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与えれば与えられる
こんにちは。 24歳♂、フリーターです。 元はキリスト教の教えだと思うのですが、「与えれば与えられる」という話があり、それによると、お金を人に与えれば与えるほど、自分がお金を与えられるのだといいます。 収入の一割を寄付し続ける事により、大金持ちになれる、という話も聞いた事があります。 インターネットのブログ上でですが、収入の半分を毎月寄付し続け、若くして何億円という財産を築いたという人の話も聞きました。 また、仏教でも、「托鉢」といい、寄付(という言い方は間違っているかもしれませんが・・・。)を募り、寄付をしてくれた相手方を貧乏から救い出す、という行いがあると聞きました。 それらの話を聞いて、自分も、セブンイレブンのレジの横においてある「みどりの基金」の箱や、ユニセフ等に、毎月募金をするようにしています。 確かに、継続的に募金をし出してから、生活の質は変わったし、仕事においても、以前より、精神的・肉体的に楽に勤まるようになったと感じています。 しかし、未だにフリーターで、月の収入は、10万円以下です。 「与えれば与えられる」の話は、本当でしょうか。 このまま募金活動を続けていれば、もっと豊かになれるでしょうか。または、豊かになる為の取っ掛かりのようなものを、得られるでしょうか。 体験談、一般論、噂、なんでもいいのですが、何かヒントになりそうな事を知っている方は、是非教えください<(_ _)> 宜しくお願いします。
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- iveris
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与える時に何も考えないというのは、至難のわざですね。 私たちの世界が形作られる、一番のもとが思考です。そこが出発点です。 期待した現実が現れないのは、「与えたけれど、与えられるかしら」と、心のどこかで考えてしまうからです。 そうすると、 「与えた」という現実と、 「与えられないかも」という相反する現実を創造することになります。 結果、少しだけ与えられるという現実があらわれます。 創造の法則は、あなたの思考から、望むものと、望まないものを選んではくれないのです。 何も考えないでというのは、とても難しいですので「与えられないかも」という思考を減らすようにしてはどうでしょうか。 私は、どんなに下心(誰かの不幸を望まない限り)があっても、与えるという行為は素晴らしいことだと思います。 あなたはきれいな心の持ち主のようですね。 下心があっても、このまま続けてくださいね。 いつか、「与えられる」ことに執着が無くなった時には、大きな宝物が舞い込むと思います。 成功をお祈りしております。
- zebura23
- ベストアンサー率30% (252/820)
「与えなさい。そうすれば与えられる」というのは、 何も精神的な話だけではないと思います。 私の考えでは、これが物事の道理だと思います。 宇宙はプラスとマイナス、陰と陽、雌と雄、高い低い、円と直線、 そして死と再生、収縮と拡大を繰り返す振動です。 その意味は、投げたものは必ずブーラメンのようにいつか必ず戻ってくる ということでもあります。 そこにはもちろん、 自分の望むことだけではなく、望まないことも含まれています。 そしてそれらのすべては、かつて自分が投げたものであるということです。 カルマとはそういうことで、私たちの人生もこの法則の下にあります。 今受け取っているものは、かつて自分が投げたものなのです。 ですからもっと良いものを受け取りたかったら、 もっと良い望みを投げるということです。 その望みに向けて人に与え、社会に奉仕する生き方をすることだと思います。 それは何も物質的、金銭的なことに限らず、 人に優しい人は人から優しくされ、人に寛大な人は人からも寛大に扱われ、 人を許す人は、人からも許されるということです。 同時にその逆もあります。 コンビニの寄付もいいと思いますが、 あなたが今就いている仕事を生活費を稼ぐためという動機だけでなく、 そこにプラス、 社会への、人々への奉仕のためという動機を加えてみて下さい。 すべての仕事は人間のために役立っているはずなので、 すべての仕事は人のために存在します。 ですからそのように考えるのは難しいことではないと思います。 そして、最後に、 富をもたらす数字である「6」をことあるごとに使ってみてください。 6の数字は数秘術で、富を意味しており、それを知る人々によって 密かに使われてきた数です。 それで大儲けしているのが、あのロックフェラー一族です。 あなたに富と恵みが豊かにあることを祈ります。
お礼
