• 締切済み

母にどのように説明すればよいでしょうか?

24歳女性です。 現在両親が離婚争議の真っただ中で・・・ 自己を見つめ直し中の母がたまに “お母さんのいけない所はどこ?” と聞いてきます。 私としては、 長年の母とのやりとりの中で“この人は何を言っても変わらない” という諦めに似た気持ちを抱いているため言うのも億劫なのですが… 聞かれるので一応答えます。 しかし、何を言っても伝わらなくてどうしたらいいのか困っています…例えば 私「“今話して良い?”って聞かれて、“いいよ”って答えたのにメール打ってて話聞かない所とかかなぁ?」 母「…それ、どこが良くないの?」 というようになってしまうのです… このことを良くないと思わない価値観をお持ちの方がいらっしゃったとしても それはそれで構わないと思うのですが 自分の良くない所を改善しようと努力しているが、良くない理由が分からない人に対しては どのように説明したらいいのでしょうか? これ以外にもたくさんあり…本当に困っています。 53歳ともなると、もう性格は変えられないから諦めろと言うべきでしょうか? 聞かれても流すようにすべきでしょうか? 様々なご意見お願いします。

みんなの回答

  • ka28mi
  • ベストアンサー率41% (969/2315)
回答No.8

No.1で回答した者です。 お試しいただいたそうで、ありがとうございます。 しかし、「そー来ましたか」と言いたくなるような反応ですね。 なかなか手ごわいお母さまのようで、他人事として聞ける私などはともかく、質問者さまは疲れてしまったのではないでしょうか。 他の回答者さまのご意見も拝見していて、私も色々と勉強させていただきました。 私の感覚ですと、お母さまのような反応をなさる方は3パターンあると思います。 まず、一つ目は、他の回答者様もご指摘の「実は、自分を変える気などなくて、『あなたは悪くない』と言ってもらいたいだけの方」、たぶん一番多いのでしょうね。 二つ目は、「とにかく他者に言われたことに反抗せずにはおれない方」、自分にもその傾向があると思うのですが、反射的に「なぜ?」「なんでダメなの」と言いたくなる人もいます。根本原因に自信の欠如だとか、防衛本能がある場合もあるのでしょうね。 最後は、「なぜダメなのか、本当に理解できない方」、一種の発達障害でしょうか。まれだとは思いますが、本当にいらっしゃるんですよ。相手にも感情があるということが実感できない方とか、自分の知っている事と他人の知っていることは違うということが実感できない方とか。 ある程度の年になれば変わることはできないとお考えになる方も多いですが、私自身は、上の3パターンのどれであっても、いくつになっても、表面的に「変わる」ことはできると思っています。 正確に言えば、「変わる」のではなくて、抑える、コントロールできるようになる、と言った方が良いのかもしれません。実際に、60を過ぎて、多少の抑制を可能にした人間が身近にいますので。 ただ、厳しい話ですが、変わるには、ご本人が「この性格を変えよう」と自覚して意識しないと無理です。自分以外ができるのは、手助けでしかないのですよね。 質問者さまにとっては、お母さまの事ですし、離婚争議中ということもありますから、どうしても成果を望んでしまうと思います。 しかし、質問者さまの文面から受ける印象だけですが、お母さまが「変わる」のは、結構ハードルが高いものがありそうです。一方で、お母さまが質問者さまに「答え」を求めてこられるのも、続くのではないかと感じます。 少し薄情かもしれませんが、質問者さまのお気持ちの片隅に、「こう言ったら、こんな反応をしたか」と、パズルでも解いているような冷めた部分をお持ちになる方がいいのではないかと思います。質問者さまご自身も危惧していらっしゃるようですが、精神的に巻き込まれてしまうと、ダメージが大きくなりそうな気がしてしまいます。 とりあえず、思いつく対応方法を挙げてみます。 まず、「流してはいけないのか」という疑問を投げておられるわけですので、今度、お母さまが何か訊いてこられたら、おもむろに携帯なり新聞なりをとりあげて、そちらに目をやりながら、おざなりな対応をなさってみては、いかがでしょう?お母さまの対応を、そのまま鏡のように返すわけです。 質問者さまは、真面目な方だという印象を受けますので、反応は意識して投げやりになさってみてくださいね。間違っても、きちんと答えを返してしまってはいけません。 通常の方でしたら、この対応は気を悪くすると思います。これを、まったく気にしない方、話を聴けと求めてこない方、この場合は、素人判断ではありますが、なんらかの発達障害を疑う方がいいような気がします。 気を悪くなさったなら占めたものです。「ね?お母さんだって気分悪いでしょう?私だって、他の人だって同じだよ」と、共感からスタートできます。 次に、お母さまからの質問への答えの返し方ですが、回答ではなく、質問で返してしまうのはどうでしょうか? たとえば、「ながしちゃいけないの?」と訊かれたなら、「流さなくちゃいけないの?」「どうして、流そうと思うの?」「なぜ、流してもいいの?」といった具合です。 質問者さまが「答え」を出そう、正しい結論に導こうとせずに、相手が固執している考えに「なぜ?」をぶつけるのです。 この方法の注意点は、追い詰め過ぎてしまわない事だと思います。 喧嘩をする気なら追い詰めてもいいんですけれどね。ご家族ですし、お母さまをいじめたいわけではなく、自覚してほしいだけなのですから、切り返すだけにとどめる方がいいでしょう。 最後に、お母さまが、それでも納得せずに質問者さまの答えを求めてきたり、怒ってしまったりとなった場合です。 「私は、こう思うよ。でも、お母さんが、そうは思わないなら、それはお母さんの自由だよね。ただ、それなら、いけない所を私に訊かれても、答えるだけ無駄だよね。一度ゆっくり考えてみてよ」という趣旨の事を言って、打ち切ります。 他の回答者さまのご回答と同義だと思いますが、最終的には、ここに落ち着くしかないのでしょうね。 ご健闘を祈ります。 くれぐれも、質問者さまご自身の方が追い詰められてしまわないようになさってくださいね。

