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創価学会の具体的な活動内容

って、どのようなものがありますか? 恐らく多少の地域差があると推測するのですが、主に聞きたい場所は場所は大阪です。 するべきこと、したほうがいいこと、してはいけないこと など、良かったら具体的に教えて頂けると嬉しいです。 20代後半女性です、お付き合いしている彼から創価学会だと明かされました また結婚して欲しいことや結婚したら入信して欲しいことを聞かされました。 正直、あまり宗教と関わったことの無い私はかなり戸惑っています・・・。 私の家は無宗教、というか強いて言えば仏教?あれでも調べると結構神道的? ごちゃごちゃ混じっててよくわからない・・、って感じの宗教に関しては疎くてゆるい家です。 彼に「宗教はどこなの?」と聞かれたことがとても不自然だと感じるほど 「宗教」を意識したことは全くなく、祈りだとか念仏だとかは無縁で生きてきました。 なので「宗教に入る」ことに抵抗を感じる私がいます・・。 彼がなにか信仰らしいことをしている様子ってのは見たことがないので 彼の言う「入信しても、出たくなければ会合に参加しなくていい」というのは ある程度は本当のことだとは思います、でも本当にそうかなぁ?と疑う自分もいます。 「僕も従兄弟も信仰とか興味ないから題目も覚えてないし何もしなくて平気だと思う」 彼はそういいました、それはまぁ一応の事実ではあると思います。 でも「むしろ従兄弟の嫁のほうが、結婚後に入会したのに題目もすらすら覚えてて~」 と、こう言ってたのが気にかかります。恐らくだけどその時の喋り方からして彼の理想は それが信心深さからくる行動かは別として、ある程度は熱心に活動できて 同じく信者である親類からの反感を買わないお嫁さん、だと感じるのです・・・。 すかさず「私は宗教に縁なく育ったし、信仰というものに興味が無い。 宗教を否定はしないが積極的には参加しないし、拒絶反応を示す可能性もある。私に信仰は期待できないよ」 と、言いはしたけど、とても楽天的にかまえてるというか、息子に甘いからといって嫁にも甘いとは限らないことを 理解していないというか・・・、上手く伝わってないような感触です。 多分、私が入信しないと親が反対するかもと、やや不安げにしているあたりきっと 「やりたくないならやらなきゃいい、でもやらないなら知ーらないっ」 って、入信しないと彼が属するコミュニュティからそういう風にされるんじゃないかな?と考えてしまいます。 彼自身は大して宗教に興味はない、でも親類から嫌な顔されてまで僕は興味がないと言い切るのは恐いし不利益すぎる そんな板ばさみ的な状況はなんとなく察っすることが出来なくはないし。そしてそもそも思想や生活に根付きすぎていて 彼自身が宗教的だと自覚していないもの、が多分なにかある、とも考えています・・・。 だから、彼との将来を本気で考えるのなら、それは本来はその宗教に対しとても失礼な行為ではあると思いますが 形だけの入信で良いのなら、それで彼が幸せで私も平穏であるのなら入信も構わないかなという気もします。 でもきっとその「形だけの入会」を維持するために絶対参加しないといけない集まりや行為、なにかあるんじゃないかなって。 それを「嫌々渋々」で行う場合、きっと私は結婚生活に耐えられないと思う。 だからその、参加しなくてはいけない活動等について知り、よくよく検討してみたいのですが ろくに参加してないとあって、彼に聞いてもイマイチ要領を得なくって・・・。 それで上記の質問をさせて頂きました。 文章を書くことは苦手で、上手く文章がまとめられませんでした、読み難くてすみません。 よかったら何かしら回答を頂けると嬉しいです、よろしくお願いします。

