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学校がらみの子どもの死亡事故は謎だらけ
- モンスターペアレントが話題になることがあるが、最近は学校に対する異議申し立て、苦情がすべてモンスターペアレントと解釈されている。
- 学校だけは利用者とのコミュニケーションが全然できていないらしい。苦情申立や異議申し立てがさらに強くなり、モンスターペアレントというレッテル貼りになっていく。
- 学校内権力闘争としか思えない公教育は、その資源配分が絶対に間違っているし、外科手術が必要だと感じている。
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現在の学校ではよく耳にする話です。さすが読売新聞だけあって的をえた批評です。 結局のところ取るべき責任を責任を取ろうとしない、校長や教育委員会の体質が根本原因でしょう。一般の先生には善良な方が多いのですが、命令や圧力で黙らされている実例は私も見聞きしています。 >学校での子どもの死亡事故について、学校当局から正確な情報が出てくるということはなく、「子どもが勝手に死んだんです」ということで処理されていくことが多い。 そうですね。各地で起こっているイジメ自殺にしても、教育委員会や校長が責任を認めた例はほとんどないですし。 >苦情や異議申し立てがさらに強くなる→モンスターペアレントというレッテル貼りになっていく。 学校や教育委員会は、モンスター・ペアレントに対する対処のノウハウや処理する組織を持っています。そうレッテルを貼れば、当然取り上げて問題にしなければならない要求でも「モンスター・ペアレントのむちゃくちゃな抗議」として、ノウハウや組織を悪用して黙らせることができるからです。 名古屋市の小学校での子どもの死亡事故や新座市(にいざし・埼玉県)の中学校の生徒自殺事件などは、死者が出たから新聞でも取り上げられました。しかし死まで至らない怪我やいじめの大半は新聞にも載らず黙殺されています。 >学校は事実と違うことを言い張って、子どもが勝手に死んだことになっている 事実と違うことを言い張れば裁判に有利になるからです。こうした責任逃れ嘘が評判になり、めぐりめぐってモンスター・ペアレントを増やす大きな原因にもなっています。 私の子供が被害者なら決して引っ込みません。市議会に調査権を与え、関係者の証人喚問などできないのでしょうか?
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- cucumber-y
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お礼拝読いたしました。 ありがとうございました。 文頭に書いてあるとおり、前に違うご質問に使った回答を少し直したものなので、今読み直すと強調したいところが若干今回のご質問からズレていると我ながら感じると同時にご指摘の点、ご尤もだと思いました。 ご質問者さんの書かれているとおり、学校側が規則に縛られていることは知ってはいるのですが私自身が小学生の時にちょっとした問題児で公立の小学校だったにも関わらず、ある日、校長先生が家にやってきて親に「御宅の息子さんは我が校では手に負えません。転校させてください。」と言いに来て、私も私の親も「それも無理はない」と納得した経験があったため、現在の実情と私の感覚にズレがあったようです。 ご丁寧なお礼、重ねて感謝申し上げます。
- cucumber-y
- ベストアンサー率17% (1846/10420)
以前、違うご質問の回答につかった文の焼き直しですが・・・ モンスターペアレントが騒がれる少し前に「クレーマー」と言って企業や商店、各サービス業にクレームをつける人のことを面白おかしくTVが取り上げ始めた時期があります。 本来、自分の仕事に誇りを持っているプロであればお客様にクレームを付けられた等は恥と感じてペラペラしゃべれるものではありませんが、かなり話を盛って大げさな演出をつけた再現ドラマをTVが繰り返し流すことで「客に文句を言われた自分が悪いのではなく、文句を言った客が悪いんだ。だってTVでそう言っているから。」と考える人が売る側に増え、同時に買う側(客)は「店で店員に文句を言う行為はクレーマーと呼ばれる恥ずかしい行為だ。