noname#169170
質問者

お礼

二度目のご回答、また私へのお気づかいありがとうございます。 投稿した頃は、母との関係が行き詰まっており参っていましたが 今は、みなさんのさまざまなご意見、励ましのおかげで大分落ち着いています。 誰かにアドバイスを求めるというのは 自身を客観視するのにとても役立ちますね。 >私の感覚ですと、お母さまのような反応をなさる方は3パターンあると思います。 なるほど、同じ行動をしていてもその心理には複数のパターンがあるのですね 娘としては第3のパターンであって欲しくはないですが…ありえなくはないですね… >今度、お母さまが何か訊いてこられたら、おもむろに携帯なり新聞なりをとりあげて、そちらに目をやり>ながら、おざなりな対応をなさってみては、いかがでしょう?お母さまの対応を、そのまま鏡のように返>すわけです。 この方法は試すのが難しいですね…私の問題で… 母に自分の行動を気付かせるためには必要なことなのかもしれませんが 今現在母は父と離婚争議中であり、私には二つ上の既婚の姉がいるのですが 姉は母と絶縁状態です…おそらく姉は私以上に母を恨んでいます… つまり、私が母にとっての命綱のような感じなのです… そんな私にそういったことをされたら、誰かに悩みを相談することなどできなくなり 一人で思いつめてしまいそうで怖いです… 後で“お母さんに気付いて欲しいから試していただけだよ”と言っても、 “どうして試したりするの?!”と激昂するのが目に見えていますし… 折角の御意見をこのように否定してしまい申し訳ありません。 回答者さまのご意見と普段の母の態度から考えて、 私の母は第2のパターンなのではないか、と思いました。 >「とにかく他者に言われたことに反抗せずにはおれない方」、自分にもその傾向があると思うので >すが、反射的に「なぜ?」「なんでダメなの」と言いたくなる人もいます。根本原因に自信の欠如だ >とか、防衛本能がある場合もあるのでしょうね。 私の母はまさにこういった感じです。 相当防衛本能が強いらしく、どれだけ穏やかに遠まわしに伝えても “完全否定ね!!”“どうしてそんなに責めるの!!” とキレられることが多いです… >ある程度の年になれば変わることはできないとお考えになる方も多いですが、私自身は、上の3パタ >ーンのどれであっても、いくつになっても、表面的に「変わる」ことはできると思っています。 >正確に言えば、「変わる」のではなくて、抑える、コントロールできるようになる、と言った方が良 >いのかもしれません。実際に、60を過ぎて、多少の抑制を可能にした人間が身近にいますので。 >ただ、厳しい話ですが、変わるには、ご本人が「この性格を変えよう」と自覚して意識しないと無理 >です。自分以外ができるのは、手助けでしかないのですよね。 なるほど、幾つになっても「変わる」ことは無理でも 自身を「コントロール」することはできるはずですよね、本人にその意思があれば。 その意思を私の力で持たせることはできませんが… 私にできる事は自分の平静を保ちつつ、 母から質問があった場合にはばか正直に答えるのではなくその裏の心理を読みとり 「質問返し」をしてみたり、「無視」(これはできる気がしませんが…)をしてみたりして 母が自分の問題に気づけるように“手助け”することですね。 それでも怒られた時には >「私は、こう思うよ。でも、お母さんが、そうは思わないなら、それはお母さんの自由だよね。ただ >それなら、いけない所を私に訊かれても、答えるだけ無駄だよね。一度ゆっくり考えてみてよ」とい >う趣旨の事を言って、打ち切ります。 >他の回答者さまのご回答と同義だと思いますが、最終的には、ここに落ち着くしかないのでしょうね。 このように、他のみなさんもおっしゃっていた 「“私はこう思うよ”で打ち切り」作戦で行こうと思います。 最後に、少し場所を貸して下さい。 このたびは見ず知らずの私のために、様々な世代の方から多数のご意見を頂き、本当にありがとうございました。 みなさまのおかげで、母との行き詰まっていた関係に光が射したような気がします。 ここで力を頂けたおかげで、昨日母にこんな話をすることができました。 「お母さんは子供の頃、愛情不足の中で育ったんだよね  そして今もその愛情不足を埋められていないから  ちょっと何かを言われたら“責められている”と感じてしまったり  感情を抑制できなくなるんだよね…それは辛い経験だったと思う。  でも、私もそうだったと思うよ。  それでも、私はある程度は乗り越えられた  だから、お母さんも頑張って乗り越えようよ。  “変わりたい”と思う意思があるんでしょう?  だったら頑張ろうよ。」 自分で言いながら、“どっちが母親なんだろう”とつい思ってしまったのですが… “母に母であって欲しい”と思うのは“私”の価値観であって、母には関係のないことだと みなさんのおかげで気づけました。 その価値観を捨てれば、これはなんら特別なことはない人と人が関わる際にはよくある問題ですよね。 こう言ってもまた怒られたりするのかなと思っていたのですが、意外にも 母は泣きながら “そうなの” と繰り返し、めずらしく私に同意してくれました。 今まではやはり、私の言い方に問題があったのでしょうね… しかし、やはりこんな母なのでまたすぐに言ったことや言われたことを忘れて 同じ事を繰り返しそうですが… そんな時はここにきて、みなさんの回答を見て頑張ろうと思います! 私にとってはみなさんの回答全てが心に響いたため、ベストアンサーを選ぶことはできません。 よって、これにて質問を締め切らせていただきます。 最後に みなさんお貴重なお時間を割いて、見ず知らずの私のために親身になってアドバイスを下さり 本当に、本当にありがとうございました。

