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友人との関係について
- 友人との関係が破綻し、辛い経験をした話です。
- 友人に助けを求めても見返りを求められ、ショックを受けた経験について述べられています。
- 長年の友情が壊れ、自殺未遂にまで至った出来事について綴られています。
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質問者が選んだベストアンサー
まず私は友人関係や家族であっても、何かをしてあげて多少の見返りを求めるのは当然のことだと思います。 お互い様、という言葉を思い出してください。 いつも世話になってるからこのチョコあげる、とか、この前おごったんだから今日はおまえが金出せよな、みたいなのはごくごく普通の人間関係です。 また、見返りを求めず他人に親切にできる人間がいることも知っています。 それはとても尊い行為だと思います。 それ以前に、自分が辛いときに話を聞いてくれた友人に逆の立場になったとき「見返りを求めるな」と言える人間はかなり珍しい部類だと思います。 >支えてあげたんだ、みたいな感情は捨てた方がいいのですよね そんなことありませんよ。 他人に示す好意が無私のものでなくてはいけない、なんてきまりはありません。 そういう思いつめ方はよろしくないです。 >これは、わたしのわがままなんでしょうか? いいえ。自然な感情だと思います。 なんというか、誰かの為にしてあげること、が完璧な善意で行われなければならないなんて考え方はする必要はありません。 それは他人の好意を当てにするとかとは全く違うことです。
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- rockfish
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人生ってギブ&テイクじゃないか、やっぱり。 色々してくれた相手にはしてあげたいと思うし、それはどんな相手に 対してもですよね。 彼女がそう発言したのは精神が健全な状態ではなかったんでしょう。 被害者意識が強すぎて、「私はもっとかまってもらって当然」だという 考えだったんでしょうね。 色んな人がいます、世の中。 それが面白くもあり怖くもある世の中ですが、あなたが出会った人は たまたまそういう人であったというだけです。 間違いなく全ての人が彼女みたいなことはありませんからご心配なく。 月並みですが「案外、捨てたもんじゃない世の中」だったりします。 あまり拒絶せずに世間というものと接してみてください。 結局、人は誰か人との交わりを避けて人生を過ごせるとも思えませんし。 だったら楽しみたいものです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 本当に自分は、いやなことがあると、「次にも同じようなことがあったらどうしよう」みたいな心配性というか、だめな性格なので、本当に本当に、回答者様がおっしゃるとおり、「人生、案外捨てたもんじゃないな」って思える日がくることを信じて、過ごしてみたいです。 ここ数年、家族以外とは誰とも接してないので、考えが悲観的になりすぎていたと思います。 励ましの回答、とても嬉しかったです。 ありがとうございました。
- goemon_2012
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>これは、わたしのわがままなんでしょうか? この場合わがままという表現にはなりませんので、あなたはわがままではありません。見返りのことで悩んでいるようですがお友達に悪意は無かったと思いますよ。その当時お互いにそれぞれ別の悩みがあり双方が心の葛藤で苦しんでいた。簡単に言えばお互いに心に余裕が無かっただけです。ただそれだけのことです。それ以上でもそれ以下でもありません。 あなかが見返りを求めていたかどうかの問題ですがこれはズバリ求めています。心の中でそういう自分は悪だと位置づけているから苦しくなるだけです。見返りを求めるのは悪いことではありません。自然なことですからそれほど深刻に悩む必要は避けましょう。あなたの悩みの核心は自分の信じていた付き合いの長い友人に罵倒たれたのが心のわだかまりになっているのでしょう。 あなたは悪くありませんし、もちろんお友達も悪くないです。これは少しの行き違いが招いた事故だと思ってください。お友達もあのとき心にも無いことを言って悪かったと自分を責めていることでしょう。ここはあなたが大人になって彼女を救ってあげてください。連絡先が分かるのなら明日にでも彼女と連絡を取りましょう。メールでもかまわないと思います。「久しぶりだね。あの時は言い過ぎてゴメンね。わたしは元気にしてるよ。」簡単なメッセージていどを送るといいと思います。 あなたが今の苦しみから抜け出すには苦しいかも知れませんが過去を清算する事が大切です。優しい気持ちで彼女に接することが出来たときにあなたの苦しみが和らいできますので是非試されてください。仲直りできるといいですね。