みんなの回答

  • skypee
  • ベストアンサー率26% (21/80)
回答No.2

驚かれるかもしれませんが、創価学会(「こっちが正しい」と争っている似たような教団含め)は一般に言う人のためになる(人が生きることに役立つ)「宗教」や「信仰」とは違います。(宗教法人ではありますが、宗教とは言えないという意味です) 特に創価学会は大きく政党まで作り社会に深く食い込んでいますから、この問題の根がとても深くなっています。2世、3世(4世も?)の信者もいて、それらの若い人が辞めたくても辞められないという問題もあります。 創価学会では「この信仰が正しいから、世界中に広めることで皆が幸せになれる」と教えます。ですから、必ず勧誘をして信者を増やさないと成り立たない信仰です。同時に徹底的に他の宗教や信仰を否定、批判することで自分達の信仰を正当化しようとします。 一般的に言う「宗教や「信仰」とは、人が修行(苦行に限らず)したり学ぶことで現実の受け止め方を変えたり、考え方を変えたりして心や精神を強くするものです。 「この信仰が正しい」と拘り他人に勧めたりするのではなく、そのように拘ってしまう「心」や「精神」について知るもの、学ぶものです。 しかし、カルトや創価学会のようなインチキ宗教では、まず「自分達の信仰が正しい」「自分達は良いことをしている」と強く信じさせます。そのために「今までの信仰は間違っていた」「他の信仰は間違いである」というように排他的な信仰を植え付けます。 ですから、「正しい」ありきで、「他人の間違った信仰や間違ったこの社会を変えよう」というような思考に陥り、寄付や勧誘や選挙に夢中になります。 信仰が自分の内面に向かわず、外部に向かってしまいますから、必ず周囲との対立を生みます。(この信仰が絶対に正しい、という強い価値観を持って活動するので、信仰の押し付け、しつこい勧誘などで人間関係を壊すことが起こります。) そして、「辞めたら罰が当たる」というように信者を恐怖で縛り、辞めることを許しません。 学会員に聞いてみれば判ると思いますが、真面目に信仰している人ならほとんどが「辞めたら罰が当たる」と本気で思っています。これは明らかに(悪い)マインドコントロールです。 これはオウムにも似ていて、「集団真理」を最大限利用します。一人では「おかしいな」と疑問を感じていても周囲の人間に流されてしまい疑うことができなくなってしまいます。以前、創価学会では北朝鮮のようなマスゲームを行っていましたが、あのように全体主義の集団となってしまうのです。だから家族全員が入信することを良しとしますし、子供も勝手に学会員にしてしまいます。もちろん、親は子供の幸せを願ってそうするわけですが、これには大きな問題が潜んでいます。 何かと「信じたおかげ」というように、現実の出来事を信仰にこじつけ理解してしまう程、信仰に依存してしまうと自分の子供にもそのような教育をしていまい、子供の努力を認めることをしなくなってしまいます。例えばテストの点が良ければ「信じたおかげだね」、悪ければ「信心が足りないからだよ」などとおかしな教育をしてしまいます。 そのような教育は子供の心を苦しめ傷を作る場合があり、深刻な社会問題と言えます。 また、信仰に依存することが、人によっては「もっと信じなきゃ」と自分を追い詰め精神を病んでしまう場合もあります。他人に「君は信心が足りないよ」などという言葉を平気で使う人もいるのです。 学会員には実に色々な人がいます。それは、指導者は「勝て!」だの「自信を持て!」だのと信者の心を煽り活動させますが、それをどのように受け止めるか、どのような言動となって現れるかは、信者個人の人間性に任されるからです。信じる度合い、依存の度合いが人により大きく違うということです。ですから一言で「学会員とは皆こういう人だ」というようなことは言えません。 学会員の家庭に嫁ぐ場合、「勧誘もされずうまくいっている」という人もいれば、事前にいくつか約束をしても「結局、子供まで入信させられ、こんなはずじゃなかった」という人もいて千差万別です。 彼の家族、そして周囲の学会員にもよるのでしょう。いつ誰が何を言ってくるかも判りません。ですから、念書等を作成したりも必要ですが、なにより徹底的に彼の家族と話し合う必要があるでしょう。それでも先のことはどうなるかは判らないという覚悟は絶対に必要です。「これはちょっと不安だな」と少しでも感じるなら残念ですが止めるべきです。 再度言いますが、私は創価学会は宗教だとは思っていない(宗教を利用した詐欺、支配だと思います)し、カルトの要素が極めて高い危険な信仰だと思っています。たとえ何割かの信者が「救われた」と思っていても宗教法人の認可は取り消すべきだと真面目に思っています。宗教法人の認可には、大いに問題があると思っています。それと、何割の人が危険な信者と言えるか、全く数字はわかりません。

  • fertile
  • ベストアンサー率7% (12/166)
回答No.1

アクティブな宗教にとって、形だけの入会はある意味、獲物のようなものです。 やる気が無いならないとはっきり主張する事が重要です。本人がしっかりやっているかどうかなんて 勤行(いわゆるお勤め)を見れば一目瞭然です。寧ろ、彼とその両親を交えて話し合うべきだと 思いますよ。 あと、結婚前からあれこれと妥協するのはどうかと思います。そういう我慢の生活は長続きしません。 結局、質問者は実態を知らないのだから、自分の目で見て判断すればいいでしょう。信頼できない 他人の流言がいちばん無意味ですし、逆に信頼できる周囲の人間の言葉は一聴に値するでしょう。

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