noname#187533
noname#187533
回答No.7

ANo.5です。 >このような人の心の構造となぜそうなるかについて >良ければ教えて頂けないでしょうか? >母を理解する手掛かりが欲しいです。 ・・・これを書くと長くなるので省いたんですがね。 一冊本が書けます。 無理むりにごくかいつまんで書きますか。 人は誰しも「きれい事」で生きたいと思うものです。 きれい事を考えていればそれでそれができているようにも思うのです。 たとえそれができていないにしても 自分の状況がそれをさせないだけであって 本当の自分はすごいんだと思ったりもするのです。(誇大的自己像) その状況には自分自身の能力もふくまれます。 だからそういう人は自分に対し被害者意識と同じものをもつ。 これを「自己嫌悪」といったりします。 「できない自分」を嫌悪する「立派な自分」がいるのですね。 それこそが本当の自分だと思うのです。 その本当の自分は理想がとてつもなく高い、というわけです。 そこいくと他人の理想のなんと低いことか、とも思う。 他人のありさまはその人にとっての理想の状態であるはず、というわけです。 しかし、ある時実はそのようなきれい事の自己像とはまったく違う反対のことを 自分はしたり思ったりしていることに愕然と気付くことがあるのです。 本当は当然ながらそういうことにはまったく気付きたくないのですが 現実によって無理やり強引に気付かされてしまうのです。 これはとてもつらい経験です。 今までの自分が壊れるのですから。 たとえば失恋がその典型です。 それを「挫折」といいます。 それによって人は自分は自分にうそをしばしばついているということにも気付く。 簡単に言えばいやいやながらも自分の客観像にでくわすのですね。 自分を他者のように見るようになるのです。 そして基本的に自分を、「こいつ信用ならんぞ」というように思える。 これが大人への脱皮なのです。 そしてそこから人というものの理解がはじまる。 すると他者への理解もうまれる。 自分を他者の立場に置き換えて考えることもできるようになる。 そのなかには自分に不都合なことも当然ふくまれるかもしれないが それは挫折によって経験済みなのでそれも含めて客観的に見ることができるのです。 挫折からのことを簡単に書きましたが 実は挫折は自我の一部が崩壊するということです。 つまり、それではやっていけない、生きていけない、通用しないということなのです。 するとその部分だけでなく他の部分も似たような要素で成り立っているので それらもダメだろうと思える。 これは非常なる恐怖です。 そしてその崩壊が将棋倒しのようにつぎからつぎへと伝わり あげくにはほとんどの今までの自分をつくっていたものがたおれてしまう。 ここまでいくのがつまりうつ病です。 うつ病はそれまでの自我の死なのです。 現実に対処する一切の「すべ」がない。 生きながら死んでいる状態です。 そこから立ち直るには あらためてごくごく身近なところから 自分を一つ一つつくっていかなければばりません。 ある程度できてくると 挫折でたおれていたいままでのさまざまな自分の「かけら」のなかにも 充分使えるいいものもあることにもあらためて気付くこともある。 すべてを一新する必要もなかったのですね。 ここまできたところで鬱からぬけだしたということになる。 一回こわれたものを再建すると こんどは前よりはるかにしなやかで強いものになっています。 自信ができるのですね。 若いうちはこれができます。 自我の再建の具体的方法はあるのですがはぶきます。 失恋からたちなおるのもおおよそ同じ経過をたどります。 さてお母様のような方は この挫折をスルーしてしまっているのです。 まあ、ほんとうの英語のthroughは「通り抜ける」ですから ちょっと意味がちがいますがね。 まあつまり抜け落ちているのです。 ということは上記の挫折以前の状態のまま何十年も維持しているわけですね。 ご本人もじつはそんなこと無意識でははっきりわかってらっしゃるのですが、 いかんせんなにしろそれをちょっとでも見るだけで 自分が壊れそうでこわい。 本当は自信も全くないのです。 なにしろきれい事を現実にちゃんとためしたことないのでね。 だから「とんでもない、私は認めませんよそんなこと!」となるのですね。 なにしろそういう人のジコチュウには自我の生死がかかっているので こりゃもうテッパンで頑固です。 これをして「苦労は若いうちにしろ」ということになるのですね。 ・・・およそ千分の一に縮めてあるのですが こんなことですこしでもお分かりいただけたでしょうか? でも長い回答ですね。お互いおつかれさま。