だってTVでそう言っているから。」と考える人が増えました。 この風潮の変化で誰が得をしたかと言えば考えるまでもなく、多少悪い商品を売ろうが接客者の態度が悪かろうが文句を言われることのない売る側である各企業であり、それら各企業はこの風潮を作ったTV局の大切なスポンサーなのですよね。 ここまでは非常に分かりやすい構図です。 TVが流す情報鵜呑みの人たちは各企業にとってとても御し易いお客様というわけです。 この「クレーマー」のヒットで『現場の人間の愚痴を大げさに扱えば世間が喜び視聴率が取れる』と学習したTV局が次に思いついたのが本題の「モンスターペアレント」ですね。 個人情報保護を逆手にとって本当か嘘かなど関係なく視聴者が喜ぶ大げさな話を垂れ流し、ネットでは「知り合いの教師に聞いた・・・」「知り合いの子供のクラスでは・・・」等の情報ソースが虚言癖のある中学生の「友達の友達が芸能界関係者」レベルの話が飛び交い、なぜかそれを鵜呑みにしてしまう大人が多いのですよね。 もちろん、モンスターペアレントの定義に当てはまる親は現実に存在します。 しかし、この近年で特に増えたわけではなく昔から一定数いました。 TV局をはじめとするマスコミが「モンスターペアレンツのおかげで自殺した教師や病院でウツと診断される教師が増えた」ともっともらしいことを言っても、それは教師に限らず日本の社会全体で増えているだけのことなんですよね。 ↑↑↑が私のモンスターペアレントに対しての考えです。 >また皆さんのお子さんや友人のお子さんだったら納得できますか? 納得できないから闘います。 昔、自分の事故のことで某大手保険会社のやり方に納得できず、弁護士も5人まで「無理」と言い切った闘いを6人目の弁護士をなんとか説得して7年かけて高裁まで持ち込んだ裁判で勝ったことがあります。 その時には裁判期間の途中で生まれてきた子どもたちに私の闘いで迷惑をかけてはいけないと少し控え目でしたが、子どもが被害者ということならそんな遠慮もなく思う存分納得できるところまで行くか、私が死ぬところまで闘い続ける自信あります。
お礼
>納得できないから闘います。 素晴らしい姿勢です。保護者全員がそうなって欲しいですね。ただご回答を拝見してちょっと気になった点があります。 >「クレーマー」と言って企業や商店、各サービス業にクレームをつける人 クレーマーの場合はお店は、最終的には「お金を返すからもう来ないで下さい」と来店を断る自由があります。しかし教師の場合には生徒の登校を断る自由はありません。 規則では「最大限の努力」をもって指導を行ったにもかかわらず「他の児童生徒や職員に傷害,心身の苦痛又は財産上の損失を与える行為」や「施設又は設備を損壊する行為」を「繰り返し行った」場合のみ、出席停止にできるだけです。 その場合でも「出席停止期間中の児童生徒に対しての学習支援措置」をしなければならず、本物のモンスター・ペアレントが何度も理不尽な抗議を繰り返しても、「そんなに不満ならうちの学校に通わせないで下さい」とは言えないのです。 回答者様の >教師に限らず日本の社会全体で増えているだけ というお答えには、この違いを考慮に入れてないのではないでしょうか? 優れたご回答だけに非常に気になりました。
- bismarks05
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>こんな現象をどのように感じますか?また皆さんのお子さんや友人のお子さんだったら納得できますか? 納得できないが、それ以外に方法があるのか?という問題である。 世の中、納得できない事象はあっても、解決できないなら、納得できずとも是認するのが常道だろう。 納得を求めるのは、単なる「無いものねだり」に過ぎない。それを求めることは悪いことではないが、現実を踏まえない評論であれば、それこそ単なる理想主義であり、その理想主義でも、具体性もないものなら、単なる「夢想」でしかない。 本件はそのレベルであろう。 この評論はそもそも、読売・ブログ主の主観である つまり、読売・ブログ主が、事実関係も確認せずに、「『最近の学校は無碍に保護者の意見を無視する』と論じているだけであって、その数値的な根拠などを提示してない。いくらでも事実を捏造出来る話である。最近では、同社は堂々と野球選手の・・・以下略 ちなみに、学校側は個人情報から、自らはモンペの不条理な苦情も糾弾できない立場である。