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91才祖母との新生活に困惑【長文です】
先日、97歳の祖父が亡くなりました。 そして、91歳の祖母が残されました。 祖父母は他者の干渉を嫌い、友人も知り合いも作らず、これといった趣味もなく、介護認定も受けず、掃除洗濯料理、自分たちの分を全てこなし二人きりで独立して生きていることを誇りにしているようでした。 祖父母には二人の娘(母・叔母)がおり、私の家族(父・母・私)と二世帯同居していましたが、家事は完全別でした。私の両親は60代後半で、自営業を営み日中は家にいません。ちなみに私は病気療養・失業無職の30代女性です。 質問は4つです。 しっかり者の祖父のおかげで今まで介護など考えなくてよかったので、戸惑っています。 1つにでもいいので、ご助言いただければ幸いです。 1.お金の事 〈お金に細かく、執着する祖母。生活費や食費を愚痴なく出してもらいたい〉 祖父が今まで生活費の一切を負担していたため、祖母は貯蓄しかしたことがないし、祖父がほとんどの買い物をしていたせいで、現代の金銭感覚がない(若しくは相場が古い)ようです。 葬儀代(祖父自身が自分の口座に葬儀代を貯蓄していたのに)や返礼、仏壇、食費、両親が手配した全てに、「必要ないのに無駄なお金を使っている」と、遠方の叔母に電話で愚痴っています。 (防音がしっかりしてないので筒抜けに聞こえるのです) 仕事もあるのに何度も遠方から来て、何日も滞在し買い物や世話をしてくれている叔母にも、交通費も実費も出していないようです。一度、「叔母さんにお礼しないの?」ときいたら「あの人たち(母や叔母?)にはずっと以前にやっているから(祖父の生前分与のことらしい)必要ない」と目を爛々として強く主張しました。 昔からの性格らしいですが、怖いほどの金銭執着です。 葬儀お以降、ほとんど「あのお金は、遺族年金は、保険は、葬儀の精算は」等々、聞かれるのは金の話ばかりです。もちろん、彼女の貯蓄が少ないわけではありません。 これ以後、認知症が顕在化したりして、食費や生活費を請求するだけで「泥棒」呼ばわりされそうで怖いです。 「食事もまともに出してくれない」とか「私の財産を使ってばかり」とか言われる未来が目に見えるようです。とても悲しいことです。 回避方法・対応方法はありますか? 2.公的介護は彼女のためになるか? 〈祖母は人付き合いを嫌う、しかし孤独はよくないのでは?〉 一人残された祖母のことを考え、まず介護認定が必要だと思いました。 しかし祖母は嫌がり、両親も叔母も消極的でした。 母も叔母も「母は人の世話を嫌がり、干渉を拒否し、困っても人に助けを求めない人だから、きっとディサービス、ショートステイも訪問看護も迷惑がるだけ。だから介護認定は無駄だと思う。」という意見でした。祖母本人は、「((介護)人に会いに行くのも、来るのも)嫌、面倒」、「友人はいない、面倒」、介護保険認定申請も迷惑そうでした。 そこで市の支援センターに相談し、専門家の意見を聞いて、母を説得し介護保険認定の申請を押し通しました。 葬儀以降一週間で、会話する相手もなく、様子を見に行っても、TVも見ず、ぼーっと座っているだけ、という祖母を見て、早急な対策が必要だと手続したのです。 ネットで見つけた基本チェックリストから、私が判断するに、「生活機能全般」、「閉じこもり」、「認知能力」の項目は全部の設問、該当しました。「運動機能」「栄養不足」「口腔機能」、については私には判断できませんでした。そして、最後の「うつの可能性」項目は、本人に聞いたところ、全該当でした。 しかし、祖母にとって介護認定が果たしてプラスになるのだろうか?孤独は良くないと考えただけで突き進んだが、焦りすぎたかも? 認定がされたとして介護を受けるだろうか?強引に押し通すべきなのか?とかんがえてしまいます。 公的介護は彼女のためになるのでしょうか? 3.彼女のために何ができる? 〈祖母が理解できない。だから彼女の幸福もわからない。〉 老化で仕方がないことですが、祖父の生前(一年位前)から、祖母は頻尿で失禁があり、悪い時は(夏も冬も)むせるほどの臭いが衣類にも居室にもありました。しかし、彼女は臭いを感じないようで「ちゃんと洗濯しているから、臭うはずはない」と強く否定していました。祖父は「臭うが、言っても聞かなかったし、もう口出ししない」という態度でした。 「(あなたたちは)嫌がらせで臭う、臭いと言っていると思ってる」と言っていたこともあります。指摘が続くと怒ることもありました。 