noname#169170
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ご説明とてもわかりやすかったです。 私の短い人生を振り返ってみると 自我の一部が崩壊して、自分がとても頼りなくしょうもないものに思えた事 そこから自我を再建していく過程で、そんな自分にも良い所はあると思えた事 といった経験があるように思いました。 失恋したり、受験に失敗したりしたことで、、、 しかし母にはこういった経験がないから (正確には挫折の経験はあるのでしょうが、それに向き合っていないのでしょうね) 私にとっての小学生や中学生の頃のように 何事に対しても自分は完璧であり、自分は正しいと思っている そんな状態なのですね。 >ご本人もじつはそんなこと無意識でははっきりわかってらっしゃるのですが、 >いかんせんなにしろそれをちょっとでも見るだけで >自分が壊れそうでこわい。 >本当は自信も全くないのです。 この言葉は、まさに今の母の状態であるなと感じました。 だから、本人以外の人間が強引にどうこうしてはいけないのですね… 母が自ら自覚して、立ち向かうしかない 立ち向かえるようになるしかない 私にできることはそんな母に巻き込まれないように距離を保ちつつ できることがあれば協力するぐらいかな、と思いました。 このことについては一冊の本がかけてしまうぐらい奥深い話であるとのことですので 私の理解などほんの一部にすぎないのでしょうが それでも母を理解するための手掛かりとしては十分なものでした。 深いお話を私の要望に応えてかいつまんで説明して頂きありがとうございました。 そのために使われた回答者様の貴重なお時間にも感謝します。 本当にありがとうございました。

回答No.6

再度の回答です。 >“そんなことは自分で自覚して克服して欲しい” >と思ってしまいます…愛情不足を言いわけにして欲しくないのです… >こういった事を本人が自覚するのには、どうすればいいのでしょう? >正直な気持ち、私はやはり“娘”という立場からどうしても >“53歳なんだからもっとしっかりしてよ、大人になってよ” >と思ってしまいます…ここまできたらやはり >専門家のお力を借りるべきでしょうか? 痛いほどのお気持ち、とてもよくわかります。 そしてそういう痛みを抱えた人はビックリするほど多いのです。 まず、「親だからこうあるべき」「こうあってほしい」という 「貴女の欲求」から少し距離を置く事はできそうですか? これは貴女に「折れてあげたら?」と言ってるわけではありません。 貴女の心が楽になったらいいなという気持ちからの提案です。 お母様がこの先大人になりきれなくても仕方がないのです。 血が繋がっていても貴女とは別人格という意味で「他人」なのです。 貴女がコントロールできることではないのです。 お母様も貴女をコントロールできないのと同じで。 自分の気持ちを客観的に眺めるには本を読むのがいいと思います。 色々オススメの本はありますが、もし機会がありましたら 「しつこい怒りが消えてなくなる本」という本を読んでみてください。 からまった糸がほどけていくような気持ち良さを感じますよ。 お母様はどうしてそういう言動なのか、貴女の今の心理、 本当はどうしてほしいのか、自分はどうすれば楽になれるのか・・・ 親子に限らず、生きている以上色々な人間関係が生まれます。 友達、職場、近所付き合い、通りすがりの人・・・ そこに起きる摩擦の原因の解説、そして回避の仕方、といった 感じの本です。生涯のバイブルになる一冊です。

