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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:手書き文化)
手書き文化の未来とは?
このQ&Aのポイント
- 日本の手書き文化を象徴する古筆切・古筆手鑑展を観てきました。手鑑に分割された古筆切は、格調高い筆跡と美しい料紙が優雅さを感じさせます。
- 現代は電話やネットの普及で手紙や葉書のやり取りが減少し、手書き文化が影を潜めています。しかし、手書きの文章はコミュニケーションの感性を豊かにし、心境を伝える力を持っています。
- しかし、ネット上のコミュニケーションは手書きの文章とは異なるものであり、手書き文化は少しずつ失われつつあります。手書き文化の未来について、皆さんの意見を聞かせてください。
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質問者が選んだベストアンサー
質問者じゃありませんが,昔の人は毛筆にて流れるよな筆法でさらさら揮毫したと思うと,何とも優雅なおもいがします。そうして流れるような美しい連綿を見ると,たまらない思いがします。 最近は殆ど毛筆文字を見ることがありません。年賀状にしてもパソコンにて書かれたあらゆる書体を見ますが私は心に沁みる思いがしません。 先だって変体かなの百人一首を友達に見せたところ,読めないから興味がないような答えが返ってきました。私は思いました。古筆の文化もお終いかと思いました。 私たちの時代は楷書・行書・草書・篆書・隷書・変体仮名と練習し覚えたものです。更に古筆切を練習したものです。最近は高野切・本阿弥切の言葉さえ聞くことがありません。 般若心経や九成宮醴泉名等の文字は最近見たことがありません。これを揮毫した時代が質問者のお陰で今こうして思い出しています。
お礼
sadami10さん、はじめまして。 >先だって変体かなの百人一首を友達に見せたところ,読めないから興味がないような答えが返ってきました。私は思いました。古筆の文化もお終いかと思いました。 そのようなことがあったのですね。 「読めないから興味が無い」ですか…。 でしたら、書けないならなおのこと興味が無くなるかもしれませんね。 私はそれをとても残念に思います。 >私たちの時代は楷書・行書・草書・篆書・隷書・変体仮名と練習し覚えたものです。更に古筆切を練習したものです。最近は高野切・本阿弥切の言葉さえ聞くことがありません。 はい、展示ケースの前で年配の方が懐かしげに語って下さいました。 あれも練習した、これも…と。 sadami10さんとほぼ同様の感想を述べていらっしゃいました。 一様にそれらの美しさを讃えながらです。 般若心経や九成宮醴泉銘にも言及なさっていますね。 たとえば唐代の思想や時代背景、あるいは仏教哲学といったありとあらゆる古典文化に精通していないと、書の道はおよそ立ち行かないものとのご教示とこのたび私は承りました。 心に留めておきます。 ご回答をありがとうございました。