洗濯手伝いは、拒否。消臭効果のある洗剤は受け取って、放置。 消臭スプレーは、受け取り、捨てられていました。 おむつは、「見た目でみっともないから」と大きいものは受け取ってくれません。 しかし、臭うといわれているのを気にして、人の訪問や人に会うことを、ためらっている節もあります。 外では、祖母は、見た目若く70代ほどに見え、背筋も伸びており、愛想もよく、朗らかに笑い、「ごくろうさまです」「ありがとうございます」と下手に何度も繰り返し、ちょっとした会話には問題なく応じられます。(だから訪問調査の人の前でも取り繕い何も問題ないふりをするでしょう。) しかし、中では、裏表が激しく、ありがとうと笑って言うその口でひどい愚痴を言います。 数日前、私は様々な手配と溜まった仕事で休む日も無く働く両親のことや私のことを、叔母に大声で愚痴っている祖母に怒りを覚え怒鳴りつけました。 お金のことや、人付き合いは、本人のもともとの性格が大きいと、母や叔母は言います。また、裏表があり、激しい愚痴を言うのも、元々だと言います。 失禁は老化で当たり前のことですし、臭いを感じないのも老化の症状かもしれません。 チェックリストからも何らかの対策が必要であることは確かです。 ただ、通院・短期宿泊・訪問などの機会が増えると喜ばしいけれど、同時に他の人に家のことを過度に愚痴り、訴えるのだろうと思います。 生まれた時から同じ家に住んでいたのに、私は祖母を知りません。元々なのはどこまでで、心配しなければならない、おかしい部分はどこからなのか、私にはさっぱり分りません。 祖母にとって、これからの時間をどのように過ごすのが一番幸せなことなのだろう?と考えます。 家族として、私たちには何ができるのでしょうか? 4.彼女に対するスタンス〈母は距離を取る。父は我慢する。私は?〉 今回、私は、祖父の入院時の手配・付添と、死亡後事務全般と必要書類の調査、葬儀後の書類 仕事、相続手続、祖母と母との橋渡し(途中で祖母の愚痴を聞いて怒り中断中です)を行いました。私が無職のおかげで、ずいぶん楽に乗り越えられたと、言われました。 祖母の愚痴は、母も父にも丸聞こえですが、私が祖母に怒ったことに関して、母は「ああいう人に、距離を取らずにベタベタしてたから、傷ついたのよ」と、父は「病気で無職のお前に怒る資格があるのか」と言いました。確かに…二人の言う通りです。母の言葉を、「介護はやり通す義務、一時の感情に振り回されるのは不覚悟」、父の言葉を「家族にとって祖母が負担なら私も負担、自ら立たねば人を支える資格はない」と解釈してから受け入れました。 ただ、祖母の痛む足の様子を見ようと、足の爪を切って足裏の手入れをしたときに彼女は涙ぐんでいたような気がするし、仏壇を見に連れて行き帰りに食事したときに「懐かしい」と呟いて涙ぐんでいたようだし、様子を見に行って話こんだ時も涙ぐんでた事があった気がします。私は祖母に対して思い入れはあるのです。 しかし、怒って途中で放り投げてしまうなら、初めから何もしない方がよいのでしょう。なにせ、私は介護をやり通す覚悟がないし、自立していない。 関わらず、自分が自立することに専念するか? 共依存し共倒れにならない程度に距離を持って見守り、自分を自立させることと並行するか?でも、自分にそれだけの器があるか?彼女に対する自分のスタンスを悩んでいます。
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質問者が選んだベストアンサー
答えに成っていないかも でも 少し何かを感じてくれたら と 思います。 「人生」持ち回りなのかも 自分は一人で生きられるから 誰の世話にもならない だから 周りの人間とは付き合わないし関わりたくも無い。 でも 本当に一人で生きていかれるのでしょうか? 僕は 自分が出来る事をただしているだけ 出来ない事はしない 無理も努力も 一生懸命も 負担に成る事は しないし、出来ない 元気で、長生きして欲しいと思うだけ 120%の親不孝者だから 95%ぐらいは親孝行がしたい 自分の自己満足 それでいいと思っています。
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- OldHelper