noname#169170
質問者

お礼

二度目のご回答ありがとうございます。 こういった悩みを抱えているのは、私だけではないのですね とても励みになりました。 私の中では、二十歳くらいを境に 母への欲求から距離を置いていたつもりでした…ですが やはり本当の意味では距離をとれていなかった、というより許せていなかったのだと思います。 両親の離婚争議の中で父から母の話を聞かされるたびに 自分の中の押さえていた“欲求”が再び熱を帯びてきたような感じです 父の母に対する不満は、私の母への不満と重なる部分が多く 私は父親っこなこともあり 影響されてしまったというような感じです… まだまだ大人にはなりきれていませんね… 距離をとるにしても、おそらくただ汚いものに蓋をするのではなく 回答者様がおっしゃったように “自分の気持ちを客観的に眺める” ことが必要なのではないか、と気づけました。 読書はもともと好きなので、お薦めして下さった本、読んでみようと思います。 私に対しての温かい配慮のお言葉、本当に感謝しています。 重ね重ね貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。

noname#187533
noname#187533
回答No.5

こんにちは、60歳の「男子」です。 実は私もそのような人を亡き実母もふくめ身近に沢山知っております。 案外多いのです、こういう人は。 非常にジレンマを感じますよね、こういう人には。 残念ですがね、 そのような方は貴女が感じてらっしゃるようなことについて 気付くことはもうほとんどないといっていいでしょう。 その歳までそうだったなら終生分からずじまいです。 反対にもしも分かるような、わからざるをえないような 出来事にこれからでくわしたら きっとその時は鬱になるか なんらかの依存症におちいるかしてしまうことが多いので これもまたこまりもんになってしまう。 「近頃摂食障害の高齢発症が出てきた。」 と言うある精神科医に私がその理由を尋ねると 「まあ、それはその時まで、ぶつかってこなかったんでしょうね。」 と言いましたがそれもおなじことを言っているのですね。 結局「ぶつかる」は決定的挫折のことなんですがね。 ある時人は子供の自分に挫折し、それで大人に脱皮するのです。 このような人の心の構造となぜそうなるかという理由は もはや明白になっておりまして、 またそのような人の存在も私からするとくっきり見えるのです。 私は何らかそのような状態の人々を指す 名称をつけてもいいのでは、とさえ思っているぐらいです。 心理学や医学界ではまだあまり重要視されていないようなのですが 案外さまざまな意味で実に家族や社会にとっての大きな問題が ここにかくされている気がしております。 こういうタイプの人は 自分やものごとを客観的に見ることができないのですね。 自分の主観、つまり「~のつもり」がすべてなのです。 人は自分で自分にうそをつくというようなことがわからない。 だからすべて「つもり」で生きている。 自分は究極的には絶対正しいのです。 それは負けたくない、負けることができないからなのです。 負けた、つまり負けを認めたことがないので負けることがとても怖いのですね。 「勝ち、負け」は負けた人がそれを自覚してはじめて成立する関係です。 だからなにをどう言おうが屁理屈もフル動員して 自分の正当性をゆずりません。 そして一番の問題は 本人は自分は実に謙虚で誠実だという「つもり」に完全になっているところなんですね。 まあ謙虚とか誠実ということばの現実的意味がまったく理解できないわけです。 したがってこのような人は「ダブルバインド」という幻術を得意とします。 回りは実に迷惑だ。 だからこういう人とは心が通じあいません。 こっちが心を開いてぶつかっても このような人はそれにちゃんと答えずするりとかわす。 特にその子供は強烈なジレンマにおそわれ 精神または神経に多かれ少なかれ 失調をきたすことが非常に多い。 これは本当は実に大きな問題なのです。 統合失調症もこれが原因という説もあったぐらいです。 ですからこういう人には このことについてなにをどんな言い方をしても まったく理解できません。 われわれが四次元世界を想像しようとするのと似ている状態なのです。 こういう人に真心を求めると こっちがおかしくなってきます。 自分が悪いのではないか、とね。 これがとてもとてもヤバイ。 残念ですがあきらめるしかないです。 あきらめてあたらずさわらず。 なにか貴女が強いジレンマに襲われそうになった時はそこで 毅然として貴女の立場、考え、選択を断定的に宣言してください。 このような人は他人を操作することには実に長けてますから そのあとよけいなことであらぬ方向から切り崩しにかかってきますが ちょっとあやしくなったら即距離をとり そして貴女の立場と考えをあらためて断言して打ち切りにしてください。 それでも最後っ屁をかましますがね。 一切耳に入れないようにしてください。 反論でもいけません。 お母様のペースにのることになってしまいます。 ちょっと気力のいることですがね。 周りの人間の心のバランスのために必要なことなのです。 ・・・とても残念なことですが、 しかたがない事というのは世の中あるものなのです。 なにより貴女の心がお健やかで過ごされることが一番大事なことでしょう。

