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なぜ「大東亜戦争」と呼称できないのでしょうか?
時の政府が「大東亜戦争」と命名し、私たちの祖父・曾祖父たちが命懸けで戦った戦争を、なぜ相手国であるアメリカ側の呼称「太平洋戦争」と言い変えなければならないのでしょうか? 善悪の問題ではなく、歴史の記述に関する質問です。
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回答致します これは物事を見る見地から来た呼称ですね(どちら側からどちら側を見た言い方かと言う事です) 日本から見て言えば 東亜とは東アジアの事です 大東亜とは大東亜共栄圏の事を意味します 八紘一宇 の事で 過去に日本全体と周辺地域とを包括的に開発占領しようとして 各国の発展を日本の発展と直接結びつけた呼称です これに米国が強く反発した結果 生まれた呼称です 今でも私の身内は 大東亜と言う言葉を使用します それと余談ですが 第二次世界大戦は 日本の参戦において大東亜戦争になったわけではありません 日本海軍の真珠湾侵攻を期して 呼称を第二次世界大戦から 太平洋戦争 と変化していったわけです これも日本側の呼称です 所謂 当時日本政府は南下政策を進行していました その時点においては日本は オランダ フランス アメリカ 中華民国 等の数カ国と交戦状態にありました ここにおいては大東亜戦争です しかし日本軍がその鉾先を米国のハワイ諸島の パールハーバーに向けた事から この戦争は太平洋地域に拡大してしまいました ちなみに米国がその領土を他国から攻撃された事実は これをもって初めてとしています それまで米国を攻撃した国は皆無だった事が判ります これは米国の国民性からして国民を激怒させるに足る事実でした その結果 戦争そのものも太平洋地域へと東亜地域から拡大したのです そして所謂 大東亜戦争が太平洋戦争と言う呼称になってしまったのです 先の戦争では日本は 連合国側所謂 米国・英国・フランス・オランダ・中華民国 をはじめとする25カ国と交戦状態にありました 米国だけと戦った訳ではありません 一方 日本・イタリヤ・ドイツをはじめとする数カ国の枢軸国(所謂三カ国だけではありません) がこれに対抗した形にはなっておりますが 共同謀議にはあたりません 大東亜戦争なのか太平洋戦争なのか 大して意味があるとは思いませんが 言葉の囚われ人になってはいけません 状況からも物事を判断できる様な 柔軟な人間性もまた物事の判断には非常に重要な要素なのです 又この先の大戦は 日本が中華民国と最初戦争した結果 戦火が拡大太平洋戦争になったものです 日本の欲した国は中華民国 即ち 今の台湾を含む中華人民共和国の事だったと言う事実にも又目を向けてください ※この回答の他の回答には多様性が観られますが どれもが事実なのです 歴史を一つの方向からだけ見てはいけません 歴史は見たいと考える者達 又 その様に見せたいと考える者達の産物だと言う事も知って頂きたいと考えて あえて回答致しました
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- hekiyu
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GHQが禁止したからです。 現代でも使われていないのは 大東亜帝国とか大東亜共栄圏を 彷彿させるので、使用を控える、という 配慮が働いたのではないですか。 北京万博で、日の丸掲揚を遠慮 した、というのと同じ感覚でしょう。 だから舐められるんですな。
お礼
ご回答、ありがとうございます。まさにその通りだと思います。 「大東亜共栄圏」、「五族協和」、「八紘一宇」などの当時の大日本帝国政府のスローガンや、支那事変から満州事変、大東亜戦争へ至る歴史の経緯についは、一応自分なりに理解しているつもりです。 私は44歳、「戦争を実体験として全く知らない世代」です。右翼でも軍国主義者でもありません。 ただ日本が敗戦により、アメリカを中心としたGHQの占領下で意図的に閣議決定された戦争の名称の「言い替え」を強制されたという歴史的事実が、結果的に欧米列強と大日本帝国による全世界を巻き込んだ最終戦争である「第二次世界大戦」=「帝国主義時代の終焉」という歴史的パラダイムシフトへ突き進んだ「戦争の世紀」を、分かりにくいものにしているという、素朴な疑問からです。 