そんな状況から考えれば、どうやっても、学校側が不利な情報だけでしか判断している、としか思えないんだが? これが公平かつ客観的な評論である担保・根拠などはありえない。 そんなものを大前提にしようとするモラルもない文面だと判断できるのだが、そのモラルがあるのだろうか?是非知りたいものである。 謎だらけの死亡事故が多いのは、少年法との関係で当然であろう。 被害者及び被害事実関係から少年に関する情報が秘匿されるのは、日本だけではなく海外では当然である。これはむしろ健全な法治主義社会の現象だろう。 これを不健全という根拠を知りたいものである。 学校が進んで情報公開できる法的道理がないのだが・・そもそもw ここらは読売・もしくは、このブログ主の見解が、学校現場を知らずに、『学校はいかん!』という立脚点から展開しているだけだろう 個別に文章を思慮してみよう >学校に苦情や異議申し立てしている人の話を聞くと、最近の学校というところは全く人の話を聞かないところらしい。 学校側が満足な対応をすれば、意義の申し立てが返上されるのが道理だろう。 異議申し立てしている人(現在進行形であるから、当然学校から好意的であるはずもない)からすれば、最初から悪意にたっているのであって、この主観は単なるアンフェアであるだけだろう そもそも、全く話を聞かないなら、異議申し立てすら出来無いだろうに・・・・・・(嘲笑) >企業も市役所も苦情に敏感になって、取り入れるべき苦情は対応していこうという時代なのに、学校だけは昔より利用者・ステークホルダー(地域住民)とのコミュニケーションが全然できていないらしい。 できるわけがない。 子女の安全管理のために、「校門を締め切れ」と条例・保護者会などで要請されているのだから・・・ そもそも、住民・保護者がコミュニケーションするというなら、その代表者であるPTAなどの団体が必要になるが、PTAなどの保護者組織もない現場で、どうコミュニケーションをはかるのだろうか? 住民側が面倒くさがって家庭訪問などを拒絶するような事例が多発している現況を考えれば、戯言にしか思えないのだが・・・明らかに公平な視座のない評論だろう。 学校側がコミュニーションをはかっても拒絶して、自ら保護者組織と関係しないでは、コミュニケーションなど出来るわけがない。 あまりにも、一方的すぎる批判だろう(失笑) >苦情申立や異議申し立て→無視・却下・政治的処理(いずれも黙らせる)→さらに大きなところに苦情・異議申し立て→問題がこじれはじめる→苦情や異議申し立てがさらに強くなる→モンスターペアレントというレッテル貼りになっていく。 最初から苦情・異議申し立てになっていることから間違いだろう。事実確認から入るべきものを・・・・ このように原初から間違っている。 そもそも、この構図がどれだけの確率で出現するのだろうか? 教育委員会程度ならまだしも、議員などに陳情する保護者であれば、そのような異議申し立てがもはや単なる政治圧力だろう。議員が個別案件に関して教育視座で政治介入できると思ってるのだろうか?このような部分でも保護者が、保護者として教育的視座がないことを示唆しえると思うのだが? そのような行動が我が子にためにならない・・とも思えないような保護者は、モンペだと思われても仕方ない、と思うのだが? >学校での子どもの死亡事故について、学校当局から正確な情報が出てくるということはなく、「子どもが勝手に死んだんです」ということで処理されていくことが多い。 どれだけあるんだ?また主観で数的根拠ないの? >この近所の新座市のある中学校での子どもの自殺事件も隠蔽され、市議会にまで持ち出されたものの真相は学校にフィードバックされることがないまま、政治的問題として尾を引きずっている。 当然だろう。議会に図ったとして、教育行政とは全く政治主導権限は別物なのだから・・・ この程度は、教育評論の基礎だろう。その基礎もないのだろうか? そのような教育体制が問題なら、学校ではなく、”教育制度の問題”であって、それは住民・国民レベルの政治問題である。 問題の所在を履き違えている、としか思えないのだが? >閉鎖された環境、人質商法、そういう学校の体質が、北朝鮮のこと笑えるかと思ったりもする。 