noname#169170
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >残念ですがね、 >そのような方は貴女が感じてらっしゃるようなことについて >気付くことはもうほとんどないといっていいでしょう。 >その歳までそうだったなら終生分からずじまいです。 やはり、そうなのでしょうか… 60代の方のご意見ということで とても重みがありますね。 >反対にもしも分かるような、わからざるをえないような >出来事にこれからでくわしたら >きっとその時は鬱になるか >なんらかの依存症におちいるかしてしまうことが多いので >これもまたこまりもんになってしまう。 それは…本当に困りものですね… 母はよく、話合いをしていると “心が壊れそう” と言います 私はこのことを言い訳と捉え、さして気にしていなかったのですが 回答者様のご意見により この発言はあながち間違っていないんだなと気付かされました。 >このような人の心の構造となぜそうなるかという理由は >もはや明白になっておりまして、 >またそのような人の存在も私からするとくっきり見えるのです。 >私は何らかそのような状態の人々を指す >名称をつけてもいいのでは、とさえ思っているぐらいです。 >心理学や医学界ではまだあまり重要視されていないようなのですが >案外さまざまな意味で実に家族や社会にとっての大きな問題が >ここにかくされている気がしております。 このような人の心の構造となぜそうなるかについて 良ければ教えて頂けないでしょうか? 母を理解する手掛かりが欲しいです。 私の周りには、私と似たような悩みを抱えている人がいないため これはすごく特殊な問題なんだと思っていました… けれど、社会的な問題ではないかと思えるほどに ありふれた事案であるとお聞きして、失礼ながらも少しほっとしました。 >こういう人に真心を求めると >こっちがおかしくなってきます。 >自分が悪いのではないか、とね。 >これがとてもとてもヤバイ。 私は今まさに、そういう状態なのではないかと思えてきました… >残念ですがあきらめるしかないです。 >あきらめてあたらずさわらず。 >なにか貴女が強いジレンマに襲われそうになった時はそこで >毅然として貴女の立場、考え、選択を断定的に宣言してください。 >このような人は他人を操作することには実に長けてますから >そのあとよけいなことであらぬ方向から切り崩しにかかってきますが >ちょっとあやしくなったら即距離をとり >そして貴女の立場と考えをあらためて断言して打ち切りにしてください。 >それでも最後っ屁をかましますがね。 >一切耳に入れないようにしてください。 >反論でもいけません。 >お母様のペースにのることになってしまいます。 >ちょっと気力のいることですがね。 >周りの人間の心のバランスのために必要なことなのです。 たとえ反論でも相手のペースにのることはいけないのですね とても参考になります。 つらくても、私の母なのだからと思っていたのですが それで私が自分のバランスを崩してしまってはいけませんよね 今一度、母についても自分自身についても冷静に見つめなおしたいと思います。 とても親切で丁寧なご回答ありがとうございました。 一文一文にきちんとお返事をしたいのですが それだとあまりに長くなってしまいそうなので割愛させていただきます。 私への配慮も含めたアドバイス、とても参考になりました。 貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。

  • forever520
  • ベストアンサー率46% (743/1588)
回答No.4

40代既婚者男です。 人はそんなに簡単に変われるものではありません。 ましてや人に言われたからといって変わるものでも無いのです。 要は、本人が自らの体験を通して気付いていくしか無いと いうことです。 それに、良い悪いというのは、例えばあなたなら、あなたが 産まれてから今日までの間に価値観を元に判断します。 つまり、人によって善悪の基準は違うということです。 あなたがそれはおかしい、悪いことだと思っていることでも、 ある人はそうは思わないということがあります。 結局のところ、良い悪い。正しい、間違っているという カテゴリーで分けること自体が矛盾しているのです。 そうしたジャッジを繰り返す限り、人は幸せにはなれません。 真の幸せとは、そのままあるがままの相手を受け容れるという ことなのです。 しかしこれは何でもかんでも我慢して飲み込むのとは違い ます。 人はそれぞれ感情があります。あなたのようにお母さんの 言動や行動で怒りや悲しみという感情が湧きあがります。 そうした場合、相手に対して私は今のあなたの言葉に傷ついて 悲しかったと素直に表現することが大事なのです。 つまり何が言いたいかと言うと、 あくまでもそのままの相手をそれでいいと受け容れた上で、 相手に対して自分の感情をぶつけるのと、はなから相手を 拒絶し、自分の感情をぶつけるのでは全く違うということ です。 人は第三者がやっきになって変えようとすれば、更に悪循環 となり、問題は解決しません。 基本は自己責任、自己完結です。 お母さんにはお母さんの人生、あなたにはあなたの人生が あるのですから、いくら家族であっても踏み入ることの 出来ない領域というのがあるのです。 あなたが今後とるべきスタンスは、あくまでもお母さん自身 による気付きを促すことです。 たとえお母さんが変わらなくても、責めたり否定しないで そのまま受容するのです。 そしてあなたがお母さんから受けた言葉や行動で、怒り・悲しみ・ 寂しさ・悔しさなどが出た場合は、スルーしないで、その感情 をお母さんに伝えていくのです。 そしてあなたがお母さんに対してそうした感情をぶつけて、 あなたの望むような反応が無くてもそれはお母さんの自由です ので、そこを責めてはいけません。 「そっか、ふーん、お母さんはそう思うんだ」という感じです。 お母さんのように自分は正しい、相手が間違っていると信じて いる方には、受け容れるというやり方で大きな変化が産まれる かもしれませんよ。

