何をもって「正統」というかということですが、
その宗教の経典に対して、極力正しく向き合っているかどうかが「正統」かどうかの判断基準になるのではないでしょうか。
カトリックは、そうした意味ではずれています。聖書に忠実ではありません。
歴史的にも、免罪符を発行するなりして、マルチィン・ルターによる宗教改革がなされました。
ルターは、17~18世紀の時代、カトリックが聖書・イエスの教えからずれてしまって、金儲け主義になったり、いろいろな罪に対して、金で免罪になるようなことをしていったため、ルターは、研究をし、救いはお金や、人々の行いによるのではないということを、聖書の中から見出して行ったのです。
聖書を経典とする宗教はたくさんありますが、カトリックとプロテスタントは、一応聖書(旧約・新約を合わせたもの=Bible)を信じています。
しかし、ユダヤ教やイスラム教は、旧約聖書止まりです。(ユダヤは新約聖書は認めていない。イスラムは、途中からアラーを信じるようになり、旧約聖書と共通の部分はあるが、かなりずれてしまっています。
旧約にはいろいろな規制があって、たとえばタコ・イカなどを食べてはいけないとか、豚肉は食べてはいけない(イスラム)とか。
しかし、新約の時代に入って、それらの全てから解放されている(イエスの十字架のでの死、と甦りにより)のです。しかし、偶像を拝んだり、偶像にささげたものを食べてはいけないということは新約時代も変わらないのです。
ですから「マリア像」を拝むのは偶像礼拝になるし、イエス・キリストは十字架に貼り付いてはなく、甦っているので、カトリック教会では十字架にイエスの像がいまだに張り付いているのは、聖書に忠実ではないと言えるし、「正統」とはいえません。
ルターのなしたことは、聖書に立ち帰れということ、救いは決して行いによるものではなく、イエスを信じる(イエスが全ての人の罪を背負って、死に、葬られ、甦ったということを)ことでのみ救われるとしたことです。
ではプロテスタント教会の全てが、正しいか聖書に全く忠実かというと、それは難しいことです。それは、教会の集団は人間が作り出すものですし、神が理想とする世界に近づこうと日々努力することが神に近付くことだとおもいます。
お礼
ご回答ありがとう存じました。参考になりました。