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自分は明らかに人より劣ると痛感した時・・・
25歳男性です。大学院で物理学を専攻しております修士2年です。 みなさまは自分が明らかに他人より劣っていると感じた時、もしくはそのような結果を突きつけられた時、例えば出世争いで負けてしまった時など?(例が悪いですね、他にあまり思いつかなくて・・・すいません。)どうやって乗り越えますか? 在学中、自分なりに真剣に研究に取り組みましたが、出た結果が良いものではなく、昨年末に教授から同期でただ一人留年を通告されました。周りからも「人一倍努力していたことは認めるが・・・」と言われ、人より真剣に取り組んでも結果が残せない自分が、今後厳しい社会に出て生きることに絶望を感じます。 以前、大学受験の時も同様の出来事があり、仲間内でただ一人浪人というものを経験しました。その時得られた物は、ごく普通の大学入学資格と人より1年遅れたという事実のみで、大学の合格通知を頂いた時も嬉しさは特に無く、むしろ腹立たしい感じでした。 その時の悔しさから2度と同じ過ちは繰り返すまいと肝に銘じて、周りの人以上の努力を心がけて生きてきたのですが、今回また同じ過ちを繰り返してしまいました。しかも留年を通告された日から急に胃が痛み出して、病院に行ったら軽い胃潰瘍と診断されました。人より頑張らなければならない時にダウンだなんて、本当に情けなくますます自分が許せないです。 もう留年通告から半月以上経っているにもかかわらずどうしても乗り越えられず、また、"自分は自分、人は人"と割り切ることもできず、他人にご助言頂くことでは無いと思いつつもココで質問させて頂いてしまいました。よろしければご助言下さい。
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ど素人が生意気なことを知ったかぶりして書きますが、 アインシュタインの思考のパターンを、アインシュタイン自身が説明した図がありますが 「常識」とされている観念や、概念に囚われず仮説を立て、仮説から実証を 導きだしていけば、それが道となるというような発想が良いと思います。 (良いと思いますと言われても困るでしょうが・・・) 「留年=脱落者、負け組み、落ちこぼれ」というのは、あくまでも仮説にすぎないんです。 アインシュタインならこの説を無視して、 「留年=試練、成長、道程、将来は大物」と別の仮説を立てて実証に没頭するでしょう。 アインシュタインが特殊相対性理論を打ち出した時、それまでの学者はエーテル仮説に 囚われていたのに対して、大常識であったエーテル説を論理の飛躍で打ち破ったのが アインシュタインだと聞いたことがあります。 つまり逆に言えば、その発想方法こそが物理の真髄ではないでしょうか(笑 質問者さまに置き換えて考えてみれば、「留年=落ちこぼれ」という エーテル仮説の中で苦悩しているのがいけないんだと思うんです。 今日までも、「2度と同じ過ちは繰り返すまい」という気持ちで頑張って来た ということですが、それはつまり言い換えればエーテル説を信じていたともいえます。 ですから、ここでいろいろな意見を貰っても、エーテル仮説を信じているうちは なんの参考にもならないかも知れません。 今後、どんな仮説を打ち出して実証に没頭するかは、ご質問さまの課題なので 私には分かりませんが、物理の真髄はポジティブ思考かもしれませんよ。 「アインシュタイン150の言葉」(ジェリー メイヤー)なんて本もあります。
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- taroimo_hasami
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自己満足以外に方法はないと思います。確かに、必死になってやった、でも、駄目だった。やるせない気分になりますし、とても悲しいです。人によっては泣くでしょうし、悔しいと思うかもしれません。でも、世の中には、成功する事よりも、失敗することの方がはるかに多いのです。 失敗した時、悲しさや悔しさとともに、心の中に、次こそは、という強い決意のようなものがありませんでしたか?数日後、数週間後に、そういう気持ちになった事はありませんか? 私も、本気で取り組んで挫折した経験がありますが、まず、挫折した直後は、泣きそうになりました。