noname#169170
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 回答者様のご意見、強く同意いたします。 私自身の価値観も似たようなものです。 ただ、私は母に対しておそらく“恨み”に近い感情を抱いています それゆえ、母に対しては全面的に受け入れることはできないと思います… >お母さんのように自分は正しい、相手が間違っていると信じて >いる方には、受け容れるというやり方で大きな変化が産まれる >かもしれませんよ。 その通りだと思います。 本当に回答者様の意見の通りだと思います。 ですが…できないのです… どうしても >そしてあなたがお母さんに対してそうした感情をぶつけて、 >あなたの望むような反応が無くてもそれはお母さんの自由です >ので、そこを責めてはいけません。 この部分ができません… “聞いてきたのはそっちじゃないのか” とどうしても思ってしまいます… 私はまだまだ、大人になりきれていないのでしょうね… 今回の件について 母の本音はただ“自分を肯定して欲しい”であるということに 私は気付いていなかったのですね だから失敗していたのですね。 回答者様のご意見、とても参考になりました それなのに、“できない”ばかりで申し訳ありません。 実行できる自信はありませんが… いつか、できるようになればいいなと思います。 貴重な時間を割いていただき、本当にありがとうございました。

回答No.3

>「…それ、どこが良くないの?」 私は私が良くないと思うことを言ってるのに、そういう風に聞き返すことが良くないことって言ってるの。 人がアドバイスしてるのにそういう返し方は失礼だよ。 治す気がないのなら、もう聞かないで。 って言ってやればいいのでは? でも根本的にお母様は治す気がないのではなく、あなたに「そんなことないよ、お母さんは悪い所なんてないから」 って肯定して欲しいだけなのかと思います。 あるいは「私はまだ子供だからわからない。もっと経験積んでるお友達とかお父さんに聞いてみたら?」って 言ってみるのも手かもしれませんね(^^)

noname#169170
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 こちらの回答…すごくすっきりした気分になりました! まさにその通りですよね!…なんで伝わらないんだろう… >根本的にお母様は治す気がないのではなく、あなたに「そんなことないよ、お母さんは悪い所なんてないから」 >って肯定して欲しいだけなのかと思います。 やはり、そうですよね… >あるいは「私はまだ子供だからわからない。もっと経験積んでるお友達とかお父さんに聞いてみたら?」って >言ってみるのも手かもしれませんね(^^) 母には友達はいません…父とは冷戦状態です… ちなみに父は現在単身赴任中(と言っても電車で1時間半くらいの通える距離)で 私と母の二人暮らしです… 離婚の原因がまさしく母のこういった部分なため 私としてはなんとか協力したい部分もあったのですが… “ただ肯定して欲しいだけ”なのであれば、 私が何を言っても無意味ですね。 はっきりと言って下さって感謝しています 貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。

noname#169170
質問者

補足

お一人だけしめの言葉を打ち間違えてしまいました… 嫌な思いをさせてしまっていたら申し訳ありません。 私のような見ず知らずの人間に 貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。

回答No.2

きっとお母様は、受け入れて欲しい人なのだと思います。 「いけないところはどこ?」と聞いておいて その返事に向き合う気はない。 それは、お母さんが欲しかった言葉じゃなかったんですね、きっと。 良くない所を改善しようとは本心では考えてないと思います。 自分では考えているつもりでも、無意識の中で実は自分の流れに 持っていきたい、自分の満足のいく言葉がほしいだけ。 それはもしかしたら、幼い頃の愛情不足があったのかもしれません。 53才だからもっとしっかりしてとか、53才だからもう変わらないとか 年齢は関係ないと思います。 だからと言って簡単ではないとは思いますが。 要するに、周りの人の言動、行動を考えるところまで意識がまわらないんです。 それは自分が満たされる事で精一杯だから。 自分がお腹ペコペコで向かいに座ってる人の事も忘れて むさぼるように食べまくっているような状態です。 お母様は、なぜ満たされないと感じるのか、何がそうさせるのか、 それがわかってくると相手に対する思いやりという物が生まれます。 「あ、この子は今話が聞いてほしいんだな。ちゃんと聞いてあげよう」 となるわけです。 それに慣れてくると、途中で言いたい事をグッと抑えて相手に最後まで 喋らせてあげるとかもできるようになります。 つまり、子供から大人になる過程ですよね、それって。 その積み重ねができずに53才になってしまったのかもしれません。 だから、それに気づけば今からでも変わると思います。 ただ、「自分で気づく」事が必要です。 人に言われても気づくとは限りません。 最初に言ったように「聞く目的」が違うのですから。 今度 「いけない所はどこ?」 と聞かれたら 「お母さんは直したいの?それともそのままでいいんだよと 肯定してもらいたいの?」 と聞いてみたらいかがですか? 「お母さんは、もしいけないと思いながらやってたら、わざとだよね。 でもそうじゃなくて、自分では問題ないと思ってやってるんでしょ? でも実はお母さんのやってる事って相手が不快になる事なんだよ。 それをちゃんと聞いて、なおす気あるの?それに反論するだけなら 自分の言動を肯定してほしいだけだよね」 そこまで言ってから、聞きたいと言ったら言ってあげて また「それのどこが悪いの?」となったら 心に響いてないということですから、いったん諦めましょう。 そのちお母様の人生の中で、考えるきっかけもあるでしょう。 まぁ・・・ないかもしれませんが。 それもお母様の人生ですから。

