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自分が変わった時・・・
自分が変わった・・・今までに、そんな時がありましたか? 変わったというのは、どんな意味ででも結構です。 もしありましたら、そのきっかけが何だったかも教えてください。
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一瞬、躊躇させる質問ですね(^^;) たいした人生ではありませんが60年弱生きて来て・・・2度でしょうか。 最初が高校受験に合格した時です。 だれにも相談しないで自分で決めて・・・勉強もしないのに合格しました。 職人かな~と漠然と考えていた将来に生きる勇気が湧きました。 お陰で、大学も含めて楽しい生活でした。貧乏でしたがね。(^^) 次が、長男誕生でしょうかね。生まれる時にトラブルが有り障害が残る 可能性が有ると医師に言われた時に・・・保育器の中の長男が可愛く 愛おしく感じました。それから今日までバカ親父に成れました。(^^;) お陰で軽度の障害で、子供は人生を謳歌しています。 子供と奥さまが居なかったら風来坊かホームレスだろうなとよく思います。
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30歳になった時、このような公の場所では、 『僕』から『私』に変わりました。 『ワシ』は偉そうで、使った事はありません。 以前あるオンラインゲームのチャットで『ワシ』と言う 人がいて、とても気分を害した事があります。 『俺』は中学生のバレーボールの部活をしている間は 使った事があります。 練習中や試合中に『僕』では弱いでしょう。
お礼
「僕」は、高校生の時までで、そのあとは家族や友人とは「俺」で、対外的なばあいは「私」ですね、私の場合(笑)。 書き言葉だと、どうしても「私」になってしまいます。「ワシ」は、さすがに冗談っぽくも使わないですね~ 確かに、一人称の変わりようも、なかなか面白いです。 ありがとうございました。
- エイブラハム リンカーン(@sk1272)
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こんばんは。 このサイトとの出会いですね。 顔も名前も知らない見ず知らずの人から差し伸べられる救いの手。 助け合いの精神をここで学びました。
お礼
私はこのサイトに出会ったのは、そんなに前のことではないのですが、いろいろな意味で影響を受けたことは確かですね。 いい意味でも悪い意味でも、それまでにない経験をすることになりました。 ありがとうございました。
- nainai0725
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高校生(何年生かは忘れましたが)の時のある休み時間でした。 「アメリカが第二次世界大戦で勝ったのははアメリカが正義だからではなく、単に強いから 勝ったのだ」と思ったのです。(アメリカの正義云々はわかりませんが) 単純で当たり前のことですが、なんとも言えないショックを受けました。 だからと言ってその後の生活に変化があった訳ではありませんが、大発見をしたような 気持ちになりました。 「自分が変わった」と初めて意識した時です。
お礼
小中学生の頃は、社会や歴史については一般的に言われていたりがっこうの授業で習ったりしたことを、さほど疑わずに素直に受け入れるのが普通ですからね。 それが、全く違う見方に触れるようになった時に、ものの考え方がガラッと変わったりします。 「自分の、ものを見る目が変わった」ということになりましょうか。 ありがとうございました。
こんばんは(^.^) 子供が出来て…年を重ねるにつれ…どんどん神経が図太くなってきたと…(ーー;) 結婚前は…こんな私じゃなかったような気が…(;一_一) うん(-_-;)…絶対そう…。
お礼
女性は、結婚した時よりも子どもが出来た時の方が変化が大きいようですね。 そりゃ、か細い神経のままでは、母親はやっていけないでしょうからね~(笑) ありがとうございました。
- hidechan2004