日本と交戦した連合軍諸国が、あの戦争をどう呼称しようとその国の自由ですから構いとませんが、日本は当事国ですから「大東亜戦争」を「太平洋戦争」とGHQの意図的改ざんのままにしておくことは、あの戦争の功罪両面を考える際に、どうしても単なる「民主主義vsファシズム」というスキームに収斂されてしまうことに危惧を感じるからです。 長文になりましたが、私がこの問題に関心を持つようになったのは、2000年代に唐沢寿明さんを主人公にリメイクされたドラマ「不毛地帯」で、唐沢さん演じる主人公:壱岐正がかつて大本営参謀というエリート職業軍人であったにもかかわらず、冒頭のシベリア抑留時代にしか「大東亜戦争」という呼称を使わず、物語りの中盤から終盤にかけてはあの戦争を一貫して「太平洋戦争」と呼称していることに、どうしても違和感を感じたからです。
- princelilac
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大東亜戦争 「亜」は亜細亜の略でアジアのことです。ですのでこの言葉は、日本が大陸で戦ったことを指します。 太平洋戦争 主に米軍と太平洋を戦場として戦っ戦争、という視点です。 第一次世界大戦 質問文にはないのですが、同じ時期にヨーロッパで起こっていた戦争のことを指し、日本はドイツ、イタリアと同盟を組んでいました。 ですので、元々指し示す戦闘区域が違い、それぞれの歴史的観点から述べる場合に使い分けることがあります。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 「大東亜共栄圏」、「五族協和」、「八紘一宇」などの当時の大日本帝国政府のスローガンや、支那事変から満州事変、大東亜戦争へ至る歴史の経緯についは、一応自分なりに理解しているつもりです。 〉それぞれの歴史的観点から述べる場合に使い分けることがあります。 というご指摘も同感です。 私は44歳、「戦争を実体験として全く知らない世代」です。右翼でも軍国主義者でもありません。 ただ日本が敗戦により、アメリカを中心としたGHQの占領下で意図的に閣議決定された戦争の名称の「言い替え」を強制されたという歴史的事実が、結果的に欧米列強と大日本帝国による全世界を巻き込んだ最終戦争である「第二次世界大戦」=「帝国主義時代の終焉」という歴史的パラダイムシフトへ突き進んだ「戦争の世紀」を、分かりにくいものにしているという、素朴な疑問からです。 日本と交戦した連合軍諸国が、あの戦争をどう呼称しようとその国の自由ですから構いとませんが、日本は当事国ですから「大東亜戦争」を「太平洋戦争」とGHQの意図的改ざんのままにしておくことは、あの戦争の功罪両面を考える際に、どうしても単なる「民主主義vsファシズム」というスキームに収斂されてしまうことに危惧を感じるからです。 長文になりましたが、私がこの問題に関心を持つようになったのは、2000年代に唐沢寿明さんを主人公にリメイクされたドラマ「不毛地帯」で、唐沢さん演じる主人公:壱岐正がかつて大本営参謀というエリート職業軍人であったにもかかわらず、冒頭のシベリア抑留時代にしか「大東亜戦争」という呼称を使わず、物語りの中盤から終盤にかけてはあの戦争を一貫して「太平洋戦争」と呼称していることに、どうしても違和感を感じたからです。
- kusirosi
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※開戦時、帝国海軍は「太平洋戦争」、帝国陸軍は「大東亜戦争」と呼称すること 主張。政治力に勝る陸軍の意見が通り、戦時中は「大東亜戦争」と呼称。 戦後、GHQが「アメリカでもパシフィック・ウォーだし、主戦場は太平洋と沿岸だから 太平洋戦争でいいじゃん、帝国海軍つよかったし」と助言。戦後は海軍式に 太平洋戦争と呼称することになりました。 ※近年、「アシア太平洋戦争」と呼称する学者もいますが、義務教育で取り入れられる程普及してるわけではない。 間違い→アメリカ側の呼称「太平洋戦争」(アメリカの公文書には太平洋戦争とは書いてません、 the Pacific Warと英語で呼称していますよ)
お礼
