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「死ぬのではないか」という強迫観念から逃れたい

お世話になります。 一昨年の秋に高速道路で当時3歳の娘と共に交通事故に巻き込まれました。 親子2人、幸いにも命に別状はありませんでしたが、私のみ頚椎損傷で今なお通院中です。 (子供はチャイルドシートに守られ無傷でした) 事故後、立っているのが辛く(座ると落ち着きます)、動いているものを見ているだけでめまいが出てきたり、胸のあたりが苦しい感じを覚えるようになりました。 また、車に乗っているだけで動悸がするときがあります。 事故後1か月では過呼吸で救急外来のお世話になってしまいました。 頭を強打したのだから仕方がないと、気持ちを切り替えたり、動悸や過呼吸の症状が出そうなときはデパスを頓用で服用したり、自律訓練は毎日行うなどして対応しています。 事故後体調がよいというときが全くないからでしょうか、とにかくちょっと状態が悪くなると「死ぬのではないか」とか「死にたくない」という強迫観念と、娘と二人の時、あるいは一人で時間を過ごしているとき、「もし今以上に体調が悪くなり動けなくなったらどうしよう・・・」という恐怖心にさいなまれることが多く本当に困っています。 子供がまだ5歳で、本当に死ねないという思いがある一方で、体調不良時の不安で押しつぶされそうになり、ベランダから飛び降りてしまうのでは・・・というありえない衝動にとらわれるときがあります。 夫は激務で普段は娘と二人で生活しているような状況、両親は遠距離に住んでおり体調不良のために頼るということは難しいです。 自治会の会長職、幼稚園の役員、夫の仕事のサポートを行なっていることもありますし、娘の手前取り乱しそうになる自分を必死に抑え込み、日々のデューティーをこなしている状況です。 私は『事故に遭った私に』に甘えているのでしょうか? 体調不良への恐怖心や、「死ぬのではないか」という強迫観念から逃れたいです。 どのように対応していけばよいのか、わかりません。 アドバイスをお願いいたします。

みんなの回答

回答No.6

先ずは、そのとき、死なずに生かされたことを思い、 感謝の気持ちを(自身や家族の幸福ではなしに)、 社会貢献、社会奉仕で、日々のスケジュールを キチキチにして、忙しく、且つ、充実した 暮らしをしてみませんか。 そうすることで、 いつ死んでも悔いがないほどに 1日/\が充実するでしょう。 無償の行為だからこそ豊饒な充実感があるのです。 それと、 睡眠時間を私と同じ 2時間にしてみませんか。 人生の実働時間が増えますよ。

noname#157261
noname#157261
回答No.5

私も頭を強打したことあります。 そのおかげで記憶がなくなりました。 考えること記憶することが出来なくなりました。 だから事故の恐怖も記憶がありません。 あなたは私までいかなかったから 事故の怖さが残ってしまったんですよね。 頭の怪我は治りが遅いです。 私は15年掛かりました。 でも以前と同じところまで治ったかはわかりませんがね。 頭を打つということは簡単な怪我ではない。 簡単でないから、長い目で見なくてはならないんですよ。 ちょっと調子が悪くなっても死なないから大丈夫。 死ぬなら事故と共に死んでるって。 私はあんな事故(ちまたでは私は死んでることになっていた)をしても生きているんだから もしかしたら何があっても死なないんじゃないかと思います。 もしかしたらあなたも何があっても死なないかもしれませんよ。 体調不良は仕方ない。 それが普通と思えば 体調不良とも思わなくなる。 私は事故後は今の私が私なんだから ここから始めようと思いました。 本当に頭を打つと最悪 あなたの気持ちよくわかりますよ。 気長に考えましょう。