しばらくして、腹が立ってきて、次こそは、と思いました。そして、同じ事に再チャレンジして、またしても挫折しました。この時は絶望しました。一回目のチャレンジと違い、一回目の失敗を生かすべく、様々な試みをしての挑戦だった為です。でも、数日して、私にはこれしかない、と思えるようになった時、再び気力が湧いてきました。以後、私は幾度と無く同じ事で挫折し続けましたが、今では失敗しても屁とも思いません。次がある、次こそは必ず達成する、得体の知れない気力が湧いてくるのです。 もっともっと、挫折してください。そして、立ち直ってください。繰り返すうちに、打たれ強い人間に成長できると思います。一度、打たれ強くなると、仮に失敗しても、全力でその事柄に打ち込んだのであれば、あれだけやっても駄目だったのだから、と、自己満足する事が出来るようになります。 人間には限界があります。当然、自分より優れた人達もたくさんいます。でも、人のことは気にせずに、ベストを尽くすようにしてください。所詮、自分は自分、自分という人間を超えることは出来ないのですから。 最後に、私の個人的な考え方を言いたいと思います。それは、[蜂の一刺し]です。私は、大した取り得のない凡庸な人間です。だから、優れた人達と真っ向勝負すれば負けます。でも、自分の中で最も自信のある分野の身を徹底的に鍛え上げて、これ以上伸ばせないというところまで能力を高めてやれば、一度くらいは彼らを倒せるかもしれない、と思うのです。抜きん出た特殊な人々は、万事において才能を発揮するのでしょうが、私のような凡庸な人間は、せめて何か一つの事で蜂の一刺しさえ出来れば、それでいいではないか、と思うのです。 では、これで。
お礼
ご助言ありがとうございます。 同期の院生達が卒業がほぼ確定し楽しそうにしているのを見ると、どうしても「次こそは!」という気持ちが沸いて来ません。仮に今から自分一人必死に頑張って来年卒業できたとしても、一年遅れて今の彼らと同じ資格を得るだけのただの自己満足にしか思えなくて・・・。浪人の時と同じように、卒業できても結局嬉しくも何とも思わないか、むしろ腹立たしい気持ちが沸くだけという光景が、今から見えているような感じです。 私も浪人の時に、勉強の効率(やり方)が悪いから努力と成績が比例しないんだ、という指摘を受けて、それからは努力を最大限に生かせるよう考えてから実行するよう、反省を生かしていたつもりでしたが、結局またダメで絶望しました。 自分より優れた人々が大勢いるのは私も事実だと思います。今回もそうですがベストを尽くしてダメなら諦めるしかないというのも冷静に考えれば理解できそうなのですが、自分のどこかでどうしても納得できないのです。人は人、自分は自分という割り切りができないのが原因かもしれません。 私の場合、凡庸どころか何するにも人より劣っている人間です。よくて人と同等レベルでましてや勝負を挑んで勝てるような、もしくは自身のある能力というのは、残念ながら持ち合わせていないです。 回答しづらい質問にご回答頂きありがとうございました。感謝致します。
- saeururu
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私は入社8年目のOLです。 技術系でして 作るものにたいしての評価が 直接お客から伝わってくる仕事です。 少し前から高校の同級生が 入社し、経験の浅い彼女の方が あきらかにいいものを作り いい評価も受けています。 去年の後半はそれが辛くて 何度も辞めようと思いました。 でも、今はまだ辛い気持ちもありますが なんとか半分は乗り越えてきているのかなぁと 感じています。 まず、止まっていては何も始まらないこと。 そして どんなものでも答えはひとつでなくて 評価というのも人によって違い、 誰からも悪い評価を受ける人は いないということです。 私もあるお客さんからは よく思われていなくても 他のお客さんにはすごく気に入られていたり そういうことがわかってきて そうか。今はいい評価をもらってなくても よくなったね。といってもらえるかもしれないと 思いはじめました。 有名な成功者もいろんな失敗を重ねて それを続けてすごい成功をしていってます。 maxyamabiko116さんもがんばってほしいです。
お礼