ご回答、ありがとうございます。 「大東亜共栄圏」、「五族協和」、「八紘一宇」などの当時の大日本帝国政府のスローガンや、支那事変から満州事変、大東亜戦争へ至る歴史の経緯についは、一応自分なりに理解しているつもりです。 私は44歳、「戦争を実体験として全く知らない世代」です。右翼でも軍国主義者でもありません。 ただ日本が敗戦により、アメリカを中心としたGHQの占領下で意図的に閣議決定された戦争の名称の「言い替え」を強制されたという歴史的事実が、結果的に欧米列強と大日本帝国による全世界を巻き込んだ最終戦争である「第二次世界大戦」=「帝国主義時代の終焉」という歴史的パラダイムシフトへ突き進んだ「戦争の世紀」を、分かりにくいものにしているという、素朴な疑問からです。 日本と交戦した連合軍諸国が、あの戦争をどう呼称しようとその国の自由ですから構いとませんが、日本は当事国ですから「大東亜戦争」を「太平洋戦争」とGHQの意図的改ざんのままにしておくことは、あの戦争の功罪両面を考える際に、どうしても単なる「民主主義vsファシズム」というスキームに収斂されてしまうことに危惧を感じるからです。 長文になりましたが、私がこの問題に関心を持つようになったのは、2000年代に唐沢寿明さんを主人公にリメイクされたドラマ「不毛地帯」で、唐沢さん演じる主人公:壱岐正がかつて大本営参謀というエリート職業軍人であったにもかかわらず、冒頭のシベリア抑留時代にしか「大東亜戦争」という呼称を使わず、物語りの中盤から終盤にかけてはあの戦争を一貫して「太平洋戦争」と呼称していることに、どうしても違和感を感じたからです。 〉間違い→アメリカ側の呼称「太平洋戦争」(アメリカの公文書には太平洋戦争とは書いてません、 the Pacific Warと英語で呼称していますよ) 私は訳語として「the pacific war」=「太平洋戦争」と認識していたのですが、 それが間違いなのでしょうか?
- ogawa_sora
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お早うございます。 終戦後日本を占領していた、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が、日本国内から軍国主義や全体主義などの考えを排除するため政策の一つとして、神道指令という政策を日本に行いました。 これにより、「大東亜戦争」の言葉は軍国主義、国家主義と切り離せないと判断され、公文書で使用できなくなりました。 その為、各新聞社、日本放送協会(NHK)などのマスコミや教育現場でも強制的に使用できなくなり、その流れが現在までも善し悪しは別にして続いているのではないでしょうか。 ただ、現在は、公文書は別にして、マスコミや国会議員などが使っても、アメリカがクレームを付けることはないと思います。 http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/kaisetsu/other/shinto_shirei.html
お礼
ご回答、ありがとうございます。 「大東亜共栄圏」、「五族協和」、「八紘一宇」などの当時の大日本帝国政府のスローガンや、支那事変から満州事変、大東亜戦争へ至る歴史の経緯についは、一応自分なりに理解しているつもりです。 私は44歳、「戦争を実体験として全く知らない世代」です。右翼でも軍国主義者でもありません。 ただ日本が敗戦により、アメリカを中心としたGHQの占領下で意図的に閣議決定された戦争の名称の「言い替え」を強制されたという歴史的事実が、結果的に欧米列強と大日本帝国による全世界を巻き込んだ最終戦争である「第二次世界大戦」=「帝国主義時代の終焉」という歴史的パラダイムシフトへ突き進んだ「戦争の世紀」を、分かりにくいものにしているという、素朴な疑問からです。 日本と交戦した連合軍諸国が、あの戦争をどう呼称しようとその国の自由ですから構いとませんが、日本は当事国ですから「大東亜戦争」を「太平洋戦争」とGHQの意図的改ざんのままにしておくことは、あの戦争の功罪両面を考える際に、どうしても単なる「民主主義vsファシズム」というスキームに収斂されてしまうことに危惧を感じるからです。 長文になりましたが、私がこの問題に関心を持つようになったのは、2000年代に唐沢寿明さんを主人公にリメイクされたドラマ「不毛地帯」で、唐沢さん演じる主人公:壱岐正がかつて大本営参謀というエリート職業軍人であったにもかかわらず、冒頭のシベリア抑留時代にしか「大東亜戦争」という呼称を使わず、物語りの中盤から終盤にかけてはあの戦争を一貫して「太平洋戦争」と呼称していることに、どうしても違和感を感じたからです。 〉、「大東亜戦争」の言葉は軍国主義、国家主義と切り離せないと判断され、公文書で使用できなくなりました。 その為、各新聞社、日本放送協会(NHK)などのマスコミや教育現場でも強制的に使用できなくなり、その流れが現在までも善し悪しは別にして続いているのではないでしょうか。 まさに仰る通りだと思います。教育現場とマスコミが極端に自主規制を繰り返すうちに、歴史の事実さえ歪曲されてしまうという現状… それこそが今日の日本国が抱える大きな「宿痾」の一つと思われてなりません。 真摯なご回答、ありがとうございます。
