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京都暴走で思った事。安易な「すみません」は命取り?
私は口癖のように簡単に「すみません」と言ってしまいます。 例えば、お礼を言うときに「あ、すみません、ありがとうございます。」とか、人に声をかけたり何かをお願いするときに「すみません、~は…」とか、料理を運んできたウェイトレスさんに「すみません。」とか、よくよく考えると結構口にしています。 おそらく何らかのお手数をおかけして申し訳ありませんという気持ちで口に出てしまっているのだと思うのですが、「すみません。」という言葉だけを取れば、これは明らかに謝罪の言葉で、自分の非を自白、認めているこということですよね? で、京都の暴走事故のニュースを見て、思ったのですが、 暴走した加害者の勤務先の女性経営者の方が「病気を知っていたら運転はさせなかった。」とコメントされておられましたが、もし私なら、自分の会社の社員が、自分の会社の車で、7人も死亡させたという事実でパニックになってしまい、あの女性経営者の方のように堂々とした立ち振る舞いでインタビューを受けることはできなかったと思います。「すみません、申し訳ありません。」と安易に口走っていたと思います。 もし私が、最初に追突されたタクシーの運転手だったら、追突された際、後続車両の交通の妨げにならないように寄せて止めるのは当たり前のことですし、なんの落ち度もない被害者ですが、もしあの時、道路の真ん中で停止していれば、もしかすると追突してきた車が横をすり抜けることができず、暴走することもなく、7人もの命が奪われることはなかったのでは?と、自責の念にかられていたと思います。 7人もの人が亡くなった事故に関わってしまったということでヘコんでしまい「すみません…」とインタビューで口走ってしまっていたかもしれません。 もし私が、加害者が通っていた病院の院長だったら… 病気との関連は判りませんし、運転を止めさせる義務も規則も行使できる立場でも無いですが、やっぱり、7人もの人が亡くなった事故に関わってしまったということでヘコんでしまい「すみません…」と会見で口走っていたと思います。 私なら「7人死亡」という事実に押しつぶされてしまい、堂々とカメラの前に立つことは無理だなあと感じただけで、放送に映っていない部分、カメラの回っていないところは判りませんし、前述の方々に悪意や批判の意味はありません。 人が死んでも、ああいった現実に直面しても、社会人ともなれば、全くの他人事のように、事と次第によっては被害者のように立ち振る舞うことも必要なのでしょうか? 訴訟大国と言われるアメリカでは、裁判で不利になるので、自分が120%悪くても絶対に謝罪の言葉は口にしないそうですが、お礼のつもりだとしても日本でもやはり安易に「すみません」とは口にしない方が良いのでしょうか?
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- Lchan0211b
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日本語の「すみません」には、いろんな意味があり、 挨拶にすぎない場合もありますが、責任を問われている場面での 「すみません」は「責任を取ります」という意味になるので、 安易に口に出せません。女性経営者も病院の院長もそういう点を 意識しての対応だと思います。 でも、自分が悪いと思ったら、やっぱり「すみません」と言うべき だと思います。ただし、ビジネスの世界では、何に対して「すみません」 なのかを、はっきり伝えなければならないと思います。 これは、自分が認識している責任範囲と自分の気持ちを伝えることに なります。お互いの信頼を構築するためにはこういうコミュニケーションも 重要だと思います。 もしあなたがタクシー運転手で取材を受けた時に「すみません。私があの車を 足止めできていたらこんなことにならなかったのに・・」と謝っても 全然問題ないと思いますよ。あなたがどう言おうと、大方の人は、「それは あなたのせいじゃない」と考えると思います。 アメリカ人は裁判で不利になるので絶対に謝らないというのは、 昔の話です。今はそれで裁判が不利にならないように配慮されて います。普段の生活でアメリカ人も悪いことをしたと思ったら謝ります。 (参考) http://okwave.jp/qa/q5130566.html 日本人は、謝罪だけでなくお礼の意味でも「すみません」を 使うことがありますが、それは「すみません」ではなく、 「ありがとう」と言うべきだと思います。 私などは、お礼の意味で言われたとしても、悪びれた表情での 「すみません」だったらあまりうれしくありません。 喜んでもらうためにしたことなのに、喜んでないように見えるので。 「ありがとう」だとうれしいです。 あと、ウェイトレスさんに「すみませーん」って呼ぶ時、 私は「お手数をおかけして申し訳ありません」という意味では使っていません。 語源は「あなたを呼びとめてすみません」というところから来ているのかも しれませんが、今は、(謝罪の意味のない)単に呼びかけの意味だけでも 使われていると思います。 まとめると、「すみません」は、どんどん口に出していいと思いますよ。 ただし、ビジネスの場面では何に対する「すみません」なのかはっきり 説明すること。お礼を言う場合は「すみません」よりも「ありがとう」 を使うよう心がけましょう。
いや~、でもね。 経営者も大変な被害者だと、私は思いますけど。 会社は何の落ち度もないです。 事故の被害者に対しても、何の責任もないはずです。 むしろ、運転手のために大きな迷惑をこうむってしまった立場。 ところが、責任がどこにあるか、社会もまだ明快には分かっていないです。 簡単に「すみません」と言ってしまったら、社会の非難は、会社にも向けられそうな状況です。 軽く言うわけには行かないでしょう。 経営者ならなおさら。 問題の根本は、運転手が申告せずに免許を持っていたこと。 そして、それができる社会の仕組みだと思いますけどね。 この点は、これからじっくり論議されそうだと、ニュースを見ていて思います。 もちろんのことですが、この事故の一番の被害者は、事故に合った人たちです。 その次の被害者は、その家族。 その他にも、たくさんの被害者がいます。 運転手を雇っていた会社も、そして約100万人のてんかん患者もです。 患者の被害は、もうクレーン車の事故のときから。 ところで、医師の記者会見のほうが、私は大いに疑問です。 非難が医師に向けられないよう、必死な思いが伝わってきました。 手段も実に手早かったです。
- olutier
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いまは過渡期だと思いますね… これまでは、悪くなくてもとにかく謝罪するのが、コミュニケーションの第一歩だったと思います。それができない人は、よほど常識のない人でした。 しかし今後は、謝罪するのは「自分の非を認めること」という感覚になってゆくでしょうね。いまでも、田舎と都会ではずいぶん感覚が違う気がします。 おっしゃる通り、ほとんどの外国では、決して謝罪をしませんね。彼らは、ぜんぜん悪くないとき、たとえば、ちょっと肩が触れそうになったり、たわいない会話のなかでは、実によく謝ります。その点はむしろ日本を遥かに上回ります。しかし、ほんのちょっとでも実際に非がある場合は、絶対に謝りません。謝罪は自分の負けを認めること、負けを認めるのは大人のすべきでないこと、という感覚のようですね。