ご助言ありがとうございます。経験者の方からのご助言ということで、ありがたく参考にさせて頂きます。 何事でも後輩に追い越されてしまうのはやはりいい気がしないですよね。しかも、それが自分の一生懸命努力したことで、それを他人があっさり追い抜いていってしまうとかなりショックです。 私は回答者様と違い弱い人間で、現状を受け止めて前を見ることが出来ず止まってしまっています。精神的にもそうですが肉体的にも体がいうことを聞かない状況です。だから何も始まらず希望も持てないでいます。悪いことがどうどう巡りしているような感じです。 現状の私は、誰からも悪い評価は受けていないかもしれませんが、誰からも良い評価をもらっていないのも事実です。結果を残せない者に良い評価を与える人なんていません。回答者様を気に入って下さるお客様がおられるということは、何か一つでも結果を残せているという証だと思います。 私の場合は、失敗を重ねてその後成功したとしてもそれが人並みの成功ですので、ただ単に人より遅れて同じことができた、というだけのことで、成功自体も評価はされないです。 回答しづらい質問にご回答頂きありがとうございました。感謝致します。
- 77629
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こんにちわ。 お気持ち非常によく分かります。 私は多分、かなりプライドが高く、 「人に負けた」という実感を味わうことが、 なによりのストレスになります。 そんな私なので、進学する時も、絶対無理目のところは狙わず、 楽勝でいけるところばかり選んできましたし、 就職でもそうです。 ですが、社会に出てみるとこれが挫折ばっかり、 プライドなんてこなごなに砕かれることばっかりなんですよねえ~・・・(^ ^; もちろん今でもプライドは高く、 それゆえに苦労することは多いのですが、 私が今までに学んだことは 「人生無駄はない」ということですね。 今あなたにとって浪人したり、留年することは 人生にとって無駄であったり、負けであるかもしれませんが、 それが「勝ち」の原因になったりすることもあるのですよ。 「人生塞翁が馬」ということわざがあります。 急がば回れ、ともいいますが・・・全くそうだなあと、 ある程度人生を経験してきた実感です。 今はその悔しさや辛さを噛み締めてもいいと思います。 が、自分が価値のない人間だとは思わなくてもいいと思いますし、 なにかに躓いてもな~んにも気にしないより、 少し苦しんでみて、それをばねにして大きくなれれば 全然素敵なことでしょう。 アドバイスになりますやら(^ ^; 頑張ってくださいね。
お礼
ご助言ありがとうございます。 どうも、私も人より負けたと感じたときに、自覚している以上のストレスを受けているようです。特に高望みをしたつもりはなかったのですが、一人でボロ負けの人生を送っています。社会に出たらもっと厳しい状況が待っているのは明白な事実なので、自分がそのような社会で生きる事にますます絶望を感じます。 浪人した時もそうでしたが、失敗や自分の苦しんだ経験が後で生かされているとはどうしても感じられないのです。回り道や失敗が後で生かされるような事があれば、少しは救われるのでしょうが・・・。 回答しづらい質問へのご回答、ありがとうございました。感謝致します。
お礼
ご助言ありがとうございます。 わざわざ私の専攻しているフィールドでお話をして頂き大変恐縮です。でも、本当にわかり易くて参考になります。最近何事にも興味が持てず無気力な生活を送っているのですが、書いて頂いたアインシュタインの考え方は久々に面白いと感じました。 「留年=脱落者、負け組み、落ちこぼれ」説を無視し、「留年=試練、成長、道程、将来は大物」という説を打ち立てる、新しい説を自ら打ち立てるという発想自体が私には無かったです。周りの大筋の意見に従わずにはいられないというか・・・。仰るとおり物理の真髄を求めるには、自ら何かを考えて打ち立てていく姿勢が必要です。そういう意味では私は最初から物理に向いていなかったのかも知れません。 >留年=落ちこぼれ」というエーテル仮説の中で苦悩しているのがいけないんだと思うんです 書いて頂いて、私自身が現在の状況から抜け出せない一番大元の原因に初めて気がつきました。自分の望んだことではないですが、今はある程度自分の自由になる時間があるので、久しぶりに図書館にでも行って、挙げて頂いた参考図書でも探してこようと思います。 回答しづらい質問にご回答頂きありがとうございました。感謝致します。