一言で言えば、『歴史は勝者が作る。』ということです。日本は大東亜戦争に負けました。 別の例を挙げれば、「アメリカ独立戦争」は英国では「植民地人の反乱」と言っています。 負けた側は自国内でも公式には使えない、使い難いのです。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 「歴史」とは「勝者」の筆が綴るものであることは、私も痛感しております。 日本の交戦国があの戦争を何と呼称しようが自由です。 しかし日本は違います。あの戦争の当事国なのですから。閣議決定された呼称をGHQの占領下で言い変えさせられたまま、事実が闇に葬られ、史実が誤った形で子どもたちに受け継がれていくこと、これが私には容認出来ません。 日本は「アメリカの51番目の洲」なのか、「中国の日本自治区」なのか、本気で考えないと取り返しのつかないことになると思います。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
推測ですが、「大東亜戦争」というときは、「日本は欧米諸国によるアジア諸国への植民地支配をやめさせるために戦った」という、本来の日本の戦争目的の一つを連想させてしまうため、中国や北挑戦などからの支配を受けている大手マスコミなどが言い換えさせているのでは? 大手マスコミとか左翼である日教組などの洗脳政策の一つだと思います。
お礼
ご回答、ありがとうございます。まさにその通りだと思います。 「歴史」とは「勝者」の筆が綴るものであることは、私も痛感しております。 日本の交戦国があの戦争を何と呼称しようが自由です。 しかし日本は違います。あの戦争の当事国なのですから。閣議決定された呼称をGHQの占領下で言い変えさせられたまま、事実が闇に葬られ、史実が誤った形で子どもたちに受け継がれていくこと、これが私には容認出来ません。 日本は「アメリカの51番目の洲」なのか、「中国の日本自治区」なのか、本気で考えないと取り返しのつかないことになると思います。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 「大東亜共栄圏」、「五族協和」、「八紘一宇」などの当時の大日本帝国政府のスローガンや、支那事変から満州事変、大東亜戦争へ至る歴史の経緯についは、一応自分なりに理解しているつもりです。 〉言葉の囚われ人になってはいけません。 このお言葉は、深い深い思索の果てから、osakajapan2001様が辿り着かれた 歴史観だと痛感しました。貴重なご指摘、本当にありがとうございます。 私は44歳、「戦争を実体験として全く知らない世代」です。右翼でも軍国主義者でもありません。 ただ日本が敗戦により、アメリカを中心としたGHQの占領下で意図的に閣議決定された戦争の名称の「言い替え」を強制されたという歴史的事実が、結果的に欧米列強と大日本帝国による全世界を巻き込んだ最終戦争である「第二次世界大戦」=「帝国主義時代の終焉」という歴史的パラダイムシフトへ突き進んだ「戦争の世紀」を、分かりにくいものにしているという、素朴な疑問からです。 日本と交戦した連合軍諸国が、あの戦争をどう呼称しようとその国の自由ですから構いとませんが、日本は当事国ですから「大東亜戦争」を「太平洋戦争」とGHQの意図的改ざんのままにしておくことは、あの戦争の功罪両面を考える際に、どうしても単なる「民主主義vsファシズム」というスキームに収斂されてしまうことに危惧を感じるからです。 長文になりましたが、私がこの問題に関心を持つようになったのは、2000年代に唐沢寿明さんを主人公にリメイクされたドラマ「不毛地帯」で、唐沢さん演じる主人公:壱岐正がかつて大本営参謀というエリート職業軍人であったにもかかわらず、冒頭のシベリア抑留時代にしか「大東亜戦争」という呼称を使わず、物語りの中盤から終盤にかけてはあの戦争を一貫して「太平洋戦争」と呼称していることに、どうしても違和感を感じたからです。 真摯なご回答に深謝致します。ありがとうございます。