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ありますよ。 と言っても、寝て起きたら急に変わったなんてことはありません。 私は、元々人見知り傾向が強く、子供のころから長年いじめられていたこともあり、人と話をするのが苦手でした。 当然、会社に入った時も、ポツンと隅に一人でいたり、毎日の挨拶だってあんまりできませんでした。 一言いうだけで、メチャメチャ、ドキドキしていました。 今も、多少残ってはいるのですが、 初対面の人にも自分から話しかけることもできますし、 サークルなどでイベントを企画することもできるようになりました。 きっかけとしては、環境を変えたことですね。 会社内でしか人と会わないと、どうしても「おとなしい自分」のイメージしか持ってもらえないので、壁を破るのに力が必要です。 ですが、某サークルに参加した時、そこの方は、普通に接してくれます。 また、そこで出会った新しい友人も自分がそういうタイプであることを知りません。 なので、前向きに行動をとれるようになります。 それからは、社内でも、自分らしさを前面に出せるようになり、 多少、周りからの表かも上がったような気がします。 一応、出世もしましたからね。
お礼
ご回答者と同様に、私も子どもの頃はおとなしくて恥ずかしがりやでした。 それが、ある時から明るく積極的になればもっと楽しい毎日が送れると思い、中学生になる際に自分を変えてみました。 今、年をとって小学校のクラス会などで旧友たちに会うと、驚かれます。 それでも、いまだに人前で話す時には極度に緊張するのですが、きっと昔の名残が残っているんだなと思いますね。 ありがとうございました。
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こんにちは。 毎日、起きたときに生まれ変わった気持ちで新しい自分を生きているつもりですが 具体的には、1995年1月、3月、1998年3月、2001年9月 2005年4月、2011年3月、大きなことがあったので、 自分も毎日が命拾いだとおもい、一年、一日を大事に、感謝して、 くいのないように楽しく生きようと思うようになりました。 実際に直接的に、家族や知り合いが犠牲になったり負傷したわけではないのですが、 ほんとうに心へのダメージが大きく強く、今でもそれらの事故や事件を… 亡くなった人や療養中の人やその家族や仲間の方の心を… 考えない日はないくらいです。 学生で無知だったころは、人は淡々と寿命まで生きていけるものだって 普通のことのようにおもっていましたが、今は生きているありがたみや だれの生にも隣り合わせで死があるっていうのを、しょちゅう 考えるようになりました。大げさにいえば、死を考えない日はないです。 死を考えれば考えるほど、生きてることの不思議さとか可能性の大きさを 感じることが出来るので、感謝して生きることや有意義で前向きな 生きかたへ軌道修正して生きていくことが、出来ているのではないかと思います。
お礼
社会的な大事件や大災害は、多くの人に影響を与えますね。 しかもそれは、人の心や考え方を変えてしまうという大きなものですし。 こう考えると、人は人生で個人的な出来事と社会的な出来事によって、かなり頻繁に変わっているのかもしれませんが、それが前向きな変化になるようにしていきたいものです。 ありがとうございました。
こんばんは。 子供を産んでからのような気がします。 それまでは、結構甘ったれな考えでしたが、出産後は2週間ほど母に家に来てもらい、後は夫婦2人だけで乗り切りました。そこで、夫との結束力も強くなった気がします。 実家も近くはなく、様々な事情で、母ともあまり会えないので、子供が赤ちゃんの頃は、しょっちゅう子供を実家に預けている人を羨ましくなる時もありましたが、今は少しだけ自分の甘さが無くなり、良かったと思っています。
お礼
親になる・・・これは大きな変化ですよね。 子どもに対する責任が、自分自身を変えざるを得なくなりますし・・・ 夫婦という関係も、確かにそれまでとは一変してきますしね。 ありがとうございました。
社会人になってから変わったと思います。 いろんな意味で"あきらめ"がつくようになったし、人に期待しなくなった…。
お礼
学生から社会人になると、全ての面で変化がありますからね。 最後は自分で責任を取らなくてはいけなくなるということにも、気が付かされますし・・・ ありがとうございました。
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お礼
実は私も、当然進むと思われていた高校を蹴って、自分で探した高校を受験して入学したんです。 父親は反対でかなり説得されましたが、結局自分の意思を貫いたのですが、確かにこれは私にとっても大きな変化でした。 親の画いていた道を拒否したということでも・・・ 結婚と子どもが生まれたことも、もちろん大きな変化をもたらしました。 同級生の中では結婚も子どもも2番目と早く、当初は妻にも子どもにも苦労をさせましたが、今に至るとそれもかえってよかったと思えています。 ありがとうございました。