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結論から言えば、何もしないことです。 質問者は孫の立場ですから、娘二人のすることに任せるべきです。 何か言いたいことがあればお母様にいうだけです。 それ以上のことはするべきではありません。 逆に30代で、病気療養中無職の自分自身を自立させることが先決です。 質問者は人の世話ができる立場になってはいないのですから。 わたしの母は94歳で自立しています。 12年前に父が亡くなり、しばらくは泣いて暮らしていましたが、 一周忌が過ぎたころからは元気になり、一人の生活を楽しんでいます。 父の世話ばかりで付き合いも少なかったのが、周囲のお世話で 老人会に出かけるようになり、友達もできてきました。 今年は父の13回忌の段取りを楽しみにしています。 大正時代の人の感覚は、子供世代でも理解できないものです。 まして孫の世代では別次元の人類です。 お母様とおば様のすることを手伝う程度に控えてみましょう。
お礼
ありがとうございます、 >逆に30代で、病気療養中無職の自分自身を自立させることが先決です。 >質問者は人の世話ができる立場になってはいないのですから。 そうです。その言葉は常に自分の中にあり、時折意識に上ります。 ただ、この質問と回答・お礼を通して、もしかしたらその意見は、私にとって易しく優しい意見なのではと思いました。祖父の入院に付き添った時から始まり、ずっと、私は非常に不安定です。「早く行動していれば」と悔い、自分でも意外なほど、周りも驚くほど祖父の死に影響されています。以前から特別な時(緊急時)、祖母は母と私、母は私に判断(病院に連れて行くなど)を委任します。祖父母の死に影響する決断を任されるのが、苦痛で負担で逃げたいと、なぜ私に振るのだと、だからちゃんと文句が出ないように舞台設定を整えて「自立する」と逃げようと私は思っていなかったか、と思いました。「実家にいる」「自立してない」事実も私は結構苦しんでいると思います。(父兄に「怠けるな、甘えるな、自分を許すな」等、折々きっちり言われているし、私も聞き流さず考え込むので)。ただ、私が家から出た後で、祖母の容体が悪くなっても、私は強く後悔し苦痛に感じるでしょう。 94才のお母さま、ご健勝のようで何よりです。 ただ、私の祖母は、祖父があって今までやってこれたのであり、自立心がなく依頼心が強いので、日常生活を一人で送るの(自立)は無理だと母も叔母も判断しているようです。生活や介護について、叔母は「こちらに任せる」と、母は「分らないから私に任せる」と言われてます。でも、時間が経ては、考えも行動も役目も変わりますから、私が背負って思いつめるのは私のためになりませんね。祖母・母・父、家族であっても、人の言葉を受け止めるはいいけれど、言葉のうわべで自分の人生を軽々しく規定しては、逆にその人に悪いですね。 今のところ、私は「介護」でなくて「自立」が目標なので、「自立」を努め、何があっても祖母を言い訳にしない、ということを考えています。
補足
この補足欄を使わせていただき、質問に回答して下さった方々に、改めてお礼いたします。 今日、祖母の介護認定の訪問調査がありました。それまでに色々考えたかったので、皆様のご回答、本当にありがたく思いました。社会的・心理的・実質的・実例・客観的、様々な見方が出来ました。まとまらない質問に回答してくださってありがとうございます。視野が広がりました。あのような質問をした自分が未熟だと今は思います。(今でも未熟ですが。)ありがとうございました。
お辛い現実、お察しします。 おばあ様、ご長寿でいらっしゃる姿、あなたは誉めてあげて下さい。お爺様が亡後ですが、とても強い気持ちや性格。でも内面と外面は明らかに違う事、これが当然のおばあ様、性格だと深く認識してあげて下さい。お金に関して、高齢で会話に支障がない方にはこうした事が歳を取った証といえるでしょう。おばあ様が特別だとは思いません。他、あなたの考えに助言となれば、まず、おばあ様は他人との距離、要介護に関して面倒、嫌とおっしゃられている事を聞くだけにしましょう。おばあ様に今の自治体や福祉のサービスを口頭で説得しても無理です。戦争経験した、しかも90代の方には便利な現代の事を把握する事、実際問題出来ません。それがおばあ様の当たり前なのです。共に行動し、目で見る、体験させなければ、意地のぶつかり合いになります。この世代の方、高齢になれば皆、負けず嫌い、我を通すものです。 例を申し上げます。私は30代女性、療養により家事手伝い。祖母(独居)は94歳。今現在はショートステイを利用。(実際はロングステイ状態)介護認定を受けるのも、施設利用にも私の父(実息子)が説得するのに、何年もかかりました。あなたのおばあ様と全く同じ様子で独居。言動、お金の執着、年々凄くなりました。