noname#169170
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >良くない所を改善しようとは本心では考えてないと思います。 >自分では考えているつもりでも、無意識の中で実は自分の流れに >持っていきたい、自分の満足のいく言葉がほしいだけ。 これについて、実は私もうすうす感じていました…ですので 回答者様がおっしゃったような事を聞いたこともあります。しかし 「直す気はある。でもそのやり方がわからない。」 の一点張り…自分の本心にもほとほと疎い人です… >それはもしかしたら、幼い頃の愛情不足があったのかもしれません。 >53才だからもっとしっかりしてとか、53才だからもう変わらないとか >年齢は関係ないと思います。 確かに、幼い頃に愛情不足だったようです。 “三人姉妹の末っ子で自分はいつも母(私の祖母のことです)に迷惑をかけないように我慢していた。  母は上の二人の姉を見るだけで手いっぱいだった。” と口癖のように言います… ですがこんな母ですから、私自身も愛情不足の中で育ちました。 私が幼い頃から母は基本的に自分のことで手いっぱいな人なので… そういう私からすると、どうしても “そんなことは自分で自覚して克服して欲しい” と思ってしまいます…愛情不足を言いわけにして欲しくないのです… すみません話がそれてしまいましたね こういった事を本人が自覚するのには、どうすればいいのでしょう? 正直な気持ち、私はやはり“娘”という立場からどうしても “53歳なんだからもっとしっかりしてよ、大人になってよ” と思ってしまいます…ここまできたらやはり 専門家のお力を借りるべきでしょうか? 質問ばかりで申し訳ありません。 もしよければアドバイスを頂けると幸いです。 >そのちお母様の人生の中で、考えるきっかけもあるでしょう。 >まぁ・・・ないかもしれませんが。 >それもお母様の人生ですから。 本当にその通りですね。 最後のお言葉で少し心が軽くなりました。 貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。

  • ka28mi
  • ベストアンサー率41% (969/2315)
回答No.1

40過ぎの会社員です。 なんとなく笑ってしまいました。 でも、確かにそうですよね。 「これが、なぜ悪いんだ」と開き直る方なら、「ああ、あなたは悪いと思わないのね、そういう価値観ね。」と言えますが、ご本人が直そうと努力はしていらっしゃるのに、どうすればよいか分からない、どこが良くないのかが分からないというのは、ご本人もお辛いでしょうし、訊かれた方も困りますよね。 あくまでも一案ですが、「良くない」ではなく、「私は嫌だなと感じるところ」「こうして欲しいと思う所」と仰ってはいかがでしょう? ご質問のケースだと、「お母さんと話したくて、『今話して良い?』って訊いているのに、メールを打ちながらとかで、私に向き合ってくれないところかなぁ。誰かと話す時って、メールを打ったり、携帯見たり、片手間でするものじゃないと思う。雑談じゃなくって、わざわざ断っているんだから、私に気持ちを向けて欲しいな。」とかでしょうか。 細かな理由まで言わなければいけないのはおっくうだと思いますが、53歳くらいですと、まだ多少の性格は変わりますよ。根本は変わらないのですけれど、抑える事ができるようになるというか。 この先、もっとお年を召した時のために、頑張って欠点を自覚してもらってください。

noname#169170
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 実は、言われた時、私も笑ってしまいました… さっそくアドバイスに従って説明してみたところ… 「誰かが話をしていたらいちいちちゃんと向き合って話さなきゃならないの?流しちゃいけないの?」 「わざわざ断っているかどうかはどうやって判断するの?“今話して良い?”って聞くことが断るってことなの?」 と返されました…んー…お先真っ暗… 53歳くらいだとまだ多少は性格が変わるとのことで少し安心しました。 母が自分の欠点を自覚するのにはまだまだ相当時間がかかりそうですが… 根気強く、私にできる範囲で頑張ろうと思います。 貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。

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