どこまで北朝鮮の実態を知って評論しているのだろうか? この文章だけでも、「知ったか」評論の証左であろう まったく羞恥心がない・・と思えてしまうのは、なぜだろう? >学校内権力闘争としか思えない、生徒指導にばかり血道をあげて、学力低下を続けている公教育は、その資源配分が絶対に間違っているし、それについては外科手術が必要だと感じている。 学校教育は学力だけが問題ではない。 生活指導も学校教育法上の学校の責務である。責務である行為を実施して問題にされたら立場がないのだが? ちなみに、「絶対」という根拠が知りたい。このレベルの人の稚拙な評論の「絶対」という主観の浅はかさを明確化させる絶対的な確信を小生は持っているが・・・ で、どんな手術を行うんですか?是非、具体性がなくてもヴィジョンを・・・それが、学校改革だけで済むならば、指摘して欲しいものである。 責任を学校だけに集約しているのだから、当然、学校外まで手術が及ぶ必然性はないだろう・・・ >日本企業にはまだパワハラなどの悪習が残っていてるところもあるが、社員教育というと、あの学校教育のような、統制、統治を手法とするものはなくなっている。 JR西日本の日勤教育は?わたみの店舗指導は?大相撲は?自衛隊は? なくなっている、と思うのは、それだけ世界が狭いからでは?w >役所にも、研修の必要性が認められ、研修をやっている自治体では、企業での社員教育を行っているところに研修を外注していることもあって、最初から統制、統治ではないやり方での研修が行われている。残るは学校教育だけという感じがしている。 感じがしているだけで、学校もやっているのだが? 主観であって、確認もしていない、粗末な評論であろう 知ったか、調べもしない評論はもはや、評論ですらない >もちろん、学校教育は知識を子どもに持たせることに最大の目的があるから、社員教育とやり方は違うが、しかし統治、統制にあまりにも労力と目的がおかれている今の学校教育のあり方はムダが多い。 無駄が多いのは、学校の責任ではない。学校が担うべき業務が荷重すぎるからである。(以前指摘されているが) 実際、家庭が担うべき生活指導・しつけの領分まで学校教育が担うには、諸外国と比較しても圧倒的な人員不足である。 無駄を大きくしているのは、学校教育が担えない領分までさじを投げて任せている家庭・そして、政治の問題だろう。 おおよそ、現在の学校教育が、学力伸長だけで業務を縮小すれば、無駄も減るだろう >単純比較できないが学習塾と比較するとそれがよくわかる。生徒指導をせず、短時間で効果を上げている。 なぜ統制、統治が重んじられるのか。教室の秩序を維持するということには、教育関係者の誰もが反対できない。その上、いわゆる「問題児」は必ずいるため、「教室の秩序を維持する」と言えば、誰もプライオリティー(優先順位)を下げられなくなるからである。 その通りである。教育領域が、学習塾とは異なる。学力だけの塾と、生活指導・学力の両輪の学校では、効率性が異なるのは当然であろう。火を見るより明らかだろう。 モンペの子女が学校教育の阻害因子でもあろう。そういう子女でも学校教育は、家庭の変わりに教育するしかないのである。 統制・統治なしで、組織が維持できないのは、社会学・組織学の常識なのだが?それが公的機関であれば尚更である。 この程度はむしろ当然の話だろう。統制・統治が出来て初めて学校になるのだが? >監視カメラみたいなものである。そこに権力欲の強いだけの教員が統治、統制ができれば偉そうにできるしかけがあるのではないか。 そんなものは、民間企業でもどこの世界でも同じことである。内部自治の領域でそのような問題点を解決する方法があるなら提示してほしいものである。 「ないものねだり」は醜態でしかないだろう・理想論でも、実現されるメソッドでも提案できればまだマシだが、批判だけなら小学生でも出来るだろう 非常に公平性・客観性のない評論で、呆れてしまう文章だった。この程度の知識・知性でも情報発信できる現代社会は幸福でもあるが、不幸でもある 南無三
お礼
>ご指摘の点、ご尤もだと思いました。 ありがとうございます。それと会社員の場合は退職しても本人に能力があれば、別の会社への再就職(正社員)は可能です。 しかし教員の場合は「保護者(モンスターペアレント)の抗議がイヤで退職した」というケースでは、まず再就職は無理です。採用されたがっている若い先生は多いので、かなり運がよくて臨時教員として拾われるだけです。この2つの違いも大きく、教員に精神疾患が多い理由になっています。