回答No.4

私は6年前にうつ病になり現在は大分回復しましたが治療中です。 辞めた会社で叱責されうつ病になったのでしょうが、その3ヶ月前、出張先で国道で追突(ノーブレーキで)され、幸いといいますか、頚椎捻挫になりその後半年ほどリハビリに通いましたが、症状固定とかいう保険の認定を受けリハビリを終えました。それ以降体調が良くなかったですね。冬場は首が痛みます。肩こり、首こりも事故以前よりひどいですね。月2回マッサージ通ってます。 交通事故は偶然が重なっておきます。過失もありますが、もらい事故は防ぎようが無いですよね。 ”私は『事故に遭った私に』に甘えているのでしょうか?” 精神的に憂鬱なんでしょうね。今の体調不良に答えを求めて見える気がします。事故にあわれて自分を責めるのはやめましょう。忘れましょうといってもなかなか難しいんですがね。 ”自治会の会長職、幼稚園の役員、夫の仕事のサポートを行なっていることもありますし” 旦那さんの激務もありますが、その様な体調で何役もこなされている相談者様、心身ともに疲労困憊じゃないでしょうか?お子さんも小さいですし手もかかりますよね。 何とか役割減らせませんか?家族のためむしろ今の精神状態では自分のためと言えるでしょうが、荷が重過ぎますよ。これ以上無理されて、本当に寝込まれたら自滅どころか、家庭崩壊しますよ。 町内の役員や幼稚園の役員は、改選時期が決まっていてなかなか言い出せないのでしょうが、ご自分の体を最優先に考えないといけない時期だと思いますよ。 頚椎には背骨にかけて神経は無数に走ってます。頚椎損傷と精神疾患の因果関係も判例で認められたケースが有ると聞いた事があります。それだけ頚椎付近は自律神経等体調を左右する場所なんですよね。 相当の不安状態ですよね。過呼吸等は自律神経の乱れですね。 相談される方は見えないんでしょうか?心療内科でカウンセリング受けられて、軽い精神安定剤処方してもらった方が良い気がしますね。 気合で病気は治る?病は気からといいます。ただそれもこれも良い医師や良い薬にめぐり合って合致して初めて病は気からだと思います。 あまり、これ以上の負荷は避けられたほうが良いと思いますし、家族の問題です。家族会議一度やられ、今の状態がこうだから他せけてほしいとか、辞めたいとか、言いたい事言った方がよろしいかと思いますね。 周りのため荷の気持ちはわかりますがご自分が体調戻され健康体になる事を有線に考えられたほうが良いと思いますよ。

回答No.3

 PTSDは本当に大変だとは思います。自分も、病気不安から、「死ぬのでは」というとらわれにとりつかれることも経験しますが、いくら子供が小さくても、病気で亡くなる母親もいます。自分が死んでも子供は育ちます。あまり追い込まなくても大丈夫です。  そしてやっと最近気づいたのは、自分が動くところにあらゆるリスクはつきもので、死のリスクも当然誰にでもついてまわります。死のリスクを感じないということは、自ら動いていないか、自覚をしていないかです。自分もいつかは死ぬということを自覚してしまったことを是とするか、非とするか、私は是だと思いますが、苦しいときはやはり専門家のアドバイスが必要だとは思います。

cueda
質問者

お礼

早速のアドバイス、ありがとうございました。 事故と病気、原因は違えど同じようなとらわれを経験なさった方からのアドバイス、 嬉しく思いました。 そうですね、親はなくとも子はなんとか育っていってくれますよね。 独身時代大きな病気をし、生死の境をさまよいましたが、その時はなんといいますかニュートラルな 感情だったのです。 自然の営みの一つなのだから消えていくのもまた当然と。 愛別離苦なのでしょうか、頭では理解していても気持ちの整理が難しいです。 いつかは死ぬと自覚して、苦しいときは専門家の力をお借りしながら日々を生きたいと思います。

  • 197658
  • ベストアンサー率19% (153/804)
回答No.2

>私は『事故に遭った私に』に甘えているのでしょうか? そうでしょうね。事故当初は誰でも頭にきますが、 車を運転している以上、どんなに注意をしていても 過失を犯してしまう危険性はあります。 自分が加害者になるかもしれない、この程度で良かったと 思えれば気持ちの持ち方も変わるでしょう。 後、頓服のデパスでは短時間過ぎますので現在の体調には あっていないと思います。(減薬してるのかもしれませんが) 担当の先生と話し合って長期タイプの抗不安薬に変更した方が いいと思いますよ。

cueda
質問者

お礼

早速の回答、ありがとうございました。 やはり甘えているように感じられますか・・・ 私自身は事故での経験を乗り越えて生きていきたいと思っているのですが、 思いと実際の精神状態は反対なのでしょう。 症状固定をして10か月ほど経過しており、整形外科の担当医から デパスを処方してもらっている状況です。 なんとか時間を見つけて精神科への受診も検討してみようと思いました。 ありがとうございました。

noname#198254
noname#198254
回答No.1

>>どのように対応していけばよいのか、わかりません。 精神科外来いきましょう。立派に日常生活に困難をきたしてます。 専門家の力を借りましょう。 ここで相談してる場合ではありません。

cueda
質問者

お礼

早速のアドバイス、ありがとうございました。 確かに、精神科へ受診したほうがよいかな、とも思います。 なんとか時間を作って受診する方向で検討しようと思います。

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