施設のパンフレット等取り寄せ、見せ、福祉のプロの話に耳を傾け、入所。現在、拒み続けたのが嘘のように落ち着いてます。最初はヘルパー依頼からでした。他人と触れる事をしました。家族が近所でも利用したのです。私達にも生活があるから。尚且、私達は母の介護もありましたので足りない部分はプロの手を借りたのです。時には我儘に振り回されました。何度も駆けつけ、私は怒りました。でもそれが老化だと認識。その後、先手を打ちます。今、元気でも家庭内でのその後の方が大変なのですよ、介護って。今の状態が緩やかに、穏やかに長く続くにも、素人判断では無く専門の方の話をまずご両親が受け入れ、早めに構え行動して下さい。あなたが家にいるからといって率先して出る前にやるべきは母、おばです。あなたはサポート程度です。おばあ様の話を聞く、誉める役をしましょう。何でも賛同するのです。なるべくなら、昔話。 距離を置くのは精神衛生上、皆に良くありません。母vs娘は難しいのは事実あります。それはあなたの親が向き合い逃げず学ぶ番ですよ。 あなたは昔の知恵を学ぶ時間にする、人生の糧になると思えたらどうですか?
お礼
労わって頂きありがとうございます。 祖母の言動は、今の性格。それはもともとの性格と加齢によるものが混じっている。そして、それは90代の老齢の方には珍しくないもの。なのですね。 まず、介助に慣れることから、スタートする。 母と祖母は昔からお互いに気が合わない、性格が合わないと公言しあう仲で。実は、3回話して2回は怒鳴りあいになる感じです。昨日昼過ぎに、祖母に怒ったことを謝り、「できるなら愚痴を言うとき扉を閉めて、父も母にも聞こえて傷ついているから」と言い、仲直りしました。途端に、色々楽しそうに話しかけられ、相談もされました。前々から思っていましたが、彼女にとって私はしゃべりやすいらしいです。孤独で話し相手がほしいのでしょうね。 実例を出して、現実的な回答をいただきました。 祖母の性格については、とてもほっとしました。 ありがとうございます。
- terepoisi
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>彼女に対する自分のスタンスを悩んでいます。 ずいぶん悩んでおられるようで、長文の質問に対して 実に簡単な回答で申し訳ないのですが、 やってみてダメだったら遠慮せず周りに助けを求めるしかないでしょう。 >公的介護は彼女のためになるのでしょうか? ためにならないなら、誰が介護を担うのかということになります。 意思表示も出来ないほど症状が進んでから利用する人もいますが 当人に拒否されそうでも公的支援を視野に入れておいたほうがいいです。 おばあ様もご両親もこの先ずっと同じ状態が続くとは限りません。 失禁は認知症であればもっと進行すれば悪い方に落ち着くこともあります。 悪くなるか改善するか、わからないのですから 今態度を決めて貫き通すことにこだわらないほうがいいと思います。 介護はするほうも介護されるほうも、いずれ必要になるかもしれない家族も とにかくものすごいストレスにさらされます。 皆で共倒れにならないよう、上手に息抜きする方策を考えておきましょう。 自治体やボランティア団体の介護講習や講演会などに出かけてみてはどうでしょうか? 少しは前向きま気持になれると思います。
お礼
なるほど。 「自治体やボランティア団体の介護講習や講演会」を調べてみました。探し方が悪く丁度いいものが見つからなかったのですが、在宅介護関連のサイトや講演会・演者のページなどを見ました。 今まで、辛い介護を経験した人は私の周りにはいませんでした。『今だけを考えるのでなく、これからを見て、備えよ。祖母が悪化した場合、私がその時どのようなスタンスであるとしても、家族として関与する事だけは確かだ。だから、臨機応変に対応する心構えが必要。』「出来なかったら助けを求める」事、つまり、人数が限られるから負担を分散させることが必要なのですね…(…今、助けを求めるのは祖母だけじゃなく母も私も苦手だということに気が付きました。)在宅介護力チェックテストで21点だったので、勉強する必要があります。本、読んで学習します。 でも、きっと、この問題は、私が思いつめるよりも家族(もしくは集団)で考えることが何倍も重要なのですね。 全てに対する実践的な回答です。祖父が存命のうちは亡くなる事を考えることが怖くて、介護に対して心構えしていませんでした。だから、基本を教えていただいて、とてもありがたいです。勉強させていただきました。ありがとうございます。