確かにそうだと思います。 しかし、人には優しくしているつもりですし、怒鳴ったりする事も殆ど無いですが、親からは仕事等生活振りに関して、罵詈雑言、浴びせられます。 これは自分が過去、自分でも忘れている位の過去に、人にしてきてしまった事なのでしょうか。 それとも、自立出来る位の仕事をしておらず、親元にお世話になっている時点で、迷惑を掛けてしまっている為に起きてくる事なのでしょうか・・・。 うまく仕事を続けて自立していけないという点で、主な理由は前者なのかな、という気がしますが・・・。 >あなたが今就いている仕事を生活費を稼ぐためという動機だけでなく、 そこにプラス、 社会への、人々への奉仕のためという動機を加えてみて下さい。 このような気持ちは、気付くと忘れてしまっています・・・。この動機を持って仕事をして行きます。 「6」、ですか。何となく噂だけでは聞いた事があります。使ってみます。ありがとうございます。 回答ありがとうございました<(_ _)>
- asflugels
- ベストアンサー率41% (281/685)
>>収入の一割を寄付し続ける事により、大金持ちになれる >>収入の半分を毎月寄付し続け、若くして何億円という財産を築いた そういう人もいるでしょう。そうじゃない人もいるでしょう。 おそらくそうじゃない人が圧倒的多数だと思います。 寄付の難しさはどこまで上から目線を避けることができるか、どこまで見返りを排除できるかだと思っています。 例えば「赤い羽根で募金したら貧しい人が食事できる」・・・一歩間違えると「俺がメシをおごってやる」になりますし、「これだけボランティアで手伝ったんだからお礼ぐらい言えよ」という気持ちにもなってしまいます。 もう一つ、人間は人間としての寿命で計算してしまいます。 つまり自分が施しをすれば自分に帰ってくるという期待です。 まだ若い方ですから無理もありませんが、やがて結婚して子供ができ、孫ができ・・・となると自分の利益よりも子供や孫のためになりますように・・・と思うようになります。 つまり時間軸が50年、100年のスパンになるのです。 あなたの寄付はあなたの子孫に戻ってくるぐらいの気持ちでないと何も帰ってきません。 震災で困った人がいて、あなたがせいいっぱい援助したら、1000年後のあなたの子孫が助けてもらえるというぐらいの気持ちです。 今のあなたが豊かでないなら、ひょっとしたら何百年も前のあなたの先祖が何も寄付をしなかった結果かもしれないし、ちゃんと寄付していてもあなたの時代にはまだ戻ってこないのかも知れないですね。 あるいは今日までは効果がなくても、明日買った宝くじが当たるかも知れないし、すばらしい仕事が舞い込んでくるかも知れません。 金銭的には恵まれなくても健康な体を保つことができるかも知れないし、すばらしい奥さんとめぐり合うかも知れません。 寄付をして億の金を得て、健康を失うというのはどうなんでしょう? 何をして豊かというのか・・ですね。
お礼
>寄付の難しさはどこまで上から目線を避けることができるか、どこまで見返りを排除できるかだと思っています。 例えば「赤い羽根で募金したら貧しい人が食事できる」・・・一歩間違えると「俺がメシをおごってやる」になりますし、「これだけボランティアで手伝ったんだからお礼ぐらい言えよ」という気持ちにもなってしまいます。 懸念しておられる事はとてもよく分かります。 そうならないように気を付けたいと思います。 >つまり時間軸が50年、100年のスパンになるのです。 あなたの寄付はあなたの子孫に戻ってくるぐらいの気持ちでないと何も帰ってきません。 確かにそうかもしれません。そのような考え方は欠けていたかもしれません。 >今のあなたが豊かでないなら、ひょっとしたら何百年も前のあなたの先祖が何も寄付をしなかった結果かもしれないし これに関しては、自分も考えた事がありますが、今から取り戻せるものではないし、怖いですね・・・。 自分のした事は孫の代に返ってくる、等とも言いますものね。 >あるいは今日までは効果がなくても、明日買った宝くじが当たるかも知れないし、すばらしい仕事が舞い込んでくるかも知れません。 金銭的には恵まれなくても健康な体を保つことができるかも知れないし、すばらしい奥さんとめぐり合うかも知れません。 確かにそうですね。自分が今までにしてきた事が明日返ってくるかもしれないし、捉え方次第ではすでに別の形で帰ってきている事も有り得ます。 回答ありがとうございました<(_ _)>
寄付する事は他人の為になる行為なので、 たとえ金額は小さくとも精神的に余裕が出てきます。 自分だけ儲けてやる、と考えてる人とは何か雰囲気が違うと思います。 精神的に余裕が出てきたら、今まで気付かなかった絶好のチャンスが見えるようになる。と私は思います。
お礼
確かにその通りだと思います。 ちなみに、自分は、始めは自分が豊かになる為の募金活動でしたが、続けていく内に、段々、純粋に人のために、という思いが多少なり芽生えてくるようになったと思います。 行動に連られている面があるように思います。 回答ありがとうございました<(_ _)>
- wakaranna
- ベストアンサー率6% (2/33)
与えられたいが為に与えると言うのでは駄目なんでしょうね。本当かどうかは知りませんが、財産を築いた人たちは人に与えていたら、いつの間にか自分にまた金が舞い込んできたようなイメージなんでしょうね。 どの位高額の募金をしているのかわかりませんが、フリーターなら親元にでもいない限り、生活にそれほど余裕も無いでしょう。募金するお金があるなら、まず収入を安定させるために職探しに使った方が良いです。「自分に余裕が無いのに募金している場合ではない」と言うのが私の意見です。
お礼
〉与えられたいが為に与えると言うのでは駄目なんでしょうね。本当かどうかは知りませんが、財産を築いた人たちは人に与えていたら、いつの間にか自分にまた金が舞い込んできたようなイメージなんでしょうね。 そのようなイメージは何となく分かります。 見返りを求めずに与えていた結果、結果として、大金持ちになったのでは、という事ですよね。 見返りを求めないで出来る程、好きな仕事、熱中できる活動、が見つかればいいのでしょうか。 自分には、今の所、そのようなものは、思い付きませんが・・・。 〉どの位高額の募金をしているのかわかりませんが、フリーターなら親元にでもいない限り、生活にそれほど余裕も無いでしょう。募金するお金があるなら、まず収入を安定させるために職探しに使った方が良いです。「自分に余裕が無いのに募金している場合ではない」と言うのが私の意見です。 月の収入が10万円以下で、その内の一割を寄付しているので、全然高額では無いです。 親元で暮らしているので、寝食に困るという事はぎりぎりで無いですが、生活振りに関してよく注意されるので、精神的にはきつい部分もあります。 尤もなお話ですが、少ないながらも、安定していないながらも、寄付活動をしていく事で、意識が変わり、目に付く求人広告が変わってきたり、仕事との縁のようなものも変わってくるのではないか、と思って、寄付活動を続けていました。 回答ありがとうございました<(_ _)>
- iveris
- ベストアンサー率32% (21/65)
秘訣は、「自分は与えている」と一時も考えないことです。 忘れて初めて、【与えれば与えられる】の法則が起動します。
お礼
確かに、そういった話も聞いた事がありますが、しかし、下心があっても良いから、とにかく与えると良い、とも聞いた事があります。 どちらが正しいのでしょうか。 何か、そう言える根拠や、理由のようなものはありますか?体験談や、そのシステムがどのように成り立っているのか、という話等でも構いません。 宜しくお願い致します。 また、与える自覚無しに与える、というのも、少し難しいような気もします。 お金で言うと、無くなっても気にならない位の小銭を、捨てるかのように募金箱に入れたり、人からお釣りを貰う手間を面倒に思い、お釣りをそのまま相手にあげてしまう、とかいう感じでしょうか・・・。 回答ありがとうございました<(_ _)>
- oo14
- ベストアンサー率22% (1770/7943)
10・1献金はあくまで牧師とその教会の維持費です。 20人よれば1人の牧師が雇える。労働組合とその専従の関係といっしょです。 一人では人生の荒波を越えていけません。 ですから、おすがりするのです。 おすがりしようと思えば、経費は必要です。 税金もその類のはずなんですが、あの体たらくでは、払う気もしなくなりますね。
お礼
それが、キリスト教で言われている「与えれば与えられる」の話の正体ですか? 牧師のお給料と教会の維持費の為の教えだったとは。 相手方次第では、与えたお金は無駄になってしまうのでしょうか。 与えたエネルギーが、何というか、もっとスピリチュアルな意味で、自分に戻ってくるという事は無いのでしょうか? 回答ありがとうございます<(_ _)>
- 山田 太郎(@testman199)
- ベストアンサー率17% (438/2463)
別に現金だけの話じゃないですから >生活の質は変わったし、仕事においても、以前より、精神的・肉体的に楽に勤まるようになったと感じています ほら、「与えられた」じゃないですか
お礼
>別に現金だけの話じゃないですから そうですよね。 今回は、お金の事が一番気になるので、お金の事に焦点を絞って書かせて貰いました。 確かに与えられているので、もっと継続して「与えて」行こうと思います。 回答ありがとうございました<(_ _)>
お礼
なるほど! そういう事でしたか・・・。 与えた事を変に自覚すると、「与えられないかもしれない」という不安感が生じ、その思考が、放っておけば与えられる筈だったものまでお釈迦にしてしまうという事ですね。 言われてみれば、「与えれば与えられる」の思考に執着する余り、与えられるかなと強く考え過ぎていたような気がします。 ありがとうございます。 回答ありがとうございました<(_ _)>