりきませんでした。ごめんなさい。 またもし時間があれば答えて欲しいのですが、愛が必要なのは自分なりにわかります。 ですが、どうして怒りが必要なのですか? 私が思うに怒りとは、自分の期待や欲求が満たされない時に起こると思うのですが、なぜこの一回しかない人生を、わざわざ自分から満たされなくする必要があるのでしょうか? pct10968さんにとって怒りとはどういうものなのですか?
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お礼
レスありがとうございます。 あなたは私か??と思うくらい核心を突いているように感じました。 >損得抜きで、寧ろ「将来的にも、明らかに自分の得にならない」状況でも >「他者の為に、一肌脱ぐ」事があるのなら、 >「誰にも気付かれない・知られない(=誰からも褒められない・認められない)」状況でも >「他者の為に、善行を積む」事があるのなら、 >「感情の起伏に乏しい人」ではあっても、「薄情」とまでは行かないでしょう。 ここに関してですが、私は「情けは人の為ならず」「受けた恩は必ず還元する」と思っているので、他人が頼ってきたらどんな状況であれ自分ができる範囲で助けます。 そういう意味では損得勘定で動いているのかもしれません。 >今現在の貴方は、 >「相手の本体(心・内面)に対して無関心」な状態です。 >「相手の本体(心・内面)に対して無関心」だから >「表層的な付き合い」ばかりして >「自分の本体(心・内面)を相手に見せない」のです。 ここの部分に関してはいまいちピンと来ません。 確かに私は自分を受け入れて欲しいとは微塵も思いませんが、他人が何を見て聞いてどのように感じたかはとても興味があります。 >貴方は、何故「どうすれば人を好きになる事ができますか?」と質問なさるのですか。 >貴方の本体(心・内面)は、「人を好きになる」必要性を感じていないのに。 今までこの考え方に何の疑問も持っていませんでしたが、ふとこれでいいのだろうかと思ったんです。 >「自分の本体(心・内面)を知って貰いたい」 >「一部分でもいいから、相手に自分を受け入れて貰いたい」 逆になぜ他人にそこまで期待できるのかがとても気になります。