- yasuto07
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怒って途中で放り投げてしまうなら、初めから何もしない方がよいのでしょう。 私は介護をやり通す覚悟がないし、自立していない。「それは、父母が部屋や食事を提供してくれるからでしょう。」⇒父母を生んでくれた祖母ですよね。⇒リスペクトして当たり前では。 関わらず、自分が自立することに専念するか?⇒それなら、それでもかまわない、父母の家をでて、一人で暮らすのであれば、それを実行してください。⇒それができないのであれば、貴方が出来る事は、おのずと決まっているのでは。 [「共依存」⇒(この言葉は失礼だし、貴方が自立して無い自分へのあてつけでしょう。、、、)し共倒れにならない程度に距離を持って見守り、自分を自立させることと並行するか?]⇒これは、正しい手順 だと思いますよ。 自分にそれだけの器「あるない、ではなく、やらなければならない問題です。」があるか? 彼女に対する自分のスタンスを悩んでいます。⇒無理せずに、出来ることをしてあげれば。? できれば、精神科にお連れして、認知症の部分をみてもらい、適当なお薬を出してもらうのがよいでしょう。
お礼
早速の対応、ありがとうございます。 4.「彼女に対するスタンス」へのご回答ですね。 >私は介護をやり通す覚悟がないし、自立していない。「それは、父母が部屋や食事を提供してくれるからでしょう。」 その通りです。 >⇒父母を生んでくれた祖母ですよね。⇒リスペクトして当たり前では。 …尊敬、祖父は素直に尊敬していますが。祖母は…難しいです。あまりにも自分と反対なので。 >(祖母のことに)関わらず、自分が自立することに専念するか? >⇒それなら、それでもかまわない、父母の家をでて、一人で暮らすのであれば、それを実行してください。 本質を突かれて、ドキッとしました。 (今、現在、家を出ることについて考えています。失業給付が終わって就業できていないなら出ていくと決めています。でる時期を前倒しにするかについては最近いつも悩んでいます。別の話ですけど。) >⇒それができないのであれば、貴方が出来る事は、おのずと決まっているのでは。 家にいる間…ということも実は悩んでいました。「出ていくつもりなのに祖母に深入りしていいのか。」と. そして 「(家族であるならば、)共倒れしないように無理せず自分の出来ることしてあげて、同時に自分の自立も並行させることを、やらなければならない。」ということですね。 そして「途中で放り出すならやらない方がいい」ですね。 態度を決めるには、自分の中の色々な事を消化しなければならないですが、考える方向が明確になりスッキリしました。ありがとうございました。 -------- 精神科については、祖母も母も乗気ではないので、祖母の説得→付添→通院応対「途中で降りず出来るのならば」やります。 -------- 共依存については、不見識でした。 悪い意味ばかりではないと載っていた文に影響されて書いてしまいました。申し訳ありません。
お礼
難しい! でも、感じてみます。 ああ、泣けてきました。号泣です。ヤバいです。 「肩の力を抜いて」と子供の時からよく言われた言葉を思い出しました。負担になることを進んでする子供で、やるなと言われる今でも、たぶん本質的には変われていない。今の私は親不孝率200%以上だから、わずかでも数%でも親孝行したいです。一人で生きたいと、一人で生きられるは違う。本当に一人で生きられる人はいるのだろうか?きっと祖母も一人では生きられない。周囲の手はきっと必要。私は祖母に元気で長生きしてほしいです。私は自分にできることをただします。負担だけになることは、やってもできない、続かない。同じように、祖母が自分にやれることをただしたら、きっと、負担になることは、やってもできない、続かない。だから、彼女のために誰かが差しのべた手は、彼女にとって必要なものを、彼女が選択し握るでしょう。それが彼女の望んだ未来。私たちは無理せず手を差し伸べる。自分の負担にならない、自分の出来るだけの手段を。 わずかでも孝行がしたいから。わずかでも優しくしたいから。 それは自分の自己満足。きっとそれでいい。 私はこんな風に、受け取りました。答えです。2.3.4.の綺麗な答えだと思います。そして1の答えにもなるかも。私は理屈ばっかですね。こんな素敵な文を見ると、恥ずかしくなります。色々なことで張りつめていた糸が、許されたみたい。ありがとうございます。今日はよく眠れそうです。