頑張ってください。 ※ あのときお友達の反論を受け止めることが出来ていたら今のあなたの苦しみはなかったでしょう。過去は終わったことなので取り返すことはできませんが、これからの人生で見つめなおせばいいことです。そのうち笑い話として語れるときがきます。自分を信じて生きてください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 力強い言葉に励まされました。 実は、退院したあと、彼女に電話をしました。 内容は「ごめんね」ということを伝えたかったからです。 彼女は、特に謝ることはなく「もう忘れようよ」「わたしたちは何にもなかった。それでいいじゃん」「重たいのきらいなんだよね」 と言っていました。 その解決方法にも少し疑問を感じていました。 ですが、彼女は、それが一番心地良いならと思い、同意しました。 なので、表面上は仲直りという形に収まっていますが、あれ以来、数年連絡は一切ないし、こちらからもしていません。 もうこれでおしまいなのかな…という気持ちで中々前に進めずに質問してしまいました。 これからは、もっと冷静な自分でいられるように努力し、治療していきたいと思います。 ありがとうございました。
- k28w
- ベストアンサー率30% (52/172)
こんばんは。 相手に対して、全く同じもの、それ以上のものを求めなくても。 酷い言動は、やっぱり許しがたいものだと思います。 お金の問題、内面の問題、その他… 自分が1番辛い、他の人の悩みは大した事ないと思うと、 保身のために酷いこと言ったり、失礼な行動をすることが有ります。 それだけ、自身に余裕が無かった、気の毒な人だったってことです。 いろんな人が居ますし、悪いところを探すと出てくるものですが。 何か事情が有って、感情的になっている、攻撃的になってる人には、 近づかない、適度に距離を置く、に限ります。 そっとしておくのも優しさでも有りますし。。。 私も似たようなことが会社で有りまして。友人でなく同僚ですけど。 もう。めちゃくちゃ怒って、上司は相手の言動を改めるよう指示したようです。 私それでも収まらなくて(過去の言動を謝らない、言葉より行動で示すところが許せなくて) やはり、心の傷を伴った怒りや悔しさは、手放したくても、許せないって気持ちが強いですね。 嫌な思いをしたくないからと保身に走ると、他の人まで信頼するのが難しくなりますね。 でも、その人以外は何の罪もないので、逆の立場で考えると、それも辛いですよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そっとしておくのも優しさ… わたしには、それが足りなかったようです。 自分の自殺願望が止められなくて、相手を考えずに相談しようとしてしまったことが、いけなかったのかなって色々なご回答を読むうちに、思うようになりました。 みんながそうではない。 こちらで親切に回答を下さっている方々を思うと、本当にそう思います。 ご回答ありがとうございました。
- ukoygwonim
- ベストアンサー率26% (286/1095)
これまでの回答者様方が十分素晴らしい回答をなさってますので、 補足的にちょっと違うアプローチで… ご友人は離婚歴があり、独り暮らしで生活苦、無職。 質問者様はご主人とお子様の3人暮らしで、鬱病で闘病中。 ご友人の 「見返りを求めないでよ!!!」 は、 『私に頼られても困る、救えない!!』 だったのでは? もしかしたら、順序が逆だったかもしれませんよ。 先に倒れたのが質問者様だったら…ご友人は親身になってくれたかも。 後になって、病状が良くない質問者様にご友人が助けを求めてきたら… 人を助けたくても、自分すらままならない状態ってありますよね? 弱っている人が誰かを支えようとしても、共倒れになってしまいます。 質問者様もご友人を支えるのに、相当無理をされたのでは? ご友人もそれが分かっていて、二の足を踏まれたのかもしれません。 ご友人の言葉はきつ過ぎるし、質問者様が傷付くのも尤もです。 わがままなんてとんでもない。支えてほしい時があるのも普通です。 でもご友人も余裕があったら別の対応ができたと思います。 「あなたには家族がいるだけいい」 という羨みがあったかも。 恩を返したくても返し方が分からない人もいるのです。 ありがとうがなかなか言えない人も。 お見舞に来られなかったのも、合わせる顔がないからかもしれません。 ご友人はきっと、質問者様に感謝されていると思いますよ。 ご自分がお辛い時にもご友人に手を延べられた、素晴らしい方ですもの。 お体大切になされてくださいね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね。きっとお互いに余裕がなかったのだと思います。 また、おっしゃる通り、「あなたには家族がいるじゃない!」のような感情もあったと思います。 そこで、わたしが彼女を頼ってしまったことが、間違えというか、ちょっと違ったのかもしれません。 すごく大切で楽しい思い出をたくさんくれた友人だったので 淋しかったです。 ご回答ありがとうございました。
- NURU_osan
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質問文を読む限りではあなたに落ち度はありませんし、わがままでもありません。 人との間での「貸し借り」や「以前これをしてもらったから」という所謂「義理」ですね。 明確に見返りや報いを求めてするわけではないにしても、そうしたものをお互いに提供し、あるいはお返しをし、それを繰り返すことで人間関係は成り立ちます。 人が困っている人を助けるのはその人からの報いを求めるからではなく、困っている人を助けられる人が助けることで、社会全体を良くしようという太古からの本能に根ざした心理です。それによって自分自身もいずれ助けられるという意味では、確かに報いや見返りを求めていると言えなくもありません。 しかし、あなた自身、実際に見返りや報いを求めるつもりで、ご友人に連絡をしたわけではなかったはずです。何か困った時等に誰かに共感して欲しいと思うことはごく自然な心理ですし、そこに必ずしも共感してもらうこと以外の助けを求める欲求が働くわけでもありません。 助けて欲しいとは言わないが、せめて今の気持ちを誰かに伝えたい、そして共感して欲しい。そうした欲求を抱いてしまったことには何の落ち度もありませんし、悪いことでは決してありません。そして、共感して欲しいと思った相手が、そのご友人だった。それだけのことです。あなたが責められる理由はどこにもありません。 困っている相手に手を差し伸べる。それがその時、その人に出来る範囲でするのは、社会人としては当たり前のことです。それが近しい人物やかつて世話になった相手であればなおのことでしょう。 あなたが見返りや報いを求めていなかったとしても、少なからず世話になった相手に対するものとしては、ご友人の態度は明らかに不義理ですし、まさに恩を仇で返すものです。 仮にあなたに過去に世話になっていなかったとしても、とてもではありませんが褒められた態度ではありません。社会人としてあるまじきものですし、人間性そのものを疑われたとしても仕方ありません。 しかし、「貧すれば鈍する」「衣食足りて礼節を知る」といいます。人の世話をするのは余裕がなければできず、余裕のない時であればいくら過去に世話になった人物が相手であっても、手を差し伸べることが難しくなることはあります。 おそらく、ご友人は精神的な余裕が無かったのでしょう。その点はあなた自身もある程度理解しておられるようです。運がなかった、間が悪かったと諦めるしかないのかもしれません。 問題なのはあなた自身の気の持ちようです。 今回、ご質問された問題はすでに終わった問題です。終わったことにいつまでも心を捕らわれていることは、将来の幸運を逃し、不幸を呼び込む原因になってしまいます。 ご友人を恨み、憎み、ついでにほかの悪いことも全部をご友人のせいにすることで気が楽になるならそれもいいでしょう。 忘れることで気持ちを切り替えられるなら全部忘れてしまうのもいいでしょう。客観的に見て、記憶に留める価値のないつまらない事件です。 「真の癒しは許すことから始まる」といいます。難しいでしょうが努力してあえてご友人や今回の件を許し、癒しを求めるのもいいでしょう。 ご友人を恨むことも、許すことも、忘れることもあなたにはできます。どれを選択するにしても、あなたは気持ちを切り替え、ともかく今あなたが抱えている問題を解決することに集中したほうがいいでしょう。 決めるのはあなたです。あなたの自由にできるのです。好きなようにしていいのです。 ならば、あなたの好きなようにしましょう。そして少しでも気を楽にしましょう。 あなたに何も悪いことはありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 沢山、色々なアドバイスを頂いて恐縮しております。 わたしは、今、彼女のことを許すでも忘れるでもなく、やはり良い思い出を作ってくれたかけがえのない友人だと思っています。 そして、一時は、わたしを必要としてくれた友だと思っています。 ですが、人というのは、ときに自分のことしか見えなくなり、相手をたやすく傷つけるということも学びました。つらいことではありましたが、忘れることはないと思います。なぜなら、忘れてはいけないことだと思うからです。 わたしも、あのとき、彼女を案じて「今、しんどかったら、こんどでいいから聞いてほしいな」くらいの心の広さがあったらと悔やんでいます。 もちろん、自分の抱えている病の治療もきちんとしなければならないし、だけど、このような一つ一つが心に刺さっているので、一個づつ納得していくと、この病気も少しは良くなるかなと思いました。 適切なアドバイスをありがとうございました。 的外れなお礼のコメントでしたら、お許しください。 ありがとうございました。
- dunedune
- ベストアンサー率21% (207/950)
人と人との付き合いですので、全てがあなたが思ったように動かないと思いますよ。 あなたに性格があるように、他の人にもあなたと違った性格、物事の捉え方があると思います。 私の友人に「悩み癖」がある人がいます。その人は悩みだすと、一時間でも二時間でも自分の悩み事に他人を巻き込みます。私も最初は真剣に聞いていたのですが、結局は彼女は悩み事を解決したいのではなく、単なる愚痴を聞いて欲しいだけみたいです。 あなたが言うとおり、「頼られたり、心配してかけつけたり、支えてあげたり」は人と付き合う上では大事です。 だけど、お互いに距離感や相手に依存しすぎない軽い人間関係も必要です。悩み事も聞き役に徹し相手の気持ちに深く入り込まず、愚痴を聞いてあげる程度にとどめるべき。反対に、自分が悩み事を打ち明ける場合にも、相手に過度な期待をしないで「ちょっと、しんどいんだ~」ぐらいの愚痴をこぼす程度にするのが普通だと思います。重い話をして、相手に答えを求めるような相談の仕方をすると、お互いの人間関係が重くのしかかると思います。 基本的に「悩み事」は愚痴をこぼすことはあっても、最終的には自己責任で自己解決です。 あなたがうつ病なように、彼女も何か病んでいるのかも知れません。人の悩みを聞くという事は、心に余裕がなければできません。彼女はあなたの不安を受け止めるくらいの心の余裕がなかったのかも知れません。お友達に冷たくされたからと他の人もそうとは限りませんので、あまり決めつけない方が良いと思います。 人と付き合う上で、相手があなたが思ったような反応をしなかったとしても仕方がありません。そこで人間不信にならないで下さい。 持ちつ持たれつの人間関係ですが、お互いの心の許容範囲というものを理解して、お互いに過度な期待をせず、出来る範囲の中で手助けするくらいがちょうど良いと思います。「一時間悩み事を聞いてあげたから、次はあなたも私の話を一時間聞いてね…」ではなく「今日は疲れたからまた明日ね」とか突き放すというか、その時その時の自分の状態で相手を手助けしたほうが、楽な人間関係だし無理がないと思いますよ。 http://allabout.co.jp/gm/gc/300274/2/
お礼
ご回答ありがとうございます。 おっしゃるとおり、いくら古い付き合いとはいえ、同じ考えではないのは承知でした。 あのとき、わたしが自殺未遂をしたときは、お互いの心に余裕がなかったことは今では理解できているつもりです。 ただ、何か悩みを抱えたとき、不安で一人で泣いているより、誰かがそばにいて聞いてくれるだけでも、いてくれるだけでも、それだけでいいっていうとき、それがわたしであったなら、それが嬉しかったのです。 うまく説明できませんが、あのとき、わたしを必要としてくれたことが嬉しかった。 だから、行ったのです。 それだけです。 ただ、見返りという言葉が出てくるとは考えもつかず、混乱してしまいました。 距離感という言葉がありますが、それがうまくとれないがゆえに、病をかかえています。 ちなみに、彼女はうつ病ではないと思います。 わたしのことを「精神病者ってコワイ」って言っていました。 ありがとうございました。
- osakajapan2001
- ベストアンサー率16% (236/1442)
この長文は 意外と気持ちよく拝読致しました 私の思う事には 一番嫌いな言葉に 「一事が万事」 と言う言葉です 貴方はこの友人の採った態度で 他のものも判断しようとしています よく似た事が私にもありました その友人が特別で他の方々は別ものと考えれば済む事でしょうね 今も私は その様に考えるようにしています 貴方よりは不利な立場・不利な環境 その友人は他人の愚痴を聞くだけの心の余裕が無かっただけでしょう その友人に習って 貴方もその様な人間になりたいなら 話は別ですが そうは考えていないでしょう 人間はお互い様なのにね 女性はこの様に自分さえ良ければ良いと考える生き物でしょう でも 貴方は違ったのです その気持ちを捨てなさいとは 私は言いません 又言いたくありません もっと 御自分を信じて下さい 貴方は誰よりも強いのに ね!!!!
お礼
ご回答ありがとうござます。 彼女の心の余裕のなさに気がついていたのに、それよりも自分の生死の方を優先してしまい、あの時は、パニックになっていたと思います。 普段でしたら、きっと彼女のそんな気持ちをくみ取って、自分の話は控えたと思います。 おっしゃるとおり、他の人もそうだと決めつけるのは良くありませんね。 ただ、何が優しさで、何が思いやりや友情なんだろうと考えて過ごしています。 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 わたしは、あとのとき、頼られた(と思い込んでいた)とき、純粋に心配であることと、一番に電話をかけてきてくれたことに、嬉しさを感じました。 なので、あとあと「見返り」という単語が出てくるとは、あのとき夢にも思いませんでした。 ただ、必要としてもらえてうれしかったのです。 ですが、どんなに古い友人でも自分と同じ考えとは限りませんし、彼女から見たら、わたしは甘ったれなのかもしれません。 「わたしは自分で生活しなきゃいけないの!!」 と良く言っていました。 彼女の余裕のなさに、自分のつらさを押し付けてしまったのかなぁと反省はするものの、やはり悲しい気持ちでいっぱいです。 こちらの回答を頂いて、